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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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小学館のグラフ雑誌「週刊戦乱の日本史」は、5月27日発行の第16号が「伊賀忍者影の戦い」。定価580円。新説が売りもののシリーズらしいが、これといって目新しい知見は得られなかった。

伊賀忍者の特集だから、地域的には名張市も対象エリアに入るのだが、お株は伊賀市に奪われている観がある。天正伊賀の乱で赤目の柏原城が伊賀勢の最後の拠点となったエピソードが記され、柏原城址の写真が掲載されているのと、天正みだれ太鼓が写真入りで紹介されているのが眼につく程度である。

奥付ページに「戦乱の日本史誌上検定」の「伊賀編」というのがあって、全五問中わずかにひとつだけが、名張に関係のある設問となっている。こんなあんばい。

   
5 伊賀にある町で、飛鳥時代から「隠」と表記されていたのはどこでしょう?

(1)名張 (2)上野 (3)柘植 (4)赤目

おちょくられているような気がする。
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名張まちなか再生委員会の新しい委員長として、ひとこと申し述べる。

まず最初に、名張まちなか再生委員会は無能力であったという事実を確認しておきたい。多言は要すまい。委員会発足から三年が経過したいま、やなせ宿の現状をみるだけで、この委員会がいかに無能力であったかは歴然としている。組織そのものが機能不全をきたし、膠着状態におちいっていることも、委員各位には自明の事実であろう。こうした隠しようのない事実に立って判断するならば、名張まちなか再生委員会には即刻解散することが求められる。ほかにはどんな道も残されていない。

ただし、解散のまえに、名張市に要求すべきことがある。みずからの失敗を素直に認め、主体性を発揮して善後策を講じることである。衆目にも明らかな名張まちなか再生委員会の蹉跌は、そのまま名張市の失敗でもある。まちなか再生を進めるにあたって名張市が採用した事業モデルは、すでに決定的に破綻している。名張まちなか再生プラン策定以前の段階に立ち戻り、新たな事業プラン、新たな事業モデルを提示することが、名張市に課せられた喫緊の責務である。

名張まちなか再生プランは、破綻にいたるしかない愚劣で空疎なプランであった。それを策定するために組織された名張地区既成市街地再生計画策定委員会も、それを具体化するために発足した名張まちなか再生委員会も、期待された成果を残すことはまったくできなかった。こうした帰結は、いうまでもなく、名張市の判断の誤りによってもたらされている。これまでにもたびたび指摘してきたことだが、昨年、住民監査請求の参考資料として提出した「僕の住民監査請求」から引いておく。

   
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」

主体性の放棄をつづけてきた名張市にたいして、名張まちなか再生委員会は主体性の回復を要求する。具体的には、行政の主体的判断として、名張まちなか再生プランを正式に破棄し、庁舎内部における部局横断的な協議によって、まちなか再生にかんする新たなデッサンを提示することを求める。デッサンの作成手法は名張市の自主性にゆだねるが、こちらにもメソッドの用意はある。希望があればいつでも提供することができる。名張まちなか再生委員会の委員長として、庁舎内部における協議のとりまとめを引き受ける用意もある。

とはいえ、名張市にたいして、首尾一貫した成案の作成を要請しているわけではない。成案以前に、名張まちなかの現状を直視すること、そこに残された可能性をひとつひとつ確認すること、それを再生に結びつけるためのアイデアを提出すること、それを求めたい。デッサンと呼ぶゆえんである。そして、そのデッサンを具体化するために、どのような方途が考えられるのか、その提示をも求めたい。すなわち、新たな事業プランと新たな事業モデルの基礎となるものを、みずからの判断にもとづいて示すこと、名張市にそれを要求する。

これにより、名張まちなか再生委員会は、三年前に行政から投げられたボールを、紆余曲折を経て行政に投げ返したことになる。協働という名のお遊びは、ここらでひとまずおしまいとする。一か月後、名張市からまちなか再生にかんする協議の結果が提示されれば、名張まちなか再生委員会はそのデッサンを検討する作業に入る。開かれた場で、委員会メンバー以外の参加も求めながら、やはり一か月の期間で作業を進める。作業が終わり、その結果を名張市に報告した段階で、名張まちなか再生委員会は解散する。あとはまた、行政が主体的な判断を示す番である。

名張まちなか再生委員会による作業の結果が、ひとつのプランとしてまとまるのかどうか、それは不明である。この委員会のような組織が必要であるという結論が出るのかどうか、それも不明である。しかし、名張まちなかの再生は可能なのか、あるいは、まちなかの再生とはどういうことなのか、そういったこともふくめて、名張市による主体的で真剣な検討が必要であることは論をまたない。何よりもそれが必要である。名張市がみずからの問題として真摯にむきあわないかぎり、名張まちなかの再生は一歩たりとも前進しない。

やなせ宿について述べる。庁舎内部における協議でも、やなせ宿は中心的課題になるものと推測される。まちなか再生という本来のテーマが、やなせ宿の問題に矮小化されてしまう可能性も少なくない。名張市によってどのような活用策が提案され、名張まちなか再生委員会による検討でそれがどのようにまとめられるのか、これも不明であるというしかないが、かりにビジネスによる利潤追求の場として利用される場合にも、その場にはあくまでもオープンな競争が保障されていなければならない。競争なき民営化は、行政による特定の市民への便益の供与にほかならない。

最後に附言するならば、やなせ宿にたいして、あるいは名張まちなか再生委員会にたいして、不信や疑惑の眼をむける市民は、いまや少なからず存在している。名張まちなかの再生のためにも、やなせ宿の適正な運営のためにも、そうした不信や疑惑の払拭は避けて通れないことである。そのためには、たとえばまちなか再生事業にかかわる予算の動きを公開することが不可欠であろう。名張まちなか再生委員会の解散もおなじ理由から不可欠であり、かりに新たな組織が設立されることになったとしても、目的や役割や権限などを明確に規定し、名張まちなか再生委員会の轍を踏まない体制や運営が求められることはいうまでもない。

述べるべきことはまだ多いが、とりあえずこれにとどめる。名張市長にたいし、名張まちなか再生委員会の要求を提出するために、委員各位の賛同と承認を求めるものである。

以上、名張まちなか再生委員会の新委員長として抱負を述べた次第であるが、いうまでもなく脳内スピーチである。委員長になれるかどうかは、あすの総会を迎えてみなければわからない。というか、通常の場合、こうした組織の役員改選は事前に案がつくられていて、総会ではそれを承認してそれでおしまい、いわゆるシャンシャン議案のシャンシャン総会が通り相場なはずだから、あすの総会もそうなってしまうのかな。だったら困るな。えーん、委員長になれなかったー、と泣きながら帰らなければならぬではないか。それでは困る。困る困る。困るぞほんとに。
この世には、五十年に一度、或は百年に一度、天変地異とか、大戦争とか、大流行病などと同じに、非常な奇怪事が、どんな悪夢よりも、どんな小説家の空想よりも、もっと途方もない事柄が、ヒョイと起ることがあるものだ。
人間社会という一匹の巨大な生物が、何かしらえたいの知れぬ急性の奇病にとりつかれ、一寸の間、気が変になるのかも知れない。それ程常識はずれな、変てこな事柄が、突拍子もなく起ることがある。
──江戸川乱歩「黄金仮面」

そんな途方もない、常識はずれな、へんてこなことが、ここ名張市でも、ヒョイと起こってしまったようである。きのう、名張まちなか再生委員会から「第4回名張まちなか再生委員会総会の開催について」という文書が届けられた。どういうことか。5月28日の役員会で、当方が名張まちなか再生委員会に名を連ねることが認められた、ということである。委員のひとりとして、6月1日の総会に参加できることになった、というわけである。じつに常識はずれで、へんてこな事態であるというしかない。

5月27日のエントリ「再生委員会乱入を希望す」にも記したとおり、26日夜に開かれた乱歩関連事業検討委員会において、名張まちなか再生委員会の委員長になって委員会をぶっ壊すことにしたい、と述べた。したがって、再生委員会の委員になれるのであれば、乱歩関連事業検討委員会に加わることもやぶさかではない、とも述べた。当方が委員になれるのかどうか、それは役員会で検討することになる、とのことだったので、そうしてくれと頼んだ。

とはいえ、これは27日付エントリには記さなかったことであるが、承認されるわけがない、との見込みも伝えておいた。名張まちなか再生委員会をぶっ壊すために委員会に入りたい、と明言しているような危ない人間の加入が、役員会ですんなり承認されるはずはない。これは冗談でもなんでもなく、本気でそう思っていた。当方のみならず、26日の夜にいあわせた乱歩関連事業検討委員会のメンバーも、当方とおなじ予測に立っている空気であった。むろん28日の役員会においても、委員会をぶっ壊すという当方の主旨は、参加した役員諸兄姉に伝えられたはずである。

ところが、それが認められたという。なんとも意想外のことである。黄金仮面もびっくりであろう。蜘蛛男はしゃっくりであろう。緑衣の鬼ならこれっきりであろう。思わずばかなことを書き連ねてしまうほど、じつにどうもまことにへんてこな命運が、名張まちなか再生委員会の役員会によって決せられたわけなのである。いいのかよほんとに。うっかり恐縮してしまったりする。

きのう届けられた文書によれば、総会は6月1日日曜の午後1時から名張市役所一階大会議室で開催され、議題はつぎのとおり。

・平成19年度事業経過報告について
・役員改選について
・平成20年度事業計画(案)について
・その他

さ、名張まちなか再生委員会の委員長になって、名張まちなか再生委員会を派手にぶっ壊してやろうっと。
やなせ宿にかんするお知らせ。

ちなみに、先日疑義を呈した問題であるが、「やなせ宿」はやはり「やなせじゅく」ではなく「やなせしゅく」と読ませるそうである。どこのあほがこんなことを決めたのかは知らんが、オフィシャルな読みは「やなせしゅく」なのだという。肝心なことは何も決められないくせに、よけいなところで論理も根拠も関係なしにけったいなことを決めてしまう。それが名張まちなか再生委員会クオリティ、ということか。

さて、そのやなせ宿、オープニングイベントの日程が発表された。

名張市公式サイト:広報なばり(テキスト版)5月4週号 いよいよオープン!やなせ宿

6月7日土曜は午前11時から午後4時まで、翌8日日曜は午前10時から午後4時まで、これはもう名張まちなか再生委員会名物というべきであろう、幼稚園児の切り貼り遊びイベント版がくりひろげられる。広報なばりテキスト版から、イベント内容を転記しておく。

・乱歩に関する資料展示
・名張歴史展
・昭和初期展
・名張音頭
・樽太鼓
・名張物産展
・江戸凧作品展
・写真展
・やなせそばの店
・やなせ朝市
・田楽や餅などの店
・山野草展示即売会(山野草は8日のみ)

みごとなまでの寄せ集めである。思いつくかぎりのものをがさがさかき集め、脈絡もなくぺたぺた切り貼りしてみました、これがやなせ宿クオリティです、といったところか。しょせんコミュニティイベントのレベルでしかものを考えられないみなさんのおやりになることである。名張市民各位には、できることなら生温かい眼で見守ってやっていただきたい。

ただし、5月26日夜の乱歩関連事業検討委員会で聞きおよんだところでは、ここに記されている「乱歩に関する資料展示」は流れてしまったらしい。名張まちなか再生委員会が、というか、まちなか運営協議会が、というか、名張市が、というか、とにかく、やなせ宿に展示される予定だった乱歩関連資料の所有者とのあいだでトラブルを起こしたらしく、そのせいで企画がボツになってしまったという。いやー、みてみたかったなあ江戸川乱歩の関連資料。なんとも残念なことである。

いやいや、そんなことより、きのう28日に名張まちなか再生委員会の役員会が開かれ、はたして6月1日の総会に出席できるのかどうか、当方の命運が決したはずなのであるが、ちゃんと連絡をもらえるのかな。
困ったものである。困った困った。じつに困った。名張市公式サイト「市長への手紙」のことである。

5月15日、「市長への手紙」に質問を送った。名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か、との質問である。音沙汰がないので、五日後に催促した。答えてくれるのか答えてくれないのか、それを答えてくれとお願いした。やはり音沙汰がない。だからこんどは、答えてくれるのか答えてくれないのかという質問に答えてくれるのか答えてくれないのか、それを質問しなければならぬのであろうか。やっとれんがな。

困ったな、と思いつつGoogle検索。

Google:名張市 市長への手紙

こんなのがひっかかってきた。

プリントショップRANDOM:Re:返信:[mail2] 市長への手紙

名張市の消防団活動にかんして「市長への手紙」に質問を投じたところ、ちゃんと返事がきたというではないか。その返事の全文が掲載されているのだが、「まあ、興味があれば読んでください。市長への手紙を書く気がなくなりますけど」というブロガーのコメントが笑える。というか、市民のひとりとしてなさけない気がする。たしかにこの返事、なんとも杓子定規な通り一遍の説明に終始していて、質問した側にとってはとても満足できる回答ではなかったであろうと思われるのだが、ともあれ、「市長への手紙」にはちゃんと回答があるらしいではないか。どうして当方だけがネグレクトされるのか。

つづいて、こんなのもあった。

名張市公式サイト:平成18年名張市議会第319回定例会会議録 第4号

名張市議会のおととし3月の定例会。一般質問に「市長への手紙」への言及があった。

   
次に、ある市民の方から市長への手紙を出したが返事がないので議会の場で答えてほしいとのことです。お尋ねをいたしますのでお答えください。
1点、ランニングコストのかかる奥鹿野へ決めたのはどのようなシミュレーションをしたのですか。
2点目、焼却炉の機種について、他市、どこのメーカーのものを採用しているのかについても比較検討されておりますか。
最後に、1万1,300人の署名による名張のごみは名張で処理するのが基本、伊賀市奥鹿野への建設は反対、名張市内に建設してほしいという市民のこの切実な思いを市長はなぜわかっていただけないのですか。名張市には土地はない、それは理由にはなりません。市の所有地はたくさんあると市民の知るところです。1カ所でも2カ所でもご自分でお願いに行かれましたか。具体的にお答えください。

市長答弁も引いておく。

   
それから、市長への手紙のことについてでございますけれども、これは市長への手紙は常に返させていただいてるわけでございますけれども、今それがちょっとまだおくれているということであろうかと思いますので、このことについてはご理解をいただきたいと思います。
このことにつきまして、先ほども申し上げましたが、平成16年4月に同地区への立地について議会での審議をいただいて以降、定例会ごとにご議論をいただくとともに、昨年7月に行ってまいりました市内14地区での市長のまちかどトークにおいてもご説明を申し上げてきたところでございます。しかしながら、議員からもお話がございましたとおり、市長への手紙としてもいただいている状況にありますことから、振り返ってその内容についてご説明を申し上げます。

「市長への手紙は常に返させていただいてる」と市長が言明していらっしゃる。ただし、「今それがちょっとまだおくれている」みたいなケースはあるようだから、当方への回答もまだ遅れているということか。いやいや、ごく簡単な質問ではないか。答えてくれるのか答えてくれないのかそれを答えてくれと、(a)回答する(b)回答しない、という二者択一方式で尋ねているのである。「常に返させていただいてる」のであれば、(a)回答する、という回答が速攻で返ってきてもよさそうなものなのにね。
5月20日火曜、名張市役所の市街地整備室にメールを送った。

一部を引用。

   
それで、お答えいただきたい質問というのは、要するに、13日付メールで「いやがらせのための施設利用は許可いたしかねます」とのお知らせをいただきましたので、当方はいやがらせなどいたしませんとお伝えした次第で、ですから私がやなせ宿を利用することにはなんの問題もないはずなのですが、ご判断はいかがなものでしょうか、といったことです。ごく簡単な質問であるにもかかわらず、どうしてご回答を頂戴できないのでしょうか。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

21日水曜の朝、市街地整備室から電話が入った。やなせ宿について話したいことがあるから、これから訪問したいという。あいにくと当方、目先の仕事で手が離せない。午後3時以降なら時間が取れるので、その時刻に名張市役所まで足を運ぶと伝えた。

午後3時、名張市役所一階ロビー。市街地整備室からは、残念ながらやなせ宿を利用していただくことはできない、との意向が伝えられたのだが、理由がはっきりしない。やなせ宿や名張まちなか再生委員会を批判する集会にやなせ宿を貸すわけにはいかない、といったことらしいのだが、論理も根拠もあったものではなく、どうにも雲を踏むような話でしかない。そこでやや視点を変え、その決定はいったい誰がくだしたのか、と尋ねた。

やなせ宿をつかわせないならつかわせないでいいけれど、それはやなせ宿を運営するまちなか運営協議会の決定なのか、と質問すると、そうではなく、名張市の判断であるという。これもまたおかしな話である。やなせ宿の運営主体はまちなか運営協議会ということになっているのだが、その主体性というのはいったいどのようなものなのか。まちなか運営協議会にはやなせ宿の利用許可にかんする権限がなく、誰につかわせるか、誰につかわせないか、いちいち名張市におうかがいを立てなければならないというのであれば、まちなか運営協議会はやなせ宿の運営主体なんかでは全然なく、ただの管理人じゃねーかばーか、とみるべきであろうと考えられる次第なのであるが、そのあたりをつっついているとまたややこしくなる。

ごくわかりやすい点をつっつくことにして、やなせ宿の利用許可にかんする判断は名張市がくだすというのであれば、その判断の最終的な責任者は名張市長ということになるのだが、そんなふうに認識しておいていいのかな、と尋ねた。確認するまでもなく、これはあたりまえの話である。ただ、この質問はちょっと酷かもしれないなとも思われた。一介の市職員がその場でうかうかはっきり答えてしまったりしたら、あとあとえらいことになるのは眼にみえている。だから、その質問にたいする答えは保留ということにして、その日の話し合いはそのあたりで水に流し、もう少しよく考えたうえであらためて返答してくれと依頼して、一時間あまりにおよぶ面談を終えた。

名張市の市長は市民の言論を平気で封殺する、などということが公になったら、それはやっぱり、いくらなんでも、とてもとってもまずいことになってしまうであろう。こちらはやなせ宿で講演をおこないたい、と希望している。その講演内容を知ろうともせず、講演には使用させませんといきなり頭ごなしに否定してくるのが名張市であり、つまりは名張市長である。それはもう完全に、名張市長が市民の言論を封殺しているということにほかならない。その判断基準は何か。要するに好悪である。快不快である。講演会なんか開かれて、耳障りなことや耳に痛いことを吹きまくられるのはいやだもん、といったことでしかない。あたかも幼児のごとき判断基準である。

むろん、実際のところは知らない。誰がどこでストップをかけているのか、善良な市民には知りようがない。しかし、かたちのうえでは、やなせ宿で講演をおこないたいという当方の申し出が名張市によって一蹴されるのであれば、名張市長が市民の言論を封殺したということになってしまうのである。もしもほんとにそんなことになってしまったとしたら、これはもうなんとも面白い展開だというしかないであろう。当方はまたぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、鬼の首でも取ったみたいにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、いいだけわめきまくることになるはずである。関係各位はご注意めされよ。

こんどは24日土曜のことである。市街地整備室から、また電話が入った。むろんやなせ宿にかんする連絡で、とりあえず利用の申請書を提出してくれとのことであった。申請はいつから受け付けるのかと尋ねると、6月3日からだという。それは承知しているけれど、電話で仮申請を受け付けているのではないかと確認すると、たしかに受け付けているけれど、いろいろ先約が入っていてなんとかかんとか、との返事である。やれやれ。しかしかまわん。かまわんかまわん。どうだってかまわん。もういうとおりにしてやっがら。6月3日以降、お望みの申請書とやらを出してやっがら。それで文句はねーんだべな。

それにだいたいあれである。きのうも記したそのとおり、来たる6月1日の総会において、当方が名張まちなか再生委員会の委員長になってしまうかもしれんのである。そうなったら委員会主催で講演会をぶちかますことになる。講演では、さあみなさん、きょうも暑い一日となりましたが、やなせ宿は快適です、真新しいエアコンが快適な環境を保ってくれているからです、ところでこのエアコンを納品したり工事したりした業者はといいますと、以下略、みたいなことも洗いざらいばらすことになるかもしれないから、関係各位はご注意めされよ。

さて、市街地整備室にメールを送信したのとおなじ5月20日火曜、名張市公式サイトの「市長への手紙」にも投稿した。

文面はつぎのとおり。

   
5月15日に、つぎの質問をお送りしました。

・名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

そもそも、お答えはいただけるのでしょうか。いただけないのでしょうか。とりいそぎその点を確認いたしたく思います。

(a)回答する
(b)回答しない

(a)か(b)かのいずれかでお答えをいただければと思います。ご多用中恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

2008/05/20

かように催促したにもかかわらず、回答はまだである。複雑な話ではまったくない。答えてくれるのか答えてくれないのかそれを答えてくれと依頼したのに、答えてくれるのか答えてくれないのかそれを答えてくれないのである。どうなっておるのか。ただまあ、これも言論の封殺であることには変わりがないであろう。質問に答えようとしない。相手の言論を無視してしまう。相手の存在を完全に黙殺してしまう。オーウェルの「一九八四年」ふうにいえばアンパーソンにしてしまうということなのだが、こんな幼稚拙劣な手法がこの時代、首尾よく通用すると本気で思うておる人がいるのかしら。

さてさて、本日のテーマ、レスポンスの比較である。5月20日というおなじ日、ほぼ同時刻に、名張市役所の市街地整備室と名張市公式サイトの「市長への手紙」にアプローチしてみたところ、前者からは上述のごとき反応があったのだが、後者からはなんの音沙汰もない。すなわち、レスポンスそのものがない。市街地整備室のレスポンスにもいいお点はさしあげられないのであるけれど、レスポンスがあったことはおおいに多とするべきであろう。よって、レスポンスの比較はつぎのごとし。

市街地整備室>>>(越えられない壁)>>>「市長への手紙」

しっかりしろよな。

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