三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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かんなくずの親分。きょうのエントリには、親分の話題はまったく出てこない。安心して読んでくれ。
たまには省略せずに記すと、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の話題である。7月5日に催された第二回のテーマは、「江戸川乱歩を知る」というものであった。講座の時間は九十分とした。開始から五十分は勢いで進め、十分間の休憩をはさみ、残り三十分は惰性でつづける。それで九十分の講座になる。
江戸川乱歩の名前が出てきたのは、開始から八十分が経過し、あと十分で講座が終わってしまうというころであった。江戸川乱歩を知る、ということは、このやなせ塾にかぎっていえば、名張という土地との関連性のなかで江戸川乱歩を知る、ということにほかならない。だから、古代から中世へ、そして近世へ連綿とつづいてきた土地の歴史をまず知ることが必要であり、その土地に生起した歴史事象のひとつとして、江戸川乱歩という個人の誕生をとらえる必要がある。
それでまあ、中世の土豪というか地侍というか、国人というか国衆というか、とにかく貧しくて小規模な領主たちがおたがいを監視したり牽制したり、少しでも抜きん出ようとするやつがいたら寄ってたかってそいつの足をひっぱったりして、とにもかくにも伊賀一国に形成され維持されていた水平的世界は、織田信長という戦国大名を頂点とする垂直的世界に徹底的に殲滅され、あえなく消え去ってしまった。信長はその直後、本能寺の変で世を去り、豊臣秀吉の天下となって、さらに徳川家康がこの国の覇権をにぎることになる。
その家康に命じられ、伊賀伊勢両国を支配することになったのが、藤堂高虎という大名であった。津藩の初代藩主である。二代目は高虎の実子、高次が継いだ。高虎の養子であった高吉は、大名の有資格者であったにもかかわらず、名張藤堂家の初代という低い地位に追いやられた。つまり、高虎なきあとの跡目争いにおいて、高次が勝ち、高吉が負けた。負けた高吉が名張にやってきた。高吉をひいきする名張の人間にとって、高次はにっくきあだである。しかし、そのあだである高次なかりせば、いやいや、かりに高次がいたとしても、それが川で洗濯をしている娘さんの真っ白なお尻にいきなりむしゃぶりついてしまうような自制心のない殿さまでなかったら、江戸川乱歩はこの世に生まれてなどいなかったのである。
やなせ塾第二回では、そういう話をした。名張という土地における歴史の流れのなかで乱歩の誕生という歴史事象を語るとなれば、そこまで話をひろげる必要がある。だからまあ、「江戸川乱歩を知る」というテーマであったにもかかわらず、かんじんの乱歩の名前がまったく出てこなくて、テーマそのものもすっかり忘れはててしまったころ、九十分の講座もあと十分でおしまいというころになって、いきなり江戸川乱歩が登場してきたのだから、受講してくださっていたみなさんにはそこそこサプライズを感じていただけたのではないか。乱歩の名を印象深く胸に刻んでいただけたのではないか。結構結構、それで結構。
そんなこんなで、やなせ塾第二回「江戸川乱歩を知る」においては、江戸川乱歩にかんする衝撃の事実を、歴史の真実というやつを知っていただいた。しかしまあ、ただそれだけであった。もしかしたら、反省しなければならんのかもしれん。お詫びのしるしに、当日配付した資料を掲げておきたい。なんのお詫びにもなっておらんか。わっけわかんねーよな実際。
資料A面。
この資料、AB両面を一枚の紙にコピーして配付したのだが、いまふり返ってみるに、あのコピー代はいったいどこから出たのであろうか。プロジェクトメンバーの誰かが、かわいそうに自腹を切っているということか。しかし、案ずるな。わが名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはいまや、やなせ塾講師の献身的自己犠牲的配慮によって大枚956円の活動費を有する身となっている。かまわん、あの活動費から第一回と第二回のコピー代を差っ引いておけ、といってやりたいところなのだが、きょうは話題にしないと約束してしまったから、いってやれないのがつらいところである。はた迷惑なやつだよなあまったく。
ここで、ひとつお知らせである。皇學館大学社会福祉学部の月例文化講座で、やなせ塾なんかよりはるかにちゃんとした江戸川乱歩の話をお聴きいただける。乱歩の命日も近い7月26日の土曜日、ということは、協賛金が集まらなくてひいひいいってるらしい名張川納涼花火大会の日でもあるのだが、この日、「江戸川乱歩と名張」をテーマとした特別講座が開かれる。講師は准教授の三品理絵さん。午後2時から春日丘七番町の名張学舎一号館で開催され、受講は無料。近鉄大阪線名張駅東口を午後1時30分に発車する同大学のスクールバスが利用できる。
皇學館大学公式サイト:公開講座のご案内
名張市公式サイト:広報なばり(テキスト版)7月1週号 皇學館大学公開講座(特別講座)
やなせ宿連続講座やなせ塾同様、皇學館大学社会福祉学部月例文化講座もよろしくごひいきをたまわるよう、お願いを申しあげておきたい。
たまには省略せずに記すと、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾の話題である。7月5日に催された第二回のテーマは、「江戸川乱歩を知る」というものであった。講座の時間は九十分とした。開始から五十分は勢いで進め、十分間の休憩をはさみ、残り三十分は惰性でつづける。それで九十分の講座になる。
江戸川乱歩の名前が出てきたのは、開始から八十分が経過し、あと十分で講座が終わってしまうというころであった。江戸川乱歩を知る、ということは、このやなせ塾にかぎっていえば、名張という土地との関連性のなかで江戸川乱歩を知る、ということにほかならない。だから、古代から中世へ、そして近世へ連綿とつづいてきた土地の歴史をまず知ることが必要であり、その土地に生起した歴史事象のひとつとして、江戸川乱歩という個人の誕生をとらえる必要がある。
それでまあ、中世の土豪というか地侍というか、国人というか国衆というか、とにかく貧しくて小規模な領主たちがおたがいを監視したり牽制したり、少しでも抜きん出ようとするやつがいたら寄ってたかってそいつの足をひっぱったりして、とにもかくにも伊賀一国に形成され維持されていた水平的世界は、織田信長という戦国大名を頂点とする垂直的世界に徹底的に殲滅され、あえなく消え去ってしまった。信長はその直後、本能寺の変で世を去り、豊臣秀吉の天下となって、さらに徳川家康がこの国の覇権をにぎることになる。
その家康に命じられ、伊賀伊勢両国を支配することになったのが、藤堂高虎という大名であった。津藩の初代藩主である。二代目は高虎の実子、高次が継いだ。高虎の養子であった高吉は、大名の有資格者であったにもかかわらず、名張藤堂家の初代という低い地位に追いやられた。つまり、高虎なきあとの跡目争いにおいて、高次が勝ち、高吉が負けた。負けた高吉が名張にやってきた。高吉をひいきする名張の人間にとって、高次はにっくきあだである。しかし、そのあだである高次なかりせば、いやいや、かりに高次がいたとしても、それが川で洗濯をしている娘さんの真っ白なお尻にいきなりむしゃぶりついてしまうような自制心のない殿さまでなかったら、江戸川乱歩はこの世に生まれてなどいなかったのである。
やなせ塾第二回では、そういう話をした。名張という土地における歴史の流れのなかで乱歩の誕生という歴史事象を語るとなれば、そこまで話をひろげる必要がある。だからまあ、「江戸川乱歩を知る」というテーマであったにもかかわらず、かんじんの乱歩の名前がまったく出てこなくて、テーマそのものもすっかり忘れはててしまったころ、九十分の講座もあと十分でおしまいというころになって、いきなり江戸川乱歩が登場してきたのだから、受講してくださっていたみなさんにはそこそこサプライズを感じていただけたのではないか。乱歩の名を印象深く胸に刻んでいただけたのではないか。結構結構、それで結構。
そんなこんなで、やなせ塾第二回「江戸川乱歩を知る」においては、江戸川乱歩にかんする衝撃の事実を、歴史の真実というやつを知っていただいた。しかしまあ、ただそれだけであった。もしかしたら、反省しなければならんのかもしれん。お詫びのしるしに、当日配付した資料を掲げておきたい。なんのお詫びにもなっておらんか。わっけわかんねーよな実際。
資料A面。
この資料、AB両面を一枚の紙にコピーして配付したのだが、いまふり返ってみるに、あのコピー代はいったいどこから出たのであろうか。プロジェクトメンバーの誰かが、かわいそうに自腹を切っているということか。しかし、案ずるな。わが名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトはいまや、やなせ塾講師の献身的自己犠牲的配慮によって大枚956円の活動費を有する身となっている。かまわん、あの活動費から第一回と第二回のコピー代を差っ引いておけ、といってやりたいところなのだが、きょうは話題にしないと約束してしまったから、いってやれないのがつらいところである。はた迷惑なやつだよなあまったく。
ここで、ひとつお知らせである。皇學館大学社会福祉学部の月例文化講座で、やなせ塾なんかよりはるかにちゃんとした江戸川乱歩の話をお聴きいただける。乱歩の命日も近い7月26日の土曜日、ということは、協賛金が集まらなくてひいひいいってるらしい名張川納涼花火大会の日でもあるのだが、この日、「江戸川乱歩と名張」をテーマとした特別講座が開かれる。講師は准教授の三品理絵さん。午後2時から春日丘七番町の名張学舎一号館で開催され、受講は無料。近鉄大阪線名張駅東口を午後1時30分に発車する同大学のスクールバスが利用できる。
皇學館大学公式サイト:公開講座のご案内
名張市公式サイト:広報なばり(テキスト版)7月1週号 皇學館大学公開講座(特別講座)
やなせ宿連続講座やなせ塾同様、皇學館大学社会福祉学部月例文化講座もよろしくごひいきをたまわるよう、お願いを申しあげておきたい。
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超絶技巧のハードランディングにかんしてひとこと
●永遠のJガール様
ご投稿ありがとうございます。
ねらいどおりの衝撃を受けていただいて、お礼を申しあげます。しかし、ほかのお客さんは、これといった衝撃も感じることなく、ただにこにこにこにこしていらっしゃるだけでしたか。これはしたり。というよりも、なんと申しますか、とにかくパイロットの腕がいいので、超絶技巧のハードランディングがごくあたりまえなソフトランディングにしか感じられなかった、ということなのかもしれません。名プレーヤーはファインプレーをしない、というのとおなじことでしょうか。
しかしこうなりますと、つまり、私が何をいってもお客さんはひたすらにこにこしてくれる、といったことになりますと、やなせ宿はある意味、芸人にとっての理想郷なのではないでしょうか。名張まちなか不景気亭こそは、どんな落ちこんだ芸人にも勇気と自信を与えることのできる奇蹟の小屋である。名張は芸人の理想郷である。そんなふうに胸を張れる日が訪れることを、心から期待したいと思います。
それに私の芸のほうも、こうなりますとなんですか、桂枝雀師匠がよくおっしゃっていた未来の落語、つまり、落語家は高座で何もしゃべらず、ただにこにこしている、そのにこにこが客席にもひろがって、小屋全体がにこにこにこにこする、という未来の落語に接近しているのかもしれないという気がしてきました。だといいますのに、きょうはやなせ塾のない土曜日で、なんとも不完全燃焼な一日です。ほんと、FMなばりで帯番組がもてないものでしょうか。
それから、歴史というやつは、うわっつらをかいなでして済むものではまったくなく、そもそもそれでは面白くありません。馬を洗うなら馬の魂が冴えるまで、人を恋するなら人を殺してしまうまで、との歌もありますが、お勉強というのはなんによらず、宿命というやつを感じてしまうまで徹底しなければだめなんじゃねーの、と思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
ねらいどおりの衝撃を受けていただいて、お礼を申しあげます。しかし、ほかのお客さんは、これといった衝撃も感じることなく、ただにこにこにこにこしていらっしゃるだけでしたか。これはしたり。というよりも、なんと申しますか、とにかくパイロットの腕がいいので、超絶技巧のハードランディングがごくあたりまえなソフトランディングにしか感じられなかった、ということなのかもしれません。名プレーヤーはファインプレーをしない、というのとおなじことでしょうか。
しかしこうなりますと、つまり、私が何をいってもお客さんはひたすらにこにこしてくれる、といったことになりますと、やなせ宿はある意味、芸人にとっての理想郷なのではないでしょうか。名張まちなか不景気亭こそは、どんな落ちこんだ芸人にも勇気と自信を与えることのできる奇蹟の小屋である。名張は芸人の理想郷である。そんなふうに胸を張れる日が訪れることを、心から期待したいと思います。
それに私の芸のほうも、こうなりますとなんですか、桂枝雀師匠がよくおっしゃっていた未来の落語、つまり、落語家は高座で何もしゃべらず、ただにこにこしている、そのにこにこが客席にもひろがって、小屋全体がにこにこにこにこする、という未来の落語に接近しているのかもしれないという気がしてきました。だといいますのに、きょうはやなせ塾のない土曜日で、なんとも不完全燃焼な一日です。ほんと、FMなばりで帯番組がもてないものでしょうか。
それから、歴史というやつは、うわっつらをかいなでして済むものではまったくなく、そもそもそれでは面白くありません。馬を洗うなら馬の魂が冴えるまで、人を恋するなら人を殺してしまうまで、との歌もありますが、お勉強というのはなんによらず、宿命というやつを感じてしまうまで徹底しなければだめなんじゃねーの、と思います。
今後ともよろしくお願いいたします。