三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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江戸川乱歩の著書や関連資料の収集は進める。だが、その活用については何も考えない。考えようとしない。考える能力がない。驚くべきことだが、それが名張市の実態であった。
なんのために資料収集をおこなうのか、その根拠が、みごとに欠落している。考えようともしない。せいぜい思いつくのは、市民を対象に乱歩作品の読書会を開くといった程度のことである。それが名張市立図書館の実態であった。
十二年前、平成7・1995年10月に、名張市立図書館の依頼をうけて嘱託になった。経緯はウェブサイト名張人外境の「乱歩文献打明け話」に記してあるから、ここには書かない。
嘱託として手がけたのは、いうまでもなく、収集資料の活用である。市立図書館が開館準備の段階から集めてきた資料にもとづいて、江戸川乱歩の書誌をつくることである。一冊目は、乱歩について記された評論や随筆などの目録『乱歩文献データブック』をまとめた。
このあたりのことは、南陀楼綾繁こと河上進さんが、「季刊・本とコンピュータ」平成17・2005年夏号のルポ「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」にまとめてくださったので、引用しておく。
収集資料にもとづいて、といっても、名張市立図書館に存在しない資料も多い。お役所の思考法でいえば、所蔵資料だけを目録化すればいいということになるのだが、それでは「自分が使う立場だったら、絶対欲しいと思」う書誌にはならない。
市立図書館が所蔵していない資料を確認したり調査したりする作業は半端ではなかったが、とにかく三冊の書誌をまとめることができた。
とくに三冊目の『江戸川乱歩著書目録』を編纂したときには、全国の乱歩ファンやミステリーマニアのあいだに、名張市立図書館のやろうとしていることへの理解が、ある程度、浸透していることが感じられた。だから、実際、多くの方から激励や教示をたまわることができた。
その嬉しさは、文字どおり筆舌につくしがたいものではあったが、『江戸川乱歩著書目録』の解題「ふるさと発見五十年」では、できるかぎりの範囲内でつくしておいた。結びの三段落を引く。
こうした協力が寄せられたということは、いや、協力といっても、実際には、資料の調査や確認で多くの人に手間や厄介を押しつけただけのことなのだが、とにかくそうした協力をいただくことができたのは、要するに、名張市立図書館がつくろうとしていた書誌に、「それらの人々」が意義や必要性を認めてくださっていたということである。
こうした協力関係は、信頼関係につながってゆく。河上進さんの「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」には、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』のことも書いていただいてあるので、引用しておく。
名張市立図書館のためなら、というか、江戸川乱歩のためなら、いくらだって一肌ぬいでやろう、とおっしゃる方が世の中には存在する。そうした人たちとの協力関係や信頼関係を基盤にすれば、貴重な「人的ネットワーク」を組織することも可能である。そうしたネットワークは、まぎれもなく、名張市という自治体にとっての財産である。
そのあたりのことは、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』にいただいた野呂昭彦知事の序文「江戸川乱歩と「新しい時代の公」」にも、ちゃんと記されている。かつてウェブサイト名張人外境に引いたところを、さらに引用しておく。
三重県においても、あるいは、名張市においても、「協働」や「新しい時代の公」と呼ばれるものの実態は、ひどいものである。先日の監査結果通知書があきらかに示していたとおり、この名張市においては、「協働」という言葉が、官と民の癒着を正当化するものとして使用されている。
だが、少なくとも『子不語の夢』についていえば、この本の出版が「新しい時代の公」の本来の理念を具体化したものであるとする知事の指摘は、妥当なものといえるだろう。
知事ですら、遠く三重県庁で職務にあたる知事ですら、「名張市立図書館を拠点とした社会関係資本」にかんして、こうした認識をおもちでいらっしゃる。だというのに、名張市鴻之台1番町1番地にそびえ立つあの愚者の城、名張市役所の連中と来た日にはどうよ。何も知ろうとせず、何も考えようとせず、ひたすら責任回避に明け暮れるばかりのあの連中はどうよ。
平成10・1998年のことである。名張市立図書館にお客さんがあった。だいじなお客さんなので、名張市教育委員会の教育次長が挨拶した。ちょうど『江戸川乱歩執筆年譜』が出たばかりだったから、お客さん全員に一冊ずつ手渡し、ご覧いただいていた。
テーブルには、『乱歩文献データブック』も置いてあった。と、横から、『江戸川乱歩執筆年譜』と『乱歩文献データブック』を手にした教育次長が、こんなことを訊いてくる。
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
ばかなのである。もう野放図なまでの、眼もくらまんばかりのばかなのである。そもそも本というものは、たんに字を印刷してあるだけのものなのである。その字を読まなければ、中身の違いはわからぬのである。
名張市の職員がすべて、全員が全員、どうしようもないばかであるというつもりはない。だいたい、職員個々のことなどよく知らない。だが、総体としてみれば、アベレージを求めるならば、これはもうばかだとしかいいようがないだろう。そして、なかには相当なばかがいて、ただ市職員として甲羅を経ているというそれだけの理由で、その手ひどいばかが教育次長を務めていたのである。
大丈夫か名張市。
なんのために資料収集をおこなうのか、その根拠が、みごとに欠落している。考えようともしない。せいぜい思いつくのは、市民を対象に乱歩作品の読書会を開くといった程度のことである。それが名張市立図書館の実態であった。
十二年前、平成7・1995年10月に、名張市立図書館の依頼をうけて嘱託になった。経緯はウェブサイト名張人外境の「乱歩文献打明け話」に記してあるから、ここには書かない。
嘱託として手がけたのは、いうまでもなく、収集資料の活用である。市立図書館が開館準備の段階から集めてきた資料にもとづいて、江戸川乱歩の書誌をつくることである。一冊目は、乱歩について記された評論や随筆などの目録『乱歩文献データブック』をまとめた。
このあたりのことは、南陀楼綾繁こと河上進さんが、「季刊・本とコンピュータ」平成17・2005年夏号のルポ「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」にまとめてくださったので、引用しておく。
□書誌の出版を提案した理由を、中さんは「自分が使う立場だったら、絶対欲しいと思ったから」と語る。それとともに、長年かけて集まった乱歩関係の資料を、名張市民だけにしか提供しないのはもったいない。ここにしかない貴重な資料を全国の乱歩ファンや研究者に向けて提供するのが、公共図書館が本来行なうべきサービスなのだという確信もあったという。
□嘱託になってすぐ、次年度の予算を要求するとともに、『文献』(『乱歩文献データブック』のこと──引用者註)の準備にかかった。平井隆太郎(乱歩長男)・中島河太郎(推理小説評論家)両氏に監修を依頼し、先行する資料をもとに調べを進めていった。その後、新聞で『文献』が準備中であることが記事になり、県内外のミステリーマニアから資料を借りたり、情報を得たりすることができた。そうして得たデータをワープロソフトに打ち込んでいき、索引も一人で作成した。『文献』の発行は一九九七年四月(奥付は三月末)。企画から発行まで、約一年半。予算上、年度内に出す必要があったとはいえ、これは驚異的な早さである。 |
収集資料にもとづいて、といっても、名張市立図書館に存在しない資料も多い。お役所の思考法でいえば、所蔵資料だけを目録化すればいいということになるのだが、それでは「自分が使う立場だったら、絶対欲しいと思」う書誌にはならない。
市立図書館が所蔵していない資料を確認したり調査したりする作業は半端ではなかったが、とにかく三冊の書誌をまとめることができた。
- 乱歩文献データブック 平成09・1997年3月31日
- 江戸川乱歩執筆年譜 平成10・1998年3月31日
- 江戸川乱歩著書目録 平成15・2003年3月31日
とくに三冊目の『江戸川乱歩著書目録』を編纂したときには、全国の乱歩ファンやミステリーマニアのあいだに、名張市立図書館のやろうとしていることへの理解が、ある程度、浸透していることが感じられた。だから、実際、多くの方から激励や教示をたまわることができた。
その嬉しさは、文字どおり筆舌につくしがたいものではあったが、『江戸川乱歩著書目録』の解題「ふるさと発見五十年」では、できるかぎりの範囲内でつくしておいた。結びの三段落を引く。
□本書編纂にあたっては、平成十三年十二月から立教大学移管後の十四年六月まで数回にわたり、当主の平井隆太郎先生からご高配をいただいて、旧宅に保存された乱歩の著作を調査する機会を得た。もとよりすべてに眼を通せたわけではないが、著書目録として一応の体裁を整えられたのはご遺族のご協力のたまものにほかならない。
□また、小林眞さんのホームページ「小林文庫」(http://www.st.rim.or.jp/~kobashin/)の電子掲示板では、閲覧者からの投稿という形で乱歩の著作についてさまざまなご教示に与った。未知の探偵小説ファンから寄せられた数々のご厚意は、それらの人々の乱歩その人への敬愛のあらわれとしても忘れがたい。お力添えを忝くしたすべての方に心からお礼を申しあげる。 □最後にひとつだけ、残念な事実を記しておかなければならない。江戸川乱歩リファレンスブック1、2のご監修をいただいた中島河太郎先生が、平成十一年五月五日に白玉楼中の人となられた。あらためてご冥福をお祈りする次第である。 |
こうした協力が寄せられたということは、いや、協力といっても、実際には、資料の調査や確認で多くの人に手間や厄介を押しつけただけのことなのだが、とにかくそうした協力をいただくことができたのは、要するに、名張市立図書館がつくろうとしていた書誌に、「それらの人々」が意義や必要性を認めてくださっていたということである。
こうした協力関係は、信頼関係につながってゆく。河上進さんの「そして、本だけが残る──三人の「出版者」との対話」には、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』のことも書いていただいてあるので、引用しておく。
□中さんは、千葉県の成田山書道美術館で展示された不木から乱歩宛の書簡を見て、「これは本にしなければ」と決意した。名張市では新規の予算がつかなかったが、三重県が松尾芭蕉の生誕三百六十年にあわせて行なう「秘蔵の国 伊賀の蔵びらき」というプロジェクト(予算は三億円!)内の「乱歩蔵びらき実行委員会」の事業として、予算を取ることができた。
□『子不語の夢』も自治体の発行物としては、きわめて型破りな本である。乱歩、不木の書簡の原文の翻刻に加え、大胆な解釈や推定にまで踏み込んだ脚注や、詳細な索引、論考が収録されている。書簡や封筒の画像を入れ込んだCD-ROMも付いている。もうひとつの特徴は、大学の研究者、ミステリ研究家、小酒井不木サイトの運営者、編集者など、プロ/アマ、アカデミズム/在野の違いにこだわらない人的ネットワークによって本書がつくられたことである。自治体の予算を使いながらも、その枠を大きくはみ出す本づくりを行なっているのだ。 |
名張市立図書館のためなら、というか、江戸川乱歩のためなら、いくらだって一肌ぬいでやろう、とおっしゃる方が世の中には存在する。そうした人たちとの協力関係や信頼関係を基盤にすれば、貴重な「人的ネットワーク」を組織することも可能である。そうしたネットワークは、まぎれもなく、名張市という自治体にとっての財産である。
そのあたりのことは、『子不語の夢 江戸川乱歩小酒井不木往復書簡集』にいただいた野呂昭彦知事の序文「江戸川乱歩と「新しい時代の公」」にも、ちゃんと記されている。かつてウェブサイト名張人外境に引いたところを、さらに引用しておく。
□近年、政治学や社会学の分野で「ソーシャル・キャピタル」という言葉を耳にします。直訳すれば社会資本という意味になりますが、これは従来のような経済的資本ではなく、人的なネットワークや信頼関係を指す言葉とされ、一般に社会関係資本と訳されています。共通の目的に向けて協働する人と人とのつながりがソーシャル・キャピタルであり、そうした社会関係資本が多く存在すればするほど、その地域はより豊かで魅力的なものになると考えられています。
□今回、「乱歩蔵びらき委員会」の依頼に応えて、第一線でご活躍の研究者の方々から惜しみないご協力をいただけたのは、名張市立図書館を拠点とした社会関係資本が有効に機能した結果であり、伊賀地域や三重県が実施する事業にそうしたソーシャル・キャピタルが実り多い成果をもたらしてくれたことは、今後の地域づくりを考える上でも貴重な事例になるものと期待しております。 □また、伊賀の蔵びらき事業は、三重県が本年四月にスタートさせた総合計画「県民しあわせプラン」のモデルケースとも位置づけられています。この計画では、県民、NPO、地域の団体、企業、行政など多様な主体が対等のパートナーとして協働し、「新しい時代の公」を担っていくことを目指していますが、本書はそうした新しい「公」、それも県境を越えて存在する新しい「公」によって世に送り出されるものといっても過言ではありません。 |
三重県においても、あるいは、名張市においても、「協働」や「新しい時代の公」と呼ばれるものの実態は、ひどいものである。先日の監査結果通知書があきらかに示していたとおり、この名張市においては、「協働」という言葉が、官と民の癒着を正当化するものとして使用されている。
だが、少なくとも『子不語の夢』についていえば、この本の出版が「新しい時代の公」の本来の理念を具体化したものであるとする知事の指摘は、妥当なものといえるだろう。
知事ですら、遠く三重県庁で職務にあたる知事ですら、「名張市立図書館を拠点とした社会関係資本」にかんして、こうした認識をおもちでいらっしゃる。だというのに、名張市鴻之台1番町1番地にそびえ立つあの愚者の城、名張市役所の連中と来た日にはどうよ。何も知ろうとせず、何も考えようとせず、ひたすら責任回避に明け暮れるばかりのあの連中はどうよ。
平成10・1998年のことである。名張市立図書館にお客さんがあった。だいじなお客さんなので、名張市教育委員会の教育次長が挨拶した。ちょうど『江戸川乱歩執筆年譜』が出たばかりだったから、お客さん全員に一冊ずつ手渡し、ご覧いただいていた。
テーブルには、『乱歩文献データブック』も置いてあった。と、横から、『江戸川乱歩執筆年譜』と『乱歩文献データブック』を手にした教育次長が、こんなことを訊いてくる。
「これ二冊ありますけどさなあ、こっちとこっち、表紙は違いますわてなあ。せやけど、中身はほれ、どっちも字ィ書いてあって、二色刷で、ふたつともおんなじですねさ。これ、こっちとこっち、どこが違いますの」
ばかなのである。もう野放図なまでの、眼もくらまんばかりのばかなのである。そもそも本というものは、たんに字を印刷してあるだけのものなのである。その字を読まなければ、中身の違いはわからぬのである。
名張市の職員がすべて、全員が全員、どうしようもないばかであるというつもりはない。だいたい、職員個々のことなどよく知らない。だが、総体としてみれば、アベレージを求めるならば、これはもうばかだとしかいいようがないだろう。そして、なかには相当なばかがいて、ただ市職員として甲羅を経ているというそれだけの理由で、その手ひどいばかが教育次長を務めていたのである。
大丈夫か名張市。
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