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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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予告登板である。きのうの予告どおり、桝田医院第二病棟跡地に建てられた案内板を俎上に載せる。

まず、これがその案内板。名張まちなかの四か所に設置されたうちのひとつである。

20080421a.jpg

新聞でも報じられた。

毎日新聞;観光案内板:旧市街地の魅力PR 近鉄名張駅西口など4カ所に設置 /三重(4月1日)

このブログで話題にもした。

2月25日:乱歩生誕地碑広場案内板
2月26日:一生懸命つくられた案内板

予算を確認しておく。

名張市公式サイト:入札結果情報 公共サイン設置工事

公共サインという名目で案内板を四か所に設置し、契約金額は849万0300円。上の毎日の記事によれば、「3月に設置された城下川などへの誘導標(石碑)、旧細川邸について説明した立て看板(高札)と合わせ、市が計1080万円で整備した」ということになる。細川邸改めやなせ宿の整備には一億円、案内板と看板の設置には一千万円、とおぼえておけば目安になるだろう。なんの目安かはよくわからぬが。

さてここで、ひとつ詫びを入れなければならない。経緯を確認するため、2月26日付エントリ「一生懸命つくられた案内板」から引用。

   
江戸川乱歩生誕地碑広場についていえば、広場の設計もまだできていない段階で、公共サインという名の案内板が建てられてしまうあほさについてはきのう記した。この案内板というのは、やはりきのう記したことであるが、名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトが製作を担当している。すなわち、案内板の文案、写真、デザインなんかを手がけている。名張まちなかの四か所に、3月中には、名張まちなか再生委員会謹製の案内板が設置されることになっているのである。

去年の秋であったか、名張市役所の一階大会議室で、案内板の原稿というか原案というか、デザインどおりにプリントアウトした図面を見る機会があった。委員会の事務局から感想を求められたので、中学生がつくった壁新聞みたいだ、と率直なところを述べておいた。いまから考えれば、中学生に対してじつに失礼な感想であったのだが、忌憚なくいえばそういうことであった。江戸川乱歩生誕地碑広場の案内板にかんして、何かアドバイスはないかとも尋ねられたので、そんなものはないとお答えした。

名張まちなか再生委員会に対しては今後いっさい、もうどんな協力をする気もないんだもんね、と事務局に伝えたのは平成18・2006年6月のことである。いまさら何いってきたって手遅れである。それにだいたい、たとえ中学生がつくった壁新聞のようなものであっても、それが名張まちなか再生委員会の身のほど身のたけというものではないか。ひいては名張市のアベレージというものではないか。こんな程度の案内板しかようつくりませんねんと、それが名張市でございますねんと、正直に披露するのをなぜ憚る。

とにかくそういうことである。江戸川乱歩生誕地碑広場に設置される案内板には、いっさいタッチすることはせず、ただ悪口雑言をならべてきただけである。事務局スタッフからは、そんなこというけど歩行者空間整備プロジェクトが一生懸命つくったんだから、とのフォローが入ったが、一生懸命やりました、などという言葉がエクスキューズとして通用するのは、たぶん幼児の世界くらいなものではないか。そこらの幼稚園や保育所でならOKだとしても、税金の具体的なつかいみちを決めるにあたって、みんな一生懸命やったんですから、なんて話は通用するまい。

なかに、「中学生がつくった壁新聞みたいだ」とある。失言であった。事実を誤認していた。全国の中学生諸君に心からお詫びを申しあげたい。完成した案内板をとくとながめてみるならば、中学生がつくった壁新聞、といったレベルのものではまったくない。前言を撤回し、あらためてこのように述べておく。

幼稚園児の切り貼り遊びみたいだ。

中学生がつくった壁新聞であれば、もう少し深く取材対象にアプローチできているはずである。読者というものをちゃんと想定できているはずである。記事を書くためのノウハウや、レイアウトにかんするABCも、ひととおりは理解できているはずである。ところがこの案内板には、そんなものは何もない。ごくごく手近なところから、あ、こんな写真があった、あ、こんな文章があった、と切り抜いてきたものをぺたぺた貼り合わせてみただけ。ただそれだけである。はっきりいって、人前に出せるしろものではない。こんな程度のしろものに、ほかの案内板や看板もあわせて一千万円の税金をかけたというのだから、市民のひとりとしては涙を禁じえないような気がする。

幼稚園児が困っているんだったら手を貸してやればいいではないか、とおっしゃる向きもあろう。むろんそれくらいの道理は心得ている。だが、今回にかぎっては、はなはだ勝手ながらとても無理である。平成17・2005年6月に名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会事務局に足を運び、委員会への協力を申し出た。なぜか。委員名簿に眼を通したところ、それがまさしく幼稚園児レベルの連中の名簿だったからである。とんでもないことになると思われた。

名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されていた。しかし名簿の幼稚園児たちには、その構想を具体化することなど明らかに不可能である。歴史についても乱歩についても、何ひとつ知らない連中ばかりである。まかせておいたらとんでもないことになる。いやそれ以前に、そもそも歴史資料館をつくるという構想じたいがインチキだったのであるが、構想は実際に動き出していた。もうとどめようがない。だからせめて、乱歩のことであれ、名張の歴史のことであれ、最低限の知識を教えてやるからそのための場を設けるように、と事務局に要請した。後日、回答がもたらされた。

現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。

これが、名張まちなか再生委員会としての正式な回答である。外部を完全にシャットアウトして、名張まちなか再生委員会だけで細川邸を好きなように私物化するという宣言である。ここまではっきりと協力の申し出を断られてしまったのである。いまになって、この期におよんで協力できる道理など、どこを探したってあるわけがない。

それにしても、いったいどこの誰が「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない」などという断をくだしたのか、とお思いの向きもあるかもしれない。そのあたりの真実は、やなせ宿での講演会で明らかにすることになるのか、ならないのか。それはわからないのだが、ここはやはり、現段階では名張まちなか再生委員会にかんして内部の人間の悪行を暴露する考えはない、といっておいたほうが無難かもしれない。

しかしながら、これは去年の11月3日、コミュニティイベント隠街道市の記念行事のひとつとして、名張市総合福祉センターふれあいで名張の歴史をテーマに講演をおこなったときのことなのであるが、やはり魔が差したのであろうか、話の冒頭、名張まちなか再生プランはもうアウトである、細川邸は無茶苦茶なことになってしまう、誰が悪いのか、といったような話の流れになってしまって、さすがに実名は出さなかったものの、そこらの○○屋さんとか○○○○○屋さんとか、といったぐあいに職業というか商売というか、それを明示していささかを話しておいた。講演のあとで、話を聞いてくれた人から、

「あれいったい誰のことやねん。もう気になって気になって」

と尋ねられたから、やはり職種職業を明示するだけでは、聴衆に隔靴掻痒の感を与えてしまうのかもしれない。ならば実名を出すべきなのであろうか。なんとも悩ましい話であるが、やなせ宿でのいやがらせ講演会、なんだか魔が差しそうで胸騒ぎがしてくる。

そんなことはともかく、くだんの案内板である。桝田医院第二病棟跡地に建てられた「江戸川乱歩生誕地碑広場」の案内板には、去年の秋、名張市役所一階大会議室で示された図案がそのまま使用されていた。そのときには中学生がつくった壁新聞みたいだと感じられ、いまとなっては幼稚園児の切り貼り遊びみたいだとしか思えないしろものである。しかし、しかしふと気がつけば、この案内板のみにはとどまらず、昨今の名張市においては幼稚園児レベルとしかいいようのないものが、あちらこちらそこここに散見できるのではあるまいか。

幼稚園児のお遊び程度のことしかできない。それが名張市というところなのではないか。案内板設置ごっこ、観光交流施設整備ごっこ、まちなか再生事業ごっこ、委員会ごっこ、市議会ごっこ、行政ごっこ。いつまでレベルの低いお遊びをつづけていれば気がすむというのか。わっけわかんねーよなー名張市ってとこはよー。
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