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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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当ブログ的には何かと話題の名張まちなか再生委員会であるが、実際のところはもうだめなのではないか。完全な機能停止にいたったとみていいのではないか。うんともすんとも反応がないのである。

確認しておく。名張まちなか再生委員会は、改修が終わったあとの細川邸の管理運営を担当する組織として、NPOなばりを発足させた。しかし、NPOなばりからは、まちなか再生委員会に対して、細川邸活用の具体的なプランが何も提示されてこない。現在ただいまの状況をおおざっぱに紹介すれば、以上のようなことになる。

そういうことなら、こういうのはどうよ。つまり、《NPO乱歩と名張》ってのをつくって、このNPOで細川邸を活用したいと申し出たら、再生委員会はどういう扱いをしてくれるのかな、と名張まちなか再生委員会の委員長にお訊きし、委員会の内部組織であるまちなか運営協議会で検討していただけることになったのは、11月12日のことであった。

以来、いまだに、うんともすんとも反応がないのである。毎度毎度おんなじことをつづっている感じだから、以下、11月21日付エントリ「細川邸乗っ取りステップ」から引用。

   
現況を確認しておくと、こんなぐあいである。
  • NPOなばり
  • NPO乱歩と名張
《NPO乱歩と名張》はまだ結成されていないのだが、とにかく名張まちなか再生委員会にたいして、こうした図式を示しているのである。細川邸を管理運営するための組織として結成されながら、いまだに活用策を提示できていないNPOなばりのかわりに、新しいNPOが細川邸の活用策を提言することは可能か。その点が、近く開かれるはずのまちなか運営協議会によって検討されることになっている。これが現況である。

しかし、名張まちなか再生委員会そのものが、じつはまったく信をおけない組織なのである。結成以来インチキにインチキを重ね、そのあげく膠着状態におちいって、いまやほとんど機能停止に立ちいたっている組織なのである。名張市考査委員会からも、なんのための組織なのかがあいまいである、位置づけを明確にしろとだめ出しされたような組織なのである。

だから、名張まちなか再生委員会をすっ飛ばしたとしたら、つぎのステップはこうなる。
  • 名張まちなか再生委員会
  • NPO乱歩と名張
この両者が肩を並べる。来年2月には改修が完工する細川邸にかんして、いまだに結論を出すことのできない委員会のかわりに、新しいNPOが細川邸の活用策を提言することは可能か。それを問うことになるはずなのであるが、まだそのステップには達していない、当面は、名張まちなか再生委員会の返事待ちということになる。

名張まちなか再生委員会は、いったいどうしているのであろうか。

といったところで、12月4日付エントリ「《乱歩と名張》設立趣意」のつづき。設立趣意書の補足説明を記しておきたい。

まず引用。一段落ずつ進めることにする。

   
■経緯
江戸川乱歩は 1894年、当時の名張町新町に生まれた。生後まもなく一家で転居したため、生涯のほとんどを名張と無縁に過ごしたが、晩年になって名張を訪れ、生家跡にも案内された。それが契機となり、市民の浄財によって生誕地碑が建立されたのは、名張市発足の翌年にあたる1955年のことである。乱歩は夫人とともに除幕式に臨み、その十年後に死去した。死去の四年後、1969年に講談社版江戸川乱歩全集の刊行が始まったのを機として、名張市に乱歩記念館の建設を目指す動きが起こった。市民有志が「乱歩記念館建設の会」を組織し、活動が進められたが、建設は実現しなかった。同年に開館された名張市立図書館が乱歩関連資料の収集を進めることで、記念館建設への望みがつながれることとなった。

これはまあ、ただこれだけのことである。ポイントは、江戸川乱歩という作家と名張のまちは、まったくといっていいほど無縁である、ということである。津の出身だった父親がごく短期間、名張の郡役所に勤務していて、そのとき乱歩が生まれた。ただそれだけのことである。名張は乱歩の生誕地であるが、生誕地でしかないのである。

名張に生まれ、そのあとずーっと無縁でありつづけ、晩年になっていわゆるふるさと発見がはたされて、生誕地碑が建立された。乱歩の生前における名張との関係は、以上のことに尽きている。

乱歩の没後に眼を転じると、名張市内に乱歩記念館の建設をめざす動きもみられたものの、すぐに頓挫してしまった。わずかに名張市立図書館が、乱歩関連資料の収集をつづけることで、乱歩と名張との関係がほそぼそとではあるが維持されてきた。まあそういったことである。
12月1日付エントリにコメントを投稿した。そちらをお読みいただきたい。

12月1日:外部評価パーソナル版 3
伊賀市前総務部長のGJが、やや遅ればせながら週刊誌に飛び火した。きのう発売された週刊ポストである。

週刊ポスト公式サイト:12/14号

公式サイトから引用。

   
<全国民必読リポート>
誰も知らなかった「最大タブー」が発覚
在日韓国人・朝鮮人「住民税 極秘半減」の免税密約を撃つ!

三重県伊賀市幹部の詐欺事件で分かった、
民団・総連と行政との「闇」を全国自治体で追う

市民に知らせることなく、法にも定めず、極秘裏に行なわれてきた三重県伊賀市ほかの在日韓国・朝鮮人に対する《住民税半減措置》。行政が作り出した闇は、市幹部が私腹を肥やす「装置」として利用されていた。時を同じくして、永田町で、在日韓国・朝鮮人をはじめとする永住外国人への参政権付与を巡る論議が再び活発化している中、民団・総連と行政との不可解な関係は「清算」を迫られている。

近所のコンビニで、一冊だけ残っていた週刊ポストを買ってきた。グラビアのあとのトップ記事で、四ページ。伊賀市にかんしては、これといって目新しい情報はない。すでに中日新聞などで報じられたものばかりである。「民団・総連と行政との「闇」を全国自治体で追う」といったって、全国十七の政令指定都市から取材して、うちはそんな減免措置はいっさいやっていない、ということを確認しただけの話である。

むしろ気になるのは、前総務部長のGJによってかすかながら光をあてられた闇が、「在日韓国・朝鮮人をはじめとする永住外国人への参政権付与を巡る論議」にリンクさせて語られている点である。

記事から引用。

   
在日社会と日本人の間に深い溝があったことは事実。だが、時は過ぎ、状況は確実に変化しつつある。
永住外国人に地方参政権を与える法案については、過去9年間で廃案4回、継続審議が22回とたなざらしが続いてきたが、ここにきて再び公明党が働きかけを強め、福田首相の判断次第では、来年の通常国会で成立する流れが加速する可能性が出てきている。
闇を晴らし「清算」を行なう時期は迫っている。

このあたりがおかしい。あきらかにおかしい。在日韓国朝鮮人に対する税金の減免措置と、永住外国人の地方参政権とは、本来なんの関係もない問題である。同日に談ずるべきことではまったくない。税金の清算が終わったから参政権の付与について考えよう、などというのは論理的に破綻した話であって、そんなの関係ねーのである。

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