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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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朝日新聞につづいて、YOUに記事が出た。4月12日付の号だが、ウェブ版は11日に掲載。

伊賀タウン情報YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?

どうなる? 何する? と見出しからして手厳しい。

引用。

   
町家を利用した観光交流施設として改修工事が行われた名張市新町の旧細川邸。「やなせ宿」と名を変えて、6月7日新たなスタートを切る。開設まで2か月を切ったが、具体的な運営内容が決まっていないなど問題が山積みだ。

運営内容、いまだ固まらず 問題が山積、開所は6月に

同施設は、明治時代の商家で、築140年以上。市の「まちなか再生事業」の一環として、2005年度から昨年度末までに約1億円の総工費をかけ、土蔵や母屋などを改修してきた。

改修後の施設では観光客と住民の交流スペース、市民らが腕を振るう「ワンデイシェフ」などオープン以降にもさまざまな企画が練られているが、いまだに具体化されていない。

手厳しくはあるが、これが事実である。実態である。「開設まで2か月を切ったが、具体的な運営内容が決まっていない」などという信じられぬほどまぬけな事態が、名張のまちなかで現実にくりひろげられているのである。ほんっと、どうなる? 何する?

記者のかたから電話でコメントを求められたので、ぺらぺらとしゃべった。紙面ではこんなあんばい。

「民営化を目指すとしても、市は行政としてのまちづくりのビジョンを明らかにして住民らに提示すべき。全てを(民間に)丸投げしていることが遅れの出る理由」

むろん、実際にはもっと手厳しいことをしゃべっている。とても記事にはできぬであろうなと思われる悪罵怒罵痛罵の連続である。テレビ番組ならピー音が鳴りっぱなしになるはずである。区長会やまちづくり推進協議会あたりから人を寄せ集めても意味はない、選挙の支援団体を固めているのではないのである、みたいな悪口雑言罵詈讒謗の乱れ撃ちである。

名張市都市環境部長のコメントも掲載されている。

「これまでも委員会とは常に相談し、共にやってきた。民営化に向けては、今後1年間で利用を通じて、再生委員会で一緒に具体的なことを考えていきたい。市民の皆さんには、やなせ宿を積極的に活用していただきたい」

うらみつらみはいっさいない。そもそも都市環境部長がどんなかたでいらっしゃるのか、とんと存じあげない。お立場は理解できるし、こうとでもお答えになる以外、コメントの出しようがない状況であることもよく承知している。だが、浮世のしがらみというやつである。渡世の義理というやつである。なんの義理だかよくわからぬが、たぶん生まれ育った名張のまちへの義理である。名張まちなか再生プランという名のインチキに言挙げした人間としての義理である。あたうかぎりのおだやかさを心がけつつ、このコメントにいささかの悪罵怒罵痛罵、悪口雑言罵詈讒謗を投げつける。諸羽流正眼崩し胡蝶の舞、ひとさし舞って進ぜよう。

「これまでも委員会とは常に相談し、共にやってきた」

だからその結果がこれではないか。この惨憺たる現状ではないか。何をどう相談し、何をともにやってきたのかはよく知らぬが、その結果が「開設まで2か月を切ったが、具体的な運営内容が決まっていない」という異常事態なのである。名張まちなか再生委員会には何も考えられず、何ひとつ決めることができないという明々白々たる結果が、いまや歴然と示されているのである。にもかかわらずどうして名張市は、あの無能力きわまりない委員会との結託をつづけるのか。癒着をつづけるのか。

「今後1年間で利用を通じて、再生委員会で一緒に具体的なことを考えていきたい」

また先送りである。こんなばかなことをいつまでほざきつづける気だ。委員会の結成は平成17・2005年の6月である。三年もかかって何もできなかった連中が、いまさら何をどう「考えていきたい」というのか。そのときどきで眼前の問題、喫緊の課題に正対することをせず、あいもかわらぬ思考停止を決めこんで先送りに先送りを重ねるお役所の体質が、必然的にもたらした最悪の結果がこれなのである。4月のオープンを6月に延期するような姑息な真似までして、そのうえまだ「今後1年間で利用を通じて」などと逃げつづける。いつまでもちゃらいこと口走ってんじゃねーぞこのすっとこどっこい自治体。

「市民の皆さんには、やなせ宿を積極的に活用していただきたい」

例によって例のごとき主体性の放棄である。いきなり市民にお鉢をまわしてどうする。市民に利用を呼びかける前に、やなせ宿はいったいなんのための施設なのか、それを説明するのが先であろう。細川邸整備事業は完全な失敗に終わったと、その事実を正直に認めることが先決であろう。そのうえで、やなせ宿の活用策を練り直すことが急務であろう。誰が考えたってそうなるはずである。何が「活用していただきたい」だ。たまにゃてめーらの頭を活用してみろこののーたりん自治体。

YOUの記事にもあるとおり、こちとらひたすら憤っている。このうえないほど憤り、あほらしくなるほど憤っている。笑えてくるほど憤りつつ、きょうのところはおしまいとする。
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きのうの中日新聞に、国土交通省のまちづくり交付金にかんする記事が掲載された。名張まちなか再生プランの財源的根拠となっている交付金である。

中日新聞:1兆円、使途市町村任せ 道路財源4割の交付金

引用。

   
国土交通省が市町村の都市整備事業に最大40%まで資金を出す「まちづくり交付金制度」の交付額が、2004年度の導入以来、本年度までの5年間の総額 で1兆円に達する見通しであることが明らかになった。交付金の4割は道路特定財源で賄われるが、道路以外にも公共施設の建設や観光支援など幅広く使われて いる。交付決定後に住民の反対で事業が中止になった例もあり、税金ばらまきやハコモノ批判が出ている。

「税金ばらまきやハコモノ批判が出ている」とのことだが、それは最初から予想されたことである。国が交付金制度を新設したと聞けば、またばらまきかと思い、自治体がそのばらまきを受け容れたと聞けば、またハコモノかと思う。いまやそれが一般的な感覚というものであろう。げんに、まちづくり交付金制度には導入当初から批判が出ていた。住民監査請求の参考資料として提出した「僕の住民監査請求」でも、そのことは指摘しておいた。

名張人外境:乱歩文献打明け話 番外 僕の住民監査請求

引用。

   
「そしたら名張まちなか再生プランの予算もやっぱりばらまきなんですが」
「まちづくり交付金という名目で国が地方にばらまいてるんです」
「伊賀の蔵びらきより大規模ですな」
「二〇〇四年に都市再生特別措置法が改正されて自治体のいわゆるまちづくりを支援する交付金制度が創設されました」
「そしたら名張市もその交付金を活用したらええのとちがうんですか」
「けどこの制度には批判もありまして」
「どこがあきませんねん」
「支援の対象が土木建設事業のレベルですからまったく旧態依然やないかと」
「昔ながらの発想やゆうことですか」
「全国の地方がここまで衰退したのは規制緩和をはじめとした国政の重大な過誤の結果であるという指摘もありますし」
「旧態依然とした国の政策では地方を再生することができないゆうわけですか」
「ただでさえ国から分配されるお金が減ってきてますから名張市が国の交付金にすがりつくのはようわかりますけど」
「たとえばらまきであってもそれをうまく利用することはできないもんですか」

うまく利用することは不可能ではないだろう。現実に制度として存在している以上、ばらまきをうまく利用するべきだという考えかたは、もちろん否定されるべきでもない。だが名張市の場合、それははなから無理な相談であった。国のばらまきにすがりつき、一億円をかけて細川邸というハコモノを整備した結果はどうであったか。惨憺たるものである。中日新聞の「1兆円、使途市町村任せ」という見出しをもじるなら、「一億円、地域住民まかせ」とでもいうしかない名張市の無策無能無責任が、避けがたい帰結として失笑すべき惨状を招き寄せたのである。

さらに引用。

   
「ここでふり返っておくならば要するに内発的なものがどこにもないんです」
「内発的なものといいますと」
「内側から発した動きのことです」
「それがないということはつまり外側から動かされてるゆうわけですか」
「伊賀の蔵びらきでは三億円のばらまきという外在的要因に芭蕉生誕三百六十年という中途半端な思いつきを無理やりこじつけただけでしたし」
「名張まちなか再生プランの細川邸は内発的なものやないんですか」
「素材そのものは内側にありますね」
「細川邸を素材として活用したいという声は以前からあったようですけど」
「そうした声が内発的な動きとして出てくるまでにはいたらなかった」
「なんでですねん」
「内発的なことを自分の頭で考えられる人間がおらんかったからでしょうね」
「それがまちづくり交付金という外側からの働きかけによって動きが出たと」
「その動きが一歩目でずっこけまして」
「ずっこけたといいますと」
「わけのわからん策定委員会つくって丸投げした時点ですべてが終わりました」
「丸投げはあきませんかやっぱり」
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」

たしかに手遅れである。もうどうしようもない。どうしようもないというよりは、名張市にどうにかしようという気があるとは思えない。とてもそんなふうにはみえない。ばらまき、ハコモノ、丸投げ、という三点セットのレールのうえを、痴呆のごとく無批判に走りつづけるしか能がないのである。レールのたどりつく先は、まちなかの再生などではさらさらない。地域社会の疲弊である。しかも始末の悪いことに、細川邸整備事業に内在している本質的な問題は、名張まちなか再生事業だけのものではないのではないか。進路変更のきかないレールの先に、名張市全体の壊滅的な疲弊が待ち受けているのではないか。だがそれを回避することもまた、もはや手遅れであるのかもしれない。
さきおとといのつづき。

朝日新聞:街道筋 再生拠点へ 名張市・やなせ宿

さあどうする、といってみたところで、どうなるものでもあるまい。やなせ宿から乱歩がきれいに消えてしまった。昨年6月の定例会における「ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございます」との市長発言も、あっさり反故にされてしまったということである。

もっとも、やなせ宿の関係者はおそらく、乱歩の線が完全に消えたわけではない、と弁明するはずである。ただいま検討中である、と主張するはずである。検討するのがすこぶるお好きなみなさんである。平成17・2005年6月に名張まちなか再生委員会が組織されてからこのかた、細川邸をどうすればいいのか、その検討を三年ちかくもえんえんと重ねたあげく、まだ決められなくて検討を継続し、昨年度に工事が終了したのだからいくらでも4月にオープンできるところを6月に延期までして、さあ細川邸改めやなせ宿をどうしましょうかと検討をつづけているのだから世話はない。あれもこれもすべて検討中である、と関係各位は主張するのであろうが、そんないいわけはもう通用しない。いくらなんでも検討期間が長すぎる。要するに検討能力がないのである。考えることができないのである。

考えることができないのだから、乱歩は消えてしまったと判断するしかないであろう。せっかくの素材がはかなく消えてしまったのである。それにしても、市長発言の重みのなさはいったいどうしたことであろう。余の場ではない。定例会での発言である。「その近く」というのは桝田医院第二病棟の近くということであり、「街道沿い」というのであれば細川邸すなわちやなせ宿でしかありえない。そこに「ミステリー文庫」や「乱歩ゆかりの品」を、という首長の公式な発言が、いつのまにかこれといった説明もないまま水に流されてしまっていいのかどうか。

遠い将来のことではない。まさに整備が進行中だったやなせ宿にかんする発言である。構想や方針のことでもない。眼前の問題であり、喫緊の課題である。名張市立図書館にあるミステリーの寄贈図書や乱歩の関連資料をやなせ宿に展示する必要があると考えている、という現実に即した具体的な発言である。それがどうして立ち消えになってしまい、いまや一顧だにされなくなっているのか。市民としては不可解きわまりない話である。

不可解といえば、何から何まで不可解である。そもそも「いただいてあるミステリー本」や「乱歩のゆかりのもの」を細川邸で活用するというプランは、名張まちなか再生委員会が発足する以前、平成17・2005年の3月に提出したパブリックコメントに記したことである。公表された名張まちなか再生プランがじつにずさん、ひたすらおそまつ、机上の空論と呼ぶしかないしろものだったから、地域の個性と現状に立脚しながら身のたけ身のほどにも応じた構想として提示したものである。

名張人外境:乱歩文献打明け話 番外 僕のパブリックコメント

パブリックコメントは無視されてしまったのだが、そこに記した提案が二年以上も経過してから名張市議会で語られたのも不可解なら、それがいつのまにか消えてしまったのも不可解である。市長が議場で言明した見解でさえ理由も不明なままうやむやになってしまうというのであれば、この名張市においてはいったい誰が、どこで、どんな基準にもとづいてものごとを決めているのか。税金の具体的なつかいみちを決めているのか。市民には何もみえない。わからない。知らされない。もっとも、この細川邸整備事業にかんしていえば、誰にも何も決められないという信じがたいほどの決定力不足が問題になっているわけなのだが、考えたり決めたりする能力のない団体がなぜ、考えたり決めたりする役割を与えられているのか。それもまたじつに不可解なことである。

ともあれ、朝日新聞の記事にあるとおり、やなせ宿は初年度だけ名張まちなか再生委員会のまちなか運営協議会によって運営され、「来年度からは指定管理者制度を導入し、管理者を公募する」ことになるという。当初の構想では、名張まちなか再生委員会が発足させたNPOによって、やなせ宿は独占的に運営されることになっていた。いってみれば、特定のNPOにやなせ宿を私物化させる筋書きができていたのである。ところが、はっきりした理由は知るべくもないが、そのNPOは実質的に空中分解してしまった。理由のひとつとして推測されるのは、公設民営という方針が重い足かせになっていたのではないかということである。だとすれば、NPOの代役としてまちなか運営協議会を立ててみたところで、事態が好転することなどまったく望めない。

細川邸の整備事業では、そもそもの最初から、公設民営という方針が金科玉条のごとく掲げられていた。ただし、民営の内容はいっさい不明であった。端的にいえば、細川邸を民営するにあたって税金による補助がともなうのか、そうではないのか、それが明らかにされていなかった。根拠のない推測をあえて記すならば、名張市のもくろみでは、市からの補助はいっさいなし、ということではなかったのか。名張まちなか再生委員会の検討が停滞し、いっこうに前に進まなかったのも、細川邸が公費で整備されたあと、その維持管理や運営の費用はすべてNPOが捻出しなければならないということが重い足かせだったからではないのか。

だが、完全な民営が不可能であることなど、最初からわかりきったことである。一般の商店経営さえ成立しない名張まちなかで、施設だけ建ててやるからあとは自分たちでなんとかしろ、などという虫のいい話が通用するはずはあるまい。結局どんなことになったのか。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館と呼ぶしかない施設を整備して、これに一億円。まちなか運営協議会による初年度の運営費として二百五十万円。二年度目以降の予算はいまだ白紙のはずであるが、指定管理者制度というのだから当然、税金が費消されることになるのであろう。誰からも望まれることなく生まれてくる赤子のような施設のために、毎年毎年予算をつけつづける羽目になった。そういうことなのではないか。

昨年6月の定例会では、「乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます」との議員発言もあった。その乱歩が、いつのまにかどこかに消えてしまい、細川邸改めやなせ宿はなんのための施設なのかもあいまいなまま、消えることなく存在しつづける。消えなければならぬのは、けっして乱歩ではないはずなのであるが。

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