三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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諸羽流正眼崩し胡蝶の舞、きのうのつづき。さっそく舞う。
名張市長にたいする質問の二点目はこれであった。
回答を引用。
質問に記した「やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠」、それについて述べられている。一般的には、こうした場合、つまり自治体が公共施設の運営を民間団体に委託した場合、この団体にはこういう実績があるとか、この団体は運営コストをこれだけに抑えるとか、明確な根拠を示すことが求められる。しかし、それが示されない。回答に記されている根拠らしきものは、まちなか運営協議会が「名張まちなか再生委員会から生まれた組織です」ということだけである。
いうまでもないことだが、まちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会の下請け組織ではない。名張市はあくまでも、まちなか運営協議会に直接、やなせ宿の運営を委託している。委託するにあたっては、当然それなりの根拠があるはずである。なければならない。名張まちなか再生委員会から生まれた、などというのはなんの説明にも証明にもならない。しいていえば、名張市がずぶずぶなあなあの癒着構造を全面的に支持している、という事実の証明にはなるであろうが。
しかも、その名張まちなか再生委員会はどんな状態にあるのか。多言は要さぬ。あの委員会が現在、規約や組織の抜本的な見直しとやらを進めているという一事だけをとっても、委員会の現状は容易に察しがつくであろう。それが現実というものである。そうした現実にいっさい眼をむけようとせず、その委員会から「ゆくゆくは既成市街地のまちづくりを担っていこうとして」生まれたものでございます、などといってみたところで、そんなことばには寝言やうわごと以上の重みはあるまい。
「そうした経緯」とはどういう経緯か。まちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会から生まれました、というただそれだけの経緯か。こんな説明では、人を納得させることなどとてもできない。これまでの経緯というのであれば、名張まちなか再生委員会発足以来きょうまでのプロセスをきちんと精査したうえで、経緯なることばを使用すべきであろう。
これはいったいなにか。「現存していた建物中の保存状態の良いものをできるだけ当時の状態を保つよう改修した建物そのものが歴史資料館になりうる」とはなにごとか。いいわけにしても苦しすぎる。現状保存に意を用いて古い建物を改修すれば、それだけで歴史資料館になりうる? そんな歴史資料館がどこにあるというのか。資料収集に努めもせず、常設展示も企画展もおこなわず、学芸員を配置することもなく、ただ古い建物を昔のままに改修しただけの歴史資料館などというものが、いったいどこに存在するというのか。
ひきつづく説明も、意味が不明である。そもそもこちらは、やなせ宿における物販や飲食を中止せよ、などとは一度もいっていない。好きにすればよかろう。ただし、やなせ宿が歴史資料館を主用途として整備されたというのであれば、物販や飲食のほかに、主用途たる歴史資料館としての運営が進められているはずである。だが、実際には、そんな運営はまったくみられない。ゆえに、歴史資料館という主用途を無視してやなせ宿の運営をつづけるまちなか運営協議会は、施設の運営団体としてあまりにも不適格である。そういう結論になるのが当然であり、市民が行政指導を要請するのもまた当然の話である。
要するに、こちらが求めているのは主用途にかんする説明である。それがいっさいない。主用途ならぬ副用途の説明ばかりである。物販や飲食もよかろう。部屋を展示用に貸し出すのもよかろう。できるだけ多くの人に利用してもらうのも結構なことである。まちなかの再生の拠点施設にするのもまことに結構なことである。しかし、こちらは、主用途にかんする説明を求めている。その点にいっさいふれることなく、ただご理解だのご協力だのを要請するだけでことを済ませているのは、いったいどういう料簡なのか。
正直、大丈夫か、という気がする。しかし、あいにくなことに人間豹である。血も涙もないのである。ただでさえ血も涙もない人間豹が、正直さや誠実さのかけらもないいいわけ、いいのがれ、いいつくろいを眼にして、鉤爪をといでいるのである。これからいったいどうなるのかな。
名張市長にたいする質問の二点目はこれであった。
・現在、やなせ宿の運営はまちなか運営協議会に委託されているが、その運営内容は、当方の直接の知見においても、新聞報道においても、やなせ宿公式サイトから知られるところにおいても、歴史資料館を主用途とした施設にはおよそふさわしくないものといわざるをえない。適切な運営のためには行政による指導が必要であると判断されるが、指導する考えはあるか。また、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠は何か。
回答を引用。
・2点目のまちなか運営協議会の適切な運営のため、行政による指導の考えがあるのかどうかとの質問や、やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託した根拠についてのお尋ねですが、まちなか運営協議会は、当面は、やなせ宿の管理運営をしつつ、ゆくゆくは既成市街地のまちづくりを担っていこうとして名張まちなか再生委員会から生まれた組織です。
質問に記した「やなせ宿の運営をまちなか運営協議会に委託している根拠」、それについて述べられている。一般的には、こうした場合、つまり自治体が公共施設の運営を民間団体に委託した場合、この団体にはこういう実績があるとか、この団体は運営コストをこれだけに抑えるとか、明確な根拠を示すことが求められる。しかし、それが示されない。回答に記されている根拠らしきものは、まちなか運営協議会が「名張まちなか再生委員会から生まれた組織です」ということだけである。
いうまでもないことだが、まちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会の下請け組織ではない。名張市はあくまでも、まちなか運営協議会に直接、やなせ宿の運営を委託している。委託するにあたっては、当然それなりの根拠があるはずである。なければならない。名張まちなか再生委員会から生まれた、などというのはなんの説明にも証明にもならない。しいていえば、名張市がずぶずぶなあなあの癒着構造を全面的に支持している、という事実の証明にはなるであろうが。
しかも、その名張まちなか再生委員会はどんな状態にあるのか。多言は要さぬ。あの委員会が現在、規約や組織の抜本的な見直しとやらを進めているという一事だけをとっても、委員会の現状は容易に察しがつくであろう。それが現実というものである。そうした現実にいっさい眼をむけようとせず、その委員会から「ゆくゆくは既成市街地のまちづくりを担っていこうとして」生まれたものでございます、などといってみたところで、そんなことばには寝言やうわごと以上の重みはあるまい。
・そうした経緯により、現在やなせ宿の管理運営をまちなか運営協議会に荷っていただいております。また、まちなか運営協議会への指導ということですが、まちなか運営協議会が現在行っている管理運営は施設整備の当初の目的から勘案しても不適切であるとは考えておりません。
「そうした経緯」とはどういう経緯か。まちなか運営協議会は名張まちなか再生委員会から生まれました、というただそれだけの経緯か。こんな説明では、人を納得させることなどとてもできない。これまでの経緯というのであれば、名張まちなか再生委員会発足以来きょうまでのプロセスをきちんと精査したうえで、経緯なることばを使用すべきであろう。
・プランでも、歴史資料館(現存していた建物中の保存状態の良いものをできるだけ当時の状態を保つよう改修した建物そのものが歴史資料館になりうる)として整備し、多様な市民ニーズに応えるため物販や飲食も含む複合的な利用も可能なものとすることも述べています。また施設の紹介でも、ほとんどの部屋で、展示もおこなえるとしていることからも、呼び方や表現の違いがあっても、やなせ宿の施設をできるだけ多くの人に利用していただき、まちなかの再生の拠点施設にしていくために、努力していただいておりますことをご理解頂きますと共に、出来上がった本施設のよりよい利用に建設的なご協力を頂きますようお願い申し上げます。
これはいったいなにか。「現存していた建物中の保存状態の良いものをできるだけ当時の状態を保つよう改修した建物そのものが歴史資料館になりうる」とはなにごとか。いいわけにしても苦しすぎる。現状保存に意を用いて古い建物を改修すれば、それだけで歴史資料館になりうる? そんな歴史資料館がどこにあるというのか。資料収集に努めもせず、常設展示も企画展もおこなわず、学芸員を配置することもなく、ただ古い建物を昔のままに改修しただけの歴史資料館などというものが、いったいどこに存在するというのか。
ひきつづく説明も、意味が不明である。そもそもこちらは、やなせ宿における物販や飲食を中止せよ、などとは一度もいっていない。好きにすればよかろう。ただし、やなせ宿が歴史資料館を主用途として整備されたというのであれば、物販や飲食のほかに、主用途たる歴史資料館としての運営が進められているはずである。だが、実際には、そんな運営はまったくみられない。ゆえに、歴史資料館という主用途を無視してやなせ宿の運営をつづけるまちなか運営協議会は、施設の運営団体としてあまりにも不適格である。そういう結論になるのが当然であり、市民が行政指導を要請するのもまた当然の話である。
要するに、こちらが求めているのは主用途にかんする説明である。それがいっさいない。主用途ならぬ副用途の説明ばかりである。物販や飲食もよかろう。部屋を展示用に貸し出すのもよかろう。できるだけ多くの人に利用してもらうのも結構なことである。まちなかの再生の拠点施設にするのもまことに結構なことである。しかし、こちらは、主用途にかんする説明を求めている。その点にいっさいふれることなく、ただご理解だのご協力だのを要請するだけでことを済ませているのは、いったいどういう料簡なのか。
正直、大丈夫か、という気がする。しかし、あいにくなことに人間豹である。血も涙もないのである。ただでさえ血も涙もない人間豹が、正直さや誠実さのかけらもないいいわけ、いいのがれ、いいつくろいを眼にして、鉤爪をといでいるのである。これからいったいどうなるのかな。
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