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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのう、また名張市役所に行ってきた。こうなると、ほとんどいやがらせである。むろん四階、名張まちなか再生委員会の事務局。またも、もぬけの殻であった。となりのデスクの男性職員にお訊きしたところ、毎日やなせ宿で悪だくみしてまーす、とのことであった。いや、うそうそ。悪だくみなどではまったくない。名張市職員諸兄姉の名誉にかけて、そのことだけは断言しておく。

悪だくみではないのだが、事務局スタッフはやなせ宿で公務中であった。電話で話をすることができた。やなせ宿の利用申し込みをしたいのだが、と用件を伝えた。YOUの記事によれば、やなせ宿のオープンは6月7日。その日は空いているか、と尋ねると、いったい何をするのか、との質問が返ってきた。いやがらせに講演会を開くのである、と答えた。市民の立場からやなせ宿の開設に花を添えたいのである、と説明した。

自慢ではないが、いわゆる市民要望もいただいている。2月22日付エントリ「やなせ宿開設記念講演会」へのコメント。

   
無題

中さんこんにちは、細川邸あらため、やなせ塾、内容は会議も、なにもせず、身内で役員と称するいつも同じ顔ぶれが善人づらして、かって税金をつかう、やらせ塾というところですか。記念講演でいままでの内幕を洗いざらいぶちまける講演をしてほしいです。

新名張市民 2008/02/23(Sat)09:03:59 編集

内幕をどこまでぶちまけられるか、というか、密室のなかで進められた名張まちなか再生委員会の悪だくみにどこまで肉迫できるか、自信はまったくない。しかし、かりに講演でやなせ宿をとりあげるとしたら、やはり内幕を市民に伝えることが必要であろう。名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。それを追及すべきであろう。

それに世の中には、魔が差すということがある。いままでの内幕を洗いざらいぶちまけるつもりなどさらさらなく、あたりさわりのない話題だけをしゃべるつもりで演壇に立ったとしても、人にはときとして魔が差す瞬間が訪れるのである。

四年前、平成16・2004年の秋のことであった。三重県伊賀県民局の主催イベントで、子供たちのためにちょっと話をすることになった。会場は名張市総合福祉センターふれあい。小学生が名張まちなかを舞台に宝探しを楽しむ、といったような企画であったと記憶する。乱歩と名張の関係を簡単に紹介する役目をおおせつかって、当日を迎えた。

話の冒頭で、きょうのこのイベントの費用は三重県民の税金によってまかなわれている、みたいなことを説明した瞬間、いきなり魔が差した。不意打ちであった。本題とはなんの関係もないことなのに、お役所批判がはじまってしまった。とまらなくなった。とまらないとまらない。つきることのない泉のように、お役所の悪口があとからあとからわいてくるではないか。

何分くらいしゃべっていたのか、魔に差されていたのだからよくわからない。その場に立ち会っていた伊賀県民局のスタッフが、頭上で両腕を大きくふりながら躍り出てきて、そんなおはなしはやめてくださいッ、と必死の形相で制止してくれるまで、魔の跳梁はえんえんとつづいた。なにごとが起きたかと思った。

イベントの民間スタッフには、伊賀市で画廊を主宰している知人も加わっていて、子供たちといっしょに話を聞いてくれたのだが、まちなかへ出て歩いているとき、

「ああおもしろかった。中さん、あいかわらずやね」

と言葉をかけてくれた。あいかわらずやね、ということは、あいかわらず魔に差されてるのね、ということなのであろうか。いまだによくわからない。

ときが流れた。めぐりあわせというのは恐ろしいものである。つい先週のこと、その四年前の伊賀県民局スタッフ、つまり、両腕頭上形相必死スタッフといっしょに酒を飲むめぐりあわせとなった。くだんのイベントのことに話題がおよび、こちらは細かい内容などまるでおぼえていなかったのだが、そのスタッフにとっては忘れようとしても忘れられない屈辱の記憶であったのだろう。おまえはあのとき、あのイベントで、けがれのない瞳を好奇心できらきら輝かせた純真な子供たちのまえで、たしかに、

「みなさーん、税金泥棒って、だれのことだかわかりますかー」

などとぬかしたのだ、と指摘された。難詰された。面罵された。もう絞め殺されるかと思った。こうなっては是非もない。否も応もない。あのときはえーっとちょっと魔が差しましてー、みたいないいわけが通用するはずはない。ひたすら謝る。平謝りに謝る。それしか道はなかった。おかげでなんとか無事に帰宅することを得たのだが、考えてみれば、ここまで好き勝手なことをわめき散らす渡世を送りながら、よくきょうの日まで命ながらえることができたものである。以後、心したい。

とにかくそういう次第で、講演となると何をしゃべりだすか知れたものではない。新名張市民さんのご期待に添えるかどうか、はなはだ心もとない次第ではあるが、名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか、というのがきわめて重要なテーマであることはたしかであろう。太字で強調しておく。

名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。

ところで、市民要望をお寄せくださった新名張市民さんは、いったいどうしておられるのであろうか。一時は連日のごとくご投稿をいただいたものだが、最近はとんとお見限りである。細川邸改めやなせ宿にかんして、これといった活用策を示してくださったわけではなく、とにかく税金をつかうな税金をつかうなの一点張りでいらっしゃったが、ここであらためて私見を述べておくならば、税金をつかうことそれじたいが悪である、というのはいささか偏狭な意見であろう。

税金はつかうべきものである。有効につかうべきものである。無駄につかってはいけないものである。死に金にしてはいけないものである。その点、一億円もかけて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をつくってしまった細川邸整備事業は、これはもう非のうちどころがないほどみごとな税金の無駄づかいと呼ぶべきであろう。

そういえば、きのう、人からこんな新聞記事を教えられた。

読売新聞:道路財源「拡大解釈」、自治体への交付金でハコモノ600件(4月16日)

引用。

   
国が道路特定財源などを使って区市町村の都市再生事業を支援する「まちづくり交付金制度」で、2004~07年度の4年間に、観光交流センターや多目的ホール、公営住宅など“ハコモノ”の建設が600件を超えていることが読売新聞のまとめでわかった。

交付金に占める道路財源の比率は年々増加し、7割に達している。道路整備とセットにしながら道路財源の使途拡大が着々と進んでいることを裏付けており、専門家からは「無駄遣いの温床」と厳しい批判が出ている。

この制度を所管する国土交通省によると、市街地再開発の一環として道路整備とセットになったケースも多く、これまで区市町村の申請が認められなかった事例はないという。

04~07年度の交付金総額は773区市町村の計8070億円で、道路財源からは4割の計3313億円が支出された。道路財源の比率は04年度は2割強(300億円)だったが、年々増加し、07年度は7割(1708億円)に上っている。

細川邸整備事業が財源的根拠としているまちづくり交付金は、結局のところハコモノ建設を助長するだけのばらまきでしかなかったと、はじめから知れていたことではあるが、どうやら相場もさだまったようである。この記事によれば、交付金の使途のうち「観光交流センターや地域交流センターなどの都市施設も428件」。この四百二十八件のなかに、われらが細川邸改めやなせ宿もカウントされているはずである。しかしそれにしても、名張市ほどまぬけな整備をしてしまった自治体は、全国を探してもあまり見当たらないのではあるまいか。というか、もしかしたら名張市がまぬけさにおいて堂々のトップに君臨しているのではないか。

名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。

などといったようなことを太字で強調されつつインターネットを通じて全国に発信されている自治体は、ほかには例がないのではないか。これは裏を返せば、名張市はどうして名張まちなか再生委員会による細川邸の私物化を容認しつづけるのか、名張市ってかなり変じゃね? ということなのであって、しかも、そこらの電子掲示板で匿名の市民がきゃんきゃん吠えているのとは、少しばかりわけがちがう。ネット上に実名をさらした市民が、あえて太字で強調しつつ発信しているのである。文句があったらいつでもいってこい、と憤りつつ発信しているのである。ほんとにもうね、名張市ももうちょっとしっかりできんものか実際。

それで、きのうのことである。名張市役所で確認したところ、やなせ宿では6月の7日と8日に開設記念行事が催されるのだが、この両日は一般の利用が不可とのことである。わけがわかんねーよなー。YOUの記事では、名張市都市環境部長が「市民の皆さんには、やなせ宿を積極的に活用していただきたい」とおっしゃっているではないか。だから市民のひとりとして積極的活用に名乗りをあげたというのに、いきなり門前払いと来た。開設に花を添えようと市民がわざわざ申し出ているのである。たとえ三十分でもいいから、時間の都合をつけるべく努めるのが本来であろう。間髪を入れずシャットアウトとは恐れ入った。名張まちなか再生委員会はやはり、案の定、100パーセントまちがいなく、あくまでも特権的独占的にやなせ宿を私物化したいということなのであろう。

あえて太字で、重ねて問う。

名張まちなか再生委員会によるやなせ宿の私物化はいかにして可能であったのか。

ついでにこっちも問うておく。

みなさーん、税金泥棒って、だれのことだかわかりますかー。
きのう、ひさしぶりで名張市役所に行ってきた。なんといっても、名張市の施策にかんしてYOUからコメントを求められるほどの市民である。さしずめ、伊賀タウン情報YOU公認のクレーマー、といったところか。たまにゃクレームのネタ探しに市役所をのぞくことも必要か、といったことではまったくなかったのだが、四階の市街地整備室、というか、名張まちなか再生委員会の事務局を訪ねた。もぬけの殻であった。となりのデスクの男性職員にお訊きしたところ、どこかへ電話を入れてくれて、結局、すいませーん、全員やなせ宿へ悪だくみに行ってまーす、とのことであった。いや、うそうそ。悪だくみなんかでは全然ない。とにかく、事務局スタッフはやなせ宿へおでかけとのことであった。

そうか、やなせ宿か、と思い、市役所を出て名張まちなかに車を向けた。悪だくみの現場を押さえるためである。いや、うそうそ。悪だくみなんかおこなわれてはいないというのに。だからやなせ宿には行かなかったのだが、ふと思いつて、桝田医院第二病棟の跡地に行ってみた。先月の31日、目隠しされた案内板をうちながめて以来のことである。案内板の目隠しは、むろんはずされていた。そして公開された案内板には、ある衝撃の事実が、といった話題はまたあす以降のことにして、とりあえずおとといのつづき。

伊賀タウン情報YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?

しつこいようながら、コメント再掲。

「民営化を目指すとしても、市は行政としてのまちづくりのビジョンを明らかにして住民らに提示すべき。全てを(民間に)丸投げしていることが遅れの出る理由」

自分でいうのも妙なものだが、これは的はずれな指摘ではないと思う。細川邸の整備にかんして、口にこそ出さね、こんなふうに考えている市民はすくなからず存在しているはずである。いやまあ、細川邸の整備に関心をもっている市民、なんてのはほとんどいないだろうと推測されるのだが、多少なりとも事情を知っている市民なら、程度の差こそあれこんなふうに感じているのではあるまいか。早い話、名張まちなか再生委員会のメンバーのなかにも、あるいは名張市役所の内部にだって、そういった人間が皆無というわけではないのではないか。

ともあれ、丸投げの結果は凶と出た。凶も凶、大凶であった。丸投げした相手に、それを受けるだけの能力がなかったのである。丸投げかましてほぼ三年、実のある結果は得られなかった。失われた三年、などとかっこつけてる場合ではない。

そもそも名張市と名張まちなか再生委員会とは、かたちのうえでは協力関係にあるけれど、実際には一枚岩ではないだろう。双方を本音でしゃべらせたら、たちまち責任のなすりつけあいがはじまってしまうのではないか。かりにそういった状態なのだとしたら、YOUの記事にあるような「今後1年間で利用を通じて、再生委員会で一緒に具体的なことを考えていきたい」なんてことは、とてもじゃないけどできるわけがない。

このままで行けば、一億円かけて無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をつくってしまいましたという、まさしく笑い話というしかない事態が招き寄せられるしかないのである。というか、もう招かれて寄ってきている。うそだとお思いなら、名張のまちなかを歩いてごらんになるがよかろう。やなせ宿のオープンを心待ちにしています、とか、まちなか再生の起爆剤として期待しています、とか、そんな声はついぞ聞かれないはずである。期待どころか、おおいなる無関心である。名張地区住民のあいだでは、やなせ宿なんて無用の長物にすぎないと、オープン以前に結論が出てしまっている観さえある。

さあどうする。どうにもできない。現場の人間にはもはやどうしようもない。きのうやなせ宿でおこなわれたという会合は、どうやら開設記念行事の打ち合わせであったらしいのだが、現場はそれでいっぱいいっぱいだろう。細川邸整備事業の本質的な問題には眼を向けることなく、目先の雑務を消化するのに汲々としているだけであろう。

現場の人間にはとても無理だが、活路を開くことのできる人間がいないわけではない。たったひとりいる。いらっしゃる。いうまでもなく、名張市長である。停滞し混乱しすっかり膠着してしまった現状を打破し、少しでも望ましい方向へ導くことができる人間となれば、広い世界にただひとり、名張市長がいらっしゃるのみである。

うちみたところ、さまたげはない。住民の合意といったようなハードルはいっさいない。市長の裁量の範囲内で、すべてかたをつけることができるはずである。腕のふるいどころだと思う。名張市のリーダーとして指導力を発揮し、判断力決断力をフル稼働させて、細川邸改めやなせ宿の未来に明確な方向性をさだめることがおできになるはずである。

これまでのプロセスは、あえて問うまい。はっきりいえば、第一歩目から大きなあやまちを犯し、それ以降も不手際や失態を重ねつづけてきた事業である。だが、それをいまさら蒸し返してみても意味はない。現在ただいまの状況を直視し、打開策に腕をふるうのが市長としての役目であろう。責務であろう。それをはたすのが、真のリーダーというものであろう。

方向性ということでいえば、昨年6月の定例会ですでに示されている。

3月16日:市議会の乱歩 2007

このときの答弁にみられるごとく、「ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要である」というのが市長のお考えである。要するに、細川邸は乱歩に関連づけて整備すべきだということであろう。であれば、名張まちなか再生委員会にはどんな方向性もさだめることができないという事実が明白になった以上、市長ご自身のお考えを前面にお出しになるべきであろう。みずからのビジョンを提示し、その実現に努められるべきであろう。それをしないとおっしゃるのであれば、いったいなんのために市長におなりになったのか、ということになってしまう。

さあ、どうよ。

そっちこそどうよ、と尋ねられたとしたら、こちとら本気よ、と答えるしかない。まことにはばかりさまである。
小島毅さんの新刊『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)を読んでいたら、選挙による代表制民主主義なんて虚構である、という話が出てきた。

引用。

   
中国の皇帝は勝手になれるものではない。古来、「天命」という観念が大手を振って通用しているため、皇帝すなわち天子たりうるのは、天の意思にかなう人物でなければならないとされてきた。実際には武力や詐術で新王朝をひらき、皇帝の地位をものにしてきた者たちも、かたちのうえでは「自分は天命を受けている」ことを証明しなければならなかった。そのためのさまざまな煩雑な手続きや方策が、中国三千年の歴史を彩ってきた。
と、ここで、そうした「前近代的なばかばかしい形式主義」をわたしたちに嗤う資格が、かならずしもないことを述べておく。「選挙による代表制民主主義」のことである。いま「永田町」で活躍している人たちは、主権者たる国民が日本という国家を運営してもらうために選択した人、ということになっている。そして、それこそがかれらの正当化根拠である。毛並の良さや学力は、(実際にはともかく)形式上の要件ではない。選ばれたからこその政治家なのである。そして、わたしたち(の多く)はこの仕組みを是認している。だが、本当にそうなのか? そこで選ばれている人たちは本当に代表たる器をもった人たちなのか? お子様たち(なんとかチルドレン)もおられるようだし……。
これについて、しばしば選挙制度の不備や民度の未熟さといった理由があげられたりするけれど、わたしは問題はもっと根源的なところにあると思う。「代表制民主主義」という仕組み自体が虚構にもとづくということをふまえなければ、いつまでも同じことが繰り返されていくだけだろう。
中国における「天命」思想も、ある意味でこれと同質の虚構であった。当事者は本気では信じていない。しかし、それなしには周囲を納得させることができない。そこで、天命を得たとみせかける工夫がいろいろと人為的になされることになる。あたかも、主権者の審判を仰ぐべき政策の中身の検討を二義的なものにして、まずは「どうやったら当選するか」の技術論が横行しているように。

たいして意味はない。ちょっと引用してみたかっただけである。

おとといのつづき。

伊賀タウン情報YOU:総工費1億円 名張の観光交流施設「やなせ宿」どうなる?何する?

引用。

   
一方、実質的な運営は市の「公設民営」の方針から、05年6月に組織された、市民らによる「名張まちなか再生委員会(田畑純也委員長)」が民営化について協議してきた。その結果、当初は同委員会が立ち上げた団体が運営を任される予定だったが、これまでの役員会などで、同委員会設置の「まちなか運営協議会」が当面の運営を行うことが決定した。名張市が09度の指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足するという。

「正当化根拠」ということでいえば、ここにはそれこそ何もない。この記事にあるとおり細川邸にかんしては、「当初は同委員会が立ち上げた団体が運営を任される予定」であった。だが、そんな予定にはかけらほどの正当性もない。ひとえに名張まちなか再生委員会の恣意でしかない。

そもそも細川邸の整備事業において、たとえ形式的なものであるにせよ、市議会のチェックや市民のパブリックコメントをクリアしたのは名張まちなか再生プランの段階までである。細川邸を歴史資料館として整備するという構想が、すくなくともかたちのうえでは、市議会の承認や市民の合意を得たのである。そのあと方針が二転三転し、歴史資料館が結局やなせ宿になってしまったペテンのごとき変更は、名張まちなか再生委員会が密室の内部で、ごくわずかな数の人間のまさしく恣意によっておこなったものでしかない。正当性などどこにもない。あるわけねーだろそんなもん。

にもかかわらず、名張市はそれを諒としてきた。名張まちなか再生委員会の事務局に足を運んで、委員会の非を諭し、道理を説いてやっても蛙のつらに小便であった。プランの目玉である細川邸の整備構想に変更を加えるのであれば、名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集して練り直しをさせるのが本来である。それを指摘してやっても馬の耳に念仏であった。名張市は何も考えず、何も決めようとせず、それまでの過誤にみちたプロセスをまったく無批判に諒とするだけ、そして先送りに先送りを重ねるだけであった。

そのうえ名張市は、細川邸の私物化をも諒としていた。当初から公設民営方式で細川邸を整備すると明言しながら、そのいっぽうで、名張まちなか再生委員会が競争原理を周到に排除し、「同委員会が立ち上げた団体」だけに特権的独占的に細川邸の運営をまかせるという専横を、名張市は一も二もなく容認していた。当然のこととして認めていた。何が民営化だこら。すくなくともこの場合、名張市における民営化とは、特定の市民への便益の供与にほかならない。あらかじめ決められていた特定の市民に、細川邸を整備したうえで提供すること。それが公設民営の正体だったのである。

ばかかこら低能。だから住民監査請求までかましてやったではないか。「同委員会が立ち上げた団体」がそこらの駅弁大学にいらっしゃる御用学者先生の研究室に研究とやらを依頼したとき、名張市はいったい何をしたか。その研究とやらの対価を市民の税金で支払ったのである。どこにそんな必要がある。いつまでも特定の市民と癒着してんじゃねーぞこの低能自治体がと、わざわざ住民監査請求までかましてかーん、かーん、かーんと警鐘を鳴らしてやったではないか。いいかげんに気づけよ。しかし気づかねーんだよなこれが。

まさしく蛙のつらに馬の耳、重要なことにまったく気がつかないでいるあいだに、名張市にとってまことにぐあいの悪い事態が出来した。あてがはずれてしまった。便益を供与されるべき「同委員会が立ち上げた団体」が、ひらたくいえばケツを割ってしまったのである。細川邸から手を引いてしまったのである。整備された細川邸を提供されても、実際にはろくな便益が見込めないと判断したのか、あるいは細川邸を運営する能力がないと自覚したのか、そのあたりのことは知りようがない。しかしとにかく、YOUの記事にあるとおり、「同委員会が立ち上げた団体」がさっさと逃げを打ってしまった結果、「同委員会設置の『まちなか運営協議会』が当面の運営を行うことが決定した」のである。

やなせ宿の運営は、来年度から「指定管理者を目指して運営団体を公募し、同協議会も新たな運営組織を再発足する」ということになった。ならざるをえなかった。民営化の眼目のひとつであるはずの競争原理が、開設二年度目にしてようやく発動するというみっともなさである。だが、そんなことがはたして可能なのか。なんのために整備したのかすらあいまいな施設である。国土交通省のまちづくり交付金をせしめる必要から、ただ観光交流施設という名目だけで整備された施設である。民営化がどうの指定管理者がこうのと痴呆のごときうわごとを垂れ流すまえに、やなせ宿とはいったいなんなのか、どういう目的で整備したのか、それを行政の主体性において明確に説明することが必要であろう。それが先決であろう。それができるか。できるのか。できるのかよ。けっ。できねーんだろうなあなさけねーことによー。
きのうが新聞休刊日だったため、きょうは記事がない。と思っていたら、朝日新聞だけが更新されている。きのう更新がなかったから、その穴埋めか。

伊賀市
朝日新聞:今年も練供養

三重県
朝日新聞:「国際カエル年」を宣言 御在所

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