忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[98] [99] [100] [101] [102] [103] [104] [105]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

9月21日、日本経済新聞の文化欄に、金城学院大学准教授の小松史生子さんが「乱歩の幻想育てた名古屋」という随筆を発表した。

なかに、名張のことが出てくる。

   
近年、乱歩の学問的な研究は進んできたが、都市との関連では東京、大阪、生誕地の名張の三都市だけに光が当たっていた。

こんなふうに、名張の名前を出していただけたのは、ありがたいことである。面映ゆくもあるけれど、嬉しいし、誇らしい。

実際には、江戸川乱歩との関連で、名張に「光が当たっていた」ということなど、ほとんどないのだが、名張市立図書館が乱歩のリファレンスブックを刊行したりしてきたから、小松さん、名張市に対して敬意を表してくださったのだろう。

門出に、思いがけず、花を贈られたような気分になった。

なんの門出かというと、名張市という自治体との、江戸川乱歩という作家をめぐる、力と力、知恵と知恵、火花を散らす、一騎打ちの大闘争──などということにはなりようがないが、まあ、最終決戦のようなものである。
PR
昭和29・1954年、町村合併で名張市が発足した当時、市の人口は3万人をわずかに超える程度だった。

この年の国勢調査の数字を『名張市史』にみることができる。
  • 名張市  31,131人
  • 旧名張町 10,905人
市人口のおよそ35%を、旧名張町のそれが占めていた。

名張市公式サイトの「名張市の紹介」によれば、今年9月1日現在の人口はこうなっている。
  • 名張市  83,779人
  • 名張地区 06,996人
名張まちなかの人口は、市制施行時の64%にまで落ち込み、市全体の一割にもみたない。

名張市の人口そのものは、桔梗が丘をはじめとした大規模住宅地が開発され、関西圏からの流入人口がふくれあがって、二・七倍に増えている。

しかしそれも、平成12・2000年をピークとして減少に転じた。

名張市の紹介」から、過去十四年間の市人口を引いておく。いずれも10月1日現在。
平成05・1993年 77,427
平成06・1994年 79,846
平成07・1995年 81,644
平成08・1996年 82,923
平成09・1997年 83,894
平成10・1998年 84,521
平成11・1999年 84,912
平成12・2000年 85,362
平成13・2001年 85,350
平成14・2002年 85,269
平成15・2003年 85,182
平成16・2004年 85,088
平成17・2005年 84,670
平成18・2006年 84,262
21世紀に入ってから、名張市の人口は減りつづけている。

先日、三重県が7月1日現在の基準地価を発表した。

9月20日付ウェブニュースから引用。

朝日新聞:北勢中心に下落縮小 基準地価

   
一方、伊賀、東紀州の2地域では、人口減や高齢化の影響から、宅地、商業地ともに需要が減退し、住宅地、商業地ともに県平均に比べて下落率が大きい。

毎日新聞:基準地価:県内、住宅地2.3%減 商業地2.5%減、下落率は縮小 /三重

   
地域別の下落率が最も高いのは伊賀地区の3・6%で、下落率上位10地点のうち5地点を占めた。その中で、大阪圏への都心回帰から名張市の住宅団地で下落したほか、伊賀市内の住宅団地でも供給過多状態になっている。

中日新聞;“元気な名古屋”波及も 07年の県内地価

   
下落率は、開発後三十年以上が経過し、利便性の悪い鈴鹿市東磯山が最大。松阪、名張、伊賀各市内などが続く。かつては大阪のベッドタウンとして人口が増えた名張市なども、最近の「都心回帰」の流れで、低迷が続いている。

伊勢新聞:商業地13年ぶり5地点上昇 県内地価 平均変動率は下落止まらず

   
北勢と中南勢、伊勢志摩で下落率が平均値を下回った一方、伊賀と東紀州では引き続き下落している。特に伊賀は大阪方面への都心回帰などが進み、住宅団地の需給不均衡が見られるという。

大丈夫か名張市。
ほんとは黒だが白ということにの巻

五日間にわたって、監査結果を吟味してきた。

9月21日付エントリに「ひとことでいえば、きわめて杜撰な内容である。問題の本質から完全に眼をそむけ、事実関係を精査しようとせず、意図的な事実誤認まであえて犯し、行政サイドにとって不都合な事実はすべて無視してしまい、名張まちなかの現状や関係する委員会およびNPOの実態にはいっさいふれず、ただ名張市がならべたてる寝言のようなきれいごとをそのまま踏襲しただけの監査である」と記したところを、監査結果の本文に照らしながら確認してきたのだが、最初の日までさかのぼって、それぞれにタイトルをつけてみた。
  1. コピー&ペーストに気をつけろの巻 9月22日
  2. 何もあきらかにされておらんぞの巻 9月23日
  3. 協働はきょうもインチキだったの巻 9月24日
  4. 眼をそむけたら事実はみえないの巻 9月25日
  5. ほんとは黒だが白ということにの巻 9月26日
9月22日、参考資料「僕の住民監査請求」から、こんなところを引用した。

   
「ですからそこらのNPOの勝手な判断にもとづいて委託された研究に市民の税金を投じていいものかどうか」
「どないするゆうんですか」
「名張市の監査委員の先生おふたかたにはっきり白黒つけてもらいますねん」

名張市の監査委員の先生おふたかたは、白、との結論を導いた。黒いものに眼をむけず、あったことをなかったものにしてしまうのだから、白という結論が出るのは当然である。

では、「第4 監査委員の判断」のうちの「2.監査の結果理由」のおしまいのほう。

   
上記(1)〜(4)と述べてきたように請求人の主張については、これを決定づける明白な理由が見当たらないものと判断する。したがって本件請求〈1〉名張市と「三重大学」との間で締結された係る受託研究契約は、請求人の主張するNPOが独自で判断し研究室へ委託を行ったとする付託の不当性は存在せず、名張市の意向が反映されたものであり、正当な財務関連手続きを経て執行されていることから、名張市に損害を与えた事実は認められない。

ばかが、まだこんなことをいってる。

請求人の主張するNPOが独自で判断し研究室へ委託を行ったとする付託の不当性は存在せず」などと、ここまで見え透いたうそがよくかませるものだな。黒いものに眼をむけず、あったことをなかったことにしてしまうしか手がないとしても、こんなことが通用すると本気で思うておるのか。

まともに相手をする気にもなれん。

   
以上のことから、当該契約における名張市の責任者である名張市長によって損害全額の補填を求めるとする本件請求〈1〉は、棄却することが相当と判断する。
次に、本件請求〈2〉について、請求の内容から判断すると当該実施設計は、名張市が平成18年度に発注した「細川邸改修他工事実施設計業務委託」と特定できる。
本件請求〈1〉の報告書に係る契約の締結、履行が前述のとおり違法又は不当な公金の支出にあたらず、有効なものであることから、その報告書を基本とし、 また適法に財務関連手続きを経た当該実施設計業務についても何ら違法性や不当な公金の支出に相当する事実は認められない。
したがって、本件請求〈2〉についても実施設計を無効とする請求人の主張には理由がなく、本件請求〈1〉と同様に棄却することが相当と判断する。

こら名張市。

名張市とかいうインチキ自治体。

人がせっかく親切に住民監査請求かましてやってるんだから、もうちょっとましな監査委員を準備しておかんか。

こんなんじゃどうしようもねーぞ実際。

しかしまあ、インチキ自治体においては監査もまたインチキなのであるということか。

富士には月見草がよく似合う。

名張市にはインチキがよく似合う。

そんなもん似合ってどうすんの。
眼をそむけたら事実はみえないの巻

「第4 監査委員の判断」のうちの、「2.監査の結果理由」のつづきのつづき。

監査結果の通知書は、「この委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきたことから、請求人の主張する市の意向がまったく反映されていないという主張には理由がないものと解するほかない」とかいってるわけである。

請求はあくまでも、具体的な事実に即しておこなわれている。

しかるに監査は、具体的な事実にいっさい眼をむけようとはしない。

名張市と名張まちなか再生委員会とは手を携えてきたわけですから、意向が反映されてないわけないんじゃないでしょっかー、といった具体性のかけらもない推断をならべてお茶をにごすばかりである。

この通知書の文章に即して述べるならば、「委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきた」というまさしくその場、官と民とが「共に携え」てことにあたってきたまさしくその局面、それを問題にしているのがこの監査請求である。

そうした場、そうした局面、つまりは「多様な主体の協働」とやらにおいて、それぞれの主体はおたがいの主体性や自立性を認めあっているのか。おたがいを多様な主体の一員として尊重しあっているのか。それを問いかけているのがこの監査請求なのである。

答えは、すでに出ている。みてきたとおりだ。もう最悪なわけである。

つぎ、行きまーす。

   
(2)多様な主体の協働による「まちづくり」という視点は、国レベルであり、国土交通省の「まちづくり交付金交付要綱」においては、対象事業として「まちづくり活動推進事業」があり、その要件は「啓発・研修活動、専門家の派遣、情報収集・提供活動、社会実験等のまちづくり活動の推進に関する事業等に要する費用」とある。

いっといてやる。まちづくりなんて言葉を平気で口にできる人間はばかである。

   
請求者の主張する名張市と「三重大学」の受託研究契約については、この「まちづくり交付金」の対象事業として国の採択を受け、実施しているものであり、財源として国の交付金を充当するなど、名張市単独で事業を推進しているのではなく、国のサポートを得ながら、地域の多様な主体の協働によってまちづくり活動の推進を図るという点において、方向性やプロセスに問題があるとは認められない。

それはそうだろう。指摘された事実から眼をそらしつづけてるんだから、いつまでたっても問題を認めることなんてできるわけがない。

それにしても、「請求者の主張する名張市と「三重大学」の受託研究契約については」ってところは、文章としておかしいぞ。「主張」ではなくて「指摘」とするか、でなければ「請求者が不当性を主張している」とでもしなければ、意味がとおらん。

さっきも「請求人の主張する市の意向がまったく反映されていないという主張」なんて不細工な表現があったけど、コピー&ペーストの素材がなくなったら、とたんに文章まておかしくなるのかよ。こんなことなら、監査結果通知書を事前に添削してやればよかったのかな。

   
(3)名張市が「三重大学」に受託研究を申し込む際、次のとおり研究目的及び内容を示している。

こんなことを説明していただく必要は、まったくない。必要な説明はいっさいせず、よけいなことばかり書きならべているのは見苦しいかぎりだが、いいわけというのはそういうものなのである。

   
「本研究は、ワークショップ(NPOなばりマネジメント委員会など)の開催支援及び歴史的建造物(細川邸)改修にかかる基本設計業務とともに、当該建造物の管理主体となる「まちづくり組織(NPO等)」の運営モデルの開発、運営効果の測定など専門的・技術的な支援を目的とする。」

だーかーらー、こんなことよりほかに、もっと精査してきちんと説明しなければならんことがあるだろーが。

だというのに、なりふりかまわず得意技コピー&ペーストなんかくりだしてきちゃってまあ。

じゃ、必殺技のコピー&ペースト返しをお見舞いするぞ。

   
2003 年度(2004年度の誤り──引用者注)に策定された名張地区既成市街地再生計画「名張まちなか再生プラン」において、旧細川邸を改修し、歴史・交流拠点として整備することが提案されている。2005年(2006年の誤り──引用者注)6月のまちなか再生委員会総会においてNPOなばり実行委員会の設立が認められ、同役員会においてNPOなばり実行委員会に対して旧細川邸の運営および改修案を検討することが付託された。そして、NPOなばり実行委員会の世話人会において、NPOなばり実行委員会の代表者や名張市職員、市民から構成されるマネジメント委員会において具体的な改修計画案を検討することが了承された。

三重大学の報告書にはこう書かれてるわけである。「受託研究を申し込む際」のことよりも、ここにみえる「付託」や「了承」、つまり、受託研究の必要性が発生した時点のことを問題にしろよこら。

   
また当該大学の研究室に蓄積されたノウハウを享受し、指導を受けながら研究及び実践を推進していこうとする意向が「受託研究業務の概要」の中で示されている。

享受」って言葉がひっかかる。日本国語大辞典には「多く精神的、物質的な利益を受け、それを味わい楽しむことにいう」と記されている。快楽を享受する、なんていうのが一般的な用法である。ほんと、添削してやりゃよかったな。

   
つまり「名張まちなか再生プラン」を実践するため、当該研究行為を契約事務に移行する目的で、事業を統括し、日常的に契約行為を行っている名張市が、主体的に発注行為に至ったことは、合理的且つ適正な判断といえる。

何が「つまり」なのかな。いよいよまともな文章ではなくなってきている。「主体的に発注行為に至った」というのはどういうことか。発注が主体的な行為であるのはあたりまえではないか。

つまり、名張まちなか再生プランの実践とやらを進めるために、いつかの時点で、当該研究行為の必要性が認識されたわけである。そして、必要性をめぐる判断がおこなわれ、必要であるという決定がくだされたわけである。発注行為はそうしたプロセスの帰結でしかない。

で、この一連のプロセスにおいて、名張市は、はたして、主体的に認識し、主体的に判断し、主体的に決定したのか。そんなことはまるでない。必殺技コピー&ペースト返しで引用した三重大学の報告書を読めば、文字どおり一目瞭然ではないか。

   
さらに、当該研究を名張市が「三重大学」との間で契約を締結しようとする理由において、当該大学の研究室に「名張地区既成市街地再生計画策定委員会委員長」及び「名張まちなか再生委員会副委員長」を歴任した教授が在籍し、名張地区既成市街地の近年の経緯、実状について熟知しており、地域課題についても掌握している研究機関であり、あわせて学術的・専門的な知識を有していることから、随意契約理由としている根拠も、妥当なものと判断できる。

だからね、それが癒着だっつってるわけなの。

一連のプロセスを遡及してみるならば、発注のまえには決定があり、決定のまえには判断があり、判断のまえには認識があった。要するに、委託研究が必要だという認識ね。

で、この認識の前提として癒着があったんじゃねーのかよ、っつってるわけなの。まあ癒着体質むきだしの監査なんだから、癒着を「妥当なものと判断できる」のは、あたりまえっちゃあたりまえの話であるが。

それにしたってこら、「名張地区既成市街地の近年の経緯、実状について熟知しており、地域課題についても掌握している」とか、「学術的・専門的な知識を有している」とか、いい気になってでたらめかましてんじゃねーぞこら。

名張地区既成市街地再生計画策定委員会について述べたところを、参考資料「僕の住民監査請求」から引いておく。

   
「その委員会を結成するにあたってそこらのまちづくり推進協議会とか青年会議所とか老人クラブとかPTAとかから適当にメンバー集めてきてどないする」
「それはまあそうですけど」
「みんなで集まってご町内親睦カラオケ大会団体の部でもやるんですか」
「けど行政が委員会つくる場合はそうゆう人選が妥当なとこなんでしょうね」
「まったく妥当ではなかったということは委員会の策定した名張まちなか再生プランが雄弁に物語ってるわけですけど」
「そらプランには問題がありますけど」
「かりに百歩譲ってああゆう人選しかできなかったとしても道はあるんです」
「道といいますと」
「ちゃんとしたプランをつくる道です」
「どないしますねん」
「歴史資料館をつくるのであればその道の専門家に助言をお願いするべきです」
「それは必要でしょうね」
「そうしたら歴史資料館なんかつくれないゆうことがすぐにわかったはずです」
「それをしてなかったんですか」
「してなかったから歴史資料館つくれとか無茶苦茶なプランになったわけです」
「けどいちおう三重大学の先生にも加わっていただいてたわけですから」
「でも工学部の先生ですから」
「そうなんですか」
「これはパブリックコメントでも指摘したことなんですけど結局この話は最初に細川邸ありきゆう筋書きなんです」
「それで町屋改修の専門知識がある工学部の先生に委員になっていただいたと」
「委員ゆうか委員長をお願いしまして」
「それやったら改修そのものにかんしては大船に乗ったようなもんですけど」
「改修よりもまず細川邸をどんな方向で活用するのか。それが重要問題です」
「それを考えることができなかったと」
「細川邸は歴史資料館にでもしときましょかみたいな月並みきわまりない思いつきだけで話が終わってしまいました」
「それもまたすぐに変更されましたし」

平成18・2006年5月23日、名張まちなか再生プランのことで、名張市建設部の当時の部長ならびに名張まちなか再生委員会の当時の委員長と面談したおり、建設部長の口からは、工学部の教授に名張地区既成市街地再生計画策定委員会の委員長を依頼したのは適切なことではなかった、というニュアンスの発言が聞かれた。

もとより録音も筆録も残っていないが、名張市役所内部にもこうした認識が存在していることがわかり、それゆえ印象深く記憶している。うそだと思うんだったら、この正直者の建設部長に事情聴取かましてみろ。

   
(4)当該受託研究に関しての予算措置は、平成18年6月補正予算において、「まちづくり活動推進事業」として1,500千円計上され、同6月定例会において議決を得た事業であり、当該契約の予算執行に係る事務処理については、名張市契約規則及び名張市会計規則等に基づき適正に処理されており、支出科目も使途に合致しており、正規の手続きを経た予算の支出行為である。したがって、何ら不当性や不当な支出の事実は認められない。

どうしてこんなことを力説しなければならんのか。予算執行の手続きそのものには、誰も文句なんかいってねーだろーが。議会で可決されて正当に執行された予算ではあっても、よく考えてみたら正当じゃなかったみたいだからちょいと調べてくださいな、ってのが住民監査請求じゃねーか。

名張市の監査委員には、住民監査請求ってのがどんなものなんだか、よく理解できておらんようだな。勉強しなおしてこいこの役立たず。いやいや、ここまで徹底的に現実を直視しようとしないんだから、勉強したとて甲斐はあるまい。

つづきはあした。
協働はきょうもインチキだったの巻

「第4 監査委員の判断」のうちの、「2.監査の結果理由」のつづき。

   
平成17年3月には、名張地区既成市街地再生計画策定委員会が「名張まちなか再生プラン」をとりまとめている。このプランでは、従来の市主導の一方的な計画推進手法ではなく、市民と行政が共に尊重し、共に育む計画、つまり協働事業として取り組むこととした。そのリーダーシップをとる組織として発足したのが「名張まちなか再生委員会」であり、この委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきたことから、請求人の主張する市の意向がまったく反映されていないという主張には理由がないものと解するほかない。

あきれたものである。

名張市の監査委員は、行政の代弁者でしかないらしい。

このプランでは、従来の市主導の一方的な計画推進手法ではなく、市民と行政が共に尊重し、共に育む計画、つまり協働事業として取り組むこととした」とあるところは、まちなか再生に着手するにあたっての名張市の理念を、監査委員が紹介したものと理解できる。

だが、「委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきた」とあるところは、そうではない。

名張まちなか再生委員会が名張まちなか再生プランを具体化してきたプロセスを、監査委員がみずからの主観にもとづいて述べているのである。そしてここには、そのプロセスに対する肯定的評価がふくまれている。

しかし、今回の請求は、そのプロセスにおおいに問題があったことを指摘し、それにもとづいて名張市の責任を問うものである。

たとえば、まちなか再生に着手するにさいして名張市に根本的なあやまりがあったことを、参考資料として提出した「僕の住民監査請求」では、このように批判しておいた。

   
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」

監査委員は、こうした批判が存在することを、参考資料を読むことによって、知っていたはずである。それを知ったうえでなお、これまでのプロセスに肯定的評価を与えているのである。

実際のところ、名張まちなか再生委員会がたどってきた経過について、そしてその結果として立ちいたった現状について、多少なりとも知識のある人間から見解を求めたと仮定した場合、肯定的評価をくだす人間はほとんど存在しないものと思われる。

にもかかわらず、名張市監査委員は、そうした現実に眼をむけようとしない。

あきれたものである。

名張市の監査委員は、行政の代弁者でしかないらしい。

たとえうわべだけでも、いや、完全にうわべだけなのだが、てまえどもは中立中正で公平公正な監査委員でございます、という顔をしてしかるべき監査委員が、この監査結果通知書では、徹頭徹尾、われわれは行政の忠実な犬ですが何か? という顔をしている。

犬では困る。

ほんとに困るのだが、げんに犬なんだからしかたがない。

うーらのはッたけでポチがなくー、とか鼻歌のひとつもまじえつつ、吟味をさらに進めよう。

そのリーダーシップをとる組織として発足したのが「名張まちなか再生委員会」であり」と、ポチはいう。

しらっぱくれてんじゃねーぞポチ。だーれが名張まちなか再生委員会の話をしてるってんだ。意図的な事実誤認もたいがいにしておけ。おまえだって「事実関係」にはこう書いておったではないか。

   
この中で(1)歴史拠点整備プロジェクトの柱として検討した「細川邸」の整備を起点として名張地区のまちなか全体の活性化を踏まえた事業を早期に実現するため、平成18年6月18日の平成18年度名張まちなか再生委員会総会において、実践的な組織として「(仮称)NPOなばり実行委員会」を設立するに至った。
さらに取り組みを進める中で、専門部会として「NPOなばり世話人会」、「NPOなばりマネジメント委員会」を立ち上げた。これは「細川邸」改修後は、公設民営方式を採用するという「名張まちなか再生プラン」での意向を継承することから、行政だけでなく地元組織や商工団体からも多数の参画を求め、整備後の管理運営に向け、円滑な移行を意図したものである。

わかるかポチ。名張まちなか再生委員会は、NPOなばり実行委員会ではない。両者はべつの組織である。さらにNPOなばり世話人会とかNPOなばりマネジメント委員会とかいうものまであるのだが、このふたつをNPOなばり実行委員会にふくめてしまうのはまあいいとしよう。

だが、通知書の「監査委員の判断」にいたって、名張まちなか再生委員会の名前だけを出し、NPOなばり実行委員会のことにいっさいふれなかったのは、あまりにもまずいぞポチ。ここ、重要。ポチはいっさい知らん顔してるけど、ここ、急所。

わかるかポチ。名張市は名張まちなか再生委員会ではない。同様に、名張まちなか再生委員会はNPOなばり実行委員会ではない。

そして、まえにも書いたとおり、今回の請求は「名張市と市が発足させた委員会や協議会、さらにはNPOとの関係性」を問うことを主眼としており、具体的には、「そこらのNPOの勝手な判断にもとづいて委託された研究に市民の税金を投じていいものかどうか」を問題にしている。

要するに、どうよこのなあなあ体質のずぶずぶ構造の癒着天国は、っつーことを問題にしてるわけなのだよ。ところがこの通知書は、そうした問題を「協働」という言葉によって正当化してしまい、しれっとこんなふうにいっているのである。

市民と行政が共に尊重し、共に育む計画、つまり協働事業として取り組むこととした。そのリーダーシップをとる組織として発足したのが「名張まちなか再生委員会」であり、この委員会を構成する多様な人材と行政が、共に携え検討を加えてきた」と、ポチがいっているのである。

こう書くことで、名張市の癒着体質のみならず、住民監査請求制度におけるみずからの癒着体質まで、ポチはすっかりあきらかにしてしまったのである。

うーらのはッたけでポチがなくー。

こらこらポチ。さっきから裏の畑で何を掘っているのかと思ったら、おまえ、墓穴を掘っていたのだな。

大笑いだよポチ。

しかし、まずいかもしれないな。

犬だのポチだのと、こんな失礼なことを書いておっては、さすがにまずいかもしれないな。

こんなことでは、全国の犬が怒ってしまうかもしれないではないか。

すまなんだな。全国の犬たちよ。全国のポチたちよ。

つつしんで詫びの言葉を述べたところで、疲れたっつーか、あほらしくなったっつーか、そんな感じになったので、つづきはあしたまた綴る。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012