三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張市
毎日新聞:皇学館大学社会福祉学部:開設10周年、地域連携シンポを7月に開催--名張 /三重
伊賀市
朝日新聞:計画41年「待った」に波紋 川上ダム
毎日新聞:県上野森林公園:ハルリンドウとコバノミツバツツジ、新緑の中かれんに咲く /三重
毎日新聞:事件・事故:殺人未遂容疑で女を逮捕 /三重
毎日新聞:ロビーコンサート:素朴な歌声 渓城会、名張音頭など11曲--伊賀 /三重
毎日新聞:忍の里:農事組合、「JGAP」認証を取得 安全な食品提供、県内で初 /三重
毎日新聞:川上ダム:淀川流域委「建設は適切でない」 今岡・伊賀市長、意見書に反発 /三重
中日新聞:「マツタケ十字軍」出陣 伊賀森林組合が里山再生へ
伊勢新聞:今岡伊賀市長が不快感 上川ダム、治水に不可欠
伊賀広域
毎日新聞:名張のスナック経営者殺害:起訴事実認める--地裁初公判 /三重
伊勢新聞:スナックでの殺害認める 名張の同居女性殺害初公判 津地裁
伊勢新聞:9年前の殺害「償う」森被告
毎日新聞:皇学館大学社会福祉学部:開設10周年、地域連携シンポを7月に開催--名張 /三重
伊賀市
朝日新聞:計画41年「待った」に波紋 川上ダム
毎日新聞:県上野森林公園:ハルリンドウとコバノミツバツツジ、新緑の中かれんに咲く /三重
毎日新聞:事件・事故:殺人未遂容疑で女を逮捕 /三重
毎日新聞:ロビーコンサート:素朴な歌声 渓城会、名張音頭など11曲--伊賀 /三重
毎日新聞:忍の里:農事組合、「JGAP」認証を取得 安全な食品提供、県内で初 /三重
毎日新聞:川上ダム:淀川流域委「建設は適切でない」 今岡・伊賀市長、意見書に反発 /三重
中日新聞:「マツタケ十字軍」出陣 伊賀森林組合が里山再生へ
伊勢新聞:今岡伊賀市長が不快感 上川ダム、治水に不可欠
伊賀広域
毎日新聞:名張のスナック経営者殺害:起訴事実認める--地裁初公判 /三重
伊勢新聞:スナックでの殺害認める 名張の同居女性殺害初公判 津地裁
伊勢新聞:9年前の殺害「償う」森被告
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再掲。
写真のあとは、テキストを問題にする。
案内板には、写真のキャプションを別にすれば、二種類のテキストをみることができる。白をバックに文章が配されたところである。タイトルがある。
・「ふるさと発見記」にみる名張の町
・〈「ふるさと発見記」要約〉
以上のふたつである。
前者を転載。
これは、名張市公式サイトにある乱歩の紹介ページにもとづいて、しごく適当なコピー&ペーストでしあげられた文章である。
名張市公式サイト:江戸川乱歩
意地の悪いことをいうようだが、アンダーラインを附したのは、コピー&ペーストではなく、執筆者が自分のことばで書いた文章である。だから、こなれが悪い。ほかの部分との一貫性や整合性に乱れが生じている。端的にいえば、へたな文章になっている。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。だいたいがこら、コピー&ペーストですませてしまおうというその根性が気にくわぬ。そこらのサイトから素材をみつけてくるのはいいけれど、それを自分なりに消化して文章にしようとは思わんのか。もしも思わんというのなら、そんな人間は税金つかった案内板の文章なんか書いてはいかんのではないか。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
つぎ。
以下、「ふるさと発見記」の抜粋が列挙されている。
まず、タイトルにおけることばの誤用を指摘しておく。「要約」とあるのは、少しおかしい。というか、完全なあやまりである。抜粋とか、引用とか、そういうことばが使用されているべきである。しかもこのタイトル、どうして山かっこでくくられているのか、意図がまったく不明なのであるが、その問題はあっさりスルーして、しっかし要約の意味もわかんねーのかよ、と嘆きつつ辞書へのリンク。
大辞泉:要約
大辞泉:抜粋
大辞泉:引用
ごらんのとおりである。要約とは「文章などの要点をとりまとめること」、抜粋とは「物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと」、引用とは「人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること」である。「ふるさと発見記」の要約というのであれば、昭和何年の何月、乱歩がこれこれの用件で名張のまちを訪れ、こういうことがあってこういう人たちに会い、生家があった場所にも案内されましたとさ、といったものでなければならない。「ふるさと発見記」からフレーズを抜粋引用するだけでは、あいにく要約ということにはならないのである。
この点にかんしては昨年秋、名張まちなか再生委員会に協力する気などまったくないけれど、さりとて明らかな誤用を見過ごしにすることもできないから、委員会の事務局にきっちりと指摘しておいた。したがって、もしもこの図案がこのまま案内板になるのだとしても、要約ということばは訂正されているだろうと思っていたのだが、先日、目隠しをはずされた案内板をはじめてとくとうちながめ、そのまま生きているのを知ってびっくりした。まさに衝撃の事実である。まーったくあの委員会と来た日には、人の助言進言忠言にみごとに耳を貸さねーんだからな、とあらためて思い知らされた。きわめて首尾一貫した態度である、といえばいえよう。たいしたもんだ蛙のしょんべん、みあげたもんだ屋根屋のふんどし。
しかし、ことは名張まちなか再生委員会のレベルでは収まらない。案内板にしっかりクレジットされている「名張市・名張市教育委員会」にまで波及する。この両者はいったい何をしでかしたのか。そこらのメーカーでたとえるならば、食品であれ家電製品であれ、品質チェックをいっさいしないまま商品を市場に流通させたということなのではないか。案内板なのであるから、それを食べて食中毒を起こす人が出る心配はないであろう。電源をオンにしたとたんに火を噴いて、火災の原因になるといったこともないであろう。だが、無責任さにおいてはまったく同断ではないか。
「名張市・名張市教育委員会」はいったい何を考えているのか。というか、たまにはものを考えてみてくれんか。というか、ほんとにもういいかげんにしてくれんか。無策無能無責任な自治体が、おなじく無策無能無責任な市民と手を結んで、市民といったってごくごく少数の市民なのであるけれど、しかもこれはごくごく少数の特定の市民といったほうがいいのかもしれないけれど、協働だ委員会だと大騒ぎした結果がこれではないか。市民のひとりとして、もう恥ずかしくってたまんない。
とくにこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。あんたらには要約ということばの意味もわからんということになる。この名張市においてはそんな程度の連中が、あろうことか教育という重要事に携わってくれておるということになる。ここまでくるとはっきりいって、市民にたいする背信行為ですらあるのではないか。重箱の隅つっついて喜んでんじゃねーぞばーか、とか思ってんじゃねーぞばーか。重箱の隅というならまだいいけれど、名張市教育委員会という名の重箱、いやさ名張市という名の重箱の全体に、それはもうまんべんなく、市民にたいする背信行為ですらあるこうした無責任さが充満しているのではないか。
写真のあとは、テキストを問題にする。
案内板には、写真のキャプションを別にすれば、二種類のテキストをみることができる。白をバックに文章が配されたところである。タイトルがある。
・「ふるさと発見記」にみる名張の町
・〈「ふるさと発見記」要約〉
以上のふたつである。
前者を転載。
「ふるさと発見記」にみる名張の町
□江戸川乱歩は、明治27年(1894)、名張の町に誕生しました。生後まもなく転居したせいで、乱歩にとって名張は「見知らぬふるさと」でありつづけましたが、昭和27年(1952)9月、乱歩は選挙の応援演説を引き受けて名張に赴いています。 □そして、翌28年にこのときの様子をくわしく記し、発表された随筆が「ふるさと発見記」です。 □また、昭和27年の帰郷がきっかけになって、名張では江戸川乱歩生誕地碑の建立が企画され、かつて乱歩の生家があったところに石碑が建てられ、「江戸川乱歩生誕地」という文字のほかに、乱歩の書いた「幻影城」「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という言葉が刻まれました。 □除幕式は昭和30年(1955)11月3日、乱歩夫妻の臨席のもと、盛大に催されました。 |
これは、名張市公式サイトにある乱歩の紹介ページにもとづいて、しごく適当なコピー&ペーストでしあげられた文章である。
名張市公式サイト:江戸川乱歩
意地の悪いことをいうようだが、アンダーラインを附したのは、コピー&ペーストではなく、執筆者が自分のことばで書いた文章である。だから、こなれが悪い。ほかの部分との一貫性や整合性に乱れが生じている。端的にいえば、へたな文章になっている。いかんいかん。こんなことではいかんぞ。だいたいがこら、コピー&ペーストですませてしまおうというその根性が気にくわぬ。そこらのサイトから素材をみつけてくるのはいいけれど、それを自分なりに消化して文章にしようとは思わんのか。もしも思わんというのなら、そんな人間は税金つかった案内板の文章なんか書いてはいかんのではないか。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
つぎ。
〈「ふるさと発見記」要約〉
○名張の町そのものも美しい。四方を遠山にかこまれ、大火にあっていないと見えて、昔ながらの城下町の風情を残している。 ○京都風の丹塗格子の家も残っている。 |
以下、「ふるさと発見記」の抜粋が列挙されている。
まず、タイトルにおけることばの誤用を指摘しておく。「要約」とあるのは、少しおかしい。というか、完全なあやまりである。抜粋とか、引用とか、そういうことばが使用されているべきである。しかもこのタイトル、どうして山かっこでくくられているのか、意図がまったく不明なのであるが、その問題はあっさりスルーして、しっかし要約の意味もわかんねーのかよ、と嘆きつつ辞書へのリンク。
大辞泉:要約
大辞泉:抜粋
大辞泉:引用
ごらんのとおりである。要約とは「文章などの要点をとりまとめること」、抜粋とは「物や作品からすぐれた部分や必要な部分を抜き出すこと」、引用とは「人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いること」である。「ふるさと発見記」の要約というのであれば、昭和何年の何月、乱歩がこれこれの用件で名張のまちを訪れ、こういうことがあってこういう人たちに会い、生家があった場所にも案内されましたとさ、といったものでなければならない。「ふるさと発見記」からフレーズを抜粋引用するだけでは、あいにく要約ということにはならないのである。
この点にかんしては昨年秋、名張まちなか再生委員会に協力する気などまったくないけれど、さりとて明らかな誤用を見過ごしにすることもできないから、委員会の事務局にきっちりと指摘しておいた。したがって、もしもこの図案がこのまま案内板になるのだとしても、要約ということばは訂正されているだろうと思っていたのだが、先日、目隠しをはずされた案内板をはじめてとくとうちながめ、そのまま生きているのを知ってびっくりした。まさに衝撃の事実である。まーったくあの委員会と来た日には、人の助言進言忠言にみごとに耳を貸さねーんだからな、とあらためて思い知らされた。きわめて首尾一貫した態度である、といえばいえよう。たいしたもんだ蛙のしょんべん、みあげたもんだ屋根屋のふんどし。
しかし、ことは名張まちなか再生委員会のレベルでは収まらない。案内板にしっかりクレジットされている「名張市・名張市教育委員会」にまで波及する。この両者はいったい何をしでかしたのか。そこらのメーカーでたとえるならば、食品であれ家電製品であれ、品質チェックをいっさいしないまま商品を市場に流通させたということなのではないか。案内板なのであるから、それを食べて食中毒を起こす人が出る心配はないであろう。電源をオンにしたとたんに火を噴いて、火災の原因になるといったこともないであろう。だが、無責任さにおいてはまったく同断ではないか。
「名張市・名張市教育委員会」はいったい何を考えているのか。というか、たまにはものを考えてみてくれんか。というか、ほんとにもういいかげんにしてくれんか。無策無能無責任な自治体が、おなじく無策無能無責任な市民と手を結んで、市民といったってごくごく少数の市民なのであるけれど、しかもこれはごくごく少数の特定の市民といったほうがいいのかもしれないけれど、協働だ委員会だと大騒ぎした結果がこれではないか。市民のひとりとして、もう恥ずかしくってたまんない。
とくにこれこれ名張市教育委員会のみなさんや。あんたらには要約ということばの意味もわからんということになる。この名張市においてはそんな程度の連中が、あろうことか教育という重要事に携わってくれておるということになる。ここまでくるとはっきりいって、市民にたいする背信行為ですらあるのではないか。重箱の隅つっついて喜んでんじゃねーぞばーか、とか思ってんじゃねーぞばーか。重箱の隅というならまだいいけれど、名張市教育委員会という名の重箱、いやさ名張市という名の重箱の全体に、それはもうまんべんなく、市民にたいする背信行為ですらあるこうした無責任さが充満しているのではないか。
名張市
毎日新聞:伊賀の新清掃工場建設:中継所は名張の現工場 3地区はおおむね合意 /三重
毎日新聞:伊賀の新清掃工場建設:稼働開始は10月 工事、3カ月遅れで /三重
伊勢新聞:名張の「忍の里」JGAPの認証取得「安全な野菜」生産を保証
伊賀市
毎日新聞:モクモク手づくりファーム:「食育学校」設立構想も 交流会で披露--伊賀 /三重
毎日新聞:シイタケ菌打ち:「食べるのが楽しみ」 古山小児童29人が挑戦--伊賀 /三重
毎日新聞:マツタケ山:再生へ「十字軍」 森林組合が結成、会員が定期的整備--伊賀 /三重
毎日新聞:事件・事故:伊賀市の乗用車内で女性死亡、自殺か /三重
中日新聞:川上ダムに中止の意見書 建設の説得力欠く
中日新聞:4ダム建設は不適切と意見書 三重・川上、滋賀・大戸川など(社会)
日本経済新聞:淀川水系4ダム見直し・外部有識者会議
三重県
朝日新聞:広がるレジ袋削減
毎日新聞:夏日:伊賀で今年初 最高気温26度 /三重
毎日新聞:伊賀の新清掃工場建設:中継所は名張の現工場 3地区はおおむね合意 /三重
毎日新聞:伊賀の新清掃工場建設:稼働開始は10月 工事、3カ月遅れで /三重
伊勢新聞:名張の「忍の里」JGAPの認証取得「安全な野菜」生産を保証
伊賀市
毎日新聞:モクモク手づくりファーム:「食育学校」設立構想も 交流会で披露--伊賀 /三重
毎日新聞:シイタケ菌打ち:「食べるのが楽しみ」 古山小児童29人が挑戦--伊賀 /三重
毎日新聞:マツタケ山:再生へ「十字軍」 森林組合が結成、会員が定期的整備--伊賀 /三重
毎日新聞:事件・事故:伊賀市の乗用車内で女性死亡、自殺か /三重
中日新聞:川上ダムに中止の意見書 建設の説得力欠く
中日新聞:4ダム建設は不適切と意見書 三重・川上、滋賀・大戸川など(社会)
日本経済新聞:淀川水系4ダム見直し・外部有識者会議
三重県
朝日新聞:広がるレジ袋削減
毎日新聞:夏日:伊賀で今年初 最高気温26度 /三重
さて、これである。
ばかかこら名張まちなか再生委員会、といったレベルの話では、もはやなくなっている。なぜか。案内板の下のほうに「名張市・名張市教育委員会」と明記されているからである。案内板製作の実務を担当したのが名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトであったとしても、そんなことにはかかわりなく、この案内板は名張市と名張市教育委員会が設置したものであります、この案内板の責任はすべて両者が負っております、という意味を示したクレジットである。だから、ばかかこら名張まちなか再生委員会、ではなくて、ばかかこら名張市ならびに名張市教育委員会、と啖呵を切らなければならない。なんか語呂が悪いけどなあ。
語呂が悪くてもいたしかたあるまい。それにだいたいこの両者、名張市ならびに名張市教育委員会は、この案内板とはまったく無関係に、いずれぼこぼこにしてやらねばならぬ相手なのである。いやいや、ぼこぼこにしてやるなどというのはいかにも剣呑である。誤解が生じよう。名張市立図書館とはきっぱり無縁の身となったそのうえで、さあみなさん乱歩をいったいどうするおつもり? とお訊きし、市民のひとりとして提案すべきことは提案して、手を携えながらいわゆるいい方向ってやつを模索したいと考えているそのお相手が、ほかならぬこの名張市ならびに名張市教育委員会なのである。当方が図書館に身を置いている人間であれば、たとえばかつての教育長やまたかつての教育次長のように、こちらの質問や提案を完全に黙殺しつづけることが可能かもしれない。いや、げんに黙殺しつづけやがったのである。だから図書館とおさらばしたのである。お役所のヒエラルキーから自由になった市民のことを、はたして無視することができるのかな。
名張市公式サイト:名張市 市長への手紙
たいして意味はない。ちょっとリンクしてみたかっただけである。
それでは、案内板デザイン講座初級篇、元気にはじめたい。内容としては、去年の秋、名張市役所一階大会議室で名張まちなか再生委員会事務局から案内板の図案を示されたとき、アドバイスというのではまったくなく、なんなんだこのひどい出来は、と並べ立てた悪口雑言とほぼおなじことになる。悪口雑言から有益なアドバイスを汲みとることができるかどうか、それはこちらの問題ではない。
まず、写真である。案内板には、それこそ手近なところから切り抜いてきたような写真がぺたぺたと貼られている。これではまずかろう。いくらなんでもまずかろう。手抜きもここに極まれり、といった印象を与える。では、どうすればいいのか。どう考えればいいのか。こうした場合の考えかたについて考えてみたい。
これはそもそも、何を案内するための案内板か。江戸川乱歩生誕地碑広場である。つまり、乱歩はこの場所で誕生したのである。ということは、ここには何があったのか。いわずと知れた家である。乱歩の家があったのである。すなわち、乱歩一家の生活があったのである。裏通りの小さな借家で、乱歩一家が生活していたのである。
草深い土地でかりそめの郡役所勤務に甘んじながら、胸中には時代の子らしい野心を燃えたたせている若い父親がいた。名を繁男という。その繁男のもとに、見合写真を交わしただけで実際には一度の対面もはたさぬまま、津からはるばる峠を越えて嫁いできた若い母親がいた。名をきくという。そして、母ひとり子ひとりの境涯となって繁男だけを頼りとし、繁男夫婦に恵まれた初の子宝である乱歩をこよなく可愛がる祖母がいた。名を和佐という。そして乱歩は、むろんまだ乱歩ではなく、お父さんは小柄な人なのにずいぶん大きな子ができた、と近所で評判になった赤ん坊であった。名を太郎という。一家の姓は平井という。
この四人の家族による生活が、かつてこの地で営まれていたのである。この土地には、ごく短い期間ではあるけれど、この家族四人の歴史が、喜怒哀楽が、ありきたりだがかけがえのない日常が、たしかに刻まれていたのである。だとすれば、どんな写真が必要か。いうまでもない。家族の写真である。いわゆる家族の肖像である。家族の肖像っつったらヴィスコンティだぞこら。山猫である。地獄に堕ちた勇者どもである。ルートヴィヒである。ベニスに死すである。ベニスまで行けとはいわないけれど、とんこ山あたりでいっぺん死んでこいこら低能。ちっとはおつむがよくなるかもしれんぞ。
とはいえ、赤ん坊だった乱歩を囲んで名張で撮影された写真なんてのは、残念ながら存在しない。河出書房新社の『江戸川乱歩アルバム』には、お母さんに抱かれた太郎ちゃんの写真が収録されていて、撮影は明治29・1896年、場所は亀山、これがもっとも古い乱歩の写真であるという。それならそれでかまわない。とにかくご遺族にお願いして、家族四人が写った写真を拝借し、それを案内板に使用することも、一案として考えてみるべきだろう。
むろん一案でしかない。じっくり考えればまだアイデアは出てくるだろう。出るだけのアイデアを並べたあと、どれが最善のアイデアかを判断し、それを練りあげてゆくのがふつうのやりかたである。こうした場合の考えかたというものである。ところがこの案内板には、そうしたプロセスがいっさいなかったようである。考えるとか、練りあげるとか、そういった過程はみごとになかったようである。手近なものを切り抜いて貼り合わせ、それでいっちょあがりというだけのしろものである。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
中学生がつくった壁新聞なら、もう少し深く対象にアプローチできているはずである。乱歩という対象について何も知ろうとせず、調べようともせず、ありあわせの素材を切り貼りするだけでことをすませるなどというペテンみたいな真似がこら、よくもできたものだな名張まちなか再生委員会。ばかかこら低能。うすらばかが税金の具体的なつかいみちいちいち決めてんじゃねーぞたこ。
だから、教えてやろうといったのである。名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会の事務局に足を運んで、うすらばかが何十人と集まってもろくなことにはならないから、せめて最低限の知識だけは教えてやろうと申し出たのである。あの時点で人の好意を素直に受け容れていさえすれば、まかりまちがってもこんな出来の悪い案内板は誕生していなかったはずである。ばかってのはまったくどうしようもないものである。
ま、いまさら何をいっても手遅れである。手遅れではあるがいってやる。もうぼこぼこに叩いてやる。つづきはあすとなるのである。
ばかかこら名張まちなか再生委員会、といったレベルの話では、もはやなくなっている。なぜか。案内板の下のほうに「名張市・名張市教育委員会」と明記されているからである。案内板製作の実務を担当したのが名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトであったとしても、そんなことにはかかわりなく、この案内板は名張市と名張市教育委員会が設置したものであります、この案内板の責任はすべて両者が負っております、という意味を示したクレジットである。だから、ばかかこら名張まちなか再生委員会、ではなくて、ばかかこら名張市ならびに名張市教育委員会、と啖呵を切らなければならない。なんか語呂が悪いけどなあ。
語呂が悪くてもいたしかたあるまい。それにだいたいこの両者、名張市ならびに名張市教育委員会は、この案内板とはまったく無関係に、いずれぼこぼこにしてやらねばならぬ相手なのである。いやいや、ぼこぼこにしてやるなどというのはいかにも剣呑である。誤解が生じよう。名張市立図書館とはきっぱり無縁の身となったそのうえで、さあみなさん乱歩をいったいどうするおつもり? とお訊きし、市民のひとりとして提案すべきことは提案して、手を携えながらいわゆるいい方向ってやつを模索したいと考えているそのお相手が、ほかならぬこの名張市ならびに名張市教育委員会なのである。当方が図書館に身を置いている人間であれば、たとえばかつての教育長やまたかつての教育次長のように、こちらの質問や提案を完全に黙殺しつづけることが可能かもしれない。いや、げんに黙殺しつづけやがったのである。だから図書館とおさらばしたのである。お役所のヒエラルキーから自由になった市民のことを、はたして無視することができるのかな。
名張市公式サイト:名張市 市長への手紙
たいして意味はない。ちょっとリンクしてみたかっただけである。
それでは、案内板デザイン講座初級篇、元気にはじめたい。内容としては、去年の秋、名張市役所一階大会議室で名張まちなか再生委員会事務局から案内板の図案を示されたとき、アドバイスというのではまったくなく、なんなんだこのひどい出来は、と並べ立てた悪口雑言とほぼおなじことになる。悪口雑言から有益なアドバイスを汲みとることができるかどうか、それはこちらの問題ではない。
まず、写真である。案内板には、それこそ手近なところから切り抜いてきたような写真がぺたぺたと貼られている。これではまずかろう。いくらなんでもまずかろう。手抜きもここに極まれり、といった印象を与える。では、どうすればいいのか。どう考えればいいのか。こうした場合の考えかたについて考えてみたい。
これはそもそも、何を案内するための案内板か。江戸川乱歩生誕地碑広場である。つまり、乱歩はこの場所で誕生したのである。ということは、ここには何があったのか。いわずと知れた家である。乱歩の家があったのである。すなわち、乱歩一家の生活があったのである。裏通りの小さな借家で、乱歩一家が生活していたのである。
草深い土地でかりそめの郡役所勤務に甘んじながら、胸中には時代の子らしい野心を燃えたたせている若い父親がいた。名を繁男という。その繁男のもとに、見合写真を交わしただけで実際には一度の対面もはたさぬまま、津からはるばる峠を越えて嫁いできた若い母親がいた。名をきくという。そして、母ひとり子ひとりの境涯となって繁男だけを頼りとし、繁男夫婦に恵まれた初の子宝である乱歩をこよなく可愛がる祖母がいた。名を和佐という。そして乱歩は、むろんまだ乱歩ではなく、お父さんは小柄な人なのにずいぶん大きな子ができた、と近所で評判になった赤ん坊であった。名を太郎という。一家の姓は平井という。
この四人の家族による生活が、かつてこの地で営まれていたのである。この土地には、ごく短い期間ではあるけれど、この家族四人の歴史が、喜怒哀楽が、ありきたりだがかけがえのない日常が、たしかに刻まれていたのである。だとすれば、どんな写真が必要か。いうまでもない。家族の写真である。いわゆる家族の肖像である。家族の肖像っつったらヴィスコンティだぞこら。山猫である。地獄に堕ちた勇者どもである。ルートヴィヒである。ベニスに死すである。ベニスまで行けとはいわないけれど、とんこ山あたりでいっぺん死んでこいこら低能。ちっとはおつむがよくなるかもしれんぞ。
とはいえ、赤ん坊だった乱歩を囲んで名張で撮影された写真なんてのは、残念ながら存在しない。河出書房新社の『江戸川乱歩アルバム』には、お母さんに抱かれた太郎ちゃんの写真が収録されていて、撮影は明治29・1896年、場所は亀山、これがもっとも古い乱歩の写真であるという。それならそれでかまわない。とにかくご遺族にお願いして、家族四人が写った写真を拝借し、それを案内板に使用することも、一案として考えてみるべきだろう。
むろん一案でしかない。じっくり考えればまだアイデアは出てくるだろう。出るだけのアイデアを並べたあと、どれが最善のアイデアかを判断し、それを練りあげてゆくのがふつうのやりかたである。こうした場合の考えかたというものである。ところがこの案内板には、そうしたプロセスがいっさいなかったようである。考えるとか、練りあげるとか、そういった過程はみごとになかったようである。手近なものを切り抜いて貼り合わせ、それでいっちょあがりというだけのしろものである。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
中学生がつくった壁新聞なら、もう少し深く対象にアプローチできているはずである。乱歩という対象について何も知ろうとせず、調べようともせず、ありあわせの素材を切り貼りするだけでことをすませるなどというペテンみたいな真似がこら、よくもできたものだな名張まちなか再生委員会。ばかかこら低能。うすらばかが税金の具体的なつかいみちいちいち決めてんじゃねーぞたこ。
だから、教えてやろうといったのである。名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会の事務局に足を運んで、うすらばかが何十人と集まってもろくなことにはならないから、せめて最低限の知識だけは教えてやろうと申し出たのである。あの時点で人の好意を素直に受け容れていさえすれば、まかりまちがってもこんな出来の悪い案内板は誕生していなかったはずである。ばかってのはまったくどうしようもないものである。
ま、いまさら何をいっても手遅れである。手遅れではあるがいってやる。もうぼこぼこに叩いてやる。つづきはあすとなるのである。
きのうのぶん。
名張市
毎日新聞:稚アユ:大きく育て 長瀬太郎生川漁協、初回は400キロ放流--名張 /三重
毎日新聞:電気ポスター展:「節電」児童が訴え 最優秀賞に錦生小の宮崎さん--名張 /三重
毎日新聞:名張市:生ごみ処理機購入費用、補助復活 今月から2年間、最大1万円 /三重
伊賀市
朝日新聞:伊賀に5回帰郷 芭蕉の心を探る
朝日新聞:「4ダム必要なし」 淀川流域委が国交省に近く意見書(関西)
産経新聞:「整備局の説明は不十分」淀川水系4ダム計画見直し 再提示求める意見書最終案決定(政治)
毎日新聞:読書活動推進計画:子どもの活字離れ防止へ、5項目に数値目標--伊賀市教委 /三重
中日新聞:上野天神祭盛り上げるぞ! 福居町のだんじり修復完了
三重県
毎日新聞:県高校春季ハンドボール選手権大会:20日 /三重
毎日新聞:夏日:県内で初、伊賀は24.3度 /三重
名張市
毎日新聞:稚アユ:大きく育て 長瀬太郎生川漁協、初回は400キロ放流--名張 /三重
毎日新聞:電気ポスター展:「節電」児童が訴え 最優秀賞に錦生小の宮崎さん--名張 /三重
毎日新聞:名張市:生ごみ処理機購入費用、補助復活 今月から2年間、最大1万円 /三重
伊賀市
朝日新聞:伊賀に5回帰郷 芭蕉の心を探る
朝日新聞:「4ダム必要なし」 淀川流域委が国交省に近く意見書(関西)
産経新聞:「整備局の説明は不十分」淀川水系4ダム計画見直し 再提示求める意見書最終案決定(政治)
毎日新聞:読書活動推進計画:子どもの活字離れ防止へ、5項目に数値目標--伊賀市教委 /三重
中日新聞:上野天神祭盛り上げるぞ! 福居町のだんじり修復完了
三重県
毎日新聞:県高校春季ハンドボール選手権大会:20日 /三重
毎日新聞:夏日:県内で初、伊賀は24.3度 /三重
きのうにつづいて、桝田医院第二病棟跡地に建てられた「江戸川乱歩生誕地碑広場」の案内板を手がかりに、名張市および名張市教育委員会を並び叩いてやるつもりであったのだが、予定を変更し、名張まちなか再生委員会からのお知らせを披露する。いってみればメッセンジャーである。
名張市公式サイト:名張市旧細川邸やなせ宿「ロゴマーク」募集要項
もう笑うしかない。笑いながら思いきり脱力してしまう。思わず瞳孔が開きっぱなしになってしまいそうである。
ばーか。ロゴマークなんか募集してる場合かよ。そんなことより先にやるべきことがあるだろうが。やなせ宿でいったい何をするつもりだ。
4月3日付朝日新聞によれば、こうである。
「地域の案内パンフレットや散策地図を置き、旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場にする」
「史料の展示などに活用する」
「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」
4月12日付YOUによれば、こうである。
「観光客と住民の交流スペース、市民らが腕を振るう『ワンデイシェフ』などオープン以降にもさまざまな企画が練られているが、いまだに具体化されていない」
な。だからロゴマークなんか募集してる場合かよっつってんだろーが。YOUの場合は見出しからして、「総工費1億円 名張の観光交流施設『やなせ宿』どうなる?何する?」なんだぞ。
何する? との問いかけにたいして、ロゴマーク募集しまーす、ときちんと返事ができたのは、文字どおり打てば響くようなレスポンスである、おおいによろしい、よくやったと褒めてやりたいところだけれど、まったく関係のないところを響かせてんじゃねーやばーか。
いやはや。やれやれ。ほんとに腰が抜けそうになる。瞳孔ほぼ全開でばーかとかいって笑っているうち、しかし、だんだんと怒りがこみあげてきた。猛烈にむかっ腹が立ってきた。もうとめられない。誰にもとめられない。怒り憤りのおもむくまま、名張市にメールを送信してしまった。送信先は名張市都市環境部市街地整備室内「やなせ宿ロゴマーク募集」係のアドレス、すなわちshigaichi@city.nabari.mie.jp。件名は「やなせ宿についておききしますッ」。
文面はこんなの。
なかなか元気があってよろしい。
それにしても、この名張市公式サイトのロゴマーク募集記事を読むかぎり、やなせ宿からは乱歩が完全に消えてしまったとおぼしい。あらためてその事実が知られる。
引用。
乱歩のらの字も見当たらない。川がどうの街道がこうのという説明もいいけれど、やなせ宿のある新町をいちばん手っ取り早く、わかりやすく紹介しようと思ったら、江戸川乱歩が生まれた町ですといえばいいのである。それがもっとも、きょうびのことばでいえば発信力のある紹介なのである。しかし、乱歩のらの字も見当たらない。これはもう完全に、意図的な黙殺であり隠蔽であるとしか考えられない。乱歩は抹殺されてしまったのである。
じつに困ったものである。いまさら何を説明したところで、あの名張まちなか再生委員会が耳を貸すはずもなかろうが、というか、説明を理解できるかどうかもあやしいものであろうが、たとえば、平成17・2005年12月7日付朝日新聞のコラム「青鉛筆」に、こんなことが記されていた。いうまでもなく、伊賀版の記事ではない。
大阪本社発行版に掲載されたコラムである。名古屋本社発行版ではおなじ日、コラムではなく社会面の記事として、ほぼ同内容のことが報じられていた。タイトルは「世界の推理小説一堂に 乱歩生誕地にミステリー文庫」。
むろんこの時点では、ミステリー文庫などいまだ海のものとも山のものともつかぬ構想であった。だが、その程度の構想であっても、朝日のコラムや社会面の記事にとりあげられるのである。乱歩という名前が秘めているところの、いわゆる発信力のなせるわざなのである。それを抹殺してどうする。やなせ宿に案内パンフレット置いてまーす、とか、やなせ宿でワンデイシェフやってまーす、とか、そんなこといってみたって朝日のコラムはとりあげてなんかくれないぞ。こら聞いておるのか名張まちなか再生委員会、というか、やなせ宿私物化委員会。
新町に観光交流施設を整備するというのであれば、それを乱歩に関連づけるのはあたりまえの話である。あえて損得で考えれば、乱歩という素材を無視してしまうのは損である。たとえ観光という分野であっても、乱歩という名前の発信力はおおいに期待できるはずなのである。それがどうして消えてしまうのか。乱歩の名前がどうして消されてしまうのか。たとえば名張市議会の議事録を読んでみても、まちなか再生に乱歩という素材を活用すべきであるということは、おおげさにいえば共通認識として存在しているではないか。その素材を、名張まちなか再生委員会はどうして抹殺してしまうのか。名張のまちなかに残されている貴重な可能性の芽を、どうして踏みつぶしてしまうのか。
むろん、やなせ宿を乱歩に関連づけるべきではない、という考えがあってもふしぎではない。それを否定するつもりはない。なにごとであれ、意見のちがいは存在していて当然であるし、ことなった意見をもつ人間が正当な批判を応酬し、着地点を見いだしてゆくのはあたりまえのことである。ただし名張市においては、すくなくとも細川邸整備事業をみるかぎりでは、ことなった意見に耳を傾けるだの、正当な批判をやりとりするだの、そんなシーンはまったくみられなかった。その意味において、名張市はもう死んでいる。完全に死んではいないにしても、脳死状態が長くつづいている。
それとは別に、つまり、やなせ宿と乱歩を関連づけるかどうかという問題とは別に、それ以前の問題として、名張まちなか再生委員会はいったいどうして、ここまでのさばっているのか、はばかっているのか、場所ふさぎをしているのか、という問題がある。無能力はすでに歴然としている。乱歩という素材を活用できないという一点だけをとっても、驚くばかりに無能力である。そんな委員会とどうして名張市は、結託をつづけ、癒着をつづけ、市民を無視した専横を容認放置しつづけるのか。
名張市職員諸君だって、名張まちなか再生委員会の手先に甘んじて、ロゴマークの募集なんぞにこきつかわれるのは本意ではないのではないか。それとも市職員諸君には、あの委員会の抱えている重大な問題が、まったくみえていないというのか。気がついていないというのか。そんなことはないはずである。いやいや、これは酷であろう。あまりにも酷であろう。名張まちなか再生委員会の専横にかんして、市職員諸君を責めるのはなんとも酷な話であろう。
名張市公式サイト:名張市 市長への手紙
たいして意味はない。ちょっとリンクしてみたかっただけである。
名張市公式サイト:名張市旧細川邸やなせ宿「ロゴマーク」募集要項
もう笑うしかない。笑いながら思いきり脱力してしまう。思わず瞳孔が開きっぱなしになってしまいそうである。
ばーか。ロゴマークなんか募集してる場合かよ。そんなことより先にやるべきことがあるだろうが。やなせ宿でいったい何をするつもりだ。
4月3日付朝日新聞によれば、こうである。
「地域の案内パンフレットや散策地図を置き、旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場にする」
「史料の展示などに活用する」
「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」
4月12日付YOUによれば、こうである。
「観光客と住民の交流スペース、市民らが腕を振るう『ワンデイシェフ』などオープン以降にもさまざまな企画が練られているが、いまだに具体化されていない」
な。だからロゴマークなんか募集してる場合かよっつってんだろーが。YOUの場合は見出しからして、「総工費1億円 名張の観光交流施設『やなせ宿』どうなる?何する?」なんだぞ。
何する? との問いかけにたいして、ロゴマーク募集しまーす、ときちんと返事ができたのは、文字どおり打てば響くようなレスポンスである、おおいによろしい、よくやったと褒めてやりたいところだけれど、まったく関係のないところを響かせてんじゃねーやばーか。
いやはや。やれやれ。ほんとに腰が抜けそうになる。瞳孔ほぼ全開でばーかとかいって笑っているうち、しかし、だんだんと怒りがこみあげてきた。猛烈にむかっ腹が立ってきた。もうとめられない。誰にもとめられない。怒り憤りのおもむくまま、名張市にメールを送信してしまった。送信先は名張市都市環境部市街地整備室内「やなせ宿ロゴマーク募集」係のアドレス、すなわちshigaichi@city.nabari.mie.jp。件名は「やなせ宿についておききしますッ」。
文面はこんなの。
おはようございますッ。ちょっとおききしますッ。やなせ宿のことですがッ、やなせ宿を利用するための申請はッ、どうすればいいのでしょうかッ。またッ、申請はいつからッ、うけつけてもらえるのでしょうかッ。やなせ宿を利用してッ、講演会をッ、ひらきたいとッ、考えておりますッ。四週ぐらい連続でッ、毎週土曜日にッ、と考えておりますッ。テーマはッ、こんなかんじですッ。
第一週「名張の歴史をしっとるか」 第二週「なにがやなせ宿だばーか」 第三週「乱歩はどこへきえたのか」 第四週「へたれ責任者でてこんか」 かで脚韻をッ、踏んでみましたッ。講演会ッ、といいましたがッ、「へたれ責任者でてこんか」というのはッ、シンポジウムですッ。名張まちなか再生委員会のえらい人とかッ、名張市のえらい人とかッ、いっぱい集まってもらってッ、なかよくおはなしをしたいなッ。 それからッ、講演をやろうと思ってもッ、よくわからないことがありますのでッ、ついでにッ、そのわからない点もッ、おしえてくださいッ。細川邸はッ、名張まちなか再生プランではッ、歴史資料館として整備されるということにッ、なっていましたがッ、観光交流施設のッ、やなせ宿にッ、なってしまいましたッ。どうして変更されたのかッ、理由や経緯などッ、市民にはッ、いっさいなにもッ、しらされていませんッ。そうですねッ。そこでッ、どうしてこんなことになったのかッ、その点についてッ、おしえてくださいッ。 以上ッ、二点ですッ。メールでのお返事ッ、おまちしていますッ。よろしくッ、おねがいしますッ。さようならッ。 2008/04/22 |
なかなか元気があってよろしい。
それにしても、この名張市公式サイトのロゴマーク募集記事を読むかぎり、やなせ宿からは乱歩が完全に消えてしまったとおぼしい。あらためてその事実が知られる。
引用。
【募集概要】
旧細川邸やなせ宿は、名張川が大きく蛇行したところに位置しています。この付近は、鮎を取るための簗がたくさん設けられたことから、平安時代から簗瀬(やなせ)と称されており、また、江戸時代には初瀬街道の宿場として栄え「名張八宿」と呼ばれていました。風土に由来した名張の旧称を生かすとともに、人々が集う場となることを目指して、旧細川邸の名称を「やなせ宿」としました。 この施設の、今後の発展を期待したシンボルとなる「ロゴマーク」を募集します。「ロゴマーク」は、施設の公式ロゴとして、ホームページ・ポスター・チラシなど、様々な用途に使用することを計画しています。 |
乱歩のらの字も見当たらない。川がどうの街道がこうのという説明もいいけれど、やなせ宿のある新町をいちばん手っ取り早く、わかりやすく紹介しようと思ったら、江戸川乱歩が生まれた町ですといえばいいのである。それがもっとも、きょうびのことばでいえば発信力のある紹介なのである。しかし、乱歩のらの字も見当たらない。これはもう完全に、意図的な黙殺であり隠蔽であるとしか考えられない。乱歩は抹殺されてしまったのである。
じつに困ったものである。いまさら何を説明したところで、あの名張まちなか再生委員会が耳を貸すはずもなかろうが、というか、説明を理解できるかどうかもあやしいものであろうが、たとえば、平成17・2005年12月7日付朝日新聞のコラム「青鉛筆」に、こんなことが記されていた。いうまでもなく、伊賀版の記事ではない。
□▽推理小説の生みの親、江戸川乱歩の生誕地である三重県名張市は5日、古今東西の推理小説を一堂に集めた「ミステリー文庫」を設置する方針を明らかにした。
□▽同市は、乱歩に関する街おこし事業が盛ん。08年までに完成させる予定で、市立図書館の乱歩関係の蔵書約千冊を移し、寄贈も受け付けるという。 □▽「全国の推理小説ファンの集まる場に」と同市。しかし、具体的な運営方法や設置場所は未定だ。行政側の思惑通りにいくか、それもまた「ミステリー」。 |
大阪本社発行版に掲載されたコラムである。名古屋本社発行版ではおなじ日、コラムではなく社会面の記事として、ほぼ同内容のことが報じられていた。タイトルは「世界の推理小説一堂に 乱歩生誕地にミステリー文庫」。
むろんこの時点では、ミステリー文庫などいまだ海のものとも山のものともつかぬ構想であった。だが、その程度の構想であっても、朝日のコラムや社会面の記事にとりあげられるのである。乱歩という名前が秘めているところの、いわゆる発信力のなせるわざなのである。それを抹殺してどうする。やなせ宿に案内パンフレット置いてまーす、とか、やなせ宿でワンデイシェフやってまーす、とか、そんなこといってみたって朝日のコラムはとりあげてなんかくれないぞ。こら聞いておるのか名張まちなか再生委員会、というか、やなせ宿私物化委員会。
新町に観光交流施設を整備するというのであれば、それを乱歩に関連づけるのはあたりまえの話である。あえて損得で考えれば、乱歩という素材を無視してしまうのは損である。たとえ観光という分野であっても、乱歩という名前の発信力はおおいに期待できるはずなのである。それがどうして消えてしまうのか。乱歩の名前がどうして消されてしまうのか。たとえば名張市議会の議事録を読んでみても、まちなか再生に乱歩という素材を活用すべきであるということは、おおげさにいえば共通認識として存在しているではないか。その素材を、名張まちなか再生委員会はどうして抹殺してしまうのか。名張のまちなかに残されている貴重な可能性の芽を、どうして踏みつぶしてしまうのか。
むろん、やなせ宿を乱歩に関連づけるべきではない、という考えがあってもふしぎではない。それを否定するつもりはない。なにごとであれ、意見のちがいは存在していて当然であるし、ことなった意見をもつ人間が正当な批判を応酬し、着地点を見いだしてゆくのはあたりまえのことである。ただし名張市においては、すくなくとも細川邸整備事業をみるかぎりでは、ことなった意見に耳を傾けるだの、正当な批判をやりとりするだの、そんなシーンはまったくみられなかった。その意味において、名張市はもう死んでいる。完全に死んではいないにしても、脳死状態が長くつづいている。
それとは別に、つまり、やなせ宿と乱歩を関連づけるかどうかという問題とは別に、それ以前の問題として、名張まちなか再生委員会はいったいどうして、ここまでのさばっているのか、はばかっているのか、場所ふさぎをしているのか、という問題がある。無能力はすでに歴然としている。乱歩という素材を活用できないという一点だけをとっても、驚くばかりに無能力である。そんな委員会とどうして名張市は、結託をつづけ、癒着をつづけ、市民を無視した専横を容認放置しつづけるのか。
名張市職員諸君だって、名張まちなか再生委員会の手先に甘んじて、ロゴマークの募集なんぞにこきつかわれるのは本意ではないのではないか。それとも市職員諸君には、あの委員会の抱えている重大な問題が、まったくみえていないというのか。気がついていないというのか。そんなことはないはずである。いやいや、これは酷であろう。あまりにも酷であろう。名張まちなか再生委員会の専横にかんして、市職員諸君を責めるのはなんとも酷な話であろう。
名張市公式サイト:名張市 市長への手紙
たいして意味はない。ちょっとリンクしてみたかっただけである。
予告登板である。きのうの予告どおり、桝田医院第二病棟跡地に建てられた案内板を俎上に載せる。
まず、これがその案内板。名張まちなかの四か所に設置されたうちのひとつである。
新聞でも報じられた。
毎日新聞;観光案内板:旧市街地の魅力PR 近鉄名張駅西口など4カ所に設置 /三重(4月1日)
このブログで話題にもした。
2月25日:乱歩生誕地碑広場案内板
2月26日:一生懸命つくられた案内板
予算を確認しておく。
名張市公式サイト:入札結果情報 公共サイン設置工事
公共サインという名目で案内板を四か所に設置し、契約金額は849万0300円。上の毎日の記事によれば、「3月に設置された城下川などへの誘導標(石碑)、旧細川邸について説明した立て看板(高札)と合わせ、市が計1080万円で整備した」ということになる。細川邸改めやなせ宿の整備には一億円、案内板と看板の設置には一千万円、とおぼえておけば目安になるだろう。なんの目安かはよくわからぬが。
さてここで、ひとつ詫びを入れなければならない。経緯を確認するため、2月26日付エントリ「一生懸命つくられた案内板」から引用。
なかに、「中学生がつくった壁新聞みたいだ」とある。失言であった。事実を誤認していた。全国の中学生諸君に心からお詫びを申しあげたい。完成した案内板をとくとながめてみるならば、中学生がつくった壁新聞、といったレベルのものではまったくない。前言を撤回し、あらためてこのように述べておく。
幼稚園児の切り貼り遊びみたいだ。
中学生がつくった壁新聞であれば、もう少し深く取材対象にアプローチできているはずである。読者というものをちゃんと想定できているはずである。記事を書くためのノウハウや、レイアウトにかんするABCも、ひととおりは理解できているはずである。ところがこの案内板には、そんなものは何もない。ごくごく手近なところから、あ、こんな写真があった、あ、こんな文章があった、と切り抜いてきたものをぺたぺた貼り合わせてみただけ。ただそれだけである。はっきりいって、人前に出せるしろものではない。こんな程度のしろものに、ほかの案内板や看板もあわせて一千万円の税金をかけたというのだから、市民のひとりとしては涙を禁じえないような気がする。
幼稚園児が困っているんだったら手を貸してやればいいではないか、とおっしゃる向きもあろう。むろんそれくらいの道理は心得ている。だが、今回にかぎっては、はなはだ勝手ながらとても無理である。平成17・2005年6月に名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会事務局に足を運び、委員会への協力を申し出た。なぜか。委員名簿に眼を通したところ、それがまさしく幼稚園児レベルの連中の名簿だったからである。とんでもないことになると思われた。
名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されていた。しかし名簿の幼稚園児たちには、その構想を具体化することなど明らかに不可能である。歴史についても乱歩についても、何ひとつ知らない連中ばかりである。まかせておいたらとんでもないことになる。いやそれ以前に、そもそも歴史資料館をつくるという構想じたいがインチキだったのであるが、構想は実際に動き出していた。もうとどめようがない。だからせめて、乱歩のことであれ、名張の歴史のことであれ、最低限の知識を教えてやるからそのための場を設けるように、と事務局に要請した。後日、回答がもたらされた。
現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。
これが、名張まちなか再生委員会としての正式な回答である。外部を完全にシャットアウトして、名張まちなか再生委員会だけで細川邸を好きなように私物化するという宣言である。ここまではっきりと協力の申し出を断られてしまったのである。いまになって、この期におよんで協力できる道理など、どこを探したってあるわけがない。
それにしても、いったいどこの誰が「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない」などという断をくだしたのか、とお思いの向きもあるかもしれない。そのあたりの真実は、やなせ宿での講演会で明らかにすることになるのか、ならないのか。それはわからないのだが、ここはやはり、現段階では名張まちなか再生委員会にかんして内部の人間の悪行を暴露する考えはない、といっておいたほうが無難かもしれない。
しかしながら、これは去年の11月3日、コミュニティイベント隠街道市の記念行事のひとつとして、名張市総合福祉センターふれあいで名張の歴史をテーマに講演をおこなったときのことなのであるが、やはり魔が差したのであろうか、話の冒頭、名張まちなか再生プランはもうアウトである、細川邸は無茶苦茶なことになってしまう、誰が悪いのか、といったような話の流れになってしまって、さすがに実名は出さなかったものの、そこらの○○屋さんとか○○○○○屋さんとか、といったぐあいに職業というか商売というか、それを明示していささかを話しておいた。講演のあとで、話を聞いてくれた人から、
「あれいったい誰のことやねん。もう気になって気になって」
と尋ねられたから、やはり職種職業を明示するだけでは、聴衆に隔靴掻痒の感を与えてしまうのかもしれない。ならば実名を出すべきなのであろうか。なんとも悩ましい話であるが、やなせ宿でのいやがらせ講演会、なんだか魔が差しそうで胸騒ぎがしてくる。
そんなことはともかく、くだんの案内板である。桝田医院第二病棟跡地に建てられた「江戸川乱歩生誕地碑広場」の案内板には、去年の秋、名張市役所一階大会議室で示された図案がそのまま使用されていた。そのときには中学生がつくった壁新聞みたいだと感じられ、いまとなっては幼稚園児の切り貼り遊びみたいだとしか思えないしろものである。しかし、しかしふと気がつけば、この案内板のみにはとどまらず、昨今の名張市においては幼稚園児レベルとしかいいようのないものが、あちらこちらそこここに散見できるのではあるまいか。
幼稚園児のお遊び程度のことしかできない。それが名張市というところなのではないか。案内板設置ごっこ、観光交流施設整備ごっこ、まちなか再生事業ごっこ、委員会ごっこ、市議会ごっこ、行政ごっこ。いつまでレベルの低いお遊びをつづけていれば気がすむというのか。わっけわかんねーよなー名張市ってとこはよー。
まず、これがその案内板。名張まちなかの四か所に設置されたうちのひとつである。
新聞でも報じられた。
毎日新聞;観光案内板:旧市街地の魅力PR 近鉄名張駅西口など4カ所に設置 /三重(4月1日)
このブログで話題にもした。
2月25日:乱歩生誕地碑広場案内板
2月26日:一生懸命つくられた案内板
予算を確認しておく。
名張市公式サイト:入札結果情報 公共サイン設置工事
公共サインという名目で案内板を四か所に設置し、契約金額は849万0300円。上の毎日の記事によれば、「3月に設置された城下川などへの誘導標(石碑)、旧細川邸について説明した立て看板(高札)と合わせ、市が計1080万円で整備した」ということになる。細川邸改めやなせ宿の整備には一億円、案内板と看板の設置には一千万円、とおぼえておけば目安になるだろう。なんの目安かはよくわからぬが。
さてここで、ひとつ詫びを入れなければならない。経緯を確認するため、2月26日付エントリ「一生懸命つくられた案内板」から引用。
江戸川乱歩生誕地碑広場についていえば、広場の設計もまだできていない段階で、公共サインという名の案内板が建てられてしまうあほさについてはきのう記した。この案内板というのは、やはりきのう記したことであるが、名張まちなか再生委員会の歩行者空間整備プロジェクトが製作を担当している。すなわち、案内板の文案、写真、デザインなんかを手がけている。名張まちなかの四か所に、3月中には、名張まちなか再生委員会謹製の案内板が設置されることになっているのである。
去年の秋であったか、名張市役所の一階大会議室で、案内板の原稿というか原案というか、デザインどおりにプリントアウトした図面を見る機会があった。委員会の事務局から感想を求められたので、中学生がつくった壁新聞みたいだ、と率直なところを述べておいた。いまから考えれば、中学生に対してじつに失礼な感想であったのだが、忌憚なくいえばそういうことであった。江戸川乱歩生誕地碑広場の案内板にかんして、何かアドバイスはないかとも尋ねられたので、そんなものはないとお答えした。 名張まちなか再生委員会に対しては今後いっさい、もうどんな協力をする気もないんだもんね、と事務局に伝えたのは平成18・2006年6月のことである。いまさら何いってきたって手遅れである。それにだいたい、たとえ中学生がつくった壁新聞のようなものであっても、それが名張まちなか再生委員会の身のほど身のたけというものではないか。ひいては名張市のアベレージというものではないか。こんな程度の案内板しかようつくりませんねんと、それが名張市でございますねんと、正直に披露するのをなぜ憚る。 とにかくそういうことである。江戸川乱歩生誕地碑広場に設置される案内板には、いっさいタッチすることはせず、ただ悪口雑言をならべてきただけである。事務局スタッフからは、そんなこというけど歩行者空間整備プロジェクトが一生懸命つくったんだから、とのフォローが入ったが、一生懸命やりました、などという言葉がエクスキューズとして通用するのは、たぶん幼児の世界くらいなものではないか。そこらの幼稚園や保育所でならOKだとしても、税金の具体的なつかいみちを決めるにあたって、みんな一生懸命やったんですから、なんて話は通用するまい。 |
なかに、「中学生がつくった壁新聞みたいだ」とある。失言であった。事実を誤認していた。全国の中学生諸君に心からお詫びを申しあげたい。完成した案内板をとくとながめてみるならば、中学生がつくった壁新聞、といったレベルのものではまったくない。前言を撤回し、あらためてこのように述べておく。
幼稚園児の切り貼り遊びみたいだ。
中学生がつくった壁新聞であれば、もう少し深く取材対象にアプローチできているはずである。読者というものをちゃんと想定できているはずである。記事を書くためのノウハウや、レイアウトにかんするABCも、ひととおりは理解できているはずである。ところがこの案内板には、そんなものは何もない。ごくごく手近なところから、あ、こんな写真があった、あ、こんな文章があった、と切り抜いてきたものをぺたぺた貼り合わせてみただけ。ただそれだけである。はっきりいって、人前に出せるしろものではない。こんな程度のしろものに、ほかの案内板や看板もあわせて一千万円の税金をかけたというのだから、市民のひとりとしては涙を禁じえないような気がする。
幼稚園児が困っているんだったら手を貸してやればいいではないか、とおっしゃる向きもあろう。むろんそれくらいの道理は心得ている。だが、今回にかぎっては、はなはだ勝手ながらとても無理である。平成17・2005年6月に名張まちなか再生委員会が発足した直後、委員会事務局に足を運び、委員会への協力を申し出た。なぜか。委員名簿に眼を通したところ、それがまさしく幼稚園児レベルの連中の名簿だったからである。とんでもないことになると思われた。
名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されていた。しかし名簿の幼稚園児たちには、その構想を具体化することなど明らかに不可能である。歴史についても乱歩についても、何ひとつ知らない連中ばかりである。まかせておいたらとんでもないことになる。いやそれ以前に、そもそも歴史資料館をつくるという構想じたいがインチキだったのであるが、構想は実際に動き出していた。もうとどめようがない。だからせめて、乱歩のことであれ、名張の歴史のことであれ、最低限の知識を教えてやるからそのための場を設けるように、と事務局に要請した。後日、回答がもたらされた。
現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない。
これが、名張まちなか再生委員会としての正式な回答である。外部を完全にシャットアウトして、名張まちなか再生委員会だけで細川邸を好きなように私物化するという宣言である。ここまではっきりと協力の申し出を断られてしまったのである。いまになって、この期におよんで協力できる道理など、どこを探したってあるわけがない。
それにしても、いったいどこの誰が「現段階では乱歩にかんして外部の人間の話を聴く考えはない」などという断をくだしたのか、とお思いの向きもあるかもしれない。そのあたりの真実は、やなせ宿での講演会で明らかにすることになるのか、ならないのか。それはわからないのだが、ここはやはり、現段階では名張まちなか再生委員会にかんして内部の人間の悪行を暴露する考えはない、といっておいたほうが無難かもしれない。
しかしながら、これは去年の11月3日、コミュニティイベント隠街道市の記念行事のひとつとして、名張市総合福祉センターふれあいで名張の歴史をテーマに講演をおこなったときのことなのであるが、やはり魔が差したのであろうか、話の冒頭、名張まちなか再生プランはもうアウトである、細川邸は無茶苦茶なことになってしまう、誰が悪いのか、といったような話の流れになってしまって、さすがに実名は出さなかったものの、そこらの○○屋さんとか○○○○○屋さんとか、といったぐあいに職業というか商売というか、それを明示していささかを話しておいた。講演のあとで、話を聞いてくれた人から、
「あれいったい誰のことやねん。もう気になって気になって」
と尋ねられたから、やはり職種職業を明示するだけでは、聴衆に隔靴掻痒の感を与えてしまうのかもしれない。ならば実名を出すべきなのであろうか。なんとも悩ましい話であるが、やなせ宿でのいやがらせ講演会、なんだか魔が差しそうで胸騒ぎがしてくる。
そんなことはともかく、くだんの案内板である。桝田医院第二病棟跡地に建てられた「江戸川乱歩生誕地碑広場」の案内板には、去年の秋、名張市役所一階大会議室で示された図案がそのまま使用されていた。そのときには中学生がつくった壁新聞みたいだと感じられ、いまとなっては幼稚園児の切り貼り遊びみたいだとしか思えないしろものである。しかし、しかしふと気がつけば、この案内板のみにはとどまらず、昨今の名張市においては幼稚園児レベルとしかいいようのないものが、あちらこちらそこここに散見できるのではあるまいか。
幼稚園児のお遊び程度のことしかできない。それが名張市というところなのではないか。案内板設置ごっこ、観光交流施設整備ごっこ、まちなか再生事業ごっこ、委員会ごっこ、市議会ごっこ、行政ごっこ。いつまでレベルの低いお遊びをつづけていれば気がすむというのか。わっけわかんねーよなー名張市ってとこはよー。
名張市
毎日新聞:ミニシンポジウム:親たちが語る不登校 3人が経験談を話し訴え--名張 /三重
伊賀市
毎日新聞:事件・事故:治田川に軽油流出 /三重
読売新聞:三重・伊賀のフェスタ 大盛況(関西発)
中日新聞:釈迦の生涯鮮やかに 槙山の仏師服部さん、ふすま絵39面完成
三重県
毎日新聞:高校野球:春季東海地区県大会 開幕 宇治山田商、逃げ切る /三重
伊勢新聞:4球場で熱戦 春季高校野球県大会が開幕
毎日新聞:ミニシンポジウム:親たちが語る不登校 3人が経験談を話し訴え--名張 /三重
伊賀市
毎日新聞:事件・事故:治田川に軽油流出 /三重
読売新聞:三重・伊賀のフェスタ 大盛況(関西発)
中日新聞:釈迦の生涯鮮やかに 槙山の仏師服部さん、ふすま絵39面完成
三重県
毎日新聞:高校野球:春季東海地区県大会 開幕 宇治山田商、逃げ切る /三重
伊勢新聞:4球場で熱戦 春季高校野球県大会が開幕
『伊賀市史』の刊行がはじまる。全七巻が、平成27・2015年度までに上梓されるらしい。第一回配本は第四巻『資料編 古代・中世』。頒布価格5000円だが、刊行までに予約すれば4000円になるという。ソースはこちら。
ブックスアルデ:伊賀市史 全7巻 刊行開始です(4月10日)
と思っていたら、YOUでも報じられた。
伊賀タウン情報YOU:初の市史「古代・中世編」を6月発売 伊賀市(4月18日)
つづいて毎日新聞でも。
毎日新聞:伊賀市史:「第4巻」が完成 「古代・中世」史料1278点収録 /三重(4月19日)
伊賀市の公式サイトを検索してみると、たぶん平成18・2006年度にまとめられたものと思われるが、「市史編さん事業」の事務事業評価シートがひっかかってきた。
伊賀市公式サイト:伊賀市 事務事業評価シート(pdf)
適当に引用。
名張市にも、むろん市史発行の計画はある。財政難のせいで、刊行がのびのびになっているだけである。そんなことがいつか、新聞で報じられていた。ウェブサイト名張人外境を調べてみたら、平成18・2006年2月11日付毎日新聞の記事をひろってあった。
名張人外境:人外境主人伝言 2006年2月中旬
転載しておく。
この記事によれば、今年度から四年がかりで、全十一巻のうちの四巻が刊行されるらしい。もっとも、二年前の予定がいまも生きているのかどうか、それはわからない。
さて、お立ち会い。名張市における市史刊行の惨状をみるにつけても、納得が行かぬのは細川邸整備事業である。みたいなことを書きつけようと思っていたのだが、上の毎日の記事を引いたあとに似たようなことが書いてあった。それを転載しておく。
これはおととしの2月に記したものだが、そのときにはまだ細川邸を歴史資料館として整備する話が生きていた。名張まちなか再生委員会という名の密室のなかでは完全に死んでいたのだが、市民には何も知らされていなかった。細川邸を「(仮称)初瀬ものがたり交流館」として整備するというサプライズが公表されたのは、この年7月に発行された「広報なばり」の紙上においてである。したがって、この年2月の時点では、細川邸を歴史資料館として整備するという気のふれたような構想に、かくのごとくお茶目なツッコミを入れていた次第である。
伊賀市の事務事業評価には、「編さんの過程で収集した貴重な史資料の散逸を防ぎ、将来に設置を検討している郷土史料館で公開出来るよう、それらを整理し保管します」とある。まっとうな話である。資料の収集を地道に重ね、ある時点でそれを管理公開するための資料館をつくるというのは、ごく自然な流れというものである。だが、わが名張市の歴史資料館構想と来た日には、そこらの駅弁大学の御用学者の先生、それも工学部の先生をトップにいただき、その下に歴史のれの字もご存じないような区長会とかまちづくり推進協議会とか商工会議所とか青年会議所とか老人クラブ連合会とかPTA連合会とかいった団体から選抜されたみなさんがくつわを並べた名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手によって、何も調べず何も考えずひたすら適当にでっちあげられたものでしかなかった。
名張まちなか再生プランにおける歴史資料館構想は、名張市史編纂事業と手を携えたものではまったくない。たぶんそのはずである。名張市教育委員会との連携すらなかった。たぶんそのはずである。「市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」などとほざきながら、実際にどんな歴史資料が存在しているのかということさえ確認しようとせず、乱歩コーナーが開設されている市立図書館に足を運ぶことすらしないまま、うすらばかがごく適当に無根拠なうわごとを口走るようにしてでっちあげたプランでしかないのである。
それにだいたい、教育委員会も教育委員会ではないか。プラン策定の過程においては、手前どもは縦割り行政を死守しておりますので、とばかりにわれ関せずを貫いていたとしても、あの名張まちなか再生プランの素案が発表された時点では、いくらなんでもこれはまずいと気がついたであろう。細川邸を歴史資料館として整備するなんて構想が正式に決定してしまったら、あとあととんでもないことになるぞと気がついたであろう。気がついたのなら市長部局にいってやれよ、と思うのが一般的な感覚というものなのであるが、名張市教育委員会は、というかお役所のみなさんはそんなこと、絶対にいってやろうとしないのである。知らん顔してほっかむりなのである。どーしよーもねーなー腐れ公務員ども。越えることのできない縦割りの壁の前にたたずんで、しみじみ立ち小便でも垂れてなさい。
ま、いいであろう。名張市教育委員会にかんしては、桝田医院第二病棟跡地に建てられた案内板の件で、名張市と並び叩いてやる所存である。きょうはこの程度にしておこう。
ついでだから、名張市考査委員会による事務事業評価報告書もみておく。昨年10月に公表されたものである。
名張市公式サイト:名張市事務事業評価報告書(pdf)
「市史編さん事業」から引用。
なんかもう、なさけなくて絶句してしまうではないか。事業の進捗状況もひどいものだが、この評価もまたひどい。市史を刊行するために協賛金を集めるのかよ。マーケティング戦略が必要かよ。こんなところにまで市場原理をのさばらせる気なのかよ。伊賀市の事務事業評価シートを読んでみろ。
「市史の編さん事業は非常に地味な事業で効率性に改善の余地が残りますが、完成の暁には伊賀市の歴史のバイブルとなって、市民のふるさと学習や郷土史研究、市内外の研究者に必ず役立つものとなり、将来の伊賀市政発展の羅針盤となる事が期待できるものといえます」
市史を刊行することの意義や必要性が、あるいは、歴史認識や歴史意識というものの意味や重要性が、名張市にはかけらほども理解できておらぬのではないか。というか、理解できておらぬからこそ、細川邸を歴史資料館にいたします、と軽佻浮薄を絵に描いたわけである。で、細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館にいたしました、と朝令暮改を絵に描いてしまったわけである。いいだけ涙目になっておるがよかろう。
ブックスアルデ:伊賀市史 全7巻 刊行開始です(4月10日)
と思っていたら、YOUでも報じられた。
伊賀タウン情報YOU:初の市史「古代・中世編」を6月発売 伊賀市(4月18日)
つづいて毎日新聞でも。
毎日新聞:伊賀市史:「第4巻」が完成 「古代・中世」史料1278点収録 /三重(4月19日)
伊賀市の公式サイトを検索してみると、たぶん平成18・2006年度にまとめられたものと思われるが、「市史編さん事業」の事務事業評価シートがひっかかってきた。
伊賀市公式サイト:伊賀市 事務事業評価シート(pdf)
適当に引用。
事業の目的
対象等(何を、誰を) ふるさと学習や郷土史研究をはじめとする伊賀市の歴史に興味をもつ市民全般(児童から大人まで)並びに市内外の研究機関・事業所・寺社等です。 成果(どうなるのか) 古代から、日本の歴史そのものを構築する重要な一部分を占める本市の、歴史的な発展の歩みを史資料をもとに明らかにし、郷土に対する関心と正しい理解を深め、愛情と誇りを一層高めるとともに、本市の一体性の醸成に役立てます。また、編さんの過程で収集した貴重な史資料の散逸を防ぎ、将来に設置を検討している郷土史料館で公開出来るよう、それらを整理し保管します。 事業開始時からの状況変化及び事業の改善点等 伊賀地域の自治体史は、旧上野市を除く旧町村史が昭和54年から58年にかけて作られました。旧上野市史は昭和36年に作られましたが、内容に乏しい概略版となっていた事と、今となっては陳腐化が進んだため、上野市制50周年記念事業として平成3年から新たな上野市史の編さんに着手しました。平成13年度から16年度にかけて上野市史民俗編・芭蕉編・文化財編・自然編・考古編が刊行されて、今回の市町村合併を迎えました。上野市史に残された歴史編を、合併を機に伊賀市史と名前を変え市域を拡大して編さんを継続しています。市民の協力により新たな史料が発見されると、史料の調査・整理・写真撮影・目録作成・翻刻・カード化・解説執筆と多くの作業が発生します。伊賀市史では、伊賀市歴史研究会に編さんの業務委託をお願いし同研究会と連携しながら事業を推進していますが、同研究会も人手不足である事と正規職員が2名しかいないので、事務事業の主たる目標である市史の発刊を刊行計画どおりに進める為には、日本史知識をもつ正規職員を増員する事が必要となります。差し当たり臨時職員を雇用し係の庶務に当らせ、正規職員2名を編さん業務に専念させる事で改善を図ります。 評価 伊賀という地域は古代日本の歴史にも登場する重要な地域であって、現在でも文献や文化的な遺産にその発展の経緯を見る事ができます。市史の編さん事業は非常に地味な事業で効率性に改善の余地が残りますが、完成の暁には伊賀市の歴史のバイブルとなって、市民のふるさと学習や郷土史研究、市内外の研究者に必ず役立つものとなり、将来の伊賀市政発展の羅針盤となる事が期待できるものといえます。市史刊行計画に沿った発刊を引き続き推進します。 総合評価 A |
名張市にも、むろん市史発行の計画はある。財政難のせいで、刊行がのびのびになっているだけである。そんなことがいつか、新聞で報じられていた。ウェブサイト名張人外境を調べてみたら、平成18・2006年2月11日付毎日新聞の記事をひろってあった。
名張人外境:人外境主人伝言 2006年2月中旬
転載しておく。
名張市:最新の成果など報告 「名張市史だより」発行--編さん室 /三重
□名張市市史編さん室は、市史編さんの進ちょく状況や研究成果を知らせる「名張市史だより」第1号(A4判、6ページ)を発行した。市史(全11巻)は当初、今年度から順次発刊する予定だったが、財政難のため延期し08年度からになっている。市民からは「いつになるのか」といった問い合わせもあるため、まずは市史だよりで知らせることにした。 □市は97年に市史編さん室を、02年には有識者らで「編さん委員会」を組織し、本格的に史料収集を始めた。だが財政難で、十分な職員配置も、発刊する予算もなく、先延ばしされている。現在の予定は「08~11年度に毎年1巻ずつ発刊し、残り7巻は未定」という。 毎日新聞 MSN-Mainichi INTERACTIVE 2006/02/11
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この記事によれば、今年度から四年がかりで、全十一巻のうちの四巻が刊行されるらしい。もっとも、二年前の予定がいまも生きているのかどうか、それはわからない。
さて、お立ち会い。名張市における市史刊行の惨状をみるにつけても、納得が行かぬのは細川邸整備事業である。みたいなことを書きつけようと思っていたのだが、上の毎日の記事を引いたあとに似たようなことが書いてあった。それを転載しておく。
●2月12日(日)
□いやどうもお恥ずかしい。以前からお伝えしておりますとおり名張市には全然お金がなく、 □──名張市にはお金がありませんので乱歩の著作や関連文献などのデータをネット上で公開することができません。 □といったなさけないありさまなのですが、市史の刊行が先送りになっていたとは知りませんでした。財政難のせいで職員も満足に配置できず、発刊する予算も捻出できない。こんな状態ですからネット上の幻影城たる「江戸川乱歩アーカイブ」の実現など夢のまた夢というしかありません。しかし、それはいい。それはいいんです。市史のことにしても、 □──名張市にはお金がありませんので全十一巻の市史を刊行することができません。 □というのであれば、それじたいは致し方のないところでしょう。 □しかし、 □しかーし、 □しかーしそうであるならば、 □リフォーム詐欺にすぎぬ歴史資料館の整備にだってびた一文も出せる道理はないであろう。 □むろん名張市役所の内部には名物のいいわけがいくらでも転がっていることでしょうけれど、はたしてそんなものが市民に通用するのかな。市民の眼にいまや明らかに映じているのは、1997年以来準備を重ねてきた市史全十一巻が刊行されるにいたらず、いっぽうではただの思いつきでプランニングされた歴史資料館が整備されるというにわかには信じがたい事実である。同じく歴史を扱いながら、必要な事業には金を出さず、不必要な事業に予算をつけようとする。予算の出どころがどうの担当セクションがこうのというのはお役所の内部でしか通用しないいいわけであって、市民の眼には名張市の歴史関連事業におけるバランス感覚の決定的な欠如がくっきりと映じているはずです。 □市史も出せない自治体がインチキ歴史資料館を整備する。こんな世迷い言を飽きもせずに並べ立てておっては、名張市はほんとに嗤われてしまうことでしょう。悪いこたいわない。整備構想を白紙に戻してしまいましょう。それがいちばん。 |
これはおととしの2月に記したものだが、そのときにはまだ細川邸を歴史資料館として整備する話が生きていた。名張まちなか再生委員会という名の密室のなかでは完全に死んでいたのだが、市民には何も知らされていなかった。細川邸を「(仮称)初瀬ものがたり交流館」として整備するというサプライズが公表されたのは、この年7月に発行された「広報なばり」の紙上においてである。したがって、この年2月の時点では、細川邸を歴史資料館として整備するという気のふれたような構想に、かくのごとくお茶目なツッコミを入れていた次第である。
伊賀市の事務事業評価には、「編さんの過程で収集した貴重な史資料の散逸を防ぎ、将来に設置を検討している郷土史料館で公開出来るよう、それらを整理し保管します」とある。まっとうな話である。資料の収集を地道に重ね、ある時点でそれを管理公開するための資料館をつくるというのは、ごく自然な流れというものである。だが、わが名張市の歴史資料館構想と来た日には、そこらの駅弁大学の御用学者の先生、それも工学部の先生をトップにいただき、その下に歴史のれの字もご存じないような区長会とかまちづくり推進協議会とか商工会議所とか青年会議所とか老人クラブ連合会とかPTA連合会とかいった団体から選抜されたみなさんがくつわを並べた名張地区既成市街地再生計画策定委員会の手によって、何も調べず何も考えずひたすら適当にでっちあげられたものでしかなかった。
名張まちなか再生プランにおける歴史資料館構想は、名張市史編纂事業と手を携えたものではまったくない。たぶんそのはずである。名張市教育委員会との連携すらなかった。たぶんそのはずである。「市民に何ども足を運んでもらえる歴史資料館とするために、江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」などとほざきながら、実際にどんな歴史資料が存在しているのかということさえ確認しようとせず、乱歩コーナーが開設されている市立図書館に足を運ぶことすらしないまま、うすらばかがごく適当に無根拠なうわごとを口走るようにしてでっちあげたプランでしかないのである。
それにだいたい、教育委員会も教育委員会ではないか。プラン策定の過程においては、手前どもは縦割り行政を死守しておりますので、とばかりにわれ関せずを貫いていたとしても、あの名張まちなか再生プランの素案が発表された時点では、いくらなんでもこれはまずいと気がついたであろう。細川邸を歴史資料館として整備するなんて構想が正式に決定してしまったら、あとあととんでもないことになるぞと気がついたであろう。気がついたのなら市長部局にいってやれよ、と思うのが一般的な感覚というものなのであるが、名張市教育委員会は、というかお役所のみなさんはそんなこと、絶対にいってやろうとしないのである。知らん顔してほっかむりなのである。どーしよーもねーなー腐れ公務員ども。越えることのできない縦割りの壁の前にたたずんで、しみじみ立ち小便でも垂れてなさい。
ま、いいであろう。名張市教育委員会にかんしては、桝田医院第二病棟跡地に建てられた案内板の件で、名張市と並び叩いてやる所存である。きょうはこの程度にしておこう。
ついでだから、名張市考査委員会による事務事業評価報告書もみておく。昨年10月に公表されたものである。
名張市公式サイト:名張市事務事業評価報告書(pdf)
「市史編さん事業」から引用。
総合評価
継続(事務改善) 主な意見 ・安易な期間延長はすべきではない。 ・財源確保のため、協賛金等の工夫が必要である。 ・販売収入を得るためのマーケティング戦略が必要である。 |
なんかもう、なさけなくて絶句してしまうではないか。事業の進捗状況もひどいものだが、この評価もまたひどい。市史を刊行するために協賛金を集めるのかよ。マーケティング戦略が必要かよ。こんなところにまで市場原理をのさばらせる気なのかよ。伊賀市の事務事業評価シートを読んでみろ。
「市史の編さん事業は非常に地味な事業で効率性に改善の余地が残りますが、完成の暁には伊賀市の歴史のバイブルとなって、市民のふるさと学習や郷土史研究、市内外の研究者に必ず役立つものとなり、将来の伊賀市政発展の羅針盤となる事が期待できるものといえます」
市史を刊行することの意義や必要性が、あるいは、歴史認識や歴史意識というものの意味や重要性が、名張市にはかけらほども理解できておらぬのではないか。というか、理解できておらぬからこそ、細川邸を歴史資料館にいたします、と軽佻浮薄を絵に描いたわけである。で、細川邸は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館にいたしました、と朝令暮改を絵に描いてしまったわけである。いいだけ涙目になっておるがよかろう。