忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[246] [245] [244] [243] [242] [241] [240] [239] [238] [237] [236]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

きょうも「名張の民俗」。なんというのか、こういうエントリばかり並べて味も素っ気もないアーカイブをつくりたいと考えているのだが、ブログなど利用せず、もっと本格的なアーカイブをめざすべきかとも思えてきた。もう少し思案してみたい。

とりあえず、きょうの産経新聞の記事。

産経新聞:成長願って矢を射る 名張市滝之原地区で若子祭

引用。

   
名張市の滝之原地区で、昨年誕生した男児らの成長を願って矢を射る正月行事「若子祭」が9日、同地区の八幡神社で開かれた。4人の「若子」の無病息災を願って、地区の6人の男性が神社前で、力強く6本ずつの矢を射た。

同市文化財に指定された祭り。地区の結束を固める意味もあり、700年以上前から続くとされている。

つづいて、『名張の民俗』(昭和43・1968年)の「第2章 祭」から引用。

   
□□若子祭(1月9日 滝之原・八幡神社)

八幡神社 滝之原には上出・中出・下出という三つの小場がある。八幡神社は中出、龍性院の横の丘陵の上に建っている。明治41年の神社統合にさいし小場内の全部の神社が村社国津神社に合祀された。その時の合祀目録によれば、この八幡神社も同年10月21日に国津神社へ合祀されたことになっている。だが、地元民の話によれば、表向きは合祀したことにして、実は相変わらずまつっていたという。理由はわからないが、おそらくこの神社に伝わる歩射の神事を保存するためではなかったろうか。事実、表向きの合祀後もこの神事は一年も休まず続けられてきた。土地の人が“おまと”と呼ぶこの神事は1月9日の若子祭の日におこなわれる。若子祭は前年中に村内に生まれた子供(男女とも)が神前に集まり健かな成長を祈願する祭である。
歩射というのは、馬上から弓を射る流鏑馬(やぶさめ)に対し、地上にいて弓を射ることである。主として正月に行なわれ、悪霊除けと年占を兼ねた神事である。風水害・病虫害・疫病等は悪霊の仕業と考えられ、的をこの悪霊に見立て、これを退治することによって五穀豊穣と村内安全を祈るのである。神官あるいは頭屋、とくに選ばれた若者・子供たちが厳しい斎戒や献盃祝言を経て射手となる。滝之原の歩射神事もこの原形をよく伝えている。起源についてはっきりしたことはわからないが、七百年の伝統があると土地の人は言い伝えている。なおこの神事は市文化財(民俗資料)の候補になっているが、いまだ正式の指定はない。歩射はブシャと読む。
準備 行事のはじまるのは午後二時ごろだが、早朝から若子(新生児)の父親が神社に集まり(社地が狭いので龍性院をつかう)、幟(のぼり)を立てたり、的(まと)を作ったり、弓の絃を張ったり、供物をととのえたり、万端の準備に当たる。的は一辺一・五メートルぐらいの方形、竹の骨組みに紙を貼り、筆で大きい三重丸を書く。弓は真弓、絃は麻苧(マオ)で、毎年張りかえる。なお的準備のさい、上出は的立て、中出は藁敷き、下出は榊立てという分担が古来きまっている。

若子祭は昭和45・1970年9月7日、名張市文化財に指定された。この項つづく。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012