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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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かんなくずの親分。きょうのエントリには、親分の話題はまったく出てこない。安心して読んでくれ。

たまには省略せずに記すと、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の話題である。7月5日に催された第二回のテーマは、「江戸川乱歩を知る」というものであった。講座の時間は九十分とした。開始から五十分は勢いで進め、十分間の休憩をはさみ、残り三十分は惰性でつづける。それで九十分の講座になる。

江戸川乱歩の名前が出てきたのは、開始から八十分が経過し、あと十分で講座が終わってしまうというころであった。江戸川乱歩を知る、ということは、このやなせ塾にかぎっていえば、名張という土地との関連性のなかで江戸川乱歩を知る、ということにほかならない。だから、古代から中世へ、そして近世へ連綿とつづいてきた土地の歴史をまず知ることが必要であり、その土地に生起した歴史事象のひとつとして、江戸川乱歩という個人の誕生をとらえる必要がある。

それでまあ、中世の土豪というか地侍というか、国人というか国衆というか、とにかく貧しくて小規模な領主たちがおたがいを監視したり牽制したり、少しでも抜きん出ようとするやつがいたら寄ってたかってそいつの足をひっぱったりして、とにもかくにも伊賀一国に形成され維持されていた水平的世界は、織田信長という戦国大名を頂点とする垂直的世界に徹底的に殲滅され、あえなく消え去ってしまった。信長はその直後、本能寺の変で世を去り、豊臣秀吉の天下となって、さらに徳川家康がこの国の覇権をにぎることになる。

その家康に命じられ、伊賀伊勢両国を支配することになったのが、藤堂高虎という大名であった。津藩の初代藩主である。二代目は高虎の実子、高次が継いだ。高虎の養子であった高吉は、大名の有資格者であったにもかかわらず、名張藤堂家の初代という低い地位に追いやられた。つまり、高虎なきあとの跡目争いにおいて、高次が勝ち、高吉が負けた。負けた高吉が名張にやってきた。高吉をひいきする名張の人間にとって、高次はにっくきあだである。しかし、そのあだである高次なかりせば、いやいや、かりに高次がいたとしても、それが川で洗濯をしている娘さんの真っ白なお尻にいきなりむしゃぶりついてしまうような自制心のない殿さまでなかったら、江戸川乱歩はこの世に生まれてなどいなかったのである。

やなせ塾第二回では、そういう話をした。名張という土地における歴史の流れのなかで乱歩の誕生という歴史事象を語るとなれば、そこまで話をひろげる必要がある。だからまあ、「江戸川乱歩を知る」というテーマであったにもかかわらず、かんじんの乱歩の名前がまったく出てこなくて、テーマそのものもすっかり忘れはててしまったころ、九十分の講座もあと十分でおしまいというころになって、いきなり江戸川乱歩が登場してきたのだから、受講してくださっていたみなさんにはそこそこサプライズを感じていただけたのではないか。乱歩の名を印象深く胸に刻んでいただけたのではないか。結構結構、それで結構。

そんなこんなで、やなせ塾第二回「江戸川乱歩を知る」においては、江戸川乱歩にかんする衝撃の事実を、歴史の真実というやつを知っていただいた。しかしまあ、ただそれだけであった。もしかしたら、反省しなければならんのかもしれん。お詫びのしるしに、当日配付した資料を掲げておきたい。なんのお詫びにもなっておらんか。わっけわかんねーよな実際。

資料A面。
20080711a.gif
つづいて、資料B面。
20080711b.gif

この資料、AB両面を一枚の紙にコピーして配付したのだが、いまふり返ってみるに、あのコピー代はいったいどこから出たのであろうか。プロジェクトメンバーの誰かが、かわいそうに自腹を切っているということか。しかし、案ずるな。わが名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはいまや、やなせ塾講師の献身的自己犠牲的配慮によって大枚956円の活動費を有する身となっている。かまわん、あの活動費から第一回と第二回のコピー代を差っ引いておけ、といってやりたいところなのだが、きょうは話題にしないと約束してしまったから、いってやれないのがつらいところである。はた迷惑なやつだよなあまったく。

ここで、ひとつお知らせである。皇學館大学社会福祉学部の月例文化講座で、やなせ塾なんかよりはるかにちゃんとした江戸川乱歩の話をお聴きいただける。乱歩の命日も近い7月26日の土曜日、ということは、協賛金が集まらなくてひいひいいってるらしい名張川納涼花火大会の日でもあるのだが、この日、「江戸川乱歩と名張」をテーマとした特別講座が開かれる。講師は准教授の三品理絵さん。午後2時から春日丘七番町の名張学舎一号館で開催され、受講は無料。近鉄大阪線名張駅東口を午後1時30分に発車する同大学のスクールバスが利用できる。

皇學館大学公式サイト:公開講座のご案内
名張市公式サイト:広報なばり(テキスト版)7月1週号 皇學館大学公開講座(特別講座)

やなせ宿連続講座やなせ塾同様、皇學館大学社会福祉学部月例文化講座もよろしくごひいきをたまわるよう、お願いを申しあげておきたい。
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たてつづけに読んだ二冊の新刊が思っていた以上に面白く、無駄に立派な以下略のやなせ塾で述べたことに響き合うところもあるので、やなせ塾の内容をフォローする意味で引用しておく。

まず、きのう読み終えたのが和田竜さんの『忍びの国』。新潮社刊、本体1500円。伊賀の国を舞台に、いわゆる天正伊賀の乱を描く。伊賀の忍びが主役を張る小説としては、近来にない面白さだと思う。先行作品として村山知義の「忍びの者」が連想されないでもないが、じつは相当ちがっていて、忍者たちが本能と第二の天性のおもむくまま、野生の生命をいきいき躍動させることで読者を楽しませてくれる点は、やっぱ山田風太郎版忍法小説の血脈とみるべきか。

面白さを支えているのは、伊乱記や勢州軍記、正忍記や万川集海をはじめとした資料によって基盤がしっかり固められ、そのうえに想像力を駆使した物語の世界がくりひろげられている点に求められよう。全篇を貫いているのは、

「──伊賀の者どもは人ではない」

という基調低音であって、とても人間業とは思えない忍びの術はもちろん、「伊賀の者ども」の冷酷、残虐、背信、狡猾、策謀、我欲などなど、伊賀の人間が読めばなんとも自虐的な快感を得ることになるであろう特性を全開にした忍者群像が描かれる。伊賀のみなさんにとくにお薦めするゆえんであるが、そんなことはべつにしても、決闘シーンの斬新さや合戦シーンの迫力も申しぶんなく、戦国武者の人物造形もなかなかに魅力的、開巻当初は、いかにも当代の若者ふうなことばづかいもあって、ん? と思われないでもない主人公のキャラクターも、終幕にいたって伊賀という風土に深くかかわるものであったと知らされる。

みたいなことは、やなせ塾とはあまり関係がない。やなせ塾で述べた中世伊賀の水平的世界に関連するあたりを、第二章から引いておく。

   
伊賀国は、四方を山々に囲まれた上野盆地を中心とする一帯を領域としていた。東で国境を接する伊勢国に対しては、鈴鹿山脈から布引山地に至る南北に連なる山々が衝立のごとき役割を果している。
藤堂元甫が江戸期に編纂した『三国地誌』によると、伊賀国の境域は「東西九八里余、南北凡拾里余」とされる。石高は十万石程度だったという。
小国である。
この小国の中に現在確認されているだけでも、六百三十四箇所の中世城館が存在していたという。さらに未確認のものが二百三十四箇所あるらしい。どこまでが同時期に活用されていたか定かではないが、合計八百六十八箇所の城館が伊賀国の中でひしめいていたことになる。
異常な数である。
『勢州軍記』には、戦国期に伊賀の地侍は六十六人いたとされている。この六十六人が八百超の中世城館を有していたのかどうか。
この六十六人の地侍どもがどの程度の数の城館を有していたかはともあれ、こんな異常な数の要害を築くのには理由があった。
江戸初期に菊岡如幻が伊賀国での戦乱について記した『伊乱記』によれば、鎌倉幕府滅亡以降、伊賀国は二百四十年近くの間、守護が不在も同然であったのだという。守護自体はいるにはいたが、統べ治めていたとは言えず、実際、地侍によって伊賀から叩き出された守護もいた。
他国では戦国大名が生まれ、より広範囲の地域を支配する勢力が出てきていた時代である。しかし、伊賀では小領主(地侍)が乱立し、しかもそれぞれが極めて仲が悪かった。このような情勢の中、異常な数の中世城館が築かれ、同時に互いを討ち果たす忍びの術が磨かれていった。
「国士邪勇につのり、無道の我意を行なひ(中略)其の身の分限を忘れて、無上の奢を極め、(中略)親子連枝の好をも憚らず、乱逆をなし、日夜討伐をのみ之れ事とす」
『伊乱記』には、戦国期の伊賀の状況がこんなふうに記されている。
地侍たちは頭を抑える大勢力がいないのをいいことに、我を張り合い、親子親戚も関係なく互いが互いをやっつけようとしていたのだという。
同書には地侍たちが巻き起こした戦(というより喧嘩刃傷沙汰)も記されているが、いずれも喧嘩の理由は取るに足らない些細なものだ。

つづいて、安田次郎さんの『走る悪党、蜂起する土民』。小学館の全集「日本の歴史」第七巻、本体2400円。巻末の「おわりに」から引いておく。

   
中世びとに学ぶ
ひるがえって今日の日本の社会をみると、南北朝・室町時代に劣らないほどの危機的な状況にある。もちろん、列島各地で血が流される合戦が起きているわけではないが、つぎの世代に押しつけられようとしている国の膨大な借金、目前に迫ってきた超高齢・少子化社会、「失われた一〇年」の犠牲にされた年齢層と、グローバル化・規制緩和の掛け声のもとで増加した非正規雇用、その結果として格差の出現、各方面でみられるモラル・ハザード等々、われわれもまた瀬戸際まで追い込まれている。そして、間違いなくその原因のひとつは、政治や経済への「参加」に及び腰であったわれわれにある。
四〇年前に大学のキャンパスに足を踏み入れたとき、われわれ新入生を迎えてくれたのは、熱く日本の政治や社会を語り、アジアの民衆との連帯と平和を説き、時には過激な行動も辞さない団塊の世代だった。いわゆる大学闘争はそのピークを過ぎていたが、少し遅れてきたわれわれにもその余熱は強く感じられた。もちろん、冷めた目で見る人たちもいたが、キャンパスや社会には変革への気運が高まっていた。少なくとも未熟な私に「夜明けは近い」と錯覚させるには十分だった。
しかし、夜は明けず、政治の季節は過ぎ去り、団塊の世代もわれわれも、それぞれに生きる場所を社会のなかに得て忙しく過ごしてきた。かつて騒がしかったキャンパスも落ち着きを取り戻し、タテ看の間を縫うようにして歩くこともなく学生たちは行き交う。ノンポリが死語になって久しい。
戦後六〇年がたち、たしかに日本人は豊かな社会を実現した。しかしそれは、たとえば働きすぎによる過労死をいつまでも撲滅できず、老後の不安が消えないためにせっせと貯蓄に励まなければならないような、一面では貧しい、いびつな社会である。それに加えて、最近では先述のような格差や世代間対立も大きな問題となってきた。
これらにどう立ち向かっていけばよいのか。誰も確かな処方箋をもっていない。手探りで進むしか道はなく、いっさいの痛みを避けていては十分な回復を期待することはおそらく無理だろう。今後日本の社会が厳しい局面に立たされることは間違いあるまい。
しかし、われわれは何度か大きな危機を乗り越えて今日を迎えている。歴史に、とくに中世びとに学ぶべきことは少なくないだろう。つぎの戦国時代もまた寒冷期だったといわれている。苛酷な自然条件に加えて戦乱が絶えず、いわば危機が日常化した時代であった。そのなかから近世社会が生まれてくる。それが次巻の範囲である。

おとといも記したことなれど、現在というやつをしっかり理解し、未来というやつをきっちり見さだめるために、人は歴史を学ぶのである。やなせ宿がそのための場になるのはいいことだと思うのだが、やなせ塾の第三回と第四回は、そしてそれ以降は、あるいは子供たちのための夏休みやなせ塾は、さらにはやなせ宿を笑いの絶えない名張まちなか不景気亭に変貌させる寄席化計画は、それぞれいったいどうなるのか。これらはすべて、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトリーダー、かんなくずの親分の腹ひとつで動きだすのである。名張まちなかは親分の決断を待っているのである。かんなくずの親分、なかなか責任重大である。
7月5日夜、名張市新町の酒蔵空間で催されたやなせ塾懇親会の決算報告が、7月8日付エントリへのコメントで寄せられた。

7月8日:夏休みやなせ塾はどうよ

収入は6万円、支出は5万9044円。956円の黒字となった。この956円は、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの活動費としてプールされる。懇親会にご参加いただいた各位にお礼を申しあげる。
名張市
毎日新聞:第90回全国高校野球:三重大会 夏目指す66校/4(その1) /三重
毎日新聞:名張市:ライトダウン運動、完全実施できす 本庁舎で残業 /三重
毎日新聞:パンフレット:郷土料理とひやわい 旧町の魅力、冊子で発信--名張 /三重

伊賀市
産経新聞:風車で電気を、伊賀の2小学校で新エネルギー教室 三重
産経新聞:川上ダム建設促進、地元4自治会が伊賀市などに要望 三重
毎日新聞:薬:知識深めたい 上野商高福祉科3年生が特別講座--伊賀 /三重
毎日新聞:第90回全国高校野球:三重大会 夏目指す66校/4(その2止) /三重
毎日新聞:七夕祭:浴衣姿で創作延葵音頭 伊賀東照宮で披露 /三重
毎日新聞:新エネルギー教室:実験で必要性を学ぶ--伊賀の2小学校 /三重
毎日新聞:雷雨:一時洪水警報、正午まで30ミリ 伊賀市、対策本部設置 /三重
毎日新聞:野呂知事:保健所長兼務、背景に「医師不足」--指摘 /三重
中日新聞:ベニバナ最盛期 伊賀・川北の畑
中日新聞:風力発電にびっくり 上野の小学校で代替エネルギー教室
伊勢新聞:伊賀市 内保副市長が辞表 市長選出馬明言避ける
サンケイスポーツ:沢、3度目の五輪 なでしこジャパン発表(サッカー)
 スポーツ報知:ママさん宮本落選!佐々木監督非情決断…サッカー女子(サッカー)
デイリースポーツ:なでしこ発表!沢「三度目の正直」よ(サッカー)
東京新聞:いざ 出陣 荒川、沢ら18人 なでしこ入り(スポーツ)
河北新報:岩清水ら五輪代表 サッカー女子(スポーツ)
神戸新聞:五輪日本代表に沢、池田ら選出 女子サッカー(スポーツ)

伊賀地域
朝日新聞:手足口病が流行 前年の7倍以上
産経新聞:三重県内60会場で原爆写真展開催
きのうのぶん。

名張市
朝日新聞:「五つの輪」くっきり 名張・国津小
毎日新聞:ふるさと納税:高齢者福祉に使って 第1号の小山さんが20万円--名張 /三重

伊賀市
朝日新聞:近畿で局地的に強い雷雨 山陽新幹線が運転見合わせ(社会)
朝日新聞:近畿で大雨、がけ崩れ・停電・交通乱れる(関西)
産経新聞:伊賀市・内保副市長が辞任へ 市長選との関連は否定
産経新聞:名張市がエコ通勤デー 職員の3割が参加 徒歩や自転車などで通勤
毎日新聞:埋蔵文化財展:土器や瓦など95点 初公開品含む4テーマ別--伊賀 /三重
毎日新聞:七夕飾り:しろはと幼稚園児とお年寄り交流--伊賀 /三重
毎日新聞:伊賀市:来月、エコ通勤月間に マイカー控え、公共交通で /三重
毎日新聞:毎日書道展:佳作賞、喜びの4人 /三重
毎日新聞:ライトダウン:伊賀市施設、一斉に消灯 午後8~10時、21事業所も /三重
毎日新聞:エコ通勤デー:CO2を629キロ削減 名張市職員、徒歩・自転車で通勤 /三重
毎日新聞:新品種酒米:県農業研究所が「神の穂」開発 /三重
毎日新聞:選挙:伊賀市長選 11月9日、投開票 /三重
毎日新聞:伊賀市:内保副市長、辞職へ 次期市長選「現段階では白紙」 /三重
毎日新聞:選挙:伊賀市長選 11月9日投開票 /三重
読売新聞:県会議長会見「議員間の討議充実を」
毎日新聞:くねりみこし勇姿見て 26、27日に祇園祭
毎日新聞:伊賀市長選 11月9日投票
毎日新聞:県議会:地方議会初・定例会年2回制 議長が一定の評価 /三重
建設業界ニュース中部版:【三重】伊賀市上野総合市民病院の耐震補強を発注へ
スポーツニッポン:なでしこ 選考は「スペシャリティー重視」(サッカー)
サンケイスポーツ:原歩、10年かけ夢切符/なでしこジャパン(サッカー)
やなせ宿連続講座やなせ塾第二回の報告である。主眼はいうまでもなく、講座のあとの懇親会であった。会場は、やなせ宿とおなじ新町にある北村酒造の酒蔵空間。名のとおり酒蔵の二階を利用したスペースで、卓球台が二台ならべられるほどの広さがあった。むろん卓球なんかやらない。酒を飲むのである。ひたすら飲むのである。渾身の懇親会である。

会費は三千円。受付で支払おうとしたら、そんなん講師の先生からはいただけませんわ、と受付のお嬢がいってくれたので、なんといいお嬢なんだろう、とか、ラッキー、とか思いながら、そそくさと通過する。講座の配りものとして用意した山本松寿堂謹製二銭銅貨煎餅は二千五百円だったのだが、懇親会の会費三千円がゼロということになったのだから、差し引きすれば五百円の儲けである。まさか、やなせ塾で儲けが出るとは思ってもいなかった。

会費はすべて、懇親会の飲食につかってしまうものと思っていたのだが、そうではなかった。一部はプールして、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの活動資金に充当するらしい。見苦しい話である。地域社会の害虫が延命をはかってどうする。三千円なら三千円、すべてぱーっときれいに飲みつくし、いさぎよくぶっ倒れるのが武士の散りぎわというものではないか。これだから、あきんどとは話が合わぬ。商人の考えることは、もののふにはもうひとつ理解が届かぬ。

しかしまあ、歴史拠点整備プロジェクトのリーダーがそういう方針でことを進めてしまったので、活動資金もいくらかはプールできたものと思われる。ならば、懇親会の収支を報告しておくべきであろう。プロジェクトメンバー以外の、一般市民の参加もあったのである。収入はこうで支出はこう、あまったこれこれは今後の活動に役立てます、みたいな報告はぜひとも必要であろう。このブログで公表しておけば、最低限の責めは果たせたことになると思う。だから、収支の報告を待ってるぜ、とここにこうして書いておけば、かんなくずの親分がなんとかしてくれるはずである。あの親分、2ちゃんねるの名張市政スレしかみていない、ということもないであろうし。

さて、懇親会の前には講座があった。やなせ塾である。第一回にひきつづき、じつに適当なものであった。しかし、基本ははずしていないつもりである。基本とは、いうまでもなく、歴史を学ぶというのは結局どういうことなのか、という一点の認識である。ひとことでいってしまえば、現在というやつをしっかり理解し、未来というやつをきっちり見さだめるために、人は歴史を学ぶのである。それを忘れ、ただ歴史的事実の断片を切り売りするだけ、みたいなうすっぺらな講座にしたつもりはない。なんとか学検定でいい点を取るためのお勉強、といったことではまったくない。

話は、第一回がそこで終わった中世のことからはじめた。黒田荘や悪党の話題である。中世の伊賀ではどんな世界がかたちづくられていたのか。いわゆる一揆の世界である。在地領主、国人、国衆、土豪、地侍、いろいろな呼びかたがあるけれど、土地の有力者というのが当然のことながら存在していて、血縁を軸としたひとつの集団を形成していた。そして、そうした有力者たちは、対等の立場で横につながってもいた。伊賀の地に、地縁にもとづいた連帯が生まれていた。それが一揆である。一揆とは、ひとつのまとまり、連合体のことである。

それはむろん、伊賀にかぎらず、中世日本の各地でみられた現象である。国家による支配に、つまり守護という装置を利用した上からの支配に抗するため、土地の小規模な領主たちはたがいに連絡して一揆を結んだ。そこにあったのは、あくまでも水平的な世界である。しかし、彼らはやがて守護と手を結び、地域は守護大名の手で一元的に支配されるようになる。垂直的な世界がかたちづくられる。そうした地域が増えてゆく。

ところが、この伊賀の地では、そうした垂直的な世界は最後まで実現されなかった。織田信長の伊賀攻めで壊滅的な打撃を受けるまで、伊賀は水平的な世界を維持していた。小領主たちが横に連携し、たがいに監視しあい、牽制しあいながら、水平的なバランスを保持することで、伊賀一国を成立させていた。それは一般に、伊賀の後進性とみられるものであった。みたいなこと、つまり中世の伊賀がどんなんであったか、みたいなことを知ることは、現在ただいまの伊賀を知るうえで、たぶん有効なことなのである。現在というやつが、しっかり理解できるようになるはずなのである。

ならば、未来はどうか。やなせ塾第二回においては、ちょっと飛躍しすぎかな、とも思いながら、中世の伊賀に実現されていた水平的世界と、それを破壊して織田信長がもたらした垂直的世界を対比し、その対立を世界観の問題に敷衍して、21世紀の世界をリードするのは、ヨーロッパを支配している垂直的世界観ではなく、アジアの自然が生みだした水平的世界観ではないのか、みたいなこともしゃべり、ここで南方熊楠の神社合祀反対運動の話題にスライドすれば話がよりわかりやすくなるのだがなあ、とも思いながら、時間の都合でそこまでは踏みこめなかった。とにかく、日本もまだまだ捨てたものではない、といったことは指摘しておいた。こう書くだけでは、なんのことやらさっぱりおわかりにならぬであろうが。

それでまあ、いろいろしゃべってあらためて感じたことのひとつは、こういうことはまず、子供たちに教えてやんなくちゃな、ということである。地域の歴史を知るというのは、子供たちが彼らの現在と未来を考えるうえでとても大切なことである。地域の未来をになう、とかいわれてるわりに地域のことをなんにも教えてもらっていない子供たちのために、そうした機会を設けることができぬものか。誰の役目かといえば、やはり名張市教育委員会の、ということは結局名張市が手がけるべきことであろう。しかし、そもそも、学校の教師が地域の歴史を知らぬのである。なんにも知らんぞ実際。

だからしかたがない。名張市または名張市教育委員会が子供たちに地域の歴史を学ぶ場を提供したいというのであれば、学校の先生にかわって講師くらいいくらだって務めてやる。とりあえず試験的に、名張市内でいちばん荒れている中学校のいちばん荒れているクラスに放りこんでいただく、というのでもかまわない。地域の歴史をみっちりと、そのクラスの中学生に教えてやる。とはいえ、ことと次第によっては、中学生といっしょになって荒れてしまうかもしれんな。いちばん荒れているクラスのいちばん荒れている生徒が、先生、もういいと思います、何もそこまでしなくてもいいと思います、先生、お願いですからもうやめてください、早くまともなおとなになってください、先生ッ、と涙ながらに止めに入ってくるほど荒れてしまうのかもしれんな。

しかし、名張市だの名張市教育委員会だの、そんなものはしょせんあてにはなるまい。だとしたら、出番だよなあ、かんなくずの親分。ちょうど7月である。もうじき夏休みである。無駄に立派な以下略のやなせ宿で、ひとつ子供たちのための塾を開いてやってはくれんか。やなせ宿はおじいちゃんおばあちゃんににこにこしてもらえる場にしたいのだが、子供たちにもにこにこしてもらいたい。両者がいっしょになってにこにこしてくれればいちばんうれしい。だからとりあえず、いかにも寄席にうってつけのやなせ宿は、じつは寺子屋にもうってつけなのであるから、寺子屋ふうな机を並べて、夏休みの子供たちのために塾を開いてやってはくれんか。塾はいいぞ塾は。緒方洪庵の適塾とか、吉田松陰の松下村塾とか、ああいうのは結構いいと思うぞ。松下政経塾はたいしたことないと思うけど。

さてこうなると、地域社会の害虫である名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクト、いちど会議を開かねばならんようだな。やなせ塾第一回と第二回の反省、第三回と第四回の準備、懇親会の収支報告、夏休みやなせ塾の企画、といったぐあいに、しなければならぬことがいろいろあるではないか。ちかいうちに集まったほうがいいと思うぞ。さあどうする、かんなくずの親分。
お察しのとおり、きのうは二日酔いであった。おとといの夜、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾第二回終了後の懇親会で酒を飲み、そのあとは番じゃ屋敷にのたくり込み、すっかり酔っぱらっていたからよくおぼえてはいないのだが、いくたびもいくたびも、ほんとうにいくたびも、人の頭をわりばしで叩きつづけていたような記憶がある。しかもそれが、そこそこ偉いかたの頭であったような気がする。たぶん、ああいうことをしてはいけないのではないかと思う。

さて、地域社会の害虫である名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトが罪ほろぼしの意味もこめて主催するやなせ塾、おかげさまで第一回と第二回を無事に終えることができた。わざわざお運びをいただいたみなさん、まったくの無償で塾を支えてくれたスタッフ各位、さらには、やなせ塾のことがなんとなく気になって、参加はしなかったけれど成功を祈っていた、とおっしゃるかたもあったのではないかと思われるのだが、それらすべてのみなさんに深甚なる謝意を表する次第である。

つづく第三回と第四回も必ず開催されるはずだが、日程は未定だという。そこでおととい、早くやれよな、と歴史拠点整備プロジェクトのかんなくずに釘を刺しておいた。かんなくずというのはプロジェクトのリーダーのあだ名である。まだ真新しいあだ名である。おとといのやなせ塾でついたばかりである。なにしろぺらぺらぺらぺら、火のついたかんなくずみたいにぺらぺらぺらぺらよくしゃべる男なので、講座のなかで命名してやった。かんなくずは結構、うれしげにみえた。気に入ってくれたのであろう。しかし、なにしろかんなくずである。いくら釘を刺してもいっこうに利かんのではないかという不安もあるのだが、当面は温かく見まもることとしたい。

二回の講座を終えて、やなせ宿活用の方向性のひとつがみえてきた。いつかもちらっと書いたとおり、やなせ宿に市長室をおく、というプランもある。これはほとんど緊急避難的な措置なのだが、とりあえず市長室を設置するのが面白いと思う。面白いというだけでなく、いまここに詳細は記さないけれど、いろいろな効果が見こめるのではないかと思う。しかし、無理である。で、新たな方向性として浮かんできたのが、やなせ宿を寄席にできぬものか、ということである。

やなせ宿寄席化計画。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館に、食堂化路線とならぶもうひとつの可能性がみえてきたように思う。やなせ宿は観光交流施設であり、集客施設ということになっている。むろん遠方から観光客を集客することができればいいのだが、はなから無理な相談であろう。ワンデイシェフに北海道から人が来る、なんてことはとても考えられぬ。つまり集客となれば、その対象エリアはまず名張まちなかである。となれば、名張のまちのおじいちゃんおばあちゃんである。やなせ宿を、おじいちゃんおばあちゃんににこにこしてもらえる場にできぬものか。

むろん、常打ちの小屋とするのは無理であろう。だからせいぜいが週に一回、土曜なら土曜の夜に足を運べば、やなせ宿の座敷には高座が設けられていて、なんだかばかみたいな男がうれしそうに面白いことをしゃべっている。ざぶとんにすわってみると、たしかに面白いし楽しいし、名張のまちもまだまだ捨てたものではないな、という気にもなってくる。やなせ宿にそうした場をつくる試みがあってもいいのではないか。やなせ宿寄席化計画である。

おとといの講座では、ふと思いついたので、寄席の名前も発表しておいた。大阪ではおととしの9月に天満天神繁昌亭という寄席がオープンし、これがなかなかの人気であると伝えられるので、こちらもそれにあやかり、そのむこうを張って、名張まちなか不景気亭、と称したい。なにしろ不景気である。繁昌などということばにはいっさい縁がない。名張まちなかはものすごく不景気である。名張市公認といっていいほどの不景気である。だからこそ、たとえ週に一度でもいいから、おじいちゃんおばあちゃんをはじめとした名張まちなかの住民、さらには名張市民、あるいは名張市外から駆けつけてくれる人もまじえて、みんなでにこにこしたいものだと思う。

現在のもくろみでは、当方が前座を二十分ほど務め、そのあとは、どなたでも結構である。高座にあがっていただいて、まあ一時間前後、好きなことをしゃべっていただく。むろん落語、講談、歌舞音曲、そのあたりの本格的な芸でもいいのだが、べつに笑いをとっていただく必要もない。しゃべりたいことをしゃべっていただけば、それでいいと思う。笑いのほうは三重県伊賀地域を代表するスタンダップコメディアン、すなわち当方が一手に引き受ける。

したがって、この名張まちなか不景気亭の試みは、絶讃大好評展開中のワンデイシェフにあやかり、そのむこうを張っていうなれば、ワンナイトエンタテイナーの場なのである。なかなか面白いのではないか。ただし、このワンナイトエンタテイナーには、コーヒーはつかない。

以上、やなせ塾第二回についてとりいそぎ記した。ほかに記すべきこともあるのだが、きのうもまた、とくにこれといった理由もないのだが、なんなんだこの暑さは、とか思いながらべろんべろんに酔っぱらってしまい、けさもけさとて二日酔いなので、これだけにとどめておく。しかし、いいかげんにせんといかんかもしれん。ばかみたいに酔っぱらって人の頭をわりばしで叩きつづけるような日常は、そろそろいいかげんにせんといかんのかもしれん。まあ面白いからいいのだけれど。

やなせ塾第二回のレポートは、こちらのプログでお読みいただける。

永遠のJガール:やなせ宿連続講座やなせ塾

これはいくらなんでもほめ過ぎのもちあげ過ぎというものであるが、さっそくコメントも投稿されていて、やなせ宿における「地域寄席in名張」に期待を寄せてくださっているかたのあるのがありがたい。しっかりやれよ、かんなくず。

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