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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張まちなか再生委員会の新しい委員長として、ひとこと申し述べる。

まず最初に、名張まちなか再生委員会は無能力であったという事実を確認しておきたい。多言は要すまい。委員会発足から三年が経過したいま、やなせ宿の現状をみるだけで、この委員会がいかに無能力であったかは歴然としている。組織そのものが機能不全をきたし、膠着状態におちいっていることも、委員各位には自明の事実であろう。こうした隠しようのない事実に立って判断するならば、名張まちなか再生委員会には即刻解散することが求められる。ほかにはどんな道も残されていない。

ただし、解散のまえに、名張市に要求すべきことがある。みずからの失敗を素直に認め、主体性を発揮して善後策を講じることである。衆目にも明らかな名張まちなか再生委員会の蹉跌は、そのまま名張市の失敗でもある。まちなか再生を進めるにあたって名張市が採用した事業モデルは、すでに決定的に破綻している。名張まちなか再生プラン策定以前の段階に立ち戻り、新たな事業プラン、新たな事業モデルを提示することが、名張市に課せられた喫緊の責務である。

名張まちなか再生プランは、破綻にいたるしかない愚劣で空疎なプランであった。それを策定するために組織された名張地区既成市街地再生計画策定委員会も、それを具体化するために発足した名張まちなか再生委員会も、期待された成果を残すことはまったくできなかった。こうした帰結は、いうまでもなく、名張市の判断の誤りによってもたらされている。これまでにもたびたび指摘してきたことだが、昨年、住民監査請求の参考資料として提出した「僕の住民監査請求」から引いておく。

   
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」

主体性の放棄をつづけてきた名張市にたいして、名張まちなか再生委員会は主体性の回復を要求する。具体的には、行政の主体的判断として、名張まちなか再生プランを正式に破棄し、庁舎内部における部局横断的な協議によって、まちなか再生にかんする新たなデッサンを提示することを求める。デッサンの作成手法は名張市の自主性にゆだねるが、こちらにもメソッドの用意はある。希望があればいつでも提供することができる。名張まちなか再生委員会の委員長として、庁舎内部における協議のとりまとめを引き受ける用意もある。

とはいえ、名張市にたいして、首尾一貫した成案の作成を要請しているわけではない。成案以前に、名張まちなかの現状を直視すること、そこに残された可能性をひとつひとつ確認すること、それを再生に結びつけるためのアイデアを提出すること、それを求めたい。デッサンと呼ぶゆえんである。そして、そのデッサンを具体化するために、どのような方途が考えられるのか、その提示をも求めたい。すなわち、新たな事業プランと新たな事業モデルの基礎となるものを、みずからの判断にもとづいて示すこと、名張市にそれを要求する。

これにより、名張まちなか再生委員会は、三年前に行政から投げられたボールを、紆余曲折を経て行政に投げ返したことになる。協働という名のお遊びは、ここらでひとまずおしまいとする。一か月後、名張市からまちなか再生にかんする協議の結果が提示されれば、名張まちなか再生委員会はそのデッサンを検討する作業に入る。開かれた場で、委員会メンバー以外の参加も求めながら、やはり一か月の期間で作業を進める。作業が終わり、その結果を名張市に報告した段階で、名張まちなか再生委員会は解散する。あとはまた、行政が主体的な判断を示す番である。

名張まちなか再生委員会による作業の結果が、ひとつのプランとしてまとまるのかどうか、それは不明である。この委員会のような組織が必要であるという結論が出るのかどうか、それも不明である。しかし、名張まちなかの再生は可能なのか、あるいは、まちなかの再生とはどういうことなのか、そういったこともふくめて、名張市による主体的で真剣な検討が必要であることは論をまたない。何よりもそれが必要である。名張市がみずからの問題として真摯にむきあわないかぎり、名張まちなかの再生は一歩たりとも前進しない。

やなせ宿について述べる。庁舎内部における協議でも、やなせ宿は中心的課題になるものと推測される。まちなか再生という本来のテーマが、やなせ宿の問題に矮小化されてしまう可能性も少なくない。名張市によってどのような活用策が提案され、名張まちなか再生委員会による検討でそれがどのようにまとめられるのか、これも不明であるというしかないが、かりにビジネスによる利潤追求の場として利用される場合にも、その場にはあくまでもオープンな競争が保障されていなければならない。競争なき民営化は、行政による特定の市民への便益の供与にほかならない。

最後に附言するならば、やなせ宿にたいして、あるいは名張まちなか再生委員会にたいして、不信や疑惑の眼をむける市民は、いまや少なからず存在している。名張まちなかの再生のためにも、やなせ宿の適正な運営のためにも、そうした不信や疑惑の払拭は避けて通れないことである。そのためには、たとえばまちなか再生事業にかかわる予算の動きを公開することが不可欠であろう。名張まちなか再生委員会の解散もおなじ理由から不可欠であり、かりに新たな組織が設立されることになったとしても、目的や役割や権限などを明確に規定し、名張まちなか再生委員会の轍を踏まない体制や運営が求められることはいうまでもない。

述べるべきことはまだ多いが、とりあえずこれにとどめる。名張市長にたいし、名張まちなか再生委員会の要求を提出するために、委員各位の賛同と承認を求めるものである。

以上、名張まちなか再生委員会の新委員長として抱負を述べた次第であるが、いうまでもなく脳内スピーチである。委員長になれるかどうかは、あすの総会を迎えてみなければわからない。というか、通常の場合、こうした組織の役員改選は事前に案がつくられていて、総会ではそれを承認してそれでおしまい、いわゆるシャンシャン議案のシャンシャン総会が通り相場なはずだから、あすの総会もそうなってしまうのかな。だったら困るな。えーん、委員長になれなかったー、と泣きながら帰らなければならぬではないか。それでは困る。困る困る。困るぞほんとに。
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