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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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『伊賀市史』の刊行がはじまる。全七巻が、平成27・2015年度までに上梓されるらしい。第一回配本は第四巻『資料編 古代・中世』。頒布価格5000円だが、刊行までに予約すれば4000円になるという。ソースはこちら。

ブックスアルデ:伊賀市史 全7巻 刊行開始です(4月10日)

と思っていたら、YOUでも報じられた。

伊賀タウン情報YOU:初の市史「古代・中世編」を6月発売 伊賀市(4月18日)

つづいて毎日新聞でも。

毎日新聞:伊賀市史:「第4巻」が完成 「古代・中世」史料1278点収録 /三重(4月19日)

伊賀市の公式サイトを検索してみると、たぶん平成18・2006年度にまとめられたものと思われるが、「市史編さん事業」の事務事業評価シートがひっかかってきた。

伊賀市公式サイト:伊賀市 事務事業評価シート(pdf)

適当に引用。

   
事業の目的
対象等(何を、誰を)
ふるさと学習や郷土史研究をはじめとする伊賀市の歴史に興味をもつ市民全般(児童から大人まで)並びに市内外の研究機関・事業所・寺社等です。
成果(どうなるのか)
古代から、日本の歴史そのものを構築する重要な一部分を占める本市の、歴史的な発展の歩みを史資料をもとに明らかにし、郷土に対する関心と正しい理解を深め、愛情と誇りを一層高めるとともに、本市の一体性の醸成に役立てます。また、編さんの過程で収集した貴重な史資料の散逸を防ぎ、将来に設置を検討している郷土史料館で公開出来るよう、それらを整理し保管します。

事業開始時からの状況変化及び事業の改善点等
伊賀地域の自治体史は、旧上野市を除く旧町村史が昭和54年から58年にかけて作られました。旧上野市史は昭和36年に作られましたが、内容に乏しい概略版となっていた事と、今となっては陳腐化が進んだため、上野市制50周年記念事業として平成3年から新たな上野市史の編さんに着手しました。平成13年度から16年度にかけて上野市史民俗編・芭蕉編・文化財編・自然編・考古編が刊行されて、今回の市町村合併を迎えました。上野市史に残された歴史編を、合併を機に伊賀市史と名前を変え市域を拡大して編さんを継続しています。市民の協力により新たな史料が発見されると、史料の調査・整理・写真撮影・目録作成・翻刻・カード化・解説執筆と多くの作業が発生します。伊賀市史では、伊賀市歴史研究会に編さんの業務委託をお願いし同研究会と連携しながら事業を推進していますが、同研究会も人手不足である事と正規職員が2名しかいないので、事務事業の主たる目標である市史の発刊を刊行計画どおりに進める為には、日本史知識をもつ正規職員を増員する事が必要となります。差し当たり臨時職員を雇用し係の庶務に当らせ、正規職員2名を編さん業務に専念させる事で改善を図ります。

評価
伊賀という地域は古代日本の歴史にも登場する重要な地域であって、現在でも文献や文化的な遺産にその発展の経緯を見る事ができます。市史の編さん事業は非常に地味な事業で効率性に改善の余地が残りますが、完成の暁には伊賀市の歴史のバイブルとなって、市民のふるさと学習や郷土史研究、市内外の研究者に必ず役立つものとなり、将来の伊賀市政発展の羅針盤となる事が期待できるものといえます。市史刊行計画に沿った発刊を引き続き推進します。

総合評価
A

名張市にも、むろん市史発行の計画はある。財政難のせいで、刊行がのびのびになっているだけである。そんなことがいつか、新聞で報じられていた。ウェブサイト名張人外境を調べてみたら、平成18・2006年2月11日付毎日新聞の記事をひろってあった。

名張人外境:人外境主人伝言 2006年2月中旬

転載しておく。

   
名張市:最新の成果など報告 「名張市史だより」発行--編さん室 /三重

名張市市史編さん室は、市史編さんの進ちょく状況や研究成果を知らせる「名張市史だより」第1号(A4判、6ページ)を発行した。市史(全11巻)は当初、今年度から順次発刊する予定だったが、財政難のため延期し08年度からになっている。市民からは「いつになるのか」といった問い合わせもあるため、まずは市史だよりで知らせることにした。

市は97年に市史編さん室を、02年には有識者らで「編さん委員会」を組織し、本格的に史料収集を始めた。だが財政難で、十分な職員配置も、発刊する予算もなく、先延ばしされている。現在の予定は「08~11年度に毎年1巻ずつ発刊し、残り7巻は未定」という。

毎日新聞 MSN-Mainichi INTERACTIVE 2006/02/11

この記事によれば、今年度から四年がかりで、全十一巻のうちの四巻が刊行されるらしい。もっとも、二年前の予定がいまも生きているのかどうか、それはわからない。

さて、お立ち会い。名張市における市史刊行の惨状をみるにつけても、納得が行かぬのは細川邸整備事業である。みたいなことを書きつけようと思っていたのだが、上の毎日の記事を引いたあとに似たようなことが書いてあった。それを転載しておく。

   
2月12日(日)

いやどうもお恥ずかしい。以前からお伝えしておりますとおり名張市には全然お金がなく、

──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。

といったなさけないありさまなのですが、市史の刊行が先送りになっていたとは知りませんでした。財政難のせいで職員も満足に配置できず、発刊する予算も捻出できない。こんな状態ですからネット上の幻影城たる「江戸川乱歩アーカイブ」の実現など夢のまた夢というしかありません。しかし、それはいい。それはいいんです。市史のことにしても、

──名張市にはお金がありませんので全十一巻の市史を刊行することができません。

というのであれば、それじたいは致し方のないところでしょう。

しかし、

しかーし、

しかーしそうであるならば、

リフォーム詐欺にすぎぬ歴史資料館の整備にだってびた一文も出せる道理はないであろう。

むろん名張市役所の内部には名物のいいわけがいくらでも転がっていることでしょうけれど、はたしてそんなものが市民に通用するのかな。市民の眼にいまや明らかに映じているのは、1997年以来準備を重ねてきた市史全十一巻が刊行されるにいたらず、いっぽうではただの思いつきでプランニングされた歴史資料館が整備されるというにわかには信じがたい事実である。同じく歴史を扱いながら、必要な事業には金を出さず、不必要な事業に予算をつけようとする。予算の出どころがどうの担当セクションがこうのというのはお役所の内部でしか通用しないいいわけであって、市民の眼には名張市の歴史関連事業におけるバランス感覚の決定的な欠如がくっきりと映じているはずです。

市史も出せない自治体がインチキ歴史資料館を整備する。こんな世迷い言を飽きもせずに並べ立てておっては、名張市はほんとに嗤われてしまうことでしょう。悪いこたいわない。整備構想を白紙に戻してしまいましょう。それがいちばん。

これはおととしの2月に記したものだが、そのときにはまだ細川邸を歴史資料館として整備する話が生きていた。名張まちなか再生委員会という名の密室のなかでは完全に死んでいたのだが、市民には何も知らされていなかった。細川邸を「(仮称)初瀬ものがたり交流館」として整備するというサプライズが公表されたのは、この年7月に発行された「広報なばり」の紙上においてである。したがって、この年2月の時点では、細川邸を歴史資料館として整備するという気のふれたような構想に、かくのごとくお茶目なツッコミを入れていた次第である。

伊賀市の事務事業評価には、「編さんの過程で収集した貴重な史資料の散逸を防ぎ、将来に設置を検討している郷土史料館で公開出来るよう、それらを整理し保管します」とある。まっとうな話である。資料の収集を地道に重ね、ある時点でそれを管理公開するための資料館をつくるというのは、ごく自然な流れというものである。だが、わが名張市の歴史資料館構想と来た日には、そこらの駅弁大学の御用学者の先生、それも工学部の先生をトップにいただき、その下に歴史のれの字もご存じないような区長会とかまちづくり推進協議会とか商工会議所とか青年会議所とか老人クラブ連合会とかPTA連合会とかいった団体から選抜されたみなさんがくつわを並べた名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手によって、何も調べず何も考えずひたすら適当にでっちあげられたものでしかなかった。

名張まちなか再生プランにおける歴史資料館構想は、名張市史編纂事業と手を携えたものではまったくない。たぶんそのはずである。名張市教育委員会との連携すらなかった。たぶんそのはずである。「市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」などとほざきながら、実際にどんな歴史資料が存在しているのかということさえ確認しようとせず、乱歩コーナーが開設されている市立図書館に足を運ぶことすらしないまま、うすらばかがごく適当に無根拠なうわごとを口走るようにしてでっちあげたプランでしかないのである。

それにだいたい、教育委員会も教育委員会ではないか。プラン策定の過程においては、手前どもは縦割り行政を死守しておりますので、とばかりにわれ関せずを貫いていたとしても、あの名張まちなか再生プランの素案が発表された時点では、いくらなんでもこれはまずいと気がついたであろう。細川邸を歴史資料館として整備するなんて構想が正式に決定してしまったら、あとあととんでもないことになるぞと気がついたであろう。気がついたのなら市長部局にいってやれよ、と思うのが一般的な感覚というものなのであるが、名張市教育委員会は、というかお役所のみなさんはそんなこと、絶対にいってやろうとしないのである。知らん顔してほっかむりなのである。どーしよーもねーなー腐れ公務員ども。越えることのできない縦割りの壁の前にたたずんで、しみじみ立ち小便でも垂れてなさい。

ま、いいであろう。名張市教育委員会にかんしては、桝田医院第二病棟跡地に建てられた案内板の件で、名張市と並び叩いてやる所存である。きょうはこの程度にしておこう。

ついでだから、名張市考査委員会による事務事業評価報告書もみておく。昨年10月に公表されたものである。

名張市公式サイト:名張市事務事業評価報告書(pdf)

「市史編さん事業」から引用。

   
総合評価
継続(事務改善)

主な意見
・安易な期間延長はすべきではない。
・財源確保のため、協賛金等の工夫が必要である。
・販売収入を得るためのマーケティング戦略が必要である。

なんかもう、なさけなくて絶句してしまうではないか。事業の進捗状況もひどいものだが、この評価もまたひどい。市史を刊行するために協賛金を集めるのかよ。マーケティング戦略が必要かよ。こんなところにまで市場原理をのさばらせる気なのかよ。伊賀市の事務事業評価シートを読んでみろ。

「市史の編さん事業は非常に地味な事業で効率性に改善の余地が残りますが、完成の暁には伊賀市の歴史のバイブルとなって、市民のふるさと学習や郷土史研究、市内外の研究者に必ず役立つものとなり、将来の伊賀市政発展の羅針盤となる事が期待できるものといえます」

市史を刊行することの意義や必要性が、あるいは、歴史認識や歴史意識というものの意味や重要性が、名張市にはかけらほども理解できておらぬのではないか。というか、理解できておらぬからこそ、細川邸を歴史資料館にいたします、と軽佻浮薄を絵に描いたわけである。で、細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館にいたしました、と朝令暮改を絵に描いてしまったわけである。いいだけ涙目になっておるがよかろう。
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