三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張まちなか再生委員会に動きあり
三連休だから、というわけでもないのだが、きのう、津市大谷町の三重県立美術館へ行ってきた。「川喜田半泥子のすべて展」というのをやっている。津のまちを通過して美術館までたどりつくと、駐車場の入口に誘導員が立っていた。たしかに車がたくさん停まっていて、駐車場のなかにも誘導員の姿がみえる。空きスペースに駐車して玄関まで歩いたが、いつになく人が多い。出てきた人とこれから入る人が、むろん混雑というほどではないけれど、三々五々、連れだって歩いている。この美術館でこれほどのにぎわいに遭遇するのははじめてではないか、と思いながら玄関横の窓口に立つと、ガラスのむこうにスタッフはおらず、ガラスには貼り紙があって、きょうは入館料が無料です、みたいなことが書いてある。それで人が多いのか、なんともプアな話ではないか、と納得しながらロビーに入ると、やはり人が多い。展示室も同様である。入館者の列がほぼ途切れることなく展示品の前に連なっていて、たちまちうんざりした。美術館は本来、もっと閑散としているべきものである。展示場を軽く一巡して、早々に出た。観覧の感想としては、ま、しょせん金持ちの道楽だよな、と不遜なことを書き記しておく。
昼はうなぎ、と行く前から決めていたので、美術館から丸之内養正町の新玉亭に移動した。NHK 津放送局のすぐそばである。津はうなぎの消費量日本一のまちである、というまことしやかなうわさがあって、なるほどうなぎ屋は少なからず存在しているようなのだが、のれんをくぐったことがあるのは新玉亭だけである。ここも人が多く、店の外にも客が立っている。ほぼ満杯の駐車場になんとか潜り込んで店に入ると、満員だから待ち時間は一時間ほどになるという。うなぎというのは待ってなんぼ、待たせてなんぼの食べものではあるけれど、さすがに一時間も待つのはつらい。すごすごと退散して、こうなるとなんのあてもない。国道二十三号線を南下してゆくと、やがて左手に和食さと津本町店というのがみえてきた。ここでいい、ということにして、駐車場で車から降りると、すぐ裏に津球場が位置しているらしく、高校野球県予選を応援するブラスバンドの大音量が降り注いでくる。店内は満席で、しばらく待たなければならない。何名さまでお待ちのなんとかさま、という呼び出しの五回目でテーブルに着くことができた。ひつまむしセット、というメニューがあったので、それを注文する。和食さとでひつまぶしを食べたからといって、津でうなぎを食ってきた、ということにはならないと思われるのだが、そんなのはどうだってかまわない。美酒美食に興味があるわけではさらさらなく、グルメなんぞではまったくない。
それにしても、これはもちろん車の窓からながめただけの印象だが、津もいまや、人が歩かないまち、ということになってしまったようである。人影というものが、まちなかに絶えてみあたらない。人が絶えたわけではないから、県立美術館であれ、新玉亭であれ、和食さとであれ、趣味や飲食といった明確な目的を果たすための場には、それなりに人があふれている。だが、人は目的地まで自動車で最短距離を移動するだけで、まちをぶらぶら歩くことはしない。買いものも同様だろう。商店街というものが存在していた時代には、夕食の準備ひとつするにしても、商店街を歩いて食材を買い揃えるのがあたりまえだった。だが、われわれはそんな手間のかかることはしない。自動車で大型店に乗りつけ、ワゴンというのか、カートというのか、商品を入れるための手押し車に必要なものを詰め込み、レジで支払いを済ませて自動車に積み込むと、あとは自分の家に直行するだけである。まちを歩く、という習慣は、いつのまにかすっかり失われてしまい、まちを舞台にしたイベントが催される日にかぎって復活する、ということになってしまった。これはむろん、津だけの話ではない。全国のいたるところがそうなっているはずで、名張のまちも例に洩れない。きょうあたり、名張のまちは炎熱に灼かれて死んだみたいに沈黙しているに相違ないのだが、今週土曜日には恒例の名張川納涼花火大会が催されるから、一日だけのにぎわいがみられることになるはずである。
さて、名張まちなか再生委員会の話題である。長く休眠状態にあった再生委員会に、ようやく動きがある。近く会合が開かれることになった。三連休初日の7月17日土曜日、名張市の都市整備部市街地整備室から封書が届いた。会合の日程は、こうなっている。
記
日時:平成22年7月26日 午後7時〜
場所:名張市役所 3階301会議室にて
添えられた文章によると、委員会を再スタートさせる方向で、話し合いがおこなわれるようである。副委員長が行政サイドとぼちぼち打ち合わせを重ね、ようよう会合が開けるところまで来た、ということらしい。もっとも、おれは以前からいってるとおり、まちなかよさようなら、ということにする。たぶんこの会合のあと、そう遠くない時点で、名張まちなか再生委員会が正式に招集されることになるみたいだから、おれが委員会から引くのは、そのときのことになると思う。そのあと、委員会がどうなるのかは、いまの時点ではさっぱりわからないし、どうなったっていいのだが、けりをつけるというか、けじめをつけるというか、そのあたりはどうすべきか。つまり、以前にも記したことだが、まちなか運営協議会が名張市から旧細川邸やなせ宿の管理運営を委託されていることにはなんの根拠も正当性もない、という問題と、やなせ宿は開設二年度目から指定管理者制度を導入することになっていた、という問題。このふたつの問題はクリアにしておきたいなとおれは思っているのだが、委員会がどう判断するのかはよくわからない。問題にするのか、しないのか、どちらにしようかな、委員会のいうとおり、ということにするつもりである。少なくともおれ個人が、やなせ宿のことで名張市のインチキをただしまくる、みたいなことにする気はない。
なにしろもう、なーにいってやったって無駄なんだからな。名張市はどうして名張地区まちづくり推進協議会とそこまで癒着結託しなきゃならんのじゃ? と尋ねてみたところで、癒着結託にはなんの問題もない、っつーのが名張市の認識なのである。蛙のつらに小便、馬の耳に念仏、のれんに腕押し、豆腐にかすがい、ぬかに釘、っつーやつであって、もう勘弁してくれよ、と思うておったのじゃが、まーだ勘弁はしてくれぬらしい。つまり、この件である。
すなわち、
──なぞがたりなばり講演会を委託する民間団体の募集が年度はじめにおこなわれなかったのはなぜ?
という質問に対して、
──特定の民間団体と官製談合をしっかり進めたあとで委託団体を募集したからです。
という回答が返ってきたわけなのである。それはおれだって、たいがい耐性はついてきてるぞ。名張市役所のみなさんのうそに騙され、いいわけに惑わされ、ずいぶんひどい目に遭わされて、たいがいのことには驚かなくなった。しかし、まだこれほどびっくりせにゃならんことが待ち受けていたとはなあ。官製談合やってましたあ〜ッ、とかお役所が教えてくれるわけよ。ふつうは隠すぞこんなこと。それがどうよ。
「受け皿となる団体との調整に時間を費やしたために」
とか、キリッ、みたいな感じで教えてくれるわけよ。ていうか、もうドヤ顔なわけよ。だから、
──まちなか再生事業で名張市が支払ったコンサルタント料はいくら?
という質問に対しては、
──総額三千十万七千七百円ッ。
という回答も返ってきたわけなんだけど、これももしかしたらドヤ顔なのか? 財政の苦しい時期であるにもかかわらず、まちなか再生のためにこれだけの予算を注ぎ込みました、どやッ、みたいな感じなのか? まさかそんなことはないと思うけど、もしもそんなことだったのだとしたら、そういうのっておかしくないか?
だからもうおれは、まちなか再生なんてことからは、きれいにさよならしてしまうわけなのである。まちなか再生から、というよりは、名張市という自治体から、といったほうが正確かもしれんのだが、とにかくもうやだ、もーおやだこんな生活、っつー感じなわけなのである。しかし、しかし乱歩のことだけはちゃんとしてもらわなくっちゃ困るから、テロにもしないでおとなしくしてるわけなんだけど、ほんとにいったいどうなるのであろうなあ。とかいってるあいだに三連休もそろそろおしまいで、あれこれしなければならんことにはまったく手がつかず、とくに Dreamweaver というサイト作成ソフトを導入するかどうするか、いまだに結論が出ておらぬありさまだというのじゃから、
──結論まだぁ〜?
と自分自身にゆうてみるっちゃ。
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