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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのぶん。

名張市
毎日新聞:防災訓練:ずきんかぶり、さぁ避難 地震想定し名張小で /三重
毎日新聞:さつまいも植え:参加者50人募集 赤目滝散策も--名張のNPO・24日 /三重

伊賀市
朝日新聞:紫色の八重の花
産経新聞:“くノ一”夢を語る 女子サッカー選手が「夢先生」に 伊賀・上野西小
産経新聞:市民の声をまちづくりに 上野JCがアンケート 三重・伊賀市
毎日新聞:夢の教室:伊賀FCくノ一・吉泉、宮本両選手が出前授業--上野西小6年3組 /三重
毎日新聞:上野JC:50年記念 まちづくりの参考に、5000人アンケ開始--伊賀 /三重
毎日新聞:川上ダム:知事「委員長のやりすぎ」 淀川水系流域委を批判--計画意見書で /三重
毎日新聞:女子4選手が特別指定選手 日本サッカー協会(スポーツ)
中日新聞:「夢の達成に近道なし」 FCくノ一選手らが特別授業
伊勢新聞:川上ダム不要意見書 知事が流域委を批判
伊勢新聞:「くノ一」選手が授業 夢を持つ大切さ説く 上野西小
スポーツニッポン:女子4選手が特別指定選手
デイリースポーツ:女子4選手が特別指定選手に
日刊スポーツ:日体大・有吉ら女子4選手が特別指定選手

伊賀地域
毎日新聞:火災警報器:住宅全戸に設置義務 来月1日から、消防法改正で /三重
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小春ちゃんの写真を、という熱狂的なご要望にお応えして、とりいそぎ三枚。

まずは、ごく一般的な肖像写真。せいいっぱい、おすましをしている。

20080521a.jpg

つづいて、うしろ脚で立ったとき。胴は夜のように長く、脚は白昼のように短い。

20080521b.jpg

最後は、ややおまぬけな表情。加藤泰ばりのローアングルなれど、ちょいあとピン。

20080521c.jpg

本日は以上である。
NHK津放送局の「ほっとイブニングみえ」といえば、毎週月曜から金曜の午後6時30分から7時まで放送されている帯番組であるが、きょう21日は津市のスタジオからではなく、「ほっとイブニング・キャラバン」として伊賀市のさるびの温泉から中継される。

NHK津放送局:ほっとイブニングみえ

番組には、名張市在住のナチュラリスト武田恵世さんによる伊賀のブナ林の紹介が、約六分間にわたって盛りこまれるという。ぜひ視聴したいと思う。まだ完全には酔っ払ってない時間だし。
2ちゃんねるニュー速+板にきのう、またしても名張市関連のスレが立った。

ちなみに、このスレはすでにdat落ち。

ニュース速報+@2ch掲示板(魔物):【三重】中2生徒を遊びに誘ったが断られ立腹、教室に乗り込むも教諭らに制止され憤激 教諭を殴る 中3男子生徒を逮捕

新たに立てられたのがこれである。

ニュース速報+@2ch掲示板(魔物):【三重】中3男子、同級生の女子生徒の首を絞めて壁に打ち付け負傷させる 「髪を結んで」と頼み断られたので腹を立てる

ニュースとしては珍しくもなんともないのだが、名張市内のおなじ中学校で警察沙汰になる暴力事件が二件連続して発生したのだから、合わせ技というやつか、前回の事件よりはスレの伸びもやや良好なようである。といったって、どうせすぐまたdat落ちしてしまうのであるが。
念のため、辞書へのリンク

大辞泉:序破急

語釈のトップに「雅楽で、楽曲を構成する三つの楽章」とあることから察しをつけると、序破急というのは雅楽から出たことばであるらしい。能の世界でもつかわれるが、それは観阿弥の子、世阿弥が著した能の理論書「風姿花伝」に、この序破急なることばが使用されているからだと思われる。能の世界における序破急の、いうならば淵源が「風姿花伝」なのである。

この「風姿花伝」には問答集、つまりQ&Aコーナーみたいなパートがあって、その問いのひとつに、「能に、序破急をば、何とか定むべきや」というのがある。能においては、序破急ということを、どんなふうに決めればいいのでしょうか、といった意味である。すでに確立されていた序破急という構成原理を、能の世界ではどのように考えればいいのか、ということである。つまり序破急は、けっして能楽独自のものではなく、世阿弥の独創ということでもさらさらない。

おなじく三つの要素による構成を示すことばに、守破離というのがある。序破急にくらべて、あまり一般的ではない。ネット版大辞泉にも掲載されていない。そこで、小学館の精選版日本国語大辞典を引いてみる。「しゅばつ」のあとには「シュバリエ」がつづいていて、「しゅはり」という項目は立てられていない。ならば、と三巻本の精選版ではない十巻本のほうを引いてみる。「じゅばつ」「しゅはなお」につづいて、ちゃんと「しゅはり」が登場する。

引用。

   
しゅ-は-り【守破離】[名]剣道や茶道で、修業上の段階を示したもの。守は、型、技を確実に身につける段階、破は、発展する段階、離は、独自の新しいものを確立する段階。*茶話抄「守破離といふ事軍法用、尤用方間違ひ候へ共、茶道に取て申候はば、守は下手〈略〉破は上手〈略〉離は名人」

守破離というのは、たぶん能楽には関係のないことばであろう。もとより「風姿花伝」にはみられないことばで、世阿弥が使用していたとも考えられない。三つの要素によるコンポジションというかコンストラクションというか、構成法、構成原理、構成概念、そういったものを表現することばとしてまず序破急があり、あとになって守破離ということばが生まれたのだが、やがて両者が混同されて、守破離のルーツは能であり世阿弥であり「風姿花伝」であるといった誤認が生じるにいたったのではないかと推測される。

名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月

このページに「能の世界に、『守破離(しゅはり)』という言葉がございます。原典については諸説あるようでございますが、一説では名張市とも深いかかわりがある能楽の大成者である観阿弥の子、世阿弥が遺した「風姿花伝(ふうしかでん)」に由来すると云われています。『守破離(しゅはり)』という言葉の「守」は師の教えを守る、「破」は自分の殻を破る、「離」はもっと先へ進んで従来の世界から離れ、新しい世界を創造するという意味でございます」とあるのも、そういった混同や誤認のひとつであるというべきだろう。

もともとは剣道や茶道、あるいは軍法といった世界でもちいられるようになったらしいことばを、名張が観阿弥ゆかりの地であることからやや強引に能と結びつけてみました、といった観が否めない。むりやり感が漂っているし、とってつけた感も否定できない。こういったむりやり感やとってつけた感があるかぎり、人の心に届く文章にはならないだろう。それにそもそも、能楽や観阿弥、あるいは世阿弥に興味をもっている人がこれを読んだら、おそらくは鼻白んでしまうことであろう。引いてしまうことであろう。そんな人にむかって、名張市はふるさと納税の寄付でもって能楽振興をはかります、などといっても笑われてしまうだけではないのか。

さてそれで、なんの話かというと、序と破と急の三回で終わるはずだったシリーズが、急を終えてもまだ終わらない、という話である。急のあとを何にするかと悩んだすえ、名張市の施政方針に鑑みて、守破離を踏襲することとした。きょうは急を受けての守である。すなわち、序破急三連投のあとは守破離三連投のシリーズとなる。あわせて六連投。鉄腕とお呼びいただきたい。

ではここで、観阿弥と乱歩の二枚看板、Googleを利用して比較してみる。

Google:観阿弥
Google:江戸川乱歩

ひっかかってきたのは、観阿弥が約2万3200件、江戸川乱歩が約72万6000件。といったようなことを試みるまでもなく、ポピュラリティにおいて乱歩が観阿弥を圧倒しているのは誰にだってわかる道理であろう。当代の日本人にとって、どちらがより親しい存在なのか。あえて尋ねるまでもない。名張市の看板として利用するのであれば、観阿弥よりは乱歩のほうが有効だということになる。

にもかかわらず名張市は、観阿弥と乱歩という二枚看板のうち、観阿弥にちなんだ能楽振興はそのままにして、乱歩顕彰とやらには知らん顔を決めこむことにしたらしい。乱歩が生まれた新町に一億円をかけて公共施設を整備しても、それを乱歩と関連づけようとはしない。

いやいや、5月10日と11日に催された見学会では、やなせ宿にも乱歩の年譜や写真が掲示されていたらしい。アドバンスコープの公式サイトで、その画像をみることができる。

アドバンスコープ:旬の映像 名張市旧細川邸「やなせ宿」来月オープンを前に内覧会(wmv)

些細なことにこだわるようだが、このニュース動画では、やなせ宿が「やなせしゅく」と発音されている。どうも気になる。こういった場合は当然、いわゆる連濁となって、「やなせじゅく」と読まれるべきだろう。「妻」は「つま」だが、「新妻」は「にいづま」である。「髪」は「かみ」だが、「乱れ髪」は「みだれがみ」である。そうか、新妻の乱れ髪か、ゆうべも乱れたのか、などと朝っぱらからよけいなことは考えなくてもいいのだが、とにかく「新宿」は「しんじゅく」であり「原宿」は「はらじゅく」なのである。それをどうして、ここ名張市では、「やなせ宿」をあえて濁らずに「やなせしゅく」と読ませるのか。どうにも意図がわからない。ま、やなせ宿にかんしてはわからないことだらけなのであるけれど。

さて、そのやなせ宿である。やなせ宿に乱歩のパネルが掲示されているからといって、それはただそれだけの話である。名張市立図書館の乱歩コーナーにあったパネルをちょっと移動してみました、というだけの話である。例によって例のごとき切り貼りにすぎない。まさかこの程度のことで、やなせ宿は乱歩顕彰に取り組んでおります、などと吹聴してまわるばかはさすがにいないだろうと思われるのだが、しかしなにしろ目先のこと、うわっつらのことしかわからない人間ばかりなのである。実際にどうなるのかは想像がつかないし、予断を許さない。

あすにつづく。守のあとは破である。
きのうのぶん。

名張市
産経新聞:電線39本盗まれる 三重・名張の建築現場
産経新聞:三重・名張市立中でまた傷害事件、3年男子生徒逮捕 市教委が謝罪会見
毎日新聞:ご近所のお医者さん:/14 「子どもは未来」信じ治療を=稲持英樹さん /三重
毎日新聞:事件・事故24時:名張で電線盗 /三重
毎日新聞:名張市健康づくり推進協:市長が8委員に委嘱状 健康増進策の助言を /三重
毎日新聞:傷害:同級の女子生徒殴る 中3男子、容疑で逮捕--名張署 /三重
毎日新聞:奈良・桜井の社長殺害:発生1週間 凶器など未発見 /三重
毎日新聞:赤目四十八滝渓谷:大型連休中の観光客数1万6000人 前年比14%増える /三重

伊賀市
朝日新聞:夢のゴールへ努力!!
朝日新聞:クラウス号 堂々の優勝
毎日新聞:日本チャンピオン決定審査会:タイガー優勝 やっと日本一に--警察犬協会 /三重
毎日新聞:事件・事故24時:名阪国道で重体事故 /三重
中日新聞:愛犬クラウス号、日本一だワン! 全国審査会
伊勢新聞:7月からレジ袋有料化 啓発ポスター作製
日経ネット九州版:車関連の有力企業、地場と共同出資で進出

伊賀地域
産経新聞:観光客の満足度大幅減 三重県が19年度の観光客実態調査まとめ
中日新聞:県内への観光客3397万人 お木曳行事などで増加
マイコミジャーナル:「ICOCA」、7月より近畿エリアのミニストップ全店で利用可能に
「観阿弥vs乱歩」は、序破急の急のあとに何をつづければいいのかを思いつかぬゆえ、あすに延期する。

さて、週が明けて、さらに一日が過ぎた。名張市役所からはまだ、回答のメールが届かない。だから催促した。

市街地整備室には、こんな感じ。件名は「やなせ宿におけるいやがらせ問題について」。

   
おはようございます。先日来、しつこくお訊きして心苦しいかぎりなのですが、お答えはまだいただけませんか。

あるいは、5月13日付メールに「去る5月9日に申し込みの方法と、いやがらせと銘打った講座の使用についてお断りすることについて返信したつもりですが」と記してくださってあったことから考えますに、じつはすでにお答えのメールをお送りいただいているにもかかわらず、当方のメールソフトがそれをスパムメールと判断し、勝手に処理してしまったという可能性も否定できません。とはいえ、私が使用しているメールソフトに、おなじ発信者から届いたメールの一通目が×、二通目が○で、三通目がまた×、などといった器用な選別ができるものかどうか。いやいや、そんなことはまあどうだってかまいません。とにかく、早くお答えをいただきませんことには、やなせ宿利用の準備にいつまでも着手できません。

やなせ宿の利用予定はつぎのとおりです。

名張まちなかに陽が昇る──やなせ宿開設記念おめでとう連続講座
・第一週「名張の歴史を語る」=6月14日を予定
・第二週「やなせ宿を語る」=6月21日を予定
・第三週「江戸川乱歩を語る」=6月28日を予定
・第四週「まちなかのあすを語る」=7月5日を予定

それから、申し遅れましたが、お送りしてあります質問のうち、やなせ宿利用申請の詳細につきましては、「名張市旧細川邸『やなせ宿』使用の手引き(内覧会用)」のコピーを入手いたしました。また、歴史資料館として整備されるはずだった細川邸がどうして観光交流施設のやなせ宿になったのか、という件につきましては、名張市公式サイトの「市長への手紙」を利用して、市長に直接お訊きしております。したがいまして、勝手なことばかり申しあげて恐縮なのですが、これら二点はご放念いただければと思います。

それで、お答えいただきたい質問というのは、要するに、13日付メールで「いやがらせのための施設利用は許可いたしかねます」とのお知らせをいただきましたので、当方はいやがらせなどいたしませんとお伝えした次第で、ですから私がやなせ宿を利用することにはなんの問題もないはずなのですが、ご判断はいかがなものでしょうか、といったことです。ごく簡単な質問であるにもかかわらず、どうしてご回答を頂戴できないのでしょうか。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

つづいて、名張市公式サイト「市長への手紙」には、こんな感じ。件名は「ふたたびやなせ宿について」。送信IDは20080520081947465とのことであった。

   
5月15日に、つぎの質問をお送りしました。

・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

どうも困ったものである。この程度の質問に回答がいただけないというのは、じつに困ったものである。先日も記したとおり、近くこの「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? みたいなことを明確にしてゆきたいなと考えているのだが、梨のつぶてでは困ってしまうではないか。催促するだけで疲れてしまう。
新規開設サイトのお知らせ。先日通知が届いたのだが、うっかりしていて、告知するのがきょうになってしまった。

現代アート販売:Buy Art

村上隆さんのフィギュアが十六億円で売れてしまったりしている現代アートに興味をおもちのかたや、とくにアーティストのかたに、そこはかとなくおすすめする。
念のため、辞書へのリンク。

大辞泉:序破急

さて、観阿弥と乱歩。名張市が掲げるこの二枚看板のうち、観阿弥のほうは、ふるさと納税による寄付でもって能楽振興をはかります、といった方向性が示されて、前途洋々たるものがある。ところが乱歩は、なんだかどこかへ消えてしまったような印象である。桝田医院第二病棟跡はただの広場になってしまうだけだし、乱歩が生まれた新町にあるやなせ宿は、乱歩とはまるで無縁の、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館でしかない。むろん、名張市によって乱歩顕彰とやらの方向性が示されることも、みごとなほどにいっさいない。

どうしてこんなことになったのか、という点の考察は他日にゆずることにして、観阿弥vs乱歩、というテーマに沿って比較を試みる。いうまでもなく、名張市の看板としての比較である。

まず、辞書へのリンク。

大辞泉:観阿弥
大辞泉:江戸川乱歩

どちらの語釈にも、名張という地名は出てこない。地名ということでいえば、前者は「伊賀の人」、後者は「三重の生まれ」と、それぞれの出身地が記されているのみである。ただし、観阿弥が伊賀の人であるというのは、かつての通説ではあったとしても、現在ではやや乱暴な断定であるというべきだろう。

さらに、辞書へのリンク、と行きたいところだが、有償サイトに掲載されている辞書なので、直接ごらんいただくことができない。一部を引用する。

Japan Knowledge:日本大百科全書

   
観阿弥
かんあみ
 [1333—84]
南北朝時代の能役者、能作者。観世(かんぜ)流の初代大夫(たゆう)。実名結崎清次(ゆうざききよつぐ)、通称三郎、芸名観世。大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ、のちに結崎座(観世座)を創立する。1374年(文中3・応安7)初めて京都に進出し、12歳の長男世阿弥(ぜあみ)とともに今熊野(いまくまの)で演じた新しい芸能は、青年将軍足利義満(あしかがよしみつ)の心をとらえた。

項目執筆は増田正造さん。「大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ」と記されていて、観阿弥伊賀出生説は否定されている。

Japan Knowledge:日本人名大辞典

   
観阿弥
かんあみ
1333‐1384
南北朝時代の能役者,能作者。
世阿弥(観世元清)の父。観世流の初代大夫(たゆう)。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる。結崎(ゆうざき)座(のち観世座)をひきい,京都に進出。応安7=文中3年(1374)ごろ今熊野で演じた猿楽を契機に将軍足利義満の後援をうけ,一座の基礎をきずく。

この辞書もまた、「大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる」として、観阿弥伊賀出生説を一蹴している。

観阿弥の出自については、こちらのネット版辞書でややくわしいところを読むことができる。

Wikipedia:観阿弥 観阿弥の出自

要するに、観阿弥の出自はよくわからない、はっきりしていない、諸説あっていずれとも断定しがたい、ということである。

ところで、名張市が能楽振興とやらに入れあげているのは、観阿弥の出身地が伊賀かもしれないということが理由なのではない。観阿弥が名張で猿楽の座を創立した、というのがその理由である。典拠は、観阿弥の子、世阿弥の芸談を筆録した「世子六十以後申楽談儀」、俗に申楽談儀と呼ばれる能楽の理論書である。

関連箇所を引用。底本は新潮日本古典集成『世阿弥芸術論集』。

   
この座の翁は弥勒打なり。伊賀小波多にて、座を建て初められし時、伊賀にて尋ね出だし奉つし面なり。

大意はこうなる。この座、つまり観阿弥がおこした観世座が所有している翁の面は、弥勒という名前の面打ち、つまり能面作家がつくったものである。この面は、伊賀小波多、つまり現在の名張市上小波田あるいは下小波田で、はじめて座を建てたとき、といっても劇場を建設したということではなく、猿楽の一座を旗揚げしたということなのであるが、そのとき、伊賀でみつけだしてきた面である。

ここにはっきりと、名張の小波田ではじめて座を建てた、と記されている。だから名張市は観阿弥創座の地であり、ぜひとも能楽振興をはかりたい、という話の流れになるわけであるが、それってほんとかよ、という話だってある。というか、そっちの話のほうが主流である。

げんに、『世阿弥芸術論集』の頭註には、「伊賀小波多にて」ではじまる文章にかんして、こう記されている。

   
三重県名張市小波田。「伊賀小波多にて」は、「座を建て初められし」にかかるのでなく、「伊賀にて」と重複はするが、「尋ね出だし」にかかるとする説もあって注目される。

要するに、小波田は単に翁の面を手に入れた場所であって、観阿弥がはじめて座を建てた場所ではない、とする説もあるということである。申楽談儀はいわゆる口述筆記だから、修飾関係が錯綜することも皆無ではなかっただろう。そして現在では、そちらの説のほうがむしろ有力なのである。

平凡社の日本史大事典から引用。

   
観阿弥 かんあみ
一三三三−八四(元弘三−至徳元/元中元・五・十九)
南北朝時代の能役者、能作者。「かんなみ」とも呼ぶ。通称観世三郎。名は清次。法名宗音。猿楽座の創立について、伊賀国伊賀郡小波多とする説と大和国城下郡結崎とする説があるが、現在は後者が有力。

まあそういったことである。ちなみに当方も、観阿弥がはじめて座を建てたのは、伊賀ではなくて大和の結崎であろうと考えている。当方の考えなどはどうでもいいとしても、どうでもよくないのは、観阿弥創座の地として能楽振興をはかります、という名張市のお題目は、その根拠があまりしっかりしていないということである。だが、もちろんそれだってかまわない。名張市が観阿弥ゆかりの地として、能楽振興を真剣に考えているというのであれば、それはそれで結構なことである。

だが、それならば、名張市公式サイトにあるこのページはどうよ。

名張市公式サイト:観阿弥

これはちょっとまずいであろう。人が歴史にむきあうにさいして、まず要求されるのは公正であり公平であろうとすることである。だがこのページには、そうした姿勢はみじんも感じられない。観阿弥は名張ではじめて座を建てました、とする無批判な思い込みしかここにはない。能楽や観阿弥に興味をもっている人がこのページを読んだとしたら、おそらく辟易してしまうのではないか。郷土びいき一辺倒にこりかたまっている田舎者のかたくなさなど、人をして鼻白ませるものでしかないのである。

もっとも、ここ名張市では何から何まで、などと一般化するのは危険であるとしても、少なくともやなせ宿にかんしていえば、公正さや公平さを完全に無視して話が進められてきた。ジャスティスやフェアネスはいいように踏みにじられてきた。いまも踏みにじられつづけている。だから観阿弥にかんする歴史資料にむきあうにしても、公正や公平なんて重んじなくたっていっこうにかまわない、ということなのか。それが名張市というところなのか。

ま、好きにしろばーか、というしかないことではあるけれど、そんな自治体がいくら能楽振興を叫んでも、それならばふるさと納税制度を利用して些少ながらも寄付いたしましょうと、そんなこといってくれる人なんかどこを探したっていないのではないか。それにだいたい、能楽振興というお題目を掲げただけではどうにもならない。そんなものはごくごく適当な選挙の公約のようなものでしかない。能楽振興のためにいったい何をするのか、具体的なところをきっちりと示さないことには、市民の理解や共感はかけらほども得られぬことであろう。

しかし、ちょっと困ったな。観阿弥vs乱歩、というテーマのうち、観阿弥について記しただけで時間がなくなってしまったではないか。

あすにつづく。しかしそれにしても、ほんとに困ったな。序破急の急のあとは、いったい何にすればいいのかしら。

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