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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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江戸川乱歩年譜集成

大正15年・昭和元年●1926 昭和3年●1928

 

昭和二年(一九二七)

 

年齢:三十二歳→三十三歳、数え年三十四歳

住居:東京都牛込区筑土八幡町三二番地

→東京市外戸塚町下戸塚六二番地

 

一月一日(土)

□雑誌□「新青年」新春増大号(第八巻第一号)の奥付発行日。「パノラマ島綺譚」第三回が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」一月号(第三年第一号)の奥付発行日。アンケート「クローズ・アップ」の回答が掲載された。

 

一月十九日(水)

□書簡□小酒井不木に封書。[子不語の夢]

 

一月二十五日(火)

□新聞□「大阪毎日新聞」に「私の抱く夢」が掲載された。

 

一月

□新聞□「東京朝日新聞」と「大阪朝日新聞」に「一寸法師」を連載。

 

一月か二月

平凡社社長の下中彌三郎が支配人とともに訪問、現代大衆文学全集への参加を要請した。承諾はしたが、企画が実現するかどうか半信半疑だった。[探偵小説四十年 円本時代/昭和27年6月]

 

二月一日(火)

□雑誌□「新青年」二月号(第八巻第三号)の奥付発行日。「パノラマ島綺譚」第四回が掲載された。

 

二月十日(木)

□書籍□探偵趣味の会編『創作探偵小説選集 第二輯』の奥付発行日。春陽堂から出版され、「鏡地獄」が収録された。

 

二月十八日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

二月二十日(日)

□新聞□「東京朝日新聞」で「一寸法師」が完結。「大阪朝日新聞」は翌二十一日に完結した。

「一寸法師」執筆中、休筆することを決意した。作品の中絶も考えたが、許されなかったので、苦しい思いをして完結させた。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

三月一日(火)

□雑誌□「新青年」三月号(第八巻第四号)の発行日。「パノラマ島奇譚」を休載。「カミ感服」が掲載された。

この号から横溝正史が編集長となり、森下雨村は「文芸倶楽部」の担当となった。[新青年:編輯局から/昭和2年4月]

 

三月二十日(日)

□書籍□『一寸法師』の奥付発行日。春陽堂から「創作探偵小説集」第七巻として出版された。

 

三月二十四日(木)

□書簡□小酒井不木に封書、転居通知の葉書を同封した。[子不語の夢]

 

三月二十五日(金)

聯合映画芸術家協会の映画「一寸法師」が千代田館で封切られた。監督は志波西果と直木三十五。明智小五郎に石井漠、一寸法師に栗山茶迷が扮した。[日本映画データベース:一寸法師

「一寸法師」は名古屋の港座でも封切られた。[子不語の夢:不木書簡 三月二十五日]

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

三月二十七日(日)

□書簡□小酒井不木に封書。[子不語の夢]

 

三月二十八日(月)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

三月

牛込区筑土八幡町から東京市外戸塚町下戸塚六二番地に転居、筑陽館という下宿屋を営んだ。隆、隆太郎との三人暮らしで、昭和三年三月までここに住んだ。[貼雑年譜]

「一寸法師」と「パノラマ島奇譚」の原稿料を元手に下宿屋を営むことにし、早稲田大学正門前の筑陽館を入手した。地の利のおかげで開業するとたちまち満室になり、田舎から女中を呼んで、隆に采配を振るわせた。健康を害したため休筆する旨を附記した「転居御通知」の葉書を印刷、知友に送った。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

三月

この月から、東京に妻子を残し、あてのない旅に出た。約一年のあいだ、東京市内や近国、信州、新潟から魚津、千葉、さらに伊勢から紀州、京都、大阪、名古屋などを放浪した。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

四月一日(金)

□雑誌□「新青年」四月号(第八巻第五号)の奥付発行日。「パノラマ島奇譚」の第五回が掲載され、完結。「三月号寸評」も掲載。

□雑誌□「大衆文芸」四月号(第二巻第四号)の奥付発行日。「参与官と労働代表」が掲載された。

□雑誌□「探偵趣味」四月号(第三年第四号)の奥付発行日。「一寸法師雑記」が掲載された。

 

四月

隆太郎が鶴巻小学校に入学。[探偵小説四十年 昭和二年度の主な出来事/昭和27年3月]

 

五月十六日(月)

□書籍□『闇に蠢く』の奥付発行日。波屋書房から「世界探偵文芸叢書」第六編として出版された。

 

五月二十四日(火)

帝国劇場で小酒井不木作「龍門党異聞」を森下雨村、甲賀三郎ら「新青年」「探偵趣味」の関係者二十人あまりとともに観劇。不木のために寄せ書きを書いた。[新青年:近事一束/昭和2年8月]

 

五月二十五日(水)

□書簡□小酒井不木に川畑玄二、甲賀三郎、平山蘆江と連名の葉書。[子不語の夢]

 

五月二十六日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

六月一日(水)

□雑誌□「大衆文芸」六月号(第二巻六号)の奥付発行日。「江戸川乱歩特集(人及び作品について)」が組まれ、「僕の職業変遷史」が掲載された。

 

六月

この月から、日本海沿岸、千葉県などを放浪した。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

このころ

栃木県足尾町の山をさまよった。[子不語の夢:乱歩書簡 六月八日]

 

六月八日(水)

□書簡□小酒井不木に葉書。[子不語の夢]

 

六月二十九日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に葉書。[子不語の夢]

 

八月二十日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

九月一日(木)

□雑誌□「キング」九月号(第三巻九号)の奥付発行日。「前人未踏の夢」と「本物の探偵小説」が掲載された。

 

十月一日(土)

□雑誌□「新青年」十月号(第八巻十二号)の奥付発行日。「偶感」が掲載された。

 

十月五日(水)

□書籍□『江戸川乱歩集』の奥付発行日。平凡社から「現代大衆文学全集」第三巻として出版された。中絶した「闇に蠢く」は加筆して完結させ、収録した。挟み込みの「大衆文学月報」第五号に「探偵小説暖繁盛記」「岩田準一君の挿絵」「江戸川乱歩略歴」「探偵作家一本参る話」が掲載された。

現代大衆文学全集は白井喬二が作家と出版社のとりまとめ役を引き受けたが、乱歩が旅に出たせいで連絡がとれず、第三回配本の予定だった乱歩の巻は第六回となった。十六万数千部が売れた。[探偵小説四十年 円本時代/昭和27年6月]

 

十月

この月から十一月にかけて約二か月、関西を放浪した。大阪で井上勝喜に会って、文楽を見物し、桂春団治が出演している京都の寄席へ二人で行った。山下利三郎の案内で一夜を過ごし、京都に住んでみたくなって、鴨川べりの旅館に滞在した。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月]

 

十一月二日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書、国枝史郎と相談して小説を合作することになり、乱歩の意見を求めた。[子不語の夢]

 

十一月

京都市丸太町橋西詰、山水館に一か月ほど滞在した。上島統一郎、加藤重雄、一条栄子らのほか、長谷川伸、志波西果ら映画関係者にも会った。大阪の春日野緑、宝塚の土師清二も訪ねた。[探偵小説四十年 放浪記/昭和27年3月][貼雑年譜]

 

このころ

小酒井不木の二日付の手紙が京都の山水館に転送されてきた。合作の話には賛成しにくいと思ったが、収入が得られるという誘惑もあった。二、三日後、名古屋の不木を訪ね、二人で国枝史郎を訪問、一応は辞退したが、両人から説き伏せられて合作に加わることにした。国枝と懇意で宝塚に住んでいた土師清二と京都に滞在中だった長谷川伸も勧誘することになり、京都に戻って二人を訪問、快諾を得た。[探偵小説四十年 合作組合「耽綺社」/昭和27年7月、8月]

 

十一月十日(木)

□書簡□小酒井不木が山水館の乱歩に葉書、十五日に合作を始めるため、十四日夜までに名古屋に来るよう依頼した。[子不語の夢]

 

十一月十七日(木)

名古屋市七本松の寸楽園で開かれた「新青年」主催の座談会に出席。ほかに小酒井不木、国枝史郎、長谷川伸、山下利三郎、横溝正史が参加した。「名古屋新聞」には、この日から二十三日まで宿泊し、脚本「残されたる一人」と長篇小説「巨人の反射鏡」を執筆したと報じられたが、実際には二、三日の滞在だった。乱歩と長谷川、土師は大須ホテルに宿泊した。[探偵小説四十年 合作組合「耽綺社」/昭和27年7月、8月]

横溝正史も大須ホテルに宿泊し、枕を並べて寝た。寝物語にひとつ作品ができていると口を滑らせたが、満足できない作品だったため、横溝が寝入ってからその原稿をホテルの便所に捨て、翌朝それを告白した。同じ着想を一年半後にあらためて書き、「押絵と旅する男」として発表した。[探偵小説四十年 「押絵」と「蟲」/昭和28年5月]

 

このころ

山水館で十日ほど扁桃腺で寝込み、近所の医師の来診を受けた。山下利三郎に勧められて大きな病院で受診したところ、蓄膿症にかかっていることが判明した。[探偵小説四十年 山下利三郎/昭和27年6月]

 

十二月一日(木)

□雑誌□「探偵趣味」十二月号(第三巻十二号)の奥付発行日。アンケート「本年度印象に残れる作品、来年度ある作家への希望」の回答が掲載された。

 

このころ

隆が病気になったとの電報を受け、帰宅。隆は胆石の発作を起こしていた。[子不語の夢:不木書簡 十二月八日、不木書簡 十二月十四日]

 

十二月七日(水)

耽綺社の第二回会合が寸楽園で開かれた。乱歩は欠席したが、残り四人に喜多村緑郎もまじえ、二日がかりで脚本「残されたる一人」を修正した。[子不語の夢:不木書簡 十二月八日]

 

十二月八日(木)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月十四日(水)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月十五日(木)

東京放送局の「探偵小説の夕」に出演。「探偵小説が出来るまで」と題して甲賀三郎、横溝正史、水谷準、大下宇陀児と話し合った。[探偵小説四十年 探偵作家総出演の放送/昭和27年8月]

 

十二月十八日(日)

□雑誌□「サンデー毎日」第六年第五十五号の奥付発行日。耽綺社の合作脚本「残されたる一人」が掲載された。

 

十二月十四日(土)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月二十五日(日)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

十二月三十日(金)

□書簡□小酒井不木が乱歩に封書。[子不語の夢]

 

[2012年7月9日]

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