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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。

なんのつづきかというと、1月31日に名張市役所で開かれた名張まちなか再生委員会の会合の報告、そのつづきである。

報告ではあるのだが、報告することは何もない、というけったいな報告である。名張まちなか再生委員会に検討を依頼してあった件について、これは昨年11月から12月にかけて、委員会の委員長と、委員会の内部組織であるまちなか運営協議会の会長と、このおふたかたに直接お会いして、当方の趣意を記した書類もお渡ししたうえでお願いした件なのであるが、委員会ではまったく検討がなされていなかった。で、委員会の参与である市議会議員おふたかたが肝煎りとなって、この日の会合を開いていただいたということになるのであるが、なにしろ検討がなされていなかったのだから、こちらとしては得るところなど何もない。

そういう報告なのである。狐につままれたみたいな話だから、報告を書いていても張り合いというものがない。おなじことをくり返し書きつけるだけみたいな感じである。細川邸をめぐるこれまでの動きを確認しておいてもいいのだが、これまでさんざん記してきたことだから、どうも気が乗らない。

要するにこちらとしては、なんというのか、すべては去年のうちに終わった話なのであって、1月6日付エントリ「設立趣意補足 5」にも記したとおり、「まあ、こちらとしてはできるだけのことはやってきたつもりである。やるべきことはやってきたつもりである。江戸川乱歩にかんしても、名張まちなか再生プランにかんしても、めいっぱいのことはしてきたつもりである。だから、年があらたまったいまの時点では、すべては過ぎてしまったことであり、思い残すことは何もないという心境である」といった感じであって、あとはどういう結論が出されるのかをみとどけるだけだという気分である。

ただし、名張まちなか再生委員会からどんな結論がもたらされるかは知れている。いまさら当方の提案を諾とすることはできないだろう。名張市に判断を仰いだとしても、2月4日付エントリ「二者択一の問題」に記したとおり、やはり結果は知れていよう。だから現実的な話としては、かりにこれからNPOを組織してなんらかの活動を進めることになったとしても、その拠点として細川邸を利用することは不可能だということになる。そうなると、こちらとしても構想を練り直さなければならない。

あるいは、まったく新しい構想を考えなければならないかもしれない。新しい構想というと聞こえはいいけれど、はっきりいってそんなものはほとんどないに等しいのであるが、1月31日の会合では一応、新しい構想のことにも簡単に言及しておいた。つまり、こちらの提示したプランが名張まちなか再生委員会に受け容れられなかったとしても、そのときにはまた別の構想を考えればいいだけの話なのであるから、良心の呵責や罪の意識を感じることなく、こちらの提案をばっさりやってくださって結構である、ということをお伝えしておいた。

ともあれ、得るところがなかったのは事実であるけれど、1月31日の会合を開いていただけたことにかんしては、名張まちなか再生委員会に深甚なる謝意を表しておきたい。肝煎り役を買って出てくださった市議会議員おふたかたとは、会合のあと市役所地下の食堂でコーヒーをごいっしょしたのだが、このつぎはお酒をごいっしょしたいということで話をまとめてきた。こういう話はすぐにまとまる。

ところで、粘着さんはどうしていらっしゃるのであろうか。新しいコメントはまだである。本日も放置なり。
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