三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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やなせ宿見学会の初日である。朝からあいにくの雨である。しとしとと降っている。天罰がくだったのじゃ、なんてことはいわない。天候の回復を心から天に祈りたい。
さて、なんかもう必死である。必死の泥縄である。死んでもラッパを、ではなくて、というか、こんなとこに日清戦争で戦死した木口小平のことをもちだしたって誰にもわかるわけねーだろーが、という話なのであるが、名張まちか再生委員会は死んでもやなせ宿を手から離しませんでした、なんて感じで修身の教科書にでも載りたいのか。とにかく必死の工作が泥縄式につづいているようである。
それはそうであろう。一億円をかけて整備したやなせ宿が、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館でしかなかったのである。名張まちなか再生委員会の発足から三年ちかく、あーでもないこーでもないと意味もなく時間を費やしながら、なんの結論も得ることができなかったのである。さすがにそれではまずかろう。やなせ宿の存在意義を、存在理由を、無理やりにでもでっちあげなければならないであろう。
だからただいま、名張まちなか再生委員会は名張市の全面的な支援のもと、その泥縄工作に涙目で必死になっているらしい。何をしているのか。きのうも記した。幼稚園児みたいな切り貼り遊びである。何を切り貼りしているのかな。
きのうの産経新聞。
産経新聞:三重・名張に集客施設「やなせ宿」完成 6月7日オープン まちなか再生の拠点に
記事のなかから、切り貼り工作にかんする文章を引く。
「母屋には、地域のパンフレットや近くで生まれた江戸川乱歩の写真パネル、昭和の家具などを置き、展示や休憩場として利用」
切り貼りの素材はこうである。
・地域のパンフレット
・江戸川乱歩の写真パネル
・昭和の家具
単なる思いつきの寄せ集め、まさしく切り貼り遊びである。へたすると、桝田医院第二病棟跡の案内板よりひどいかもしれん。
つぎは、きのうのYOU。
伊賀タウン情報YOU:「やなせ宿」オープンまで1か月 初代館長語る
初代館長のコメント。
「市が公営でのスタートを認めてくれたことで、この1年間は助走期間ができた」
名張市と名張まちなか再生委員会とのずぶずぶどろどろの癒着ぶりが、行間からどす黒くどす黒くにじみ出ているではないか。そして双方、そのことを毛筋ほども自覚していないらしいのが恐ろしいところである。癒着が常態になっているのである。それはもちろん異常なことで、昨年提出された名張市考査委員会の「名張市事務事業評価報告書」でも、「指定管理者の導入は公募を前提とすべきであり、NPO法人への特命は望ましくない」と指摘されていた。つまり、名張まちなか再生委員会が発足させるNPOにやなせ宿の運営を特権的独占的にゆだねるのはおかしい、ということである。名張市はどうしてこれほどまでに、存在の根拠も位置づけもあいまいな名張まちなか再生委員会に、なりふりかまわず便益を供与しつづけなければならないのか。まことに不可解。理解できないことである。きんたまでも握られとるのか実際。
さらに引用。
「先月10日に行われた同委員会の役員会で、休日は施設内にある蔵を利用したコンサートや作家展、平日には市民が腕を振るう『ワンデイシェフ』などが決定。また、市立図書館所蔵する江戸川乱歩の遺品の一部を借り受け、母屋に展示する」
切り貼り遊びはこんなぐあい。
・コンサート
・作家展
・ワンデイシェフ
・江戸川乱歩の遺品の一部
そこらのありあわせ、眼についたものを、思いつくまま切り貼りしているだけの話である。しかも、二次元の案内板ではないから、イベントとやらの切り貼りも可能である。というか、それしかないのである。コミュニティイベントのレベルでしかまちなかの再生を、あるいはいわゆるまちづくりを語れない。それではそこらのまちづくりなんたら委員会とおなじではないか。ま、中の人がおなじなのだから、無理もないことではあるけれど。
さらに初代館長のコメント。
「いろんなジャンルの団体に声を掛け、市民の方に交流スペースとして認知してもらいたい」
必死である。ご苦労さまである。誰からも望まれることなく生まれてくる不幸な赤子、いやもう実際には誕生していて、しかしわけあって出生届が6月7日に提出されるというほんとに不幸な赤子であるやなせ宿を、なんとかまともな子として「認知してもらいたい」と懇願していらっしゃるのであるが、こうなると、観光交流施設という看板をうわべだけでも掲げることさえ難しいのではないか。観光というテーマはもはや見失われつつあるみたいだし、交流といったって要するに貸し館である。「いろんなジャンルの団体」が利用することがすなわち交流である、と詐欺みたいなことを主張しているだけの話である。つまりは粉飾。
やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館である、という事実を粉飾するために打ち出されたのが、ワンデイシェフだのコミュニティレストランやなせだのといった食堂化路線である、といった事実を粉飾するために切り貼りされるのが、地域のパンフレットだの江戸川乱歩の写真パネルだの昭和の家具だのコンサートだの作家展だの、以下省略。とにかくそういったことなのである。最終的には、食でもてなす観光、食を通じた交流、なんて感じで強引に、だからやなせ宿は観光交流施設なのである、といいはることになるのかもしれん。なにしろもう、なんでもありなのである。
ことほどさように、やなせ宿は、名張まちなか再生プランは、名張まちなか再生委員会は、名張市は、もう無茶苦茶なのである。自分たちが何をやっているのかさえ、関係者には理解できておらぬのであろう。ただわあわあとごくごく少人数のスクラムを組んで、前と思われる方向へ突っ走っているだけなのであろう。ばかがばかとつるんで、もうたいへんな騒ぎなのさ。こんな名張に誰がした。え、誰がしやがった。
ところで、やなせ宿の利用申請はいつから受け付けてくれるのかな。きょうあすの見学会に行けばわかるのかな。そんな手間暇をかけなければならんのか。冷たい雨に打たれてまちをさまよったの、とかいった気分では全然ないのである。とっととメールで返答すればいいのである。いつまでほったらかしにしてやがる。どうするんだほんとに。
さて、なんかもう必死である。必死の泥縄である。死んでもラッパを、ではなくて、というか、こんなとこに日清戦争で戦死した木口小平のことをもちだしたって誰にもわかるわけねーだろーが、という話なのであるが、名張まちか再生委員会は死んでもやなせ宿を手から離しませんでした、なんて感じで修身の教科書にでも載りたいのか。とにかく必死の工作が泥縄式につづいているようである。
それはそうであろう。一億円をかけて整備したやなせ宿が、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館でしかなかったのである。名張まちなか再生委員会の発足から三年ちかく、あーでもないこーでもないと意味もなく時間を費やしながら、なんの結論も得ることができなかったのである。さすがにそれではまずかろう。やなせ宿の存在意義を、存在理由を、無理やりにでもでっちあげなければならないであろう。
だからただいま、名張まちなか再生委員会は名張市の全面的な支援のもと、その泥縄工作に涙目で必死になっているらしい。何をしているのか。きのうも記した。幼稚園児みたいな切り貼り遊びである。何を切り貼りしているのかな。
きのうの産経新聞。
産経新聞:三重・名張に集客施設「やなせ宿」完成 6月7日オープン まちなか再生の拠点に
記事のなかから、切り貼り工作にかんする文章を引く。
「母屋には、地域のパンフレットや近くで生まれた江戸川乱歩の写真パネル、昭和の家具などを置き、展示や休憩場として利用」
切り貼りの素材はこうである。
・地域のパンフレット
・江戸川乱歩の写真パネル
・昭和の家具
単なる思いつきの寄せ集め、まさしく切り貼り遊びである。へたすると、桝田医院第二病棟跡の案内板よりひどいかもしれん。
つぎは、きのうのYOU。
伊賀タウン情報YOU:「やなせ宿」オープンまで1か月 初代館長語る
初代館長のコメント。
「市が公営でのスタートを認めてくれたことで、この1年間は助走期間ができた」
名張市と名張まちなか再生委員会とのずぶずぶどろどろの癒着ぶりが、行間からどす黒くどす黒くにじみ出ているではないか。そして双方、そのことを毛筋ほども自覚していないらしいのが恐ろしいところである。癒着が常態になっているのである。それはもちろん異常なことで、昨年提出された名張市考査委員会の「名張市事務事業評価報告書」でも、「指定管理者の導入は公募を前提とすべきであり、NPO法人への特命は望ましくない」と指摘されていた。つまり、名張まちなか再生委員会が発足させるNPOにやなせ宿の運営を特権的独占的にゆだねるのはおかしい、ということである。名張市はどうしてこれほどまでに、存在の根拠も位置づけもあいまいな名張まちなか再生委員会に、なりふりかまわず便益を供与しつづけなければならないのか。まことに不可解。理解できないことである。きんたまでも握られとるのか実際。
さらに引用。
「先月10日に行われた同委員会の役員会で、休日は施設内にある蔵を利用したコンサートや作家展、平日には市民が腕を振るう『ワンデイシェフ』などが決定。また、市立図書館所蔵する江戸川乱歩の遺品の一部を借り受け、母屋に展示する」
切り貼り遊びはこんなぐあい。
・コンサート
・作家展
・ワンデイシェフ
・江戸川乱歩の遺品の一部
そこらのありあわせ、眼についたものを、思いつくまま切り貼りしているだけの話である。しかも、二次元の案内板ではないから、イベントとやらの切り貼りも可能である。というか、それしかないのである。コミュニティイベントのレベルでしかまちなかの再生を、あるいはいわゆるまちづくりを語れない。それではそこらのまちづくりなんたら委員会とおなじではないか。ま、中の人がおなじなのだから、無理もないことではあるけれど。
さらに初代館長のコメント。
「いろんなジャンルの団体に声を掛け、市民の方に交流スペースとして認知してもらいたい」
必死である。ご苦労さまである。誰からも望まれることなく生まれてくる不幸な赤子、いやもう実際には誕生していて、しかしわけあって出生届が6月7日に提出されるというほんとに不幸な赤子であるやなせ宿を、なんとかまともな子として「認知してもらいたい」と懇願していらっしゃるのであるが、こうなると、観光交流施設という看板をうわべだけでも掲げることさえ難しいのではないか。観光というテーマはもはや見失われつつあるみたいだし、交流といったって要するに貸し館である。「いろんなジャンルの団体」が利用することがすなわち交流である、と詐欺みたいなことを主張しているだけの話である。つまりは粉飾。
やなせ宿は無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館である、という事実を粉飾するために打ち出されたのが、ワンデイシェフだのコミュニティレストランやなせだのといった食堂化路線である、といった事実を粉飾するために切り貼りされるのが、地域のパンフレットだの江戸川乱歩の写真パネルだの昭和の家具だのコンサートだの作家展だの、以下省略。とにかくそういったことなのである。最終的には、食でもてなす観光、食を通じた交流、なんて感じで強引に、だからやなせ宿は観光交流施設なのである、といいはることになるのかもしれん。なにしろもう、なんでもありなのである。
ことほどさように、やなせ宿は、名張まちなか再生プランは、名張まちなか再生委員会は、名張市は、もう無茶苦茶なのである。自分たちが何をやっているのかさえ、関係者には理解できておらぬのであろう。ただわあわあとごくごく少人数のスクラムを組んで、前と思われる方向へ突っ走っているだけなのであろう。ばかがばかとつるんで、もうたいへんな騒ぎなのさ。こんな名張に誰がした。え、誰がしやがった。
ところで、やなせ宿の利用申請はいつから受け付けてくれるのかな。きょうあすの見学会に行けばわかるのかな。そんな手間暇をかけなければならんのか。冷たい雨に打たれてまちをさまよったの、とかいった気分では全然ないのである。とっととメールで返答すればいいのである。いつまでほったらかしにしてやがる。どうするんだほんとに。
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