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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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続報。

毎日新聞:皇学館大:社会福祉学部撤退の経緯 昨年7月に表面化 補助金と用地が焦点に /三重(1月21日)

引用。

   
市企画財政部によると、伴五十嗣郎学長らは昨年4月、年度当初の恒例のあいさつに市役所を訪れた際、「学生が減り、大学経営が大変厳しい」と報告。撤退の話は出なかったという。

その3カ月後の理事会で計画が表面化し、市側は11月、「市としても、学生確保にできる限りの努力をする。さらなる経営改革を」と要請。しかし、大学幹部は12月、「このままでは大学全体の経営に支障が出る」として、伊勢学舎への統合により経営健全化を図る意向を伝え、理解を求めた。対応した前田國男副市長は再度努力を求めたが、伴学長らは今月8日、撤退を正式に通告、亀井市長は存続を断念した。

皇學館大学の肩をもつわけではないけれど、名張市から「市としても、学生確保にできる限りの努力をする」とかもちかけられたところで、そんな話には毛筋ほどのリアリティも感じることができなかったのではないか。「できる限りの努力をする」なんてこといわれたって、そんなものは、前向きに善処いたします、といったたぐいのお役所ことばの域を半歩も出るものではない。てめーらはおざなりなせりふ並べるだけのくせして、なにがしれっと「さらなる経営改革を」だばーか、と、当方が皇學館大学の人間なら思ったと思う。

リアリティのあることばというのは、たとえばこういうものではないのか。

   
政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

バラク・オバマ米国大統領の就任演説の一節である。

読売新聞:オバマ米大統領、就任演説全文(和文)(1月21日)

名張市に必要なのは、こういう認識なのではないか。こういった呼びかけなのではないか。ひとつの課題を、困難を、危機を、行政と市民が共有しているという認識が、名張市からすっぽり欠落しているのではないか。そうした認識にもとづいて、市民に呼びかけ、市民の共感を得ながら行政を展開するということが、名張市にはまったくできていないのではないか。きのうも記したとおり、ここ名張市においては、なにからなにまで他人ごと、すべてがすべて他人まかせなのである。他者となにかを共有することができない。他者に背を向け、独善におちいっている。そういった印象が強いのである。たとえ市民サイドに、名張市の危機を行政と共有するという信念と決意があったとしても、かんじんの名張市にそうした認識がなく、信念と決意が欠如しているのだとすれば、市民は名張市を見限るしかないであろう。

   
我々の挑戦は新しいものかもしれない。我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠誠心、愛国心といった価値観にかかっている。これらは、昔から変わらぬ真実である。これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

いま我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。米国民一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

名張市はいまだに、昔ながらの無責任の時代にある。自分自身と名張市に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえて、困難な任務にすべてを与えようとする市民がげんに存在しているというのに、名張市はそうした市民に背を向け、行政と市民とのあいだにいたずらに深いみぞをつくって、無責任という名のバリアに閉じこもったまま、およそ市民の共感を得ることのできないリアリティ皆無のきれいごとを並べ立てているだけなのである。

それにしても名張市、ほんっとネガティブだな。ここまでネガティブでいいものかどうか、と思って探してみると、ポジティブっぽいニュースもないわけではない。名張まちなかの話である。

毎日新聞:旧細川邸やなせ宿:絶好調 来館者、7カ月間で1万3300人--名張 /三重(1月16日)

引用。

   
昨年6月にオープンした名張市新町の旧細川邸やなせ宿の来館者数が、昨年末までの約7カ月間で1万3300人に上っていることが15日、分かった。既に1年目の目標だった1万2000人を超えており、市は「予想以上の人気」と喜んでいる。【金森崇之】

やなせ宿には、夏場を中心に多くの来館者があり、11月には隠(なばり)街道市が開かれた2、3両日だけで計約2000人が訪れ、月間でも最も多い約3100人を記録した。市によると、コンサートなどのイベントに毎回100人程度が訪れていることや、日替わりで市民が昼食をつくって販売するワンデーシェフの実施などで、リピーターが増えていることも好調の理由だという。

結構なことである。あのやなせ宿、約七か月で一万三千三百人の入場者があったという。結構なことである。一か月あたり約千九百人、一日あたり六十人あまりが入場したことになる。結構なことである。コンサートなどのイベントやワンデーシェフが、なかなかの人気を集めているという。結構なことである。

結構結構、まことに結構なことである。やなせ宿が無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として食堂化路線をまっしぐらに突っ走ったなれの果ての姿、眼もあてられぬほどの現況を、現在ただいまのあのありさまを、名張市役所のみなさんは喜んでいらっしゃる。是としていらっしゃる。諒としていらっしゃる。すなわち名張市は、いいだけ無茶苦茶だった整備のプロセスからはかたくなに眼をそらし、すったもんだはいっさいなかったことにして、眼前にあるごく表面的な事実、入場者数というきわめて局所的な要因だけをおおげさにクローズアップすることで、やなせ宿整備事業の総体をまるごと追認し、すべてよしとしようとしているのである。

ポジティブシンキングは大切なことだ、とは書いた。たしかに書いた。げんに大切なことである。しかし、ここまでのポジティブシンキング、ふつうの人間には恥ずかしくってとてもできんぞ。鉄面皮にもほどがある。厚顔無恥にも限度がある。ここまであからさまに開き直られてしまった日にゃ、けっこですなけっこですな、まことに結構なことでございますな、といってやるしかないではないか。ただまあ、これまでの経緯はおおよそ知り抜いていながらも、一年目の来館者数は一万二千人を目標としております、などとまったく無根拠な数字をでっちあげ、「予想以上の人気」とでもいっておくしかないお役所のみなさんの立場というやつは、当方とて理解できぬわけでもない。宮仕えのつらいところ、といったところか。だから、民の出番だというのである。

きのうのコメントに、昨年12月18日に開かれた名張まちなか再生委員会次期役員準備会の議事録を引用しておいた。

1月20日:委員会よ赤岩尾へ行きゃれ > ポジティブなんだかネガティブなんだかなんなんだ

当方の発言の一部である。再掲しておく。

   
(中歴史拠点整備PTチーフ)
・プロジェクトチームの独自性・独立性・主体性ということで、プロジェクトチームの役割が、よく理解できないのでお聞きするのですが、歴史拠点整備PTで、市長に文書を提出したいと考えています。
・今までの経緯の説明ですね、反省点。はっきり申し上げまして、色々と見方はあるでしょうけど、細川邸の整備事業は失敗したのです。
・現在の運営ということではなく、整備が終わるまで、委員会ができて、プロジェクトチームが色々と討議し、結局、大成功という結果には終わりませんでした。
・私たちも反省すべき点はありますし、行政側にもあります。私たちの反省点を書いて、例えば、まちなか再生プランという壁があって、そこに歴史資料館とか、公設民営という縛りがあって、そのような越えられない壁があり、話しがうまくいかず頓挫したという結果になったわけですが、そのような反省点を含めて市長に報告書を出して、その点についてもお聞きして、これまでの経緯を市民の方に報告しないと、市民に申し訳ができないと思います、失敗した当事者ですから。
・直接たずさわった人間としては、市民に申し訳ないと考えています。ですから、私たちの良くなかったところを市民の方にさらすことになるのですが、そういう風にやっていかないと、同じことが永遠と繰り返されてしまうのではないかと。
・このようにプロジェクトとして、市長に文書を提出して、回答を求めて、提言をするということは可能でしょうか。

なにいってんだかもうひとつよくわからないから、論旨を述べておく。要するに、名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトは、やなせ宿整備のプロセスをきっちり検証する、ということである。紆余曲折を経て、結局は名張市における失政のシンボルになってしまったやなせ宿にかんして、市長の見解をただし、市民にも報告する、ということである。お役所には、こうした習慣はまったくない。やりっ放しのやり逃げである。いい例が、まさに皇學館大学ではないのか。とどのつまり名張市は、誘致しただけ、誘致しっぱなし、ということだったのではないのか。名張市は皇學館大学のまちなか研究室に対し、主体的にかかわろうとしたことがなかったのではあるまいか、との推測はきのう記したが、スケールを大きくして推測を重ねるならば、皇學館大学そのものにも、名張市は主体的に、なんつったって税金三十五億円を投入した主体である、主体も主体、大主体なのであるというのに、主体的にかかわろうとはいっさいしなかったのではないか。

ま、あと出しじゃんけんみたいなことをいってたってしかたはないけれど、自分たちのやったことをふり返って検証する、という習慣がお役所にはまったくないのだから、はばかりながら民の出番、やなせ宿整備にかんする検証はきっちりかましてみたいと思う。念のためにいっとくと、これはあと出しじゃんけんでも、うしろ向きな行為でもない。名張市の未来のために、名張市が二度とおんなじ愚をくり返さないために、名張市にチェンジを迫るために、まことに面倒なことではあるけれど、いっちょぶちかましとかなしゃーないんとちゃうか、みたいなことなのである。
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