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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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一気に秋になった。わきたつような夏の感情はすでに遠く去り、いつの秋にも訪れる静かな悲哀の気配が感じられる。秋風秋雨が人を愁殺する候である。だからといって、殺気が消えてしまったわけではない。怒りは秋の大気のように研ぎ澄まされている。

まず、きのうのウェブニュース。

毎日新聞:寄付:江戸川乱歩の長男から、ふるさと納税で--名張 /三重

引用。

   
名張市は25日、同市生誕の推理作家、江戸川乱歩(1894~1965)の長男で、立教大学名誉教授の平井隆太郎さん(87)=東京都豊島区=から、ふるさと納税として寄付があったと発表した。「乱歩生誕の地をはじめとした地域資源を活かしたまちづくりに活用いただきたい」との申し出があったという。金額は本人の希望で非公表。

「平井家の皆様が名張をふるさととお感じいただいていることに感銘を受けております」という名張市長のコメントも掲載されているのだが、ここで話題は名張市公式サイト「市長への手紙」にスライドする。

名張まちなか再生プランにおいて、新町の細川邸は歴史資料館として整備されることになっていた。その方針に、名張まちなか再生委員会は勝手に変更を加えた。できあがったのは観光交流施設のやなせ宿である。しかし、「市長への手紙」で確認したところによると、やなせ宿は主用途を歴史資料館として整備されたのだという。ならばやなせ宿にはどんな歴史資料が展示されているのかとただすと、とても歴史資料とは認められぬバッタモンがいくつか示された。

そこで、名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんに、歴史資料の定義や資料収集の方針について、いつ質問を受けても答えられるように準備しておいてくれと、このブログを通じて依頼したのが8月21日と22日のことであった。準備は順調に進んだことであろう。

名張市公式サイト「市長への手紙」に質問を送信した。件名は「いつたびやなせ宿について」。送信IDは20080827073135547とのことであった。

   
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。

・名張まちなか再生プランには、旧細川邸を歴史資料館として整備し、「江戸時代の名張城下絵図や江戸川乱歩など名張地区に関係の深い資料を常設展示する」と明記されている。歴史資料館を主たる用途として整備されたというやなせ宿では、現在、名張城下絵図の複写版は展示されているとの由であるが、江戸川乱歩の関連資料は展示されていない。乱歩関連資料を展示しない理由は何か。

ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。

2008/08/27

名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんには、やなせ宿における乱歩関連資料の定義と収集方針についても、回答の準備を進めていただかねばならぬ。もっともこれは、もしもやなせ宿に乱歩関連資料を展示するのであれば、という話である。いまのところ、そんな気配はみじんもない。たぶん永遠にないであろう。

ここで表明しておく。以前から記しているとおり、名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して、名張市は乱歩をどうする気? ということを名張市長に確認するのが当方のもくろみである。やなせ宿の問題に端を発して、そのもくろみはそろそろ本格化してきている。名張市長にはおそらく、乱歩と名張の関係にきちんとけりをつけた市長として、この名張市の歴史に名を残していただくことになるはずである。
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