三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
念のため、辞書へのリンク
大辞泉:序破急
語釈のトップに「雅楽で、楽曲を構成する三つの楽章」とあることから察しをつけると、序破急というのは雅楽から出たことばであるらしい。能の世界でもつかわれるが、それは観阿弥の子、世阿弥が著した能の理論書「風姿花伝」に、この序破急なることばが使用されているからだと思われる。能の世界における序破急の、いうならば淵源が「風姿花伝」なのである。
この「風姿花伝」には問答集、つまりQ&Aコーナーみたいなパートがあって、その問いのひとつに、「能に、序破急をば、何とか定むべきや」というのがある。能においては、序破急ということを、どんなふうに決めればいいのでしょうか、といった意味である。すでに確立されていた序破急という構成原理を、能の世界ではどのように考えればいいのか、ということである。つまり序破急は、けっして能楽独自のものではなく、世阿弥の独創ということでもさらさらない。
おなじく三つの要素による構成を示すことばに、守破離というのがある。序破急にくらべて、あまり一般的ではない。ネット版大辞泉にも掲載されていない。そこで、小学館の精選版日本国語大辞典を引いてみる。「しゅばつ」のあとには「シュバリエ」がつづいていて、「しゅはり」という項目は立てられていない。ならば、と三巻本の精選版ではない十巻本のほうを引いてみる。「じゅばつ」「しゅはなお」につづいて、ちゃんと「しゅはり」が登場する。
引用。
守破離というのは、たぶん能楽には関係のないことばであろう。もとより「風姿花伝」にはみられないことばで、世阿弥が使用していたとも考えられない。三つの要素によるコンポジションというかコンストラクションというか、構成法、構成原理、構成概念、そういったものを表現することばとしてまず序破急があり、あとになって守破離ということばが生まれたのだが、やがて両者が混同されて、守破離のルーツは能であり世阿弥であり「風姿花伝」であるといった誤認が生じるにいたったのではないかと推測される。
名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月
このページに「能の世界に、『守破離(しゅはり)』という言葉がございます。原典については諸説あるようでございますが、一説では名張市とも深いかかわりがある能楽の大成者である観阿弥の子、世阿弥が遺した「風姿花伝(ふうしかでん)」に由来すると云われています。『守破離(しゅはり)』という言葉の「守」は師の教えを守る、「破」は自分の殻を破る、「離」はもっと先へ進んで従来の世界から離れ、新しい世界を創造するという意味でございます」とあるのも、そういった混同や誤認のひとつであるというべきだろう。
もともとは剣道や茶道、あるいは軍法といった世界でもちいられるようになったらしいことばを、名張が観阿弥ゆかりの地であることからやや強引に能と結びつけてみました、といった観が否めない。むりやり感が漂っているし、とってつけた感も否定できない。こういったむりやり感やとってつけた感があるかぎり、人の心に届く文章にはならないだろう。それにそもそも、能楽や観阿弥、あるいは世阿弥に興味をもっている人がこれを読んだら、おそらくは鼻白んでしまうことであろう。引いてしまうことであろう。そんな人にむかって、名張市はふるさと納税の寄付でもって能楽振興をはかります、などといっても笑われてしまうだけではないのか。
さてそれで、なんの話かというと、序と破と急の三回で終わるはずだったシリーズが、急を終えてもまだ終わらない、という話である。急のあとを何にするかと悩んだすえ、名張市の施政方針に鑑みて、守破離を踏襲することとした。きょうは急を受けての守である。すなわち、序破急三連投のあとは守破離三連投のシリーズとなる。あわせて六連投。鉄腕とお呼びいただきたい。
ではここで、観阿弥と乱歩の二枚看板、Googleを利用して比較してみる。
Google:観阿弥
Google:江戸川乱歩
ひっかかってきたのは、観阿弥が約2万3200件、江戸川乱歩が約72万6000件。といったようなことを試みるまでもなく、ポピュラリティにおいて乱歩が観阿弥を圧倒しているのは誰にだってわかる道理であろう。当代の日本人にとって、どちらがより親しい存在なのか。あえて尋ねるまでもない。名張市の看板として利用するのであれば、観阿弥よりは乱歩のほうが有効だということになる。
にもかかわらず名張市は、観阿弥と乱歩という二枚看板のうち、観阿弥にちなんだ能楽振興はそのままにして、乱歩顕彰とやらには知らん顔を決めこむことにしたらしい。乱歩が生まれた新町に一億円をかけて公共施設を整備しても、それを乱歩と関連づけようとはしない。
いやいや、5月10日と11日に催された見学会では、やなせ宿にも乱歩の年譜や写真が掲示されていたらしい。アドバンスコープの公式サイトで、その画像をみることができる。
アドバンスコープ:旬の映像 名張市旧細川邸「やなせ宿」来月オープンを前に内覧会(wmv)
些細なことにこだわるようだが、このニュース動画では、やなせ宿が「やなせしゅく」と発音されている。どうも気になる。こういった場合は当然、いわゆる連濁となって、「やなせじゅく」と読まれるべきだろう。「妻」は「つま」だが、「新妻」は「にいづま」である。「髪」は「かみ」だが、「乱れ髪」は「みだれがみ」である。そうか、新妻の乱れ髪か、ゆうべも乱れたのか、などと朝っぱらからよけいなことは考えなくてもいいのだが、とにかく「新宿」は「しんじゅく」であり「原宿」は「はらじゅく」なのである。それをどうして、ここ名張市では、「やなせ宿」をあえて濁らずに「やなせしゅく」と読ませるのか。どうにも意図がわからない。ま、やなせ宿にかんしてはわからないことだらけなのであるけれど。
さて、そのやなせ宿である。やなせ宿に乱歩のパネルが掲示されているからといって、それはただそれだけの話である。名張市立図書館の乱歩コーナーにあったパネルをちょっと移動してみました、というだけの話である。例によって例のごとき切り貼りにすぎない。まさかこの程度のことで、やなせ宿は乱歩顕彰に取り組んでおります、などと吹聴してまわるばかはさすがにいないだろうと思われるのだが、しかしなにしろ目先のこと、うわっつらのことしかわからない人間ばかりなのである。実際にどうなるのかは想像がつかないし、予断を許さない。
あすにつづく。守のあとは破である。
大辞泉:序破急
語釈のトップに「雅楽で、楽曲を構成する三つの楽章」とあることから察しをつけると、序破急というのは雅楽から出たことばであるらしい。能の世界でもつかわれるが、それは観阿弥の子、世阿弥が著した能の理論書「風姿花伝」に、この序破急なることばが使用されているからだと思われる。能の世界における序破急の、いうならば淵源が「風姿花伝」なのである。
この「風姿花伝」には問答集、つまりQ&Aコーナーみたいなパートがあって、その問いのひとつに、「能に、序破急をば、何とか定むべきや」というのがある。能においては、序破急ということを、どんなふうに決めればいいのでしょうか、といった意味である。すでに確立されていた序破急という構成原理を、能の世界ではどのように考えればいいのか、ということである。つまり序破急は、けっして能楽独自のものではなく、世阿弥の独創ということでもさらさらない。
おなじく三つの要素による構成を示すことばに、守破離というのがある。序破急にくらべて、あまり一般的ではない。ネット版大辞泉にも掲載されていない。そこで、小学館の精選版日本国語大辞典を引いてみる。「しゅばつ」のあとには「シュバリエ」がつづいていて、「しゅはり」という項目は立てられていない。ならば、と三巻本の精選版ではない十巻本のほうを引いてみる。「じゅばつ」「しゅはなお」につづいて、ちゃんと「しゅはり」が登場する。
引用。
しゅ-は-り【守破離】[名]剣道や茶道で、修業上の段階を示したもの。守は、型、技を確実に身につける段階、破は、発展する段階、離は、独自の新しいものを確立する段階。*茶話抄「守破離といふ事軍法用、尤用方間違ひ候へ共、茶道に取て申候はば、守は下手〈略〉破は上手〈略〉離は名人」
|
守破離というのは、たぶん能楽には関係のないことばであろう。もとより「風姿花伝」にはみられないことばで、世阿弥が使用していたとも考えられない。三つの要素によるコンポジションというかコンストラクションというか、構成法、構成原理、構成概念、そういったものを表現することばとしてまず序破急があり、あとになって守破離ということばが生まれたのだが、やがて両者が混同されて、守破離のルーツは能であり世阿弥であり「風姿花伝」であるといった誤認が生じるにいたったのではないかと推測される。
名張市公式サイト:施政方針 平成20年3月
このページに「能の世界に、『守破離(しゅはり)』という言葉がございます。原典については諸説あるようでございますが、一説では名張市とも深いかかわりがある能楽の大成者である観阿弥の子、世阿弥が遺した「風姿花伝(ふうしかでん)」に由来すると云われています。『守破離(しゅはり)』という言葉の「守」は師の教えを守る、「破」は自分の殻を破る、「離」はもっと先へ進んで従来の世界から離れ、新しい世界を創造するという意味でございます」とあるのも、そういった混同や誤認のひとつであるというべきだろう。
もともとは剣道や茶道、あるいは軍法といった世界でもちいられるようになったらしいことばを、名張が観阿弥ゆかりの地であることからやや強引に能と結びつけてみました、といった観が否めない。むりやり感が漂っているし、とってつけた感も否定できない。こういったむりやり感やとってつけた感があるかぎり、人の心に届く文章にはならないだろう。それにそもそも、能楽や観阿弥、あるいは世阿弥に興味をもっている人がこれを読んだら、おそらくは鼻白んでしまうことであろう。引いてしまうことであろう。そんな人にむかって、名張市はふるさと納税の寄付でもって能楽振興をはかります、などといっても笑われてしまうだけではないのか。
さてそれで、なんの話かというと、序と破と急の三回で終わるはずだったシリーズが、急を終えてもまだ終わらない、という話である。急のあとを何にするかと悩んだすえ、名張市の施政方針に鑑みて、守破離を踏襲することとした。きょうは急を受けての守である。すなわち、序破急三連投のあとは守破離三連投のシリーズとなる。あわせて六連投。鉄腕とお呼びいただきたい。
ではここで、観阿弥と乱歩の二枚看板、Googleを利用して比較してみる。
Google:観阿弥
Google:江戸川乱歩
ひっかかってきたのは、観阿弥が約2万3200件、江戸川乱歩が約72万6000件。といったようなことを試みるまでもなく、ポピュラリティにおいて乱歩が観阿弥を圧倒しているのは誰にだってわかる道理であろう。当代の日本人にとって、どちらがより親しい存在なのか。あえて尋ねるまでもない。名張市の看板として利用するのであれば、観阿弥よりは乱歩のほうが有効だということになる。
にもかかわらず名張市は、観阿弥と乱歩という二枚看板のうち、観阿弥にちなんだ能楽振興はそのままにして、乱歩顕彰とやらには知らん顔を決めこむことにしたらしい。乱歩が生まれた新町に一億円をかけて公共施設を整備しても、それを乱歩と関連づけようとはしない。
いやいや、5月10日と11日に催された見学会では、やなせ宿にも乱歩の年譜や写真が掲示されていたらしい。アドバンスコープの公式サイトで、その画像をみることができる。
アドバンスコープ:旬の映像 名張市旧細川邸「やなせ宿」来月オープンを前に内覧会(wmv)
些細なことにこだわるようだが、このニュース動画では、やなせ宿が「やなせしゅく」と発音されている。どうも気になる。こういった場合は当然、いわゆる連濁となって、「やなせじゅく」と読まれるべきだろう。「妻」は「つま」だが、「新妻」は「にいづま」である。「髪」は「かみ」だが、「乱れ髪」は「みだれがみ」である。そうか、新妻の乱れ髪か、ゆうべも乱れたのか、などと朝っぱらからよけいなことは考えなくてもいいのだが、とにかく「新宿」は「しんじゅく」であり「原宿」は「はらじゅく」なのである。それをどうして、ここ名張市では、「やなせ宿」をあえて濁らずに「やなせしゅく」と読ませるのか。どうにも意図がわからない。ま、やなせ宿にかんしてはわからないことだらけなのであるけれど。
さて、そのやなせ宿である。やなせ宿に乱歩のパネルが掲示されているからといって、それはただそれだけの話である。名張市立図書館の乱歩コーナーにあったパネルをちょっと移動してみました、というだけの話である。例によって例のごとき切り貼りにすぎない。まさかこの程度のことで、やなせ宿は乱歩顕彰に取り組んでおります、などと吹聴してまわるばかはさすがにいないだろうと思われるのだが、しかしなにしろ目先のこと、うわっつらのことしかわからない人間ばかりなのである。実際にどうなるのかは想像がつかないし、予断を許さない。
あすにつづく。守のあとは破である。
PR
この記事にコメントする