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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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朝日新聞2月9日付文化面の、といってもこれは統合版が配達されている名張市での話であって、朝夕刊がセットで販売されているところならたぶん前日8日の夕刊に出た記事だと思われるが、「惜別」というコーナーに田中徳三さんがとりあげられた。長谷川千尋記者の署名入り記事である。

引用。

   
映画監督 田中徳三さん

黄金期駆け抜けた「職人」

「老いて華やぐ」が晩年の口癖だった。06年春、3週間にわたって大阪で開かれた田中徳三作品特集の上映会場でも、穏やかな口調でそう語った。期間中、 三重県名張市の自宅から大阪に何度も出向いて、観客と一緒に自作を見た後、ファンの求めに応じてサインをしていた姿が忘れられない。

添えられた写真は、「悪名」のポスターを背にして語る田中さん。平成15・2003年8月27日、名張市の自宅で撮影されたとある。

記事では、昨年11月に公開された最後の監督作品「田中徳三監督 少年河内音頭取り物語」が紹介され、つづく段落。

   
この遺作は、監督の出身校、関西学院大学で行われた「お別れ会」でも上映された。参列者からは、日本映画の黄金期を駆け抜けた職人監督の華やいだ晩年に拍手がわいた。

2月2日の土曜日、関西学院大学の関西学院会館というホールで、「田中徳三監督とのお別れ会」が開かれた。顔を出してきたのだが、田中さんの人柄がそのまま反映されたような、おだやかでゆったりとした心地のよい会だった。

ちなみに、名張市内では2月16日の土曜日、名張産業振興センターアスピアで「田中徳三監督を名張で送る会」が催される。
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