三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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昨22日夜、名張市役所で名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの会議が催された。一週間前、先週の火曜日には乱歩関連事業検討委員会が開かれた。あすの夜もまた、乱歩関連事業検討委員会である。地域社会の害虫である名張まちなか再生委員会を派手にぶっ壊してやることを唯一の目的としてメンバーに加わったというのに、なんでここまで精励恪勤しなければならんのか、とぞ思う。
議題はつぎのとおり。
1.やなせ塾の反省について
2.今後の活動について
3.その他
一点目。やなせ宿連続講座やなせ塾第一回ならびに第二回の反省である。歴史拠点整備プロジェクトリーダー、かんなくずの親分からは、二回の講座はともに好評で、当方の話をもっと聴きたい、とおっしゃる方も少なくないとの報告があった。ついで、親分から発言を求められたので、講師としては反省すべき点など何ひとつない、と述べておいた。そんなもの、あるわけないではないか。
二点目。やなせ塾の第三回と第四回については、6月11日のプロジェクト会議で内容の合意はみていたのだが、日程が未定であった。
6月15日:やなせ塾にも死亡フラグか
きのうの会議で、第三回は8月23日土曜日、第四回は8月30日土曜日、と決まった。
6月11日の会議で配られた資料から、日程だけに訂正を加え、第三回と第四回の「開催要項」を引く。ほかにも、たとえば主催者などに訂正すべき点があるのだが、資料のままとしておく。
第三回「おもてなしの研究」は、なんだかつかみどころのない講座である。しかし、かまわん。消化試合である。とにかく早くやれ、とせっついておいた。
つづく第四回は、かんなくずの親分にはディスカッションの場としたい意向があったようだが、そんなことはとても無理である、これは顔見世興行である、とつっぱねておいた。やなせ宿の整備にそれぞれの立場で携わっていただいた各位から、ひとり五分間でもいいから、やなせ宿について、あるいは、やなせ宿を核としたまちなか再生について、自由におはなしいただければそれでいい。歴史拠点整備プロジェクトのメンバーは、そして第四回に参加する一般市民は、それを拝聴するだけである。われわれは謙虚でなければならない。何よりも謙虚な姿勢が求められる。きのうの会議では、その点を力説しておいた。
討論など、まったく必要がない。そんなことをしても、出席者の話はみごとなまでにかみ合わぬであろう。収拾がつかなくなることは眼にみえている。必要なのは討論ではなく、顔見世である。やなせ宿関係各位に顔をみせていただいて、やなせ宿の整備事業に、それぞれの立場で、けりというやつをつけていただきたい。つけていただかねばならない。当方のねらいは、端的にいえば、これはきのうもはっきり主張しておいたのだが、名張市長に早く楽になっていただきたい、ということである。やなせ宿の座敷で、やなせ宿について語ることで、やなせ宿整備事業の最高責任者として、名張まちなかの住民の前で、というよりは名張市民の前で、事業にとりあえずのけりをつけていただきたい。かなりすっきりしていただけるのではないか。胸のつかえが下りたような気分を味わっていただけるのではないか。そのうえで、名張まちなか再生のために、むろん再生なんて実際にはほぼ不可能であろうけれども、あの名張まちなかのために、市長という立場でさらなるご尽力をお願いしたい。
だから第四回は、いってみれば憑きもの落としの場なのである。名張市長のみならず、ほかの出席予定者各位もたぶんご同様だと拝察する次第であるが、やなせ宿ということばを眼にしたり耳にしたりするたびに、心のなかにこわばりが生じてしまうような状態でいらっしゃるのではないか。そこまでセンシティブな人間ばかりでもないか、という気もするのだが、それはそれとして、とにもかくにも、やなせ宿ということばに接しただけでいちいちこわばられてちゃ困るのである。そんなことでは、「まちなかのあすを語る」なんてことができるはずがないのである。だから、やなせ宿という憑きものを落とすために、顔見世興行の舞台にお立ちいただき、自由におしゃべりいただきたい。それが何よりの憑きもの落としとなるはずである。そして、憑きものが落ちた柔軟な精神で、やなせ宿の今後のことを、名張まちなかのあすのことを、真剣に考えていただきたい。それが当方のもくろみである。
ゆえに討論など、まったく必要がない。出席者同士の会話の要もない。さらに、これもきのう釘を刺しておいたのだが、一般参加者との質疑応答の機会なんてのも無用である。出席者各位には、素直に、正直に、虚心に、坦懐に、飾ったりとりつくろったりすることはいっさいせず、赤心を推して人の腹中に置く、といった心意気で、それぞれの考えを述べていただければそれでいいのである。出席者各位のことばはそれで充分、聴いている人間の心に届くはずである。それでもその場でなんのかんのいってくる人間がいたとしたら、そんな不心得なやつは当方がきれいに黙らせてやる。
むろん、名張まちなかをテーマにしたパネルディスカッションが必要でない、ということではない。必要とあれば別の機会、別の日のやなせ塾で、そうした場を設ければいいだけの話である。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館、いやいや、最近では無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫、という評価も定着しつつあるらしいのだが、とにかくあのやなせ宿を知の殿堂に生まれ変わらせる連続講座やなせ塾は、第一回と第二回の圧倒的な好評を受け、今後も継続するという方針がきのう確認された。したがって、いつの日かのやなせ塾で、かんなくずの親分が大車輪の活躍をみせるパネルディスカッションを好きなだけぶちかませばいいのである。しかし、やなせ塾第四回をその場としてはならない。それは賢明なことではない。
あすにつづく。
議題はつぎのとおり。
1.やなせ塾の反省について
2.今後の活動について
3.その他
一点目。やなせ宿連続講座やなせ塾第一回ならびに第二回の反省である。歴史拠点整備プロジェクトリーダー、かんなくずの親分からは、二回の講座はともに好評で、当方の話をもっと聴きたい、とおっしゃる方も少なくないとの報告があった。ついで、親分から発言を求められたので、講師としては反省すべき点など何ひとつない、と述べておいた。そんなもの、あるわけないではないか。
二点目。やなせ塾の第三回と第四回については、6月11日のプロジェクト会議で内容の合意はみていたのだが、日程が未定であった。
6月15日:やなせ塾にも死亡フラグか
きのうの会議で、第三回は8月23日土曜日、第四回は8月30日土曜日、と決まった。
6月11日の会議で配られた資料から、日程だけに訂正を加え、第三回と第四回の「開催要項」を引く。ほかにも、たとえば主催者などに訂正すべき点があるのだが、資料のままとしておく。
第3週
・テーマ 「やなせ宿」の可能性を考える ・サブテーマ 「おもてなしの研究」 ・開催目的 町家の持つ機能と美しさをフルに引き出し、夏の宵に心づくしのおもてなしを考えます。 ・主催 名張まちなか再生委員会、名張市、名張市教育委員会 ・会場 旧細川邸「やなせ宿」 □ 8月23日午後6:00開場・6:30開始 ・形式 体験講座 □ 心地よい音楽や、行燈の優しい光等、心癒される町家空間を体験します。 ・入場予定者数 50名 ・スケジュール 午後6:00 受付 □ 午後6:30 主催者あいさつ、趣旨説明他 □ 午後6:45 自由体験 □ 午後8:15 茶話会 □ 午後8:50 主催者謝辞 □ 午後9:00 閉会 第4週 ・テーマ まちなかのあすを語る ・サブテーマ 「まちなか再生とは」 ・開催目的 まちなか再生にとってほんとうに必要なものは何か? どうすれば再生するのか? 再生とは何か? 根本に立ち戻ってともに考える。 ・主催 名張まちなか再生委員会、名張市、名張市教育委員会 ・会場 旧細川邸「やなせ宿」 □ 8月30日午後6:00開場・6:30開始 ・形式 座談会 ・出席予定者 名張まちなか再生委員会・正副委員長 □ まちなか運営協議会・会長 □ 名張地区既成市街地再生計画策定委員会・委員長 □ 名張市長 □ 名張市環境部長 □ 名張市議会・議長 □ 名張市教育委員会・委員長 □ 名張商工会議所・会頭 ・入場予定者数 20名 ・スケジュール 午後6:00 受付 □ 午後6:30 主催者あいさつ、趣旨説明他 □ 午後6:45 討論会 □ 午後8:15 質疑応答 □ 午後8:50 主催者謝辞 □ 午後9:00 閉会 |
第三回「おもてなしの研究」は、なんだかつかみどころのない講座である。しかし、かまわん。消化試合である。とにかく早くやれ、とせっついておいた。
つづく第四回は、かんなくずの親分にはディスカッションの場としたい意向があったようだが、そんなことはとても無理である、これは顔見世興行である、とつっぱねておいた。やなせ宿の整備にそれぞれの立場で携わっていただいた各位から、ひとり五分間でもいいから、やなせ宿について、あるいは、やなせ宿を核としたまちなか再生について、自由におはなしいただければそれでいい。歴史拠点整備プロジェクトのメンバーは、そして第四回に参加する一般市民は、それを拝聴するだけである。われわれは謙虚でなければならない。何よりも謙虚な姿勢が求められる。きのうの会議では、その点を力説しておいた。
討論など、まったく必要がない。そんなことをしても、出席者の話はみごとなまでにかみ合わぬであろう。収拾がつかなくなることは眼にみえている。必要なのは討論ではなく、顔見世である。やなせ宿関係各位に顔をみせていただいて、やなせ宿の整備事業に、それぞれの立場で、けりというやつをつけていただきたい。つけていただかねばならない。当方のねらいは、端的にいえば、これはきのうもはっきり主張しておいたのだが、名張市長に早く楽になっていただきたい、ということである。やなせ宿の座敷で、やなせ宿について語ることで、やなせ宿整備事業の最高責任者として、名張まちなかの住民の前で、というよりは名張市民の前で、事業にとりあえずのけりをつけていただきたい。かなりすっきりしていただけるのではないか。胸のつかえが下りたような気分を味わっていただけるのではないか。そのうえで、名張まちなか再生のために、むろん再生なんて実際にはほぼ不可能であろうけれども、あの名張まちなかのために、市長という立場でさらなるご尽力をお願いしたい。
だから第四回は、いってみれば憑きもの落としの場なのである。名張市長のみならず、ほかの出席予定者各位もたぶんご同様だと拝察する次第であるが、やなせ宿ということばを眼にしたり耳にしたりするたびに、心のなかにこわばりが生じてしまうような状態でいらっしゃるのではないか。そこまでセンシティブな人間ばかりでもないか、という気もするのだが、それはそれとして、とにもかくにも、やなせ宿ということばに接しただけでいちいちこわばられてちゃ困るのである。そんなことでは、「まちなかのあすを語る」なんてことができるはずがないのである。だから、やなせ宿という憑きものを落とすために、顔見世興行の舞台にお立ちいただき、自由におしゃべりいただきたい。それが何よりの憑きもの落としとなるはずである。そして、憑きものが落ちた柔軟な精神で、やなせ宿の今後のことを、名張まちなかのあすのことを、真剣に考えていただきたい。それが当方のもくろみである。
ゆえに討論など、まったく必要がない。出席者同士の会話の要もない。さらに、これもきのう釘を刺しておいたのだが、一般参加者との質疑応答の機会なんてのも無用である。出席者各位には、素直に、正直に、虚心に、坦懐に、飾ったりとりつくろったりすることはいっさいせず、赤心を推して人の腹中に置く、といった心意気で、それぞれの考えを述べていただければそれでいいのである。出席者各位のことばはそれで充分、聴いている人間の心に届くはずである。それでもその場でなんのかんのいってくる人間がいたとしたら、そんな不心得なやつは当方がきれいに黙らせてやる。
むろん、名張まちなかをテーマにしたパネルディスカッションが必要でない、ということではない。必要とあれば別の機会、別の日のやなせ塾で、そうした場を設ければいいだけの話である。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館、いやいや、最近では無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫、という評価も定着しつつあるらしいのだが、とにかくあのやなせ宿を知の殿堂に生まれ変わらせる連続講座やなせ塾は、第一回と第二回の圧倒的な好評を受け、今後も継続するという方針がきのう確認された。したがって、いつの日かのやなせ塾で、かんなくずの親分が大車輪の活躍をみせるパネルディスカッションを好きなだけぶちかませばいいのである。しかし、やなせ塾第四回をその場としてはならない。それは賢明なことではない。
あすにつづく。
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