三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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あしたに迫った。台本を手がけた関係上、PRに努めておくことにする。名張市中町の伊賀まちかど博物館、はなびし庵で歴史影絵の最新作「宇奈根宇流冨志祢奇談」が上演される。タイトルは、うなねうるふしねきだん、とお読みいただきたい。
ウェブニュースは、こんなあんばい。
中日新聞:鳥居の歴史を影絵に 名張「はなびし庵」で9日上演(5月2日)
毎日新聞:歴史影絵:「一の鳥居」題材新作 「はなびし庵」主宰・角田さん夫妻が初公開 /三重(5月2日)
毎日新聞の記事によれば、約二年ごしの構想らしい。らしい、などといってしまってはまるでひとごとみたいであるが、名張のまちなかにそびえる鳥居を題材にした影絵の台本を、とはなびし庵から依頼されたのは、そういわれればたしかに二年ほど前のことであったか。ずーっとほったらかしにしてあったのだが、今年の2月になって、日生学園第一高校の放送部から影絵の新作づくりに協力したいと申し出があったので早く台本を書くように、とはなびし庵から催促されてしまった。へーえ、高校生かよ、とか思って眼の色を変え、いそいそと書きあげたのが「宇奈根宇流冨志祢奇談」である。
名張まちなかの鳥居というのは、平尾に鎮座する宇流冨志祢神社の一の鳥居である。ちなみに、二の鳥居がこれ。
一の鳥居を題材にするのであれば、宇流冨志祢神社そのものを登場させなければ話にならない。ならば、神社の創建から説き起こすのが常道というやつであろう。てなわけで、この新作影絵、ざっと四千年にわたる名張の歴史を語る内容となった。宇流冨志祢神社のもともとの祭神は宇奈根という神だったのだが、この宇奈根神の語源から説き起こして宇流冨志祢神社の歴史を跡づける試みは、これまでに一度もなされていないはずである。つまりまっさらの新説であって、これをテーマに立派な論文を書きあげることも可能なのであるが、そのネタを影絵でやってしまうのだから、じつにぜいたくな話である。とはいえ、難しい内容ではまったくない。論文ではなくてエンターテインメントなのであるから、たいていのあほにでも理解できるようにはなっておる。心配ご無用である。
毎日新聞の記事によると、ナレーションを担当してくれた三年生の滑川弘樹君は「普段使わない言葉が多く難しかった」とぼやいておったらしいのであるが、すまなんだな滑川君、もうひとりのナレーターだった三年生、領内みずほさんともども、えらい苦労をかけた。たしかに難しいことばが多用されたパートがあって、その一部を台本から引いておくとこんな感じである。
難しいはずである。祝詞なのである。祝詞は、のりと、とお読みいただきたい。高校生の若くて清新な声で祝詞を唱えてもらい、この名張まちなかに渦を巻く罪、とが、けがれ、まがごと、その他もろもろの悪しきものを一挙におはらいしてやるか、と考えた次第である。高校生に祝詞を読ませるとはなにごとか、などと教育やくざ三教組あたりが口にしそうな愚かしいクレームにまきこまれたら気の毒だと思われたので、日生学園の高校生諸君にはじめて会ったとき、君たちの学校は思想的にはライトなのかレフトなのかそれともニュートラルなのか、と質問してみたのだが、とくに問題もなく、滑川と領内のご両人、みごとに祝詞を読んでくれた。どんなできばえになったのかは、あすの上演でご確認いただきたい。
はなびし庵歴史影絵
作品:宇奈根宇流冨志祢奇談 日時:5月9日(土)午後2時 場所:伊賀まちかど博物館 はなびし庵(すみた酒店) 〇 名張市中町370 電話0595-63-0032 席料:400円(茶菓つき) *電話予約が必要 |
ウェブニュースは、こんなあんばい。
中日新聞:鳥居の歴史を影絵に 名張「はなびし庵」で9日上演(5月2日)
毎日新聞:歴史影絵:「一の鳥居」題材新作 「はなびし庵」主宰・角田さん夫妻が初公開 /三重(5月2日)
毎日新聞の記事によれば、約二年ごしの構想らしい。らしい、などといってしまってはまるでひとごとみたいであるが、名張のまちなかにそびえる鳥居を題材にした影絵の台本を、とはなびし庵から依頼されたのは、そういわれればたしかに二年ほど前のことであったか。ずーっとほったらかしにしてあったのだが、今年の2月になって、日生学園第一高校の放送部から影絵の新作づくりに協力したいと申し出があったので早く台本を書くように、とはなびし庵から催促されてしまった。へーえ、高校生かよ、とか思って眼の色を変え、いそいそと書きあげたのが「宇奈根宇流冨志祢奇談」である。
名張まちなかの鳥居というのは、平尾に鎮座する宇流冨志祢神社の一の鳥居である。ちなみに、二の鳥居がこれ。
一の鳥居を題材にするのであれば、宇流冨志祢神社そのものを登場させなければ話にならない。ならば、神社の創建から説き起こすのが常道というやつであろう。てなわけで、この新作影絵、ざっと四千年にわたる名張の歴史を語る内容となった。宇流冨志祢神社のもともとの祭神は宇奈根という神だったのだが、この宇奈根神の語源から説き起こして宇流冨志祢神社の歴史を跡づける試みは、これまでに一度もなされていないはずである。つまりまっさらの新説であって、これをテーマに立派な論文を書きあげることも可能なのであるが、そのネタを影絵でやってしまうのだから、じつにぜいたくな話である。とはいえ、難しい内容ではまったくない。論文ではなくてエンターテインメントなのであるから、たいていのあほにでも理解できるようにはなっておる。心配ご無用である。
毎日新聞の記事によると、ナレーションを担当してくれた三年生の滑川弘樹君は「普段使わない言葉が多く難しかった」とぼやいておったらしいのであるが、すまなんだな滑川君、もうひとりのナレーターだった三年生、領内みずほさんともども、えらい苦労をかけた。たしかに難しいことばが多用されたパートがあって、その一部を台本から引いておくとこんな感じである。
《春日の祭。大神等の、乞わしたまいのまにまに、春日の、三笠の山の、下つ石ねに、宮柱、広知り立て、高天の原に、千木、高知りて、天の御蔭、日の御蔭と定めまつりて、貢る神宝は、御鏡、御横刀、御弓、御桙、御馬に備えまつり、御服は、明るたえ、照るたえ、和たえ、荒たえに、仕えまつりて、四方の国の献れる、御調の荷前、取り並べて、青海の原の物は、鰭の広物、鰭の狭物、奥つ藻菜、辺つ藻菜、山野の物は、甘菜、辛菜に至るまで、御酒は、甕の上、高知り、甕の腹、満て並べて、雑の物を、横山の如く、積み置きて、神主に、某の官位、姓名を定めて、献るうずの大幣帛を、安幣帛の足幣帛と、平らけく平らけく、聞しめせと、皇大御神等を称辞竟えまつらく》
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難しいはずである。祝詞なのである。祝詞は、のりと、とお読みいただきたい。高校生の若くて清新な声で祝詞を唱えてもらい、この名張まちなかに渦を巻く罪、とが、けがれ、まがごと、その他もろもろの悪しきものを一挙におはらいしてやるか、と考えた次第である。高校生に祝詞を読ませるとはなにごとか、などと教育やくざ三教組あたりが口にしそうな愚かしいクレームにまきこまれたら気の毒だと思われたので、日生学園の高校生諸君にはじめて会ったとき、君たちの学校は思想的にはライトなのかレフトなのかそれともニュートラルなのか、と質問してみたのだが、とくに問題もなく、滑川と領内のご両人、みごとに祝詞を読んでくれた。どんなできばえになったのかは、あすの上演でご確認いただきたい。
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