三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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念のため、辞書へのリンク。
大辞泉:序破急
さて、観阿弥と乱歩。名張市が掲げるこの二枚看板のうち、観阿弥のほうは、ふるさと納税による寄付でもって能楽振興をはかります、といった方向性が示されて、前途洋々たるものがある。ところが乱歩は、なんだかどこかへ消えてしまったような印象である。桝田医院第二病棟跡はただの広場になってしまうだけだし、乱歩が生まれた新町にあるやなせ宿は、乱歩とはまるで無縁の、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館でしかない。むろん、名張市によって乱歩顕彰とやらの方向性が示されることも、みごとなほどにいっさいない。
どうしてこんなことになったのか、という点の考察は他日にゆずることにして、観阿弥vs乱歩、というテーマに沿って比較を試みる。いうまでもなく、名張市の看板としての比較である。
まず、辞書へのリンク。
大辞泉:観阿弥
大辞泉:江戸川乱歩
どちらの語釈にも、名張という地名は出てこない。地名ということでいえば、前者は「伊賀の人」、後者は「三重の生まれ」と、それぞれの出身地が記されているのみである。ただし、観阿弥が伊賀の人であるというのは、かつての通説ではあったとしても、現在ではやや乱暴な断定であるというべきだろう。
さらに、辞書へのリンク、と行きたいところだが、有償サイトに掲載されている辞書なので、直接ごらんいただくことができない。一部を引用する。
Japan Knowledge:日本大百科全書
項目執筆は増田正造さん。「大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ」と記されていて、観阿弥伊賀出生説は否定されている。
Japan Knowledge:日本人名大辞典
この辞書もまた、「大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる」として、観阿弥伊賀出生説を一蹴している。
観阿弥の出自については、こちらのネット版辞書でややくわしいところを読むことができる。
Wikipedia:観阿弥 観阿弥の出自
要するに、観阿弥の出自はよくわからない、はっきりしていない、諸説あっていずれとも断定しがたい、ということである。
ところで、名張市が能楽振興とやらに入れあげているのは、観阿弥の出身地が伊賀かもしれないということが理由なのではない。観阿弥が名張で猿楽の座を創立した、というのがその理由である。典拠は、観阿弥の子、世阿弥の芸談を筆録した「世子六十以後申楽談儀」、俗に申楽談儀と呼ばれる能楽の理論書である。
関連箇所を引用。底本は新潮日本古典集成『世阿弥芸術論集』。
大意はこうなる。この座、つまり観阿弥がおこした観世座が所有している翁の面は、弥勒という名前の面打ち、つまり能面作家がつくったものである。この面は、伊賀小波多、つまり現在の名張市上小波田あるいは下小波田で、はじめて座を建てたとき、といっても劇場を建設したということではなく、猿楽の一座を旗揚げしたということなのであるが、そのとき、伊賀でみつけだしてきた面である。
ここにはっきりと、名張の小波田ではじめて座を建てた、と記されている。だから名張市は観阿弥創座の地であり、ぜひとも能楽振興をはかりたい、という話の流れになるわけであるが、それってほんとかよ、という話だってある。というか、そっちの話のほうが主流である。
げんに、『世阿弥芸術論集』の頭註には、「伊賀小波多にて」ではじまる文章にかんして、こう記されている。
要するに、小波田は単に翁の面を手に入れた場所であって、観阿弥がはじめて座を建てた場所ではない、とする説もあるということである。申楽談儀はいわゆる口述筆記だから、修飾関係が錯綜することも皆無ではなかっただろう。そして現在では、そちらの説のほうがむしろ有力なのである。
平凡社の日本史大事典から引用。
まあそういったことである。ちなみに当方も、観阿弥がはじめて座を建てたのは、伊賀ではなくて大和の結崎であろうと考えている。当方の考えなどはどうでもいいとしても、どうでもよくないのは、観阿弥創座の地として能楽振興をはかります、という名張市のお題目は、その根拠があまりしっかりしていないということである。だが、もちろんそれだってかまわない。名張市が観阿弥ゆかりの地として、能楽振興を真剣に考えているというのであれば、それはそれで結構なことである。
だが、それならば、名張市公式サイトにあるこのページはどうよ。
名張市公式サイト:観阿弥
これはちょっとまずいであろう。人が歴史にむきあうにさいして、まず要求されるのは公正であり公平であろうとすることである。だがこのページには、そうした姿勢はみじんも感じられない。観阿弥は名張ではじめて座を建てました、とする無批判な思い込みしかここにはない。能楽や観阿弥に興味をもっている人がこのページを読んだとしたら、おそらく辟易してしまうのではないか。郷土びいき一辺倒にこりかたまっている田舎者のかたくなさなど、人をして鼻白ませるものでしかないのである。
もっとも、ここ名張市では何から何まで、などと一般化するのは危険であるとしても、少なくともやなせ宿にかんしていえば、公正さや公平さを完全に無視して話が進められてきた。ジャスティスやフェアネスはいいように踏みにじられてきた。いまも踏みにじられつづけている。だから観阿弥にかんする歴史資料にむきあうにしても、公正や公平なんて重んじなくたっていっこうにかまわない、ということなのか。それが名張市というところなのか。
ま、好きにしろばーか、というしかないことではあるけれど、そんな自治体がいくら能楽振興を叫んでも、それならばふるさと納税制度を利用して些少ながらも寄付いたしましょうと、そんなこといってくれる人なんかどこを探したっていないのではないか。それにだいたい、能楽振興というお題目を掲げただけではどうにもならない。そんなものはごくごく適当な選挙の公約のようなものでしかない。能楽振興のためにいったい何をするのか、具体的なところをきっちりと示さないことには、市民の理解や共感はかけらほども得られぬことであろう。
しかし、ちょっと困ったな。観阿弥vs乱歩、というテーマのうち、観阿弥について記しただけで時間がなくなってしまったではないか。
あすにつづく。しかしそれにしても、ほんとに困ったな。序破急の急のあとは、いったい何にすればいいのかしら。
大辞泉:序破急
さて、観阿弥と乱歩。名張市が掲げるこの二枚看板のうち、観阿弥のほうは、ふるさと納税による寄付でもって能楽振興をはかります、といった方向性が示されて、前途洋々たるものがある。ところが乱歩は、なんだかどこかへ消えてしまったような印象である。桝田医院第二病棟跡はただの広場になってしまうだけだし、乱歩が生まれた新町にあるやなせ宿は、乱歩とはまるで無縁の、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館でしかない。むろん、名張市によって乱歩顕彰とやらの方向性が示されることも、みごとなほどにいっさいない。
どうしてこんなことになったのか、という点の考察は他日にゆずることにして、観阿弥vs乱歩、というテーマに沿って比較を試みる。いうまでもなく、名張市の看板としての比較である。
まず、辞書へのリンク。
大辞泉:観阿弥
大辞泉:江戸川乱歩
どちらの語釈にも、名張という地名は出てこない。地名ということでいえば、前者は「伊賀の人」、後者は「三重の生まれ」と、それぞれの出身地が記されているのみである。ただし、観阿弥が伊賀の人であるというのは、かつての通説ではあったとしても、現在ではやや乱暴な断定であるというべきだろう。
さらに、辞書へのリンク、と行きたいところだが、有償サイトに掲載されている辞書なので、直接ごらんいただくことができない。一部を引用する。
Japan Knowledge:日本大百科全書
観阿弥
かんあみ [1333—84] 南北朝時代の能役者、能作者。観世(かんぜ)流の初代大夫(たゆう)。実名結崎清次(ゆうざききよつぐ)、通称三郎、芸名観世。大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ、のちに結崎座(観世座)を創立する。1374年(文中3・応安7)初めて京都に進出し、12歳の長男世阿弥(ぜあみ)とともに今熊野(いまくまの)で演じた新しい芸能は、青年将軍足利義満(あしかがよしみつ)の心をとらえた。 |
項目執筆は増田正造さん。「大和(やまと)(奈良県)の古い山田猿楽(さるがく)の家に生まれ」と記されていて、観阿弥伊賀出生説は否定されている。
Japan Knowledge:日本人名大辞典
観阿弥
かんあみ 1333‐1384 南北朝時代の能役者,能作者。 世阿弥(観世元清)の父。観世流の初代大夫(たゆう)。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる。結崎(ゆうざき)座(のち観世座)をひきい,京都に進出。応安7=文中3年(1374)ごろ今熊野で演じた猿楽を契機に将軍足利義満の後援をうけ,一座の基礎をきずく。 |
この辞書もまた、「大和(奈良県)の山田猿楽の家に生まれる」として、観阿弥伊賀出生説を一蹴している。
観阿弥の出自については、こちらのネット版辞書でややくわしいところを読むことができる。
Wikipedia:観阿弥 観阿弥の出自
要するに、観阿弥の出自はよくわからない、はっきりしていない、諸説あっていずれとも断定しがたい、ということである。
ところで、名張市が能楽振興とやらに入れあげているのは、観阿弥の出身地が伊賀かもしれないということが理由なのではない。観阿弥が名張で猿楽の座を創立した、というのがその理由である。典拠は、観阿弥の子、世阿弥の芸談を筆録した「世子六十以後申楽談儀」、俗に申楽談儀と呼ばれる能楽の理論書である。
関連箇所を引用。底本は新潮日本古典集成『世阿弥芸術論集』。
この座の翁は弥勒打なり。伊賀小波多にて、座を建て初められし時、伊賀にて尋ね出だし奉つし面なり。
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大意はこうなる。この座、つまり観阿弥がおこした観世座が所有している翁の面は、弥勒という名前の面打ち、つまり能面作家がつくったものである。この面は、伊賀小波多、つまり現在の名張市上小波田あるいは下小波田で、はじめて座を建てたとき、といっても劇場を建設したということではなく、猿楽の一座を旗揚げしたということなのであるが、そのとき、伊賀でみつけだしてきた面である。
ここにはっきりと、名張の小波田ではじめて座を建てた、と記されている。だから名張市は観阿弥創座の地であり、ぜひとも能楽振興をはかりたい、という話の流れになるわけであるが、それってほんとかよ、という話だってある。というか、そっちの話のほうが主流である。
げんに、『世阿弥芸術論集』の頭註には、「伊賀小波多にて」ではじまる文章にかんして、こう記されている。
三重県名張市小波田。「伊賀小波多にて」は、「座を建て初められし」にかかるのでなく、「伊賀にて」と重複はするが、「尋ね出だし」にかかるとする説もあって注目される。
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要するに、小波田は単に翁の面を手に入れた場所であって、観阿弥がはじめて座を建てた場所ではない、とする説もあるということである。申楽談儀はいわゆる口述筆記だから、修飾関係が錯綜することも皆無ではなかっただろう。そして現在では、そちらの説のほうがむしろ有力なのである。
平凡社の日本史大事典から引用。
観阿弥 かんあみ
一三三三−八四(元弘三−至徳元/元中元・五・十九) 南北朝時代の能役者、能作者。「かんなみ」とも呼ぶ。通称観世三郎。名は清次。法名宗音。猿楽座の創立について、伊賀国伊賀郡小波多とする説と大和国城下郡結崎とする説があるが、現在は後者が有力。 |
まあそういったことである。ちなみに当方も、観阿弥がはじめて座を建てたのは、伊賀ではなくて大和の結崎であろうと考えている。当方の考えなどはどうでもいいとしても、どうでもよくないのは、観阿弥創座の地として能楽振興をはかります、という名張市のお題目は、その根拠があまりしっかりしていないということである。だが、もちろんそれだってかまわない。名張市が観阿弥ゆかりの地として、能楽振興を真剣に考えているというのであれば、それはそれで結構なことである。
だが、それならば、名張市公式サイトにあるこのページはどうよ。
名張市公式サイト:観阿弥
これはちょっとまずいであろう。人が歴史にむきあうにさいして、まず要求されるのは公正であり公平であろうとすることである。だがこのページには、そうした姿勢はみじんも感じられない。観阿弥は名張ではじめて座を建てました、とする無批判な思い込みしかここにはない。能楽や観阿弥に興味をもっている人がこのページを読んだとしたら、おそらく辟易してしまうのではないか。郷土びいき一辺倒にこりかたまっている田舎者のかたくなさなど、人をして鼻白ませるものでしかないのである。
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