三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。盆でもつづける。まちなか再生事業の検証をつづける。しかしまあ、ここまでですでに結論は出てるわけで、諸悪の根源は名張まちなか再生プランであり、そこらのうすらばか寄せ集めてあんなプランつくらせたのが間違いだったのである。以前からいってるとおり、第一歩から間違ってたのである。というより、そもそも、細川邸を適当に改修して特定の地域住民に提供するというのが事業の大前提だったわけだから、第一歩を踏み出す以前から間違ってたっていったほうが正確か。まあとにかく、名張市なんてわけのわかんないことばっかやってるわけなのである。
平成17・2005年8月
ここで訂正。おれはきのうのエントリで、名張まちなか再生委員会の事務局から、歴史拠点整備プロジェクトのためのレクチャーにかんして、
「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
との電話があったのは7月29日のことだと記した。しかし、これはおれの間違いで、じつは8月2日のことであった。7月29日は歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合が開かれた日で、この会合においておれの申し入れ、つまりレクチャーのことが話し合われ、
「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
という結論が出された。それが8月2日に伝えられた、という寸法だったのである。しかし、それにしても、ほんと、おれは腰を抜かしそうになったぞ。なにしろ、
「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
なんてこといってくんだからなあ。よほどのばかでも、ここまでばかなことはいえないと思う。名張まちなか再生委員会がここまでばかだとは、さすがのおれも察することができなかった。なーにが「現段階では」だばーか。歴史資料館をどうすっぺや、という検討がはじまった段階だからこそ、そのために必要なことを教えてやろうっつってんじゃねーか。なーにが「外部の人間」だばーか。委員会の内部の人間がうすらばかばかりだから、必要な知識や情報を外部から注入してやろうっつってんじゃねーか。なーにが「話を聞く考えはない」だばーか。ばかが上から目線で偉ッそうなことほざいてんじゃねーぞばーか。しかしまあ「考えはない」というのはまさしくそのとおりで、なんの考えもないままに事態はするする推移して、歴史資料館あらためやなせ宿も、桝田医院第二病棟あらため乱歩生誕地碑広場も、なんかもうとんでもないことになってしまったじゃねーか。「考えはない」なんてこといってないで、少しは考えろよばーか。
少しは考えろよばーか、とかいまごろいってやっても手遅れなのであるが、やなせ宿ならびに乱歩生誕地碑広場の惨状をみるにつけ、おれのパブリックコメントが実現されていたら、展開はまったくちがったものになっていたわけなんだよな、とため息まじりに思わざるをえない。もしも実現されていたら、桝田医院第二病棟の地には乱歩の生家が復元されていたのである。こんな簡単なことが、どうして名張市にはできなかったのか。名張に乱歩の生家が復元されました、なんてことを全国発信できたとしたら、それを受信した人間には、たとえかなりのばかであっても、あ、生家があるというのだから、名張は乱歩の生誕地なんだな、という程度のことは理解できるのである。そのことだけで、名張市のPRにはおおいに役立っていたはずなのである。むろん、乱歩の生家という眼にみえるものが生まれたら、いわゆる観光スポットにだってなっていたのである。
しかも、その乱歩の生家から歩いてすぐのところに、名張市立図書館ミステリ分室ができていたのである。いまの市立図書館は平尾山のてっぺんにあるから、名張のまちの人が歩いていける施設ではない。とくに高齢者と呼ばれる人にとっては、距離があるうえに急な坂道をのぼりおりしなければならないこともあって、身近な施設では全然ない。名張地区に存在しているのに、名張地区住民からは遠い図書館、みたいなことになってしまっている。だから、細川邸を市立図書館の分室にするというだけで、そこには少なからぬ意義が生じてくるわけだし、しかもこれが日本にただひとつしかないミステリ専門の公立図書館、それも古い民家をリフォームした図書館で、それがなんとわが国における探偵小説の父と呼ぶべき江戸川乱歩が生まれた町にあるというのだから、こんな面白い話はないではないか。だいたい名張市ってのは、注目されたいとか、誉められたいとか、そういう傾向の強い自治体なんだから、だったらおれのパブリックコメントを採用することで、おおいに注目されたり誉められたりすることになっていたはずなのだが、残念だったなインチキ自治体。
そういえば、おれのパブリックコメントでは、名張市立図書館ミステリ分室は基本的に新刊を購入せず、全国のミステリファンから蔵書の寄贈を受け付けて書架の充実を図る、みたいなことになっている。おれがパブリックコメントを提出した年の翌年にあたる平成18・2006年、改革自治体として知られる福島県の矢祭町が、というか、現在ただいまは住民基本台帳ネットワークへの参加を拒否しつづけていることで話題になっている矢祭町が、全国から図書の寄贈を募って町立図書館を開設するという試みに着手し、それこそ全国的な注目を集めたものであった。だから、もしも名張市がそれに先がけてミステリ分室構想を進めていたら、改革自治体としてもぐーんと株があがっていたはずだったのだが、残念だったなインチキ自治体。
とにかく、細川邸にかんしては、とりあえず市立図書館のミステリ分室ということにしてしまって、あとはもう好きなようにつかいまわせばよかったのである。おれなんて、パブリックコメントには書かなかったけれど、ミステリ分室の一画で酒を飲ませてもいいな、とかも考えていた。ショットバーRAMPO、なんちゃってさ、立ち飲みしかできないカウンターを設けて、出るのはウイスキーとビールだけ、つまみも落花生だけにして、とかいいだすと公立図書館でアルコールを提供するのはいかがなものか、みたいなこといいだすばかが出てくるのであるが、こんなばかのいうこと聞いてたらなんにもできんぞ実際。先日ご閲覧に供した徳島県の小西昌幸さんから頂戴したメールに、いったいなんと書かれてあったか。
私の本音は、
誰か(たとえば自治体関係者)の強力なリーダーシップと、
誰か個人のよほど奇抜なアイデアが、
奇跡のように有機的に結びついたとき
はじめて、面白いこと(地域活性化)ができる【かもしれない】、
という考えです。
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人が聞いたら耳を疑ってしまうような奇抜なアイデアこそが、地域を活性化する可能性を秘めているのである。四角四面で杓子定規で、手あかのついたことしか考えられないうすらばかを何十人何百人と集めてみたって、なにもはじまりはしないのである。せいぜいが、歴史資料館をつくりましょう、みたいな月並みなことしか考えられなくて、おかげでこのざまじゃねーか。おれが提供した奇抜なアイデアを真剣に検討して、それなりのリーダーシップを発揮できる人間がいさえすればなあ、と悔やまれる次第なのであるが、いやいや、べつに人のせいにするわけではなくて、おれだってその気になればかなりのリーダーシップを発揮することが可能なのであるが、いかんせん権限がない。まるでない。ならば、権限をもっている人間はどうなのかな、とみてみると、リーダーシップなんてどこにもないのである。丸投げシップでこりかたまってやがる。だから結局、どうにもならなかったのである。ほんと、いろいろな意味で残念だったなインチキ自治体。ていうか、百年に一度のチャンスをむざむざピンチに変えてんじゃねーよすっとこどっこい。
いやはや、いくら記しても愚痴でしかない。すべては終わってしまったのである。夢のように過ぎてしまったのである。四年前の3月、おれが提出したパブリックコメントを名張市があっさり蹴ってしまい、おなじ年の8月、おれの申し入れを名張まちなか再生委員会が、
「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
とあっさり蹴ってしまった時点で、すべてはおしまいになっていたのであるが、ここでつらつら考えてみるに、あの四年前の夏には、もしかしたら名張市全体がおかしくなっていたのかもしれないな。軽く発狂していたのかもしれないな。なにしろ、名張市議会議員の先生がた二十人が、暑さのさかりの大阪は道頓堀でこんな狂態を演じてくれたのである。
しかしこれは、発狂と呼ぶべきほどのものでもないか。なんつったって名張市議会の先生がたなのだから、単にあほなのである、と考えたほうが自然かもしれない。その点、こっちは発狂といっても支障あるまいと思われるのが、やはり四年前の夏、細川邸の裏に現出されたこんな光景である。
なんかもう、いいだけきちがいじみてるよな。この一件にかんしては笑える話が山のようにあるのだが、きょうのところは武士のなさけでスルーしてやることにして、とにかくもう、あの夏、あの四年前の夏、あの夏ですべてがおしまいになってしまったのである。おれとしてはあの時点で、名張市にたいしても、名張まちなか再生委員会にたいしても、ばーか、死ぬまでばかやってろばーか、みたいな感じになってたわけなのである。そうすると、名張まちなか再生委員会がまた、唖然とするほどばかなことをしでかしてくれたものだから、おれはどうにも黙ってらんなくなったのである。
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きょうもきのうのつづき。
平成17・2005年3月
3月15日、おれは名張まちなか再生プランの素案にたいするパブリックコメントを提出した。プランには桝田医院第二病棟の活用策が記されていなかったのだから、寄贈の橋渡しをした人間としては黙ってるわけにはいかない。もうひとつ、細川邸を歴史資料館にするというでたらめな構想には、やはり釘を刺しておく必要があるだろうな、とも思った。というか、細川邸は乱歩にちなんで活用するのが最善の道である、とおれは考えていたわけね。そもそもあの細川邸、ろくなつかいみちがなかった、というのが正直なところだろう。プランに示された結論が歴史資料館という月並みきわまりないものだったのも、ま、無理からぬ話ではあったのである。だから、乱歩が生まれた新町にあるんだから、まるごと乱歩関連で活用すればいいではないかというのは、それなりに筋の通った考えかたである。
乱歩関連で活用する、なんてこというとすぐ、やれ乱歩文学館だの乱歩記念館だの、短絡的なことしか考えられないばかが湧いてくる。しかし、さいわいなことに、おれはそこまでのばかではなかったから、細川邸は名張市立図書館のミステリ分室にすればいい、と考えた。なにかというと乱歩文学館とか乱歩記念館とか口走る連中は、なにしろばかなものだから、そういった看板を思いつくことしかできない。そこまでで思考が停止してしまう。文学館だの記念館だの、そんなものつくってなにすんの? と尋ねても答えることができない。市立図書館の分室ということになれば、図書館業務という基本のうえに、全国向けにも市民向けにも、さまざまな事業を展開することが可能なのである。名張市の身のたけや身のほどにぴったりフィットした施設でもある。でもって、もうひとつのポイントとして、桝田医院第二病棟の地には乱歩の生家を復元すればいいのである。これがパブリックコメントの内容であった。
しかし、単に脳内妄想を並べただけのものであったとはいえ、わざわざ名張地区既成市街地再生計画策定委員会なんてやつを発足させ、いっちょまえにかっこつけて提出された素案なのである。その目玉である歴史資料館構想を根底から覆してしまう、なんてことは逆立ちしたって不可能なわけさ。そんなことはわかっていたけど、だからっつってなにもせんわけにはいかんのよな。徒労とは知りつつ、パブリックコメントを提出した。案の定、素案にはなんの修正も加えられなかった。この時点で、話はすでに終わっていたのである。おれのパブリックコメントを葬り去ったその時点で、先日も記したとおり、乱歩にかんする百年に一度とも呼ぶべき絶好のチャンスを、名張市はすっかりおじゃんにしてしまったのである。
まちなか再生事業では、少しあとになって、市立図書館が寄贈を受けた書籍でミステリー文庫を、なんて構想が話題にされることになるのだが、あんなものは要するに、おれがパブリックコメントで示した提案のごく表面的な劣化コピーに過ぎない。図書館の寄贈本のことなんて、市民はおろか市職員だって知るはずのないことなんだから、元ネタがおれの提案だったことは火をみるよりも明らかなのである。そんなことだったら最初から、おれのアイデアを容れて素案を修正しておけよな、ということになるのだが、それは無理だったはずである。先述した理由以外に、名張市がまちなか再生事業でもくろんでいたのは、きのうも記したごとく、細川邸を適当に改修して特定の地域住民に提供することだったはずだからである。そんなところに市立図書館の分室なんてアイデアをもちだしても、名張市にはとても受け容れることはできなかったはずである。いやもう、なにしろお役所の人たちである。提案を理解することさえできなかったのではないか。
もうひとつ、プランにあった「歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします」との文言について記しておく。公設民営というのは、おそらく、施設の整備は名張市がおこなうが、完成後の管理運営は民間団体が独立採算でやれ、ということであろう。プランを一読して、おれはそう判断した。だとすれば、はなから無理な話である。一般の商店経営さえ成り立たなくなり、シャッターストリート化やパーキングストリート化が進んでいる名張のまちに、せこい歴史資料館なんてのをつくってみたところで、民営なんかできるわけがない。まちなか再生のために施設を整備いたします、というのであれば、あくまでも市の責任で運営いたします、という程度の覚悟はどうしたって必要であろう。虫のいいことばかり並べても、そうは問屋が卸してくれないはずである。というか、実際に卸してくれなかったから、歴史資料館あらためやなせ宿ではいまもてんやわんやがつづいているのである。
ともあれ、おれのパブリックコメントがこれである。
名張人外境:僕のパブリックコメント(pdf)
平成17・2005年6月
6月26日、名張まちなか再生委員会の結成総会が開かれた。おれはこの日、用事があって東京にいた。名張に帰って、新聞の報道で委員会のことを知った。へーえ、いちど事務局へ挨拶にあがんなきゃな、と思った。
平成17・2005年7月
7月1日、おれは名張市役所四階にある名張まちなか再生委員会の事務局を訪れた。名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示」すると書かれてあるのだから、当時、名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を務めていた身としては、知らん顔もできないのである。というか、いっぺんくらい図書館に顔を出せよな、という話だったのである。市立図書館には、郷土資料室もあれば乱歩コーナーもある。だというのに、名張まちなか再生プランをまとめた名張地区既成市街地再生計画策定委員会のみなさんは、ただのいちども市立図書館に足を運んでくれることがなかったのである。当時の市立図書館長に確認したことだから、これは間違いのない事実である。うすらばかというのはまったく恐ろしいもので、実際にどんな資料が存在しているのかすら確認しようとせず、ほんとに脳内妄想だけで歴史資料館構想をぶちかましてくれたのである。うすらばかがうすらばか寄せ集めて大騒ぎしてみたところで、しょせんこの程度のことなのである。
名張まちなか再生委員会の事務局で、おれは総会資料と会員名簿に眼を通した。あ、こういうメンバーなら、やっぱおれがいろいろアドバイスしてやんなきゃな、と思った。しかも、名張まちなか再生プランではいっさい言及がなかった桝田医院第二病棟にかんして、委員会の歴史拠点整備プロジェクトが「桝田医院第2病棟跡地活用事業」を担当することになっていた。腑に落ちぬことではあったが、そういうことにするしかなかったのであろう。となると、いよいよ、乱歩にかんしておれがいろいろ教えてやらなければならんではないか。そこで委員会の規約をみてみると、「チーフは、必要があるときは、構成員以外の者の出席を求めて意見を聴くことができる」とあったから、この条項にのっとり、歴史資料館と桝田医院第二病棟を担当する歴史拠点整備プロジェクトを対象にしたレクチャーの場を設けるように、と事務局に要請した。
一か月近くが経過した。7月29日のことである。事務局から電話があって、レクチャーの場にかんする回答がもたらされた。こんなんであった。
「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聞く考えはない」
おれは腰が抜けそうになった。
きのうのつづきな。
平成17・2005年2月
名張市が名張まちなか再生プランの素案を公表し、2月21日から3月22日までの期間でパブリックコメントを募集した。これがまあひどいプランであって、一読したおれは、まじーよこれ、と思わざるをえなかった。まじーよ、ではなくて、やべーよこれ、というべきか。ほんと、名張市やべーよ、と本気で思った。こんなでたらめなプランを策定して、いったいなにがしたいというのか。あったま腐っとるのか。
結局、いっさい修正を加えることなく、名張市は素案をそのまま正式なプランとしてしまった。諸悪の根源、名張まちなか再生プランの誕生である。いまも名張市の公式サイトで読むことができる。
名張市公式サイト:名張まちなか再生プラン(pdf)
乱歩のことからは離れるが、これがいかにでたらめなプランであったか、ここで確認しておく。なに、簡単なことである。プランに列挙されたプロジェクト、つまり、まちなか再生事業で実施されるべき事業のことであるが、そのプロジェクトがどの程度に実現されたのか、それをチェックするだけの話である。
プランには、これだけのプロジェクトが記されていた。
歴史拠点の整備
初瀬街道沿いの町並み修景整備事業
歴史資料館の整備事業
担い手の育成事業
水辺の整備
まちなかを流れる簗瀬水路の整備事業
・水路整備のためのデザインガイドラインづくり
・城下川沿いの歩行者空間整備と町並み修景整備
・中町と城下川をつなぐひやわいの整備
・城下川沿いポケットパークの整備
・一の鳥居広場整備
・大手橋詰めの駐車場の開渠化
・初瀬街道沿いの環境整備
・リバーナと中町をつなぐ公園道路整備
・蛍のいる簗瀬水路と歩行者空間の整備
・暗渠の開渠化による親水空間整備
名張川の存在が感じられる整備と子供や市民との交流促進事業
・エコロードの拡張
・子供が遊べる河川敷の整備
・名張川と親しむためのイベント開催
・空き家を活用したミニ水族館整備
・青空市の開催
・川の駅の整備
・まちなかを見下ろす展望台と散策路の再整備
簗瀬水路と名張川を結びつける散策路整備事業
・まちなか散策ルートとサイン計画
交流拠点の整備
新しい商業の拠点整備事業
個性ある老舗を改修支援事業
空き店舗を活用したパイロット事業
空き店舗の提供システム
生活拠点の整備
地区保健福祉センター(まちの保健室)整備事業
町単位の福祉交流施設(小規模複合「夢づくり広場」)整備事業
担い手の育成事業
歩行者空間の整備
まちなかを散策するネットワーク整備事業
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もう感心してしまうよな。実現性なんて毛筋ほども考慮することなく、つれづれなるままに思い浮かんだ脳内妄想をただ並べてみました、というプランである。まともな見識と判断力がある人間なら、こんなプラン策定してしまって大丈夫か、と思うはずだし、策定のプロセスであまりのひどさに懸念を抱いた人間だっていなかったわけではないだろうが、なんの歯止めもかかることなく、名張まちなか再生プランは正式に決定されてしまったのである。
つづいて、今年3月にまとめられた事後評価シート。
名張市公式サイト:まちづくり交付金 事後評価シート 名張地区(pdf)
国土交通省のまちづくり交付金を活用して、まちなか再生の旗のもと、どんな事業が実施されたのか。事後評価シートとやらから写してみる。
基幹事業
既存建造物活用事業
・名張市旧細川邸やなせ宿
高質空間形成施設
・太鼓門散策道整備
・名張駅西口公衆用トイレ整備
・城下川沿い道路修景整備
地域生活基盤施設
・公共サイン(まちなか案内板・誘導板)整備
提案事業
地域創造支援事業
・乱歩生誕地碑広場整備
・歴史・文化修景事業─まちなか資源調査─
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いちいち指摘するまでもあるまい。ビフォアとアフターが、まったくといっていいほど照合していない。まちなか再生事業の指針として名張まちなか再生プランを策定いたしましたが、それはまあそれとして、そんなプランにはこだわることなく、ごくごく適当にまちなか再生事業を実施してみました、みたいな印象である。プランには、税金の無駄づかいだと悪名の高い「地区保健福祉センター(まちの保健室)整備事業」と「町単位の福祉交流施設(小規模複合「夢づくり広場」)」も記されているが、こんなものは市の地域福祉計画かなんかに位置づけられているはずのもので、このプランに顔を出してくるのは筋違いというしかない。だから、事後評価シートには保健室も広場も出てこない。
唯一の例外として、これはもう例外と呼ぶしかないことだと思われるのだが、プランに明記されていた「歴史資料館の整備事業」は、事後評価シートにある「名張市旧細川邸やなせ宿」として実現された、ということになっている。しかし、やなせ宿が歴史資料館か? という疑問は残る。いやいや、もはや疑問なんかではないであろう。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館。それがやなせ宿の実態なのである。
名張まちなか再生プランから、歴史資料館に関する記述を引用する。
【2】 歴史資料館の整備事業(重要度:◎)
名張のまちにひろがりとまとまりが感じられるように、北の名張藤堂家邸に対して南にもうひとつの歴史拠点を整備します。
初瀬街道沿いの最もまとまりのある町並みの中にある細川邸を改修して歴史資料館とします。細川邸は円滑な賃貸契約が見込めるほか、平成16 年11月の芭蕉生誕360年祭において旧家の風情を活かした魅力的な歴史資料館になりうること、適切な企画によって集客力が期待できることなどが確認できたので、歴史資料館にふさわしい建築物と考えます。
老朽化した部分を除却し、町屋の風情を大切にして母屋と蔵を改修します。また、来街する市民の便に配慮して、駐車場、公衆トイレと喫茶コーナーを設置します。歴史資料館の主用途は資料の展示ですが、多様な市民ニーズに応えるために物販や飲食などを含む複合的な利用も可能なものとします。なお、歴史資料館の管理運営は民間が担う公設民営方式とします。
市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示するほか、市民が関われる利用方法を工夫します。たとえば、芭蕉生誕360年祭のからくりコンテストのようなイベントで展示した作品、市民文化祭や市の美術展の出品作、個人や文化サークルなどが作成した作品(例:能面、絵画)を展示したり、小波田地区の「子供狂言」などを招致したり、名張地区以外の市民も参加できる方法が考えられます。また、庭に面した風格ある和室を冠婚葬祭や茶会など、市民も利用できる方法を検討します。市民が関わることのできる場と機会を提供することによって、主催者としてあるいは参加者としてさまざまな市民の来館が期待できます。
管理運営を担う民間組織には、リピーターが確保できるような企画運営能力をもつことが期待されます。歴史資料館の立ち上がり期には、地元組織やまちづくり協議会が企画展示や施設管理に協力して、円滑な歴史資料館の管理運営に取り組みます。
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どこが歴史資料館だよ、というしかない。こんなものは、ご近所から犬だの猫だのハムスターだの九官鳥だのオカメインコだのときに爬虫類だの両生類だの、そんな動物をかき集めてきて、さあ動物園をつくろう、といってるに等しい。こんないいかげんな歴史資料館構想を中心に据えたプランが、なんの歯止めもなしに素案のまま決定されてしまったというのは、ほんとに信じられないような話なのである。
結局のところ、名張市はなにを考えていたのか。むろん、まともにものを考えることなどできないにしても、こうしてつらつら振り返ってみるに、名張市は少なくとも、歴史資料館のことなんか考えていなかった。まちなか再生なんてことも考えていなかった。ただまあ、なんとなく、ぼーっとぼーっと考えていたのは、細川邸を適当に改修して、特定の地域住民に提供すればそれでOK、といったことだったのではないか。いまとなってはそうとしか思えない。そうに決まっておるのである。どうだ。図星だろうがインチキ自治体。
そんなわけで、といったって、どんなわけだかおわかりにならんかもしれんが、まあ、こういったわけだとお思いいただきたい。
08月08日:解散は遠くなりにけりの巻 > とんでもないことに首つっこんで五度目の夏を迎えた
そんなわけで、みごとなまでの失敗に終わった名張市のまちなか再生事業、簡単に検証しておく。とはいえ、事業全体を概観するつもりはない。おれがまちなか再生事業に首をつっこむようになった接点は、あくまでも乱歩である。それしかない。だから検証も、いわゆる乱歩まわりのこととなる。どのあたりからはじめるか。
平成16・2004年12月
五年前からはじめる。この年12月8日、日刊各紙のウェブニュースにこんな見出しが躍った。
朝日新聞:乱歩生誕碑ある家 活用して 名張
毎日新聞:「江戸川乱歩のために使って」 名張の桝田寿子さん、病棟と土地を市に寄贈 /伊賀
中日新聞:乱歩の生誕の敷地と建物寄贈 大阪の所有者が名張市に
むろん、いずれもリンク切れ。読むことができないので、手許に残っている毎日新聞の記事を全文、天下御免の無断転載。
「江戸川乱歩のために使って」 名張の桝田寿子さん、病棟と土地を市に寄贈 /伊賀
◇記念館として、整備検討
名張市生誕の推理作家、江戸川乱歩の生誕碑がある名張市本町の桝田医院第2病棟所有者、桝田寿子さん(81)が「乱歩に関することで活用してほしい」と病棟と土地を名張市に寄贈していたことが7日、分かった。病棟は空き部屋となっており、名張市は「江戸川乱歩記念館」として整備しようと検討を始めている。【熊谷豪】
乱歩は1894年に名張市新町で生まれ、数カ月間過ごした。名張市を離れて以後、1952年に名張市を訪れ、自らの生誕地を確かめた。
桝田敏明・前院長(故人)ら地元住民は、乱歩と交流を続け、55年11月3日に生誕碑の除幕式を行っている。この時、乱歩に花束を渡したのが桝田前院長と妻寿子さんの長女、田中寿美さんであるなど、乱歩と深いゆかりがある。
病棟(木造平屋建て、敷地面積約380平方メートル)は築後約50年が経過し、83年から使用していない。桝田さんは「乱歩にかかわることで市に活用してほしい」と、乱歩に詳しい名張市立図書館嘱託職員の中相作さん(51)を通じて寄贈を申し出て、11月末に所有を移転したという。
中さんは「乱歩の生資料の収集は難しいが、生家を復元したら面白い。生誕碑が出来て50周年となる来年11月3日のオープンを目指してほしい」と話している。
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この年、たぶん9月のことであったと思う。桝田敏明先生のご遺族、この記事にある田中寿美さんから電話を頂戴した。桝田医院第二病棟の土地と建物を名張市に寄贈したいのだが、どうすればいいのか、とのお問い合わせをいただいたので、ありがとうございます、おまかせください、と返答して、その旨を市長に伝えた。以後、手続きが着々と進んで、この記事にあるとおり、「11月末に所有を移転した」ということになった。
さて、寄贈された桝田医院第二病棟をどうするのか。毎日新聞の記事はお読みいただいたとおりだが、同日の朝日新聞では、
「市は今後、活用方法を検討する」
「亀井市長は『今後のまちづくりの大きなインパクトになる。活用方法については、住民と協議して今年中にも決め、正式に発表したい』と話している」
中日新聞では、
「乱歩をテーマにしたまちづくりの拠点として利用方法を検討する」
「亀井利克市長は『まちづくりの大きなインパクトになる』と寄贈を喜び、地元などと協議して年内にも活用方法を決めたいとしている」
と報じられていた。
この年12月といえば、当時のおれはそんなことまったく知らなかったのだが、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が名張まちなか再生プランを策定している真っ最中であった。そういえば、先日の名張まちなか再生委員会第五回理事会では、出席者のひとりから、プランの策定といってもひどいもので、メンバーが思いつきで並べたてた提案に優先順位をつけただけのことであった、との証言も飛び出したのだが、そのあたりは名張市の公式サイトで近く公開されるはずの議事録でご確認いただきたい。ともあれ、プランが策定中だったのは間違いのない事実である。だから、桝田医院第二病棟の活用策は、そのプランの一環として検討されるのが本来であったと思う。ふつうに考えれば、そうなっていたはずである。それが筋ってやつであろう。ところが、実際には、もう全然なのであった。
平成17・2005年1月
年が明けて、1月20日。名張市役所で第三回名張地区既成市街地再生計画策定委員会が開かれ、「名張地区既成市街地再生計画『(仮称)まちなか再生プラン』(素案)」が市長に提出された。同日の中日新聞ウェブニュース「『細川邸』を歴史拠点に 名張市のまちなか再生素案」から引用しておく。
名張市の名張地区既成市街地再生計画「まちなか再生プラン」(仮称)の素案がまとまった。地区の歴史拠点として新町の旧家「細川邸」を改修し歴史資料館とすることなどを盛り込んだ内容。二十日開かれる計画策定委員会に提示し、審議を経て正式な計画となる。
同プランは、商業の空洞化、人口減少などが進む名張地区の本年度から十年間のまちづくりの方向性や具体的事業を示す計画。
公募した市民や名張商工会議所の関係者ら四十九人で昨年七月から素案の策定作業を進めてきた。
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この記事に接するまで、四十九人もの人間が英知を結集して、前年の7月からプランの策定が進められていたという事実を、おれはまったく知らなかった。むろんいまでは、うすらばかがうすらばか寄せ集めて役立たずなプランつくりやがってまあ、という正当な認識に立っているわけではあるが、そのときにはそこまではわからなかった。で、桝田医院第二病棟のことは当然、このプランに盛り込まれているのであろうな、とおれは思った。寄贈の話がもたらされたのはプランの策定開始から二か月後のことであり、11月にはすべての手続きが完了していたのだから、桝田医院第二病棟の活用策がプランに記されていないわけがないではないか、とおれは思っていた。
平成17・2005年2月
2月18日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開かれた。議員全員参加の委員会である。議題のひとつに「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」があったので、傍聴してみた。なにしろおれは、桝田医院第二病棟の寄贈にあたって、桝田敏明先生のご遺族と名張市との仲をとりもった人間なのである。いわばキューピッドなのである。無関心でいられるわけがない。そこで委員会を傍聴し、プランの審議に耳を傾けた次第であったのだが、驚くべし、桝田医院第二病棟のことはプランにはなにも記されていなかった。出席議員からは、桝田医院第二病棟の活用策を盛り込むように、との修正意見も出されたのだが、名張市はいっさい手を加えず、素案をそのまま公開して、市民からパブリックコメントを募集した。
のりピー出頭かよ。つか、2ちゃんねる人大杉。でもって、延期しすぎなのが総会である。8月中に予定されていた名張まちなか再生委員会の新年度総会は、再度延期されることとなった。おととい開かれた第五回理事会の合意事項である。ただし、いつ開会されるのかは、まったくの未定である。早くても10月あたりか。おれの実感にもとづいていえば、なんとか年内に開ければいいほうではないか、みたいなところであって、だから理事会の席でも、なんなら総会と忘年会を抱き合わせにしてもいいんじゃね? との意見を述べておいた。年内では収まらなくて年度内、ということになってしまう可能性もあるのだが、9月4日の第六回理事会で、だいたいの線がみえてくるのではないか。
さて、今後のシナリオである。おれのもくろみどおりにことが運ぶとは限らんのだが、もくろんでいるところを記しておく。問題は、いうまでもなく、やなせ宿である。第四回理事会で指摘したとおり、名張市からやなせ宿の管理運営を委託されているまちなか運営協議会は、いまだ存在していない。ただし、これはおれがそのように主張しているだけの話であり、むろんその主張に賛同してくれる理事もあるのだが、ここはやはり、あんな協議会は存在しておりません、ということを理事会で確認しておく必要があるだろう。そのうえで、名張まちなか再生委員会から名張市長に対し、その旨をお伝えしなければならない。かたちとしては、委員長が市長室を訪れ、委員会からの申入書を手渡す、みたいなことでいいのではないか。
あとは、名張市の問題である。というよりは、市長の問題である。惨憺たる失敗に終わったまちなか再生事業、もはや取り返しのつかぬことも少なからずあるが、終わってしまったことはどうしようもない。今後に禍根を残しかねない問題、つまり、いまの時点でけりをつけておかなければならない問題は、結局のところ、ふたつしかない。やなせ宿をどうするか。名張まちなか再生委員会をどうするか。このふたつである。この二点にかんして、市長のお考えをお聞きしたいと思う。これは、不合理なことでも理不尽なことでもない。どのように無残な結果に終わったとしても、まちなか再生事業の最高責任者たる市長は、その結果を引き受けなければならない。すべてを引き受けて、いま現在の現実に裁定をくださなければならない。ごくあたりまえのことである。
したがって、おれのシナリオでは、いつ開かれるのかもわからぬ名張まちなか再生委員会の総会で、市長にお考えを述べていただくことになる。以前にも記したことであるが、まちなか再生事業にかんして、過去を検証し、現在を分析し、将来を展望して、自分の考えを自分のことばで述べていただきたい。それだけである。やなせ宿をどうするのか。名張まちなか再生委員会をどうするのか。熟慮のうえの結論をお示しいただきたい。それだけである。もしも市長が、やなせ宿の管理運営を名張地区まちづくり推進協議会に委託したいとおっしゃるのであれば、ほかの委員、あるいは名張地区住民や名張市民がどう考えるのかはわからないが、おれ個人としては、その結論を尊重し、支持するはずである。名張まちなか再生委員会を解散させたいとおっしゃるのであれば、以前にも記したとおり、解散のための緊急動議くらいおれがいくらでも提出してやるし、市長の口から解散ということばを聞いたとなれば、委員会にとどまろうとする委員なんかひとりもいなくなるはずである。とにかく、最高責任者でいらっしゃる市長に裁定をくだしていただかないかぎり、ことは少しも前進しない。泥沼化するばかりであろう。
のりピーは山梨の宗教施設に潜伏中ってか。へたなハリウッド映画よりよほどドラマチックな展開だが、こうなったらもう、うまく逃げおおせてくれることを赤岩尾の鬼神に祈るばかりである。なんとか名張まで逃げ延びてくれれば、名張まちなか再生委員会が総力を結集してかくまってやることも可能だと思う。もっとも、そこまで詰めた話はまだできていないのであるが、とにかくきのう7日の夜、名張市役所二階庁議室で第五回理事会が開かれた。で、これがまた、なんの意味もないものであった。
なんつったって、議題が「再生委員会の今後の方向とアンケートの検討について」だというのである。意味不明である。なんでこんなことを協議しなければならんのか。不思議でしかたがない。だからおれは、たぶん三回ほど、こんな議題は成立しない、成立させるだけの根拠がない、議題として取り扱うべきではない、と主張してやったのだが、にもかかわらず、きのうの理事会はこの議題に終始してしまった。どんなことが決まったのか。8月中に開くとされていた総会は、再度延期となった。これからプロジェクトチーム単位の会議を開いたあと、9月4日の金曜日に第六回理事会を開会することになった。なにやってんだか。
議題にあった「再生委員会の今後の方向」とは、いったいなにか。正副委員長の説明によれば、多くの委員が退会の意志を表明したのだという。事務局に確認したところ、8月3日と4日の二日間で、合計十二人の委員が退会届を提出したとのことであった。十二人はいずれも、名張地区まちづくり推進協議会のメンバーであるらしい。そういう「情勢の変化」があったから、「今後の方向」を検討したほうがいいのではないか、というのが正副委員長の説明であった。しかし、それがどうした。辞めたい人間がいれば辞めればいいのだし、入りたい人間がいれば入ればいいのである。ただそれだけの話である。おれはそういってやった。そんなことをいちいち「情勢の変化」と表現しなければならんのか。そんな必要などまったくないはずだし、その程度の事実について理事会でことごとしく協議する必要もさらさらない。
十二人の退会者があったというのは、ただそれだけの事実として認識すべきことなのである。十二人はいずれも、個人の意志でいったんは名張まちなか再生委員会に入会し、いま、個々それぞれの判断にもとづいて委員会を去ってゆくのである。それだけの話なのである。それを、名張まちなか再生委員会から名張地区まちづくり推進協議会のメンバーが大挙して退会した、ととらえる必要はまったくない。再生委員会から推進協議会が手を引いてしまった、ととらえて、うろたえたり浮き足だったり、いきり立ったり憤ったり、そんな反応を示す必要はまったくない。もしもそんな反応を示してしまったら、まさにその時点で、名張まちなか再生委員会は名張地区まちづくり推進協議会の術中にはまってしまった、ということになるのである。冷静になろうな。ちなみに、再生委員会を退会しなかった推進協議会メンバーも、わずかふたりではあるが存在する。いうまでもなく、それぞれの意志にもとづいた判断の結果であろう。
つづいて「アンケートの検討」の件であるが、このアンケートの主眼はなにか、委員全員に委員会を辞めるかどうかを確認するためのものか、と質問したところ、たしかにそうだとのことであった。だから、そんなアンケートは必要ない、と述べておいたのだが、結局、アンケートは実施しないことになった。アンケートについて検討するため、名張市役所の庁内プロジェクトチームとやらが会合を開いた、という事実も聞きおよんだのだが、それはまあ、どうせあれである。ちょっとものを考えはじめたらすぐにおつむがオーバーヒートして、耳の穴から黒い煙がもーくもく、みたいなみなさんの集まりである。目くそが鼻くそを笑う程度のことしかできないみなさんの集まりなのである。会合の内容なんて気にしなくたっていいのであるが、問題は、名張まちなか再生委員会がどうしてアンケートのことでいちいち市役所におうかがいを立てねばならんのか、ということである。このあたりの問題、つまり、名張市における協働とやらのインチキについては、いずれおれの手で名張まちなか再生委員会をぶっ壊してやるとき、本格的にとりあげることとしたい。
そんなこんなで、なんの意味もない理事会が終わった。このあと、プロジェクトチームがそれぞれに会議を開き、退会者があいついだことなど、委員会の最近の動向をプロジェクトチーム全員に伝えたうえで、今後の身の振りかたってやつも考えてもらえばいいんじゃね? みたいなことになった。ほんと、なにやってんだか。とはいえ、なんの実りもない理事会ではあったが、ひとつだけ判明したのは、名張まちなか再生委委員会の解散がいよいよ遠ざかった、という事実である。総会で解散を決議するには、委員の四分の三以上の賛成が必要である。このたび退会の道を選んだ十二人の委員は、かりに退会せず委員会にとどまり、総会の場で委員会の解散について賛否を問われたとしたら、おそらくは賛意を表しているはずである。つまり、解散賛成派だと推測される。その賛成派が、大挙して抜けてしまったのである。解散はいよいよ遠ざかった、とみるしかないではないか。おなじく解散賛成派のおれとしては、なんとも心細い話である。
のりピーの子供は無事だったけど、大原麗子が自宅で死んでたってか。孤独死ってのがまたふびんじゃねーか。よーし、こうなりゃきょうの理事会は麗子ちゃんの弔い合戦だな、というわけで、ついに本日、名張まちなか再生委員会の第五回理事会が開かれるのである。
第5回名張まちなか再生委員会理事会の開催について
下記のとおり標記理事会を開催させていただきますので、ご出席賜りますようお願い申し上げます。
記
【日時】
平成21年8月7日(金)19:30〜
【場所】
名張市役所 2階 庁議室
【議題】
1.再生委員会の今後の方向とアンケートの検討について
2.その他
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ほんと、どうなるのであろうな。
のりピーまーだみつかんねーのかよ、と心から案じられる次第ではあるが、名張まちなか再生委員会の第五回理事会はいよいよあすに迫った。どうなるんだろうね、とこちらのほうも心から案じつつ、本日はややおもむきを変えて、徳島県の小西昌幸さんから頂戴したメールをごらんいただくことにする。
小西昌幸さんは、このメールにもあるとおり、「文化施設で変なことを仕掛けているユニークな館長(?)」として全国的に知られているかたであるが、徳島市出身の作家、海野十三の顕彰活動を進める「海野十三の会」のメンバーでもいらっしゃる。この会は毎年、5月17日の海野十三忌の前後に講演会を開いたり、機関誌「JU通信」を発行したり、年会費二千円でそういった活動をつづけている。海野十三の没後六十年にあたる今年は、5月17日の日曜日、野村恒彦さんによる記念講演会が開かれた。徳島まで足を運んだところ、海野十三の会の会員は、講演会に先立って、徳島市中央公園内にある海野十三文学碑の前に集合し、文学碑の清掃に汗を流していた。たまに拓本をとってゆく人があるらしく、文学碑に残った油墨がなかなか落ちない、とか、最近ちょっと腰をやられちゃってさ、とか、あれこれ話しながらの作業が終わったあとは、文学碑への献花もおこなわれた。格式張ったことはなにもなく、派手めかしたところもまったくない催しではあったが、海野十三に対する敬愛の念がまぎれもなく感じられて、ま、こういうことがだいじなのだろうな、と思った。
ひるがえって、名張市はどうよ、ということになると、これはもうひどいものである。敬愛の念? そんなものがどこにある。名張市にとって乱歩というのは、敬愛の対象なんかではまるでない。7月28日の乱歩の命日に、それにちなんでだれかなにかやったか? なーんにもなかったはずだぞ。かくいうおれだって、じつは乱歩の命日のことなどすっかり忘れ果てていた次第で、面目ないったらありゃしないのだが、名張市にとって乱歩とは、あくまでも自己顕示の素材にしか過ぎないのである。それならそれでまあいいのだけれど、乱歩のことなんかなにも知りません、作品を読んだこともありません、みたいなうすらばかばかりでは、自己顕示の素材にすることさえできんではないか。だからもうどうしようもないことになってしまって、市政とは縁もゆかりもない乱歩令息の平井隆太郎先生に市政功労者になっていただく、などといった信じられないようなことをしでかしてしまうわけなのである。なんかほんとにね、恥ずかしくってとても外に出せない、とはこのことか。怒る気にはなれず、あきれるのも通り越して、おれはもう、ただ泣きたい。
さて、小西さんのメールである。内容は、ひとことでいえばまちなか再生事業にかんするご所見である。関係各位には耳の痛いところもあるかもしれぬが、だからこそ、名張市の外部から寄せられた貴重な意見として、じっくりお読みいただきたい。でまあ、おれがなにをいいたいのかというと、名張市民でなくたって、まちなか再生のことを気にかけてくれていた人はあったということなのである。どうして気にかけてくれたのかというと、名張が乱歩の生まれたまちだからである。ところが、とどのつまり、うすらばかが寄り集まって大騒ぎしたあげくがこのざまなんだから、名張市の外部からまちなか再生に期待をかけてくれていた人は、失望というか、失笑というか、いまやそんな状態なのである。まちなか再生事業関係者のだれひとりとして、こんなことにはかけらほどもお気づきではないであろうが、名張市ってのはもう、一部ではかなりの笑いものなのである。
では、ごらんいただく。むろん転載のご了解はいただいてあるのだが、転載にあたって一箇所だけ手を加えた。「遠藤ミチロウやあがた森魚などは○万円前後の現金を」とあるところ、「○」はゼロではなくてマルである。つまり、原文にあった数字を伏せ字とした次第である。
中相作様
徳島の小西昌幸です。
毎日暑くて、おまけに不順な天候が続いております。
私にはもはや乱歩さんの生誕地碑の場所や、
どこかから寄付された土地(病院跡地?)のことなどがこんがらがって、
よく分からないのですが、
別に分からなくてもぜんぜん困らないのですが、
名張市が陥った袋小路は次のような構図だと推察いたします。
一.かつての市の中心部が寂れているので何とか活性化したい
一.幸い、ある場所が提供された
一.せっかくなので多くの市民に参加してもらって、
意見と知恵を出し合ったらきっとよいものができるのではないか
そういうことでメンバーを集めてどんどん進めて
なにかをめざしてやろうとするのだが、
こういうものはよほど上手にやらないと絶対うまくゆかない。
その理由は次のとおり。
各種文化団体や
団体代表者(商工会、青年会議所、PTA、などなど)をいくら集めても、
銘々は何かの委員に選ばれたことがうれしいので
よい結果を生むことが少ない。
メンバーはよい格好をして
それぞれが自分の得意分野をしゃべり、
しゃべりっぱなしになることが多い。
船頭さんがたくさんいて、
気が付いたら川を進むのではなく、
舟を担いで山を上っていたような結果を生みかねない。
大体各地の地域再生委員会はこういう袋小路に陥りやすい。
そもそも、地域再生の特効薬や妙案はないと思う。
徳島県の上勝町のような事例は本当にまれだ。
そしてそういう例は唯一のものなので、
まねをしても(二番煎じ三番煎じ)うまくゆかない。
一方近年の住民の自立心というか
自治への参加欲求のようなものは
どんどん高まりを見せているので、
住民参加でとてもよいアイデアを生んで
成功例として全国に名を轟かせてみたいという、
非常に底の浅い夢(幻想)を
自治体関係者はついみてしまいがちである。
やがて、会議を何年続けてもうまくゆかないことに
やっと気づいた事務局は(最初から気づいておけ)、
協議会をアリバイ工作の場(お墨付き機関)にしてしまおうと考える。
だが協議会メンバーもバカではないから、
そんならはじめから事務局サイドだけで、
理事者だけで何もかも決めてやってゆけばよいではないかと
事務局を突き上げる。
当然のことです。
少し大きな公民館施設を作って、
いくらそこに幻想と肥大した期待を込めて
コじゃれたネーミングにしたところで、
維持管理費がかさむだけになりかねない。
だったらはじめから背伸びせずに、
地域の集会所的なものをもうひとつ作ります、
管理は地元の老人会にお願いします、
ということでよかったのではないでしょうか。
乱歩に特化するのなら中さんの知恵を全面的に採用し、
その方向で名張市は突き進むべきであった。
しかし、もはやすべて手遅れである。
ああ、さようならさようなら。
以上のような感じなのではないかと
私は想像いたしました。
私は、
文化施設で変なことを仕掛けている
ユニークな館長(?)ということで
これまでにいくつか地域の何とか委員会に呼ばれて
いやいや参加したことがありますが、
じっと眺めてみてろくな物がありませんでした。
何年も議論を積み重ねて、
ボトムアップ方式で徳島県の西部地域に
文化の広域拠点を作ろうという作業は、
各地の県議会議員の暗躍で一瞬で消滅しました。
(俺の地元に作れという意見が出てにらみ合いがおこり、
ぽしゃった)
私の本音は、
誰か(たとえば自治体関係者)の強力なリーダーシップと、
誰か個人のよほど奇抜なアイデアが、
奇跡のように有機的に結びついたとき
はじめて、面白いこと(地域活性化)ができる【かもしれない】、
という考えです。
名張市は中さんの案にかけてみるべきだった。
だがそれは、市役所のうぬぼれた体質が災いし、
謙虚に耳を傾けることがなかったため(逆に中さんに非礼を積み重ねる結果となり)、
もはやどうにも立ち行かなくなってしまった。
結局その施設は喫茶店にするとか、
時々映画会をしたり、
フォークコンサートをするような施設でよいのではないでしょうか。
だけど、化石のような市役所が絡む限り、
自由なフォークコンサートなどは絶対出来ないでしょうなー。
遠藤ミチロウやあがた森魚などは〇万円前後の現金を用意できたら
十分演奏会ができるのですが、
手続き問題を言い始めたら結局それも出来ないことになるのではないでしょうか。
そうなると後は、
選挙のときの投票所とか、
碁会所とか、
集会所でもよいのでは?
ホントにホントにご苦労様です。
長々と失礼いたしました。
中さんの応援をしている立場から、愚考を書き連ねました。
お目汚し、お許しください。
お酒は飲み過ぎないように。
小西昌幸
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小西さんがお書きのとおり、「もはやすべて手遅れである」。そういうことである。というか、ほんとのところは、最初から手遅れだったのである。名張まちなか再生プランなどという脳内妄想を並べただけのプランをつくり、その素案を発表した時点で、じつは手遅れだったのである。おれだってお役所の内実というやつをまったく知らないわけではないんだから、手遅れだろうな、という察しはついていた。しかし、なにもしないわけにもいかんのよ。だから、素案に対してパブリックコメントを提出した。提出はしたものの、いくらおそまつなプランであるとはいえ、修正を加えるような真似はとてもできぬであろうな、とは思っておった。修正といったって、はんばなものではない。新町の細川邸を歴史資料館にする、というプランの目玉を根底から覆さなければならなくなる。そんな芸当が、つまり、策定したプランを頭から否定してしまうような芸当が、名張市にできるわけがないではないか。要するに、手遅れだったのである。いくらパブリックコメントを提出してみたところで、いっさいが徒労に終わることは最初から眼にみえていたのである。
名張市民のだれひとりとして、そんなことにお気づきではないであろうが、これは千載一遇のチャンスであった。なんのチャンスか。乱歩が生まれた名張のまちに、乱歩にちなんだ施設整備を進めるチャンスであった。きょうびのことばでいえば、百年に一度の好機であった。空前絶後の好機であった。これまでにただの一度もこんなチャンスはなく、これを逃したら二度ともう、これほどのチャンスはめぐってこない。それほどのチャンスであった。百年に一度の好機、と呼べるだけの条件が、きれいにそろっていたのである。どんな条件か。
・乱歩が生まれた新町にある細川邸を公的施設として整備する話が出てきた。
・国土交通省のまちづくり交付金という予算的な裏付けが得られた。
・乱歩生誕地碑のある桝田医院第二病棟が寄付されるという僥倖がもたらされた。
・市立図書館が乱歩の目録をつくることで積みあげてきた蓄積がわずかずつながら全国的に知られるようになっていた。
・市立図書館には慶應義塾大学推理小説同好会OB会をはじめとした団体や個人などから寄贈されたミステリー関連図書が死蔵されていた。
・市立図書館には慶應義塾大学推理小説同好会OB会をはじめとした団体や個人などから寄贈されたミステリー関連図書が死蔵されていた。
おれがパブリックコメントを提出した四年前、平成17・2005年3月15日の時点において、これだけの要素が手を携えて、ここでシュートを決めろといわんばかりに、名張市の前に転がっていたのである。乱歩を自己顕示に利用したくってうずうずしている名張市の前に、これだけの条件が転がっていたのである。ここでシュートすれば、だれが打ったって確実に決まる、という場面だったのである。だからおれは、打てよほら、ここでシュート打たなくてどうするよ、とパブリックコメントで指示を出してやったのである。で、われらが名張市、どうしたのか。なさけねーことに、思いっきりシュートミスしてやんの。そのまま打てば絶対に入る、というシーンで、思いっきりシュートミスしてやんの。あれはまったく、ありえないほどのミスであったな。ここが日本だからいいようなものの、南米だったら射殺されててもおかしくないくらいのシュートミスであった。いやほんと、思い出すだけでおれはもう、ただ泣きたい。
あとふたつ寝ると、名張まちなか再生委員会の第五回理事会である。どうやら、予定どおり8月7日に開かれるらしい。さらにどうやら、アンケートとやらの件が検討されるらしい。
08月04日:しあさってに近づいたの巻 > 決戦は金曜日
しかしほんと、アンケートってのはいったいなんなんだろうね。だれを対象にしたものなのかというと、それはもちろん名張まちなか再生委員会のメンバーなのだろうとは思うけれど、総会前のこの時期に、なんでそんな面倒なことをせにゃならんのかな。委員会を解散に持ち込むための小細工だということは察しがつくのだが、そんなことしてもなんの役にも立たんのではないか。しかも、頂戴したコメント「決戦は金曜日」によれば、「正副委員長から作成依頼を受けたまちなか再生委員会事務局はそのまんまコンサルに丸投げしたようで、庁内プロジェクト会議に提出、検討されたアンケートは全く意味不明のものであったようで、こんなもの恥ずかしくて外に出せない、ということで失笑と共に一旦差し戻されたようです」とのことなのである。どうしたどうした関係各位、暑さのせいでおつむがおかしくなったのか?
なにがおかしいといって、委員会のアンケートをいちいち名張市役所の中の人に検閲していただいているのがおかしい。われらが名張まちなか再生委員会、自立性や主体性というやつはいったいどこへ行ってしまったのかな。しかしまあ、名張市におけるいわゆる官民の協働ってのは、もともとそういうものなのである、ということなのであろう。名張市は委員会の自立性や主体性なんて、はなから認めていないのである。そこらにごろごろしてる委員会のたぐいはすべて、名張市にとっての手駒であり隠れみのなのである。で、手駒や隠れみのではなくなった委員会はどうなるのか。われらが名張まちなか再生委員会みたいになるのである。全庁あげてぶっ壊しにかかってくれるのである。なんかもう無茶苦茶じゃね? 暑さのせいでおかしくなったにしても、やってることがあまりにもひどいぞ。それとも、もしかしたら悪いクスリでもやってんのか? いいのあったら教えてくれよ。
しかも、笑止千万。アンケートとやらは「こんなもの恥ずかしくて外に出せない、ということで失笑と共に一旦差し戻された」とのことである。こら、こらこら、笑ったのはどこのどいつだ。いったいどこの職員だこら。それはまあ、アンケートの内容は笑うべきものであったかもしれない。そんなものをわざわざ提示した事務局職員も、笑われてしかるべきであったかもしれない。しかし、名張市役所の中の人たちに、はたして笑う資格があるのかな。もしも笑うのであれば、もうちょっと早く笑うべきであったと思うぞ。アンケートではなく、プランを笑うべきであった。名張まちなか再生プランのことである。あのプランこそ、まさしく「恥ずかしくて外に出せない」ものだったではないか。ツッコミどころは満載だったが、ほかのことはすべて無視しても、新町の細川邸を歴史資料館にいたします、と書いてあるその一事だけで、あのプランは失笑ものの噴飯ものであった。
だから、この期におよんでアンケート笑ってんじゃねーよ、という話なのである。名張まちなか再生プランの素案を発表する手前の段階で、庁内において素案を検討したときに、こんなプランだめじゃん、恥ずかしくって外に出せないじゃん、と声をあげる人間がただのひとりもいなかったというのか。細川邸を歴史資料館にすることができると、だれもが本気で思っておったというのか。ほんと、だれかひとりでいいから、あのプランにまともな意見を述べてくれる職員がいれば、展示する資料もろくにないのに歴史資料館をつくるという気のふれたようなプランが世に出ることはなかったかもしれんのだが、いまからこんなこといったって手遅れである。なんかもう、市民のひとりとしては、市役所の中の人なんて恥ずかしくってとても外には出せないな、という気がする。勤務時間中はずーっとずーっと、人目を忍んで市役所の便所掃除でもやってれば? とか思う。とにかく、細川邸を歴史資料館にできるかどうか、その程度の判断さえできない連中が、いまごろになって偉っそーに笑ってんじゃねーよ。目くそが鼻くそを笑ってるだけの話ではないか。
名張まちなか再生委員会の第五回理事会は、しあさってに近づいた。延期されましたー、という通知はまだ届かないから、予定どおり開会されるのであろう。となると、議題は、先日予告されたとおりなのか。つまり、これ。
1.再生委員会の今後の方向とアンケートの検討について
2.その他
それとも、理事有志の異議申し立てを受けて、議題が変更されるのかな。さっぱり見当がつかない。いわゆる予断を許さない、ってやつである。とはいえ、おんなじことばかりくり返すけれど、名張まちなか再生委員会解体作戦を粛々と展開したいというのであれば、委員会の解散には総会の決議が必要なのだから、アンケートとかそんな小細工を弄してないで、とっとと総会を開くのが最善の道だと思う。
いったいどうなるのか。わくわくどきどきしながら、8月7日を待つこととする。