三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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さきおとといからきのうにかけて、連投のはずが連休になってしまった。いろいろ考えなければならぬことがあったのだとお思いいただきたい。やや飲みすぎでややへろへろ、という事情もあるにはあったのであるが。
さて、三連休のあとの本日は守破離の離、序破急守破離の最終戦となる。
5月17日:観阿弥vs乱歩 序
5月18日:観阿弥vs乱歩 破
5月19日:観阿弥vs乱歩 急
5月21日:観阿弥vs乱歩 守
5月22日:観阿弥vs乱歩 破
それでいったい、なんの話であったのか。ふるさと納税制度の話である。5月24日付伊和新聞の「記者ノート」に、この話題がとりあげられていた。5月15日に開かれた市議会総務企画常任委員会で、名張市がこの制度を受けて「ふるさと応援基金」なる制度を新設すると発表したという。
引用。
誤認があるので、まずそれを訂しておく。ふるさと納税制度には、「故郷の自治体」という限定は存在しない。この制度を利用すれば、生まれ故郷はもちろんのこと、縁もゆかりもない自治体に寄付することだってできるのである。
適当なウェブニュースをリンクしておく。
中日新聞:ふるさと納税 ぜひわが県へわが町へ HPで情報を提供 郷土愛をくすぐる環境保護を訴え(2月21日)
そもそも、ふるさと納税というネーミングがよろしくない。じつにまぎらわしい。この記事にあるとおり、「住所地ではない自治体に『寄付』する制度であり、『納税』ではない。また、『ふるさと』は『以前に住んでいた自治体』と限定されておらず、個人的に応援したい自治体に寄付することも許容範囲だ」というのがふるさと納税制度なのであるが、伊和新聞の記事を読むかぎり、生まれ故郷にしか寄付ができないといった思い込みに立って、総務企画常任委員会の議事が進められたような印象がある。名張市による説明に不備があったのか、あるいは記者個人の思い込みか、そのへんはよくわからない。
ともあれ、名張市が新設する基金のテーマとして掲げられるのが、5月16日付毎日新聞でも報じられていたが、この記事によればこれである。
(1)市民主体のまちづくり
(2)水と緑のまちづくり
(3)子供が輝くまちづくり
(4)歴史文化のまちづくり
(5)生涯現役のまちづくり
(6)ふるさと名張の未来に寄与するまちづくり
選挙の公約じゃねーんだぞばーか、との批判はすでに記したが、この日の常任委員会では、議員からこんな発言があったという。
「ばくぜんとしたものに寄付が集まるとは思わない。事業と目標金額、期限を決めた募金でないとだめだ」
「神社の造営の寄付でも、何度も足を運び、寄付金額を公表することで協力が得られる」
「名張市の原住民は3万人、新住民は5万人。名張市以外にふるさとを持つ人が多い。入るより出る方が多いのではないか」
「名張出身者で、居住地の行政が気に入らないので、名張市に寄付をするという人がいるかも」
名張市議会というのは、もしかしたら乞食の集まりででもあるのだろうか。さもしく、あさましく、いじましいことばっか口走られても、市民としては困ってしまうではないか。そんないちゃもんをつけてる暇があるのだったら、たまにゃ有効な提案でもしてみたらどうだ、と思われてならぬのであるけれど、名張市議会のアベレージはこんなところかもしれない。なにしろ、結構ひどいらしい。
やはり伊和新聞の4月19日号、コラム「伊和天地」にこんなことが記されていた。
市議会議員がガードマンなのかどうかという問題はさておいて、ここに書かれていることがほんとだとしたら、困ったもんだよなあ名張市議会。議長になるためには議員の本分を抛擲し、恥知らずにも行政べったり、ずぶずぶなあなあの泥沼に首までどっぷりつからなければならんのか。ポチしか議長になれんのか。げんにまあ、議長はポチなのであるけれど。
そういえば、やはり伊和新聞、5月17日号の「記者ノート」には、「議会の沈黙に疑問の声/富貴ヶ丘民営保育所問題」との見出しが立てられ、こんなことが報じられていた。
議員先生に沈黙してもらったりしてた日にゃ市民の立場がねーじゃねーか、と善良な市民のひとりとしては思わざるをえない。ほんっと、大丈夫か名張市、と善良な市民には案じられてならぬ次第なのであるけれど、それ以前の問題として、話が横道にそれすぎてしまった。伊和新聞で報じられた名張市議会のおそまつさについ眼を奪われてしまった結果なのであるが、こんなことではいかん。本題はあくまでもふるさと納税制度であり、それにからむところの「観阿弥vs乱歩」というテーマが、序破急守破離とつづいた六連戦の命題なのである。
とはいえ、命題の答えなら最初から知れている。これまでみてきたとおり、観阿弥と乱歩という名張市の二枚看板、ここからあえてどちらかを選択するとなれば、選ばれるべきはやはり乱歩であろう。したがって名張市が、ふるさと納税制度で能楽振興をはかりますとぶちあげるだけで、乱歩のことは知りませんなんてことにしてしまうのだとしたら、それはずいぶんもったいない話である。だが、かりに、ふるさと納税制度を利用して乱歩顕彰を進めます、なんていってみたっておんなじことである。内容空疎なお題目であることには変わりがない。能楽振興であろうが乱歩顕彰であろうが、うわっつらだけのお題目をいくら掲げたって誰からも相手にされるわけがないのである。
それでまあ、これが結論なのである。なんというのか、ふるさと納税制度を受けて新たな制度を設けます、なんていってみたところで、うすぼんやりした選挙公約のごときテーマを並べることしかできない。つまりタクティクスというものがどこにもない。ふるさと納税の寄付で能楽振興をはかります、なんていってみたところで、具体的な方向性など何ひとつ示されることがない。やはりタクティクスが存在しないのである。観阿弥よりは乱歩のほうが看板として有効だから、という理由でこの能楽振興を乱歩顕彰にさしかえてみたところで、事情はまったくおなじである。観阿弥vs乱歩という二項対立を設定して、さてどっちがいいのかな、などと考えることじたいが無意味なのである。名張市がもう少ししっかりしないことには、てんで話にならんのである。
お題目を掲げるまえに、観阿弥であれ乱歩であれ、名張市はいったい何をどうするのか、どうしたいのか、明確な方向性を示すことが必要であろう。ふるさと納税制度なんてものがなくたって、そうした方向性をきっちり示すのはあったりまえの話なのである。そして、その方向性のもとで、いままで何をしてきたのか、どれだけの蓄積があるのか、それを検証することが不可欠である。その方向性の未来に、名張市はいったい何をみているのか、どんなビジョンをくっきりと描いているのか、その展望を明らかにすることが不可欠である。それをやらなきゃ話にならんだろーが、という話なのであるが、能楽振興や乱歩顕彰にはとどまらず、この名張市はそういったことが全般的にいたって苦手なようである。過去を検証することも未来を展望することもせず、ここ名張市では要するに、その場その場の思いつきだけでものごとが進められているらしいということは、細川邸改めやなせ宿の整備事業からもよくよく知られるところであろう。
大丈夫か名張市。ほんっと、大丈夫か。
さて、三連休のあとの本日は守破離の離、序破急守破離の最終戦となる。
5月17日:観阿弥vs乱歩 序
5月18日:観阿弥vs乱歩 破
5月19日:観阿弥vs乱歩 急
5月21日:観阿弥vs乱歩 守
5月22日:観阿弥vs乱歩 破
それでいったい、なんの話であったのか。ふるさと納税制度の話である。5月24日付伊和新聞の「記者ノート」に、この話題がとりあげられていた。5月15日に開かれた市議会総務企画常任委員会で、名張市がこの制度を受けて「ふるさと応援基金」なる制度を新設すると発表したという。
引用。
□○…ふるさと納税制度ができたことはご存知だろうか─。都市の納税者が故郷の町に納税できるという制度だ。自分がやってみようと考えた人はいるかも知れない。これが、本格的に実施されれば、東京都などの都会の財源に影響がでるといわれている。「このような法案が成立するとは思っていなかった。名張市は元の人口は3万人、新住民の方が多い」とここでも税収を心配する市長(同区長会で)。[引用者註──「同区長会」は5月14日に開かれた名張市区長会総会のこと。その席で市長が「道路特定財源がなくなると、自治体は借金の返済財源がなくなる。そこで、地方は激しく国に陳情している」と述べたことを受けている]
□○…同制度は、故郷の自治体に寄付した場合、その金額より少し減額されて、現住地の自治体へ納める住民税から、控除されるというもの(計算式がある)。 |
誤認があるので、まずそれを訂しておく。ふるさと納税制度には、「故郷の自治体」という限定は存在しない。この制度を利用すれば、生まれ故郷はもちろんのこと、縁もゆかりもない自治体に寄付することだってできるのである。
適当なウェブニュースをリンクしておく。
中日新聞:ふるさと納税 ぜひわが県へわが町へ HPで情報を提供 郷土愛をくすぐる環境保護を訴え(2月21日)
そもそも、ふるさと納税というネーミングがよろしくない。じつにまぎらわしい。この記事にあるとおり、「住所地ではない自治体に『寄付』する制度であり、『納税』ではない。また、『ふるさと』は『以前に住んでいた自治体』と限定されておらず、個人的に応援したい自治体に寄付することも許容範囲だ」というのがふるさと納税制度なのであるが、伊和新聞の記事を読むかぎり、生まれ故郷にしか寄付ができないといった思い込みに立って、総務企画常任委員会の議事が進められたような印象がある。名張市による説明に不備があったのか、あるいは記者個人の思い込みか、そのへんはよくわからない。
ともあれ、名張市が新設する基金のテーマとして掲げられるのが、5月16日付毎日新聞でも報じられていたが、この記事によればこれである。
(1)市民主体のまちづくり
(2)水と緑のまちづくり
(3)子供が輝くまちづくり
(4)歴史文化のまちづくり
(5)生涯現役のまちづくり
(6)ふるさと名張の未来に寄与するまちづくり
選挙の公約じゃねーんだぞばーか、との批判はすでに記したが、この日の常任委員会では、議員からこんな発言があったという。
「ばくぜんとしたものに寄付が集まるとは思わない。事業と目標金額、期限を決めた募金でないとだめだ」
「神社の造営の寄付でも、何度も足を運び、寄付金額を公表することで協力が得られる」
「名張市の原住民は3万人、新住民は5万人。名張市以外にふるさとを持つ人が多い。入るより出る方が多いのではないか」
「名張出身者で、居住地の行政が気に入らないので、名張市に寄付をするという人がいるかも」
名張市議会というのは、もしかしたら乞食の集まりででもあるのだろうか。さもしく、あさましく、いじましいことばっか口走られても、市民としては困ってしまうではないか。そんないちゃもんをつけてる暇があるのだったら、たまにゃ有効な提案でもしてみたらどうだ、と思われてならぬのであるけれど、名張市議会のアベレージはこんなところかもしれない。なにしろ、結構ひどいらしい。
やはり伊和新聞の4月19日号、コラム「伊和天地」にこんなことが記されていた。
▼伊賀市の議長選挙で、候補者に共通した所信表明があった。「議会基本条例で決められた議会報告会を充実させる」「チェック機関としての使命を忘れることなく、行政との緊張関係を維持する」公約だ。つまり、議会報告会を通じて市民との接触を保ち、市民の意見を常に聞く、行政を常にチェックし、行政との馴れ合いをしないというものだ▼当然、明白の行動だが、名張市議会では実現していない。名張市議会では、行政に協力しない議員は、議長にはなれないといわれている。過去、議案に反対した議員は、議長にはなれないという不文律があるそうだ。これでは、行政を監視することはおろか、市民を代表して意見を述べることもできない▼名張市議会の歴代には、市長の番頭だといわれる議長も存在した。議会は市民に代わって市長や行政マンを監視するのが本来の仕事だが、市長や行政の手助けをやり、本来、副市長が行うべき議会工作や外部との工作、調整に走る番頭議長も。言い換えれば、市民が雇っているガードマンが、監視の対象者と馴れ合いになっているということだ
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市議会議員がガードマンなのかどうかという問題はさておいて、ここに書かれていることがほんとだとしたら、困ったもんだよなあ名張市議会。議長になるためには議員の本分を抛擲し、恥知らずにも行政べったり、ずぶずぶなあなあの泥沼に首までどっぷりつからなければならんのか。ポチしか議長になれんのか。げんにまあ、議長はポチなのであるけれど。
そういえば、やはり伊和新聞、5月17日号の「記者ノート」には、「議会の沈黙に疑問の声/富貴ヶ丘民営保育所問題」との見出しが立てられ、こんなことが報じられていた。
□○…亀井名張市長に提出された幼稚園、保育所の一元化を検討する「名張市就学前教育・保育に関する検討委員会」の提言書が13日、同じく教育民生委員会に報告された。担当監の説明後、吉住委員長は「本件は報告ということにとどめたい」と発言し、議員も了承した。
□○…提言書には付帯意見として「富貴ヶ丘の民設、民営保育所設置は、結果として議論の混乱を招いたことは遺憾である」と書かれていたが、担当監は全く触れなかった。名張市が富貴ヶ丘の市有地に、民間保育所の誘致を進めている計画に対し、市内の3幼稚園経営者が2月、異議申し立てと計画の見直しを求める意見書を提出していた問題だけに、何らかの発言があるものと思われたが、出席議員もあえて?触れなかった。 □○…この件について本紙に投書があった。「大阪で無認可の保育所を営んでいる株式会社が、名張市の土地を無償で借り受け、財政非常事態宣言をしている名張市が、建設補助金と運営費を出すという話について、名張市は何を考えているのか。どうして議会はチェックしないのか」という内容だ。「議会の沈黙はどうしてなのか」という疑問も当然か。 |
議員先生に沈黙してもらったりしてた日にゃ市民の立場がねーじゃねーか、と善良な市民のひとりとしては思わざるをえない。ほんっと、大丈夫か名張市、と善良な市民には案じられてならぬ次第なのであるけれど、それ以前の問題として、話が横道にそれすぎてしまった。伊和新聞で報じられた名張市議会のおそまつさについ眼を奪われてしまった結果なのであるが、こんなことではいかん。本題はあくまでもふるさと納税制度であり、それにからむところの「観阿弥vs乱歩」というテーマが、序破急守破離とつづいた六連戦の命題なのである。
とはいえ、命題の答えなら最初から知れている。これまでみてきたとおり、観阿弥と乱歩という名張市の二枚看板、ここからあえてどちらかを選択するとなれば、選ばれるべきはやはり乱歩であろう。したがって名張市が、ふるさと納税制度で能楽振興をはかりますとぶちあげるだけで、乱歩のことは知りませんなんてことにしてしまうのだとしたら、それはずいぶんもったいない話である。だが、かりに、ふるさと納税制度を利用して乱歩顕彰を進めます、なんていってみたっておんなじことである。内容空疎なお題目であることには変わりがない。能楽振興であろうが乱歩顕彰であろうが、うわっつらだけのお題目をいくら掲げたって誰からも相手にされるわけがないのである。
それでまあ、これが結論なのである。なんというのか、ふるさと納税制度を受けて新たな制度を設けます、なんていってみたところで、うすぼんやりした選挙公約のごときテーマを並べることしかできない。つまりタクティクスというものがどこにもない。ふるさと納税の寄付で能楽振興をはかります、なんていってみたところで、具体的な方向性など何ひとつ示されることがない。やはりタクティクスが存在しないのである。観阿弥よりは乱歩のほうが看板として有効だから、という理由でこの能楽振興を乱歩顕彰にさしかえてみたところで、事情はまったくおなじである。観阿弥vs乱歩という二項対立を設定して、さてどっちがいいのかな、などと考えることじたいが無意味なのである。名張市がもう少ししっかりしないことには、てんで話にならんのである。
お題目を掲げるまえに、観阿弥であれ乱歩であれ、名張市はいったい何をどうするのか、どうしたいのか、明確な方向性を示すことが必要であろう。ふるさと納税制度なんてものがなくたって、そうした方向性をきっちり示すのはあったりまえの話なのである。そして、その方向性のもとで、いままで何をしてきたのか、どれだけの蓄積があるのか、それを検証することが不可欠である。その方向性の未来に、名張市はいったい何をみているのか、どんなビジョンをくっきりと描いているのか、その展望を明らかにすることが不可欠である。それをやらなきゃ話にならんだろーが、という話なのであるが、能楽振興や乱歩顕彰にはとどまらず、この名張市はそういったことが全般的にいたって苦手なようである。過去を検証することも未来を展望することもせず、ここ名張市では要するに、その場その場の思いつきだけでものごとが進められているらしいということは、細川邸改めやなせ宿の整備事業からもよくよく知られるところであろう。
大丈夫か名張市。ほんっと、大丈夫か。
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