三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんぱかぱーん、といったところである。
きのう、ついに、とうとう、ようやく、やっとのことで、名張まちなか再生委員会が解散した。
ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんぱかぱーん、と喜ばずしてなんとする。
あんな委員会ぶっ壊してやる、と宣言して名張まちなか再生委員会に入会し、それからの苦節は指折り数えれば二年三か月あまり、艱難辛苦の甲斐あって、委員会がようよう正式にぶっ壊れてくれたのである。
昨24日午後7時30分から、新町の旧細川邸やなせ宿で名張まちなか再生委員会の臨時総会が開かれた。
議案は、「規約第39条第1項第1号の規定により名張まちなか再生委員会を解散する件について」、これだけである。
要するに、規約にのっとって委員会を解散する、それだけのための臨時総会である。
「規約第39条第1項第1号」というのはこれである。
(解散)
第39条 この委員会は、次に掲げる事由により解散する。
(1)総会の議決
(2)目的とする事業の成功の不能
(3)委員の欠乏
2 前項第1号の事由によりこの委員会が解散するときは、委員総数の4分の3以上の承諾を得なければならない。
きのうの時点で、委員総数は二十七人。
総会に出席した委員は八人。
出席委員の賛否を問うたところ、解散に賛成が六人、棄権が二人、という結果になった。
委任状を提出して議長に表決を一任した委員を加えれば、「委員総数の4分の3以上の承諾」を得たことになるとのことで、名張まちなか再生委員会はここに解散を決議した。
めでたしめでたし。
で、解散が決議されるまでに、ふたつの問題点をあらためて指摘しておいた。
まちなか運営協議会が名張市から旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託されていることにはなんの根拠も正当性もない、という問題と、やなせ宿は開設二年度目から指定管理者制度を導入することになっていた、という問題である。
なんども記してきたことだが、きのうの総会でもかいつまんで説明しておいたので、煩をいとわずここにも記しておく。
名張まちなか再生委員会の平成19・2007年度総会で、委員会の内部組織としてまちなか運営協議会を発足させることが決定した。
まちなか運営協議会の目的は、名張まちなか再生委員会の内部において中心的役割をはたすこと、整備を終えた旧細川邸の管理運営を担当すること、このふたつであった。
それ以外には、なにも決められていなかった。
しかし一年後、名張まちなか再生委員会の平成20・2008年度総会では、まちなか運営協議会にかんするどんな協議や報告もおこなわれなかった。
本来であれば、まちなか運営協議会をどのような組織とするのか、つまり協議会の規約案が示されて、それが総会の場で協議検討され、最終的に承認が与えられる、というプロセスが必要である。
のみならず、まちなか運営協議会が名張まちなか再生委員会の内部組織である以上、再生委員会の規約そのものにも、新たな内部組織を規定するための変更が加えられなければならない。
しかし、そうした手続きは、平成20・2008年度総会においても、それ以降においても、いっさいとられていない。
まちなか運営協議会は、発足させることが決定されたものの、実際にはいまだ発足していない、ということになる。
といったような指摘は、ほんとであれば、平成20・2008年度総会でばーんとかましておくべきだったのであるが、おれも委員会に入って数日後のこととて、とてもそこまで考えがおよばなかった。
だから、遅ればせながら、昨年6月6日に開かれた名張まちなか再生委員会の第四回理事会の席で、ばーんとかましてやった。
すると、名張まちなか再生委員会は、ぐだぐだになってしまった。
理事会が開かれなくなって、理事の有志が署名を集めて委員長に理事会の開会を要請する、という異例の事態となった。
ひさしぶりで理事会が招集されたと思ったら、委員会を解散するかどうかアンケートをとりたい、などという意向が伝えられた。
解散はしない、と理事会の席で確認がおこなわれたそのあとは、名張地区まちづくり推進協議会に所属する委員が名張まちなか再生委員会から大挙して退会する、という流れとなった。
そしてそのあと、9月4日の第六回理事会で、あの驚天動地の展開がくりひろげられたのであった。
いくら田舎のお役所じゃとて
はあどーしたどしたあ
ここまであほではちょいと困る
それからどしたあ
ちょいとどころかだいぶ困る
はあもっともだーあもっともだあ
と昔から歌の文句にうたわれておる名張市役所ではあるが、ここまであほな展開が待っていようとは、お釈迦さまでもご存じなかったはずである。
当時のエントリをお読みいただこう。
2009年09月05日:驚くべき展開でござるの巻
2009年09月06日:総会にうってつけの日の巻
2009年09月07日:とうとう新聞沙汰だぜの巻
しっかしまあ、名張市ってのはつくづく無茶苦茶だよな、とあらためて思う。
で、まちなか運営協議会の件である。
まちなか運営協議会なんていまだこの世に存在しちゃいねーんだよ、とかましてやったとたんに名張まちなか再生委員会がぐだぐだになってしまったものだから、問題は一歩も進展をみないままであった。
ぜひともクリアにしておくべき問題ではあったのだが、なんの進展もないまま委員会が解散してしまった。
結局のところ、名張市が旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託しているまちなか運営協議会という団体は、名張まちなか再生委員会とはなんの関係もない組織である、ということになる。
これはおれ個人の見解ではなく、きのうの総会でもあらためて確認したところであり、いってみれば名張まちなか再生委員会の公式見解である。
この問題がこのあとどうなるのか、あるいは、どうにもならないのか、そのあたりのことはよくわからない。
問題にするのであれば、おれひとりでいくらでも問題にすることは可能である。
しかし、テロにはせんとゆうておるからなあ。
まちなか再生事業の笑うべき大失敗は、いうまでもなく恰好のテロの素材である。
しかしまあ、テロにはせんとゆうておるからなあ。
もう一点、指定管理者制度の問題がある。
旧細川邸やなせ宿は、開設二年度目から指定管理者制度を導入して管理運営を進める、ということになっていたらしい。
おれが入会する以前のことだからくわしいことは知らないのだが、名張市は名張まちなか再生委員会にそう約束していた、とのことである。
しかし約束は、いまだにはたされていない。
この点にかんして、きのうの総会で事務局を担当している名張市職員から説明があっただが、みごとなまでに意味不明な説明だったので、そんなことゆうとったらあかんがな、と軽くいなしておいた。
この件もまた、このあとどうなるのか、あるいは、どうにもならないのか、そのあたりのことはよくわからない。
とはいえ、なにしろ名張市である。
行政運営におけるこの程度のわけのわからなさは、べつに驚くにもあたらぬのかもしれん。
なにしろまあ、名張市なのだからな。
さて、名張まちなか再生委員会はここにめでたく解散したわけであるが、このあとは「(仮称)新生・まちなか再生委員会」なる市民組織の設立が準備されることになっている。
きのうの臨時総会が終了したあと、設立準備の説明がおこなわれた。
しかし、おれはもう、以前からいってるとおり、まちなかよさようなら、なのである。
「(仮称)新生・まちなか再生委員会」に加わる気はない。
それに、いまから新しい市民組織をつくってみたところで、なにがどうなるものとも思えないしな。
以上、昨夜開催された名張まちなか再生委員会臨時総会にかんする報告であった。
ぱんぱかぱーん、ぱぱぱぱんばかぱーん。
やーい、ばーか。
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