三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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『名張の民俗』(昭和43・1968年)の「第1章 季節のコヨミ」から引用。おとといのつづき。
拙宅では昨年末、餅もつかなければ、おせちもつくらなかった。前者は、ジャスコかどこかの大型店でパック入りの丸餅を買い、後者は、親戚縁者からわけてもらって重箱につめた。正月も何も、あったものではないと思う。
□□1月 承前
□〈若水〉 元日の朝、井戸から汲みとった水で雑煮を炊き、茶をたて、残り水で家人が口をすすぎ、また書初めに用いる。若水で煮たてた茶を大福茶といい、梅干しを入れて、家族一同朝祝いに飲む。それから屠蘇・雑煮という順になる。だが、きちょうめんに若水の古例を守っている家は、はたしてどのくらいあることか。名張の町にも三、四年まえから上水道がついた。水道の水では“水の神”とか“若水”とかいう実感がわいてこない。 □〈雑煮〉 正月の旧習のなかで、どの家もそろって守っているのは雑煮(ぞうに)ぐらいではなかろうか。汁の“み”は家ごとにちがうが、サトイモ(タダイモ)・大根・ニンジン・豆腐というところが標準だ。イモは切らずにそのまま、大根は七色になぞらえ色々の形に切る。汁は味噌しる、餅は丸い押餅(おしもち)。東京は四角の切餅、東京の人は丸い押餅をみてびっくりするが、当地方ではこれが最もふつうの餅の形である。 □〈三種〉 おせち料理ということばは、当地方では一般的でない。(料理教室やテレビの影響で、このことばもだんだん普及しつつあるが)。正月の伝承的な料理といえば、いわゆる三種(さんしゅ)だ。数の子・ゴボウのはりはり・めまき・タツクリ・ボウダラのうま煮などを三重の容器につめ、来客があればこれを肴に酒をすすめる。だが、カズノコは“黄金のダイヤ”になったし、正月の食べ物もだんだん平常化しつつある。正月料理といって前々からさわぐ必要もなく、いまはマーケットでどんなものでも簡単にそろう。 □〈年始まわり〉 家族そろって屠蘇や雑煮を祝い、氏神へ初参りをすませてからゆっくりくつろぐ、いわゆる“寝正月”が正月の本来の姿である。だが、年ぢゅう上役の鼻息をうかがわねばならぬ勤め人や、大切なお得意をもつ商人は、寝正月どころか、次から次へ年始まわりの重労働に憂き身をやつさなければならぬ。 |
拙宅では昨年末、餅もつかなければ、おせちもつくらなかった。前者は、ジャスコかどこかの大型店でパック入りの丸餅を買い、後者は、親戚縁者からわけてもらって重箱につめた。正月も何も、あったものではないと思う。
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