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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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万機公論に決すべし、なんてどこの話だこら、という話である。もう少し正確に、というか、わかりやすくするために、中学生の歴史の教科書から引いてみる。その手の教科書は扶桑社から出た『市販本 新しい歴史教科書』しか手もとにないので、当然そこから引くことになる。あくまでも興味本位で買ったものなのだから、こんな教科書をもっているからといって、やれ偏向だやれ右翼だやれ「靖国」上映賛成だ、などと大騒ぎはしないでいただきたい。

第四章「近代日本の建設」の第二節「明治維新」から引用。

   
1868年3月、明治天皇は、公家・大名を率いて、新しい国づくりの大方針を明らかにする五箇条の御誓文を発した。そこでは、会議を開き、世論にもとづいて政治を行うこと、言論活動を活発にすることなどがうたわれていた。これによって、日本が西洋の文明を取り入れ、近代的な立憲国家として発展していく道すじが切り開かれた。

何も中学生用の教科書をもちだすことはないではないか、という意見もあろうが、ちょっと案内板つくらせたら中学生の壁新聞にも劣るしろものを高い金かけてつくってしまうような連中が、この名張市にはごろごろしているのである。レベルの低さは尋常ではない。とても安心はできない。

で、引用中にある「会議を開き、世論にもとづいて政治を行うこと」というのが、五箇条の御誓文の第一条「広ク会議ヲ興(おこ)シ 万機(ばんき)公論(こうろん)ニ決スヘ(べ)シ」という条文の意味である。逐語訳も載せられているからついでに引いておくと、「会議を開いて、広くみんなの意見を出し合い、すべての政治は世論に従って決めるべきである」。

それでまあ、細川邸整備事業をみるかぎり、「広くみんなの意見を出し合い」なんてものではとてもなく、「世論に従って決め」られたわけでもまったくない。ここ名張市においては、比喩的にいえば、明治維新以前の政治がおこなわれているのである。具体的にいえば、名張まちなか再生委員会による単なる「私論」が、なぜか「公論」にすり替えられてしまっているのである。そこにはどんなトリックがあったのか。

名張市議会の場合を問題にしてみる。名張市議会はたしかに、細川邸の整備事業に同意したはずである。細川邸の整備を決定したはずである。名張市が細川邸の整備を提案しても、市議会が否決すれば、話は流れてしまう。整備はできない。しかし実際には、市議会が提案を可決して、それによって整備が決定されたのである。そして、いまや改修工事も無事終了し、来月7日には無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として、名張市におけるまごうかたなき失政のシンボルとして、やなせ宿がめでたくオープンするのである。

ではいったい、名張市議会はこんな施設の整備になぜ承認を与えたのか。どんなプロセスがあったのか。くわしいことはよくわからないのだが、当方の知るかぎりでは、平成17・2005年2月18日、名張市議会の重要施策調査特別委員会が開かれ、「名張地区既成市街地再生計画『名張まちなか再生プラン』(案)について」が審議された。名張市が名張まちなか再生プランを説明し、プランをめぐる議員の協議がおこなわれて、これで実質的に、名張市議会は名張まちなか再生プランにゴーサインを出したということになる。そのはずである。

そのあと、どうなったのか。細川邸整備のための予算がおりおりに予算案に盛りこまれ、つまり解体や改修などのための予算なのであるが、それが市議会の定例会でおりおりに原案どおり可決されて、気がついたらやなせ宿ができあがっていたということなのだと思う。要するに、これまでにもたびたび指摘してきたことではあるが、細川邸を歴史資料館として整備するというプランに市議会がゴーサインを出したあと、プランを白紙に戻して初瀬街道からくり館にするだの初瀬ものがたり交流館にするだのと二転三転した決定は、すべて市議会とは無関係なところでなされていたのである。

むろん、名張市議会の眼が節穴だったという問題はある。おおいにある。自分たちのくだした判断、つまり、細川邸を歴史資料館として整備するという提案をよしとした判断が、なんの権限も担保されていない名張まちなか再生委員会によってくつがえされたのである。だというのに、市議会は平気な顔である。普通なら怒ってるところである。議会を無視するなと名張まちなか再生委員会に怒鳴りこんでいるところである。しかし実際には、知らん顔である。というか、問題に気づきさえしていないのではないか。つまり市議会にもおおいに問題がある。だが、本質的な問題は別のところにある。

本質的な問題。それは、名張市が名張まちなか再生委員会の専横を黙認し、放置していたことである。委員会がもっていないはずの権限をあると認め、委員会の決定がそのまま名張市の決定であると認めてきたことである。そんなものはむろん、まったくのインチキである。でたらめである。ペテンである。昨年10月に名張市考査委員会から提出された「名張市事務事業評価報告書」でも、きっちり指摘されていたところである。再掲しておく。

   
シートNO.
4022

事務事業名
中心市街地活性化事業

総合評価
継続(事務改善)

主な意見
・「まちなか再生委員会」の位置づけが不明確であり、責任主体の明確化が必要である。
・指定管理者の導入は公募を前提とすべきであり、NPO法人への特命は望ましくない。
・計画が楽観論過ぎるので、組織、権利関係を明確にするため、条例の担保が必要である。
・ワークショップとしての位置づけを明確にし、事業決定権は市長にあることを明らかにする必要がある。

どんな事実にもとづいているのかはわからないが、位置づけすらあいまいな名張まちなか再生委員会が好き放題なことをしていて、事業決定権をもっている名張市長はそれを黙認放置しているという指摘が、指摘というより批判なのだが、ここには記されている。そしてそれは、おおいにうなずかれるところである。

ないはずの権限があることにされた例は、たとえば「やなせ宿」という名称にもみることができる。

昨年6月6日付産経新聞から引用。

   
改修整備後の細川邸 名称「やなせ宿」に 年度内オープンを

明治時代の日本家屋のおもかげを残す「細川邸」(名張市新町)の再利用を検討しているNPO「なばり」(■■■■・理事長)は、改修整備後の施設名称を「やなせ宿」にすることを決めた。母屋を切り妻屋根と出格子の趣あるイメージに演出し、年度内のオープンを目指している。

細川邸は明治中ごろに建設された家屋で、平成17年春に所有者が敷地(約1000平方メートル)を市に無償提供し、建物は寄贈。建物の寄贈を受けて旧市街地の住民らでつくる同NPOが、再活用の方法などを検討してきた。

引用中、■で示した箇所には人名が入っているのだが、武士のなさけで伏せ字とした。

この記事によれば、やなせ宿という名称はNPOなばりによって決定された。しかし、NPOは最終的な決定機関ではないのである。にもかかわらず、NPOの決定がそのまま名張市の決定として認められている。ささいなことだが、これは重要なことである。かりにNPOが名張市から名称の検討を依頼されたとしても、それはあくまでも検討というレベルの話である。検討の結果が名張市に伝えられたあと、その結果を採用するのかどうか、それは名張市が主体的に判断するべきことである。だが、やなせ宿という名称の場合、そうした手続きが欠落している。NPOの判断イコール名張市の判断ということになってしまっている。これすなわち、トリックなのである。

このNPOは、そこらの駅弁大学の御用学者先生とこっそりつるみ、なんの必要もない研究を委託して、その対価を名張市に支払わせたNPOでもある。ここにもまた、NPOの決定がそのまま名張市の決定として認められた例がある。トリックがある。だから、名張市が三重大学に支払った149万9400円、そんなものはどう考えたって不当な支出なのだから、名張市長は名張市に全額をとっとと返還したらんか、という住民監査請求を起こしたのだが、監査結果は、協働だからいいんです、とのことであった。NPOの決定はそのまま名張市の決定であるというインチキが、つまりは名張市のトリックが、協働という言葉によって正当化されたのである。しかし、監査委員に扮したそこらのポチがいくらきゃんきゃん吠えたところで……

ここで、ふと思いついた。細川邸の整備にかんして、名張市議会は、というより市議会議員の先生がたは、いったいどのようにご認識なのであろうか。その点をお訊きしてみるのも一興であろう。

名張市公式サイト:名張市議会 議員名簿

このページには、議員先生のホームページアドレスも掲載され、リンクも設定されている。何かをお訊きするとしたら、こうしたサイトにメールで質問するのが手っ取り早いわけなのであるが、たとえば、議長先生のサイトがこれ。

名張市議会議員福田博行のホームページ:トップページ

リニューアル中とのことである。しかも、おととしの9月からずーっとリニューアル中であるという。えらいものである。どんなサイトに生まれ変わるのか、じつに楽しみである。名簿順につぎに進む。

森脇かずのり:トップページ

この先生は、名張まちなか再生プランが策定されたときには、まだ市議会議員ではいらっしゃらなかったはずである。当初からのくわしい経緯はご存じあるまい。名簿順につぎに進む。なんだか変なお姉さんの写真が出てくる。

名張市議会議員(中川敬三)三重県:トップページ

まったくわけがわからない。わけがわからないといえば、議員名簿のページでは、公明党所属の先生がたのホームページの欄がブランクになっている。ウェブサイト名張人外境の過去ログを調べてみたら、おととし7月の時点では、こんなサイトがあったのである。

20080508a.gif


この「名張市議会公明党議員団」のサイトが、いつのまにか消滅してしまったらしい。インターネットを利用して市民と連携することを断念したということか。なんとも意味が不明である。ちなみに「日本共産党名張市会議員団」のサイトは健在である。

日本共産党名張市会議員団:トップページ

健在と表現するのもおかしなことであるが、こうして名張市議会議員の先生がたのサイトをチェックしてみると、わずか二年前にあったサイトがそのまま存在しているというだけで、なんだかほっとするような感じである。で、名張市議会議員の先生がた二十人の公式サイトは、以上に尽きている。

ほかにただおひとかた、ブログを開設している先生がいらっしゃる。

「名張を本気で変える!!」田合たけしの活動日記:10回の訓練(4月24日)

これもまた意味不明である。「タウン情報紙YOUに謝罪文が載っています」といわれたって、誰が誰に謝罪しているのかさっぱりわからない。そこで、YOUを見てみる。

伊賀タウン情報YOU:議員の姿に驚き 入学式 祝電の順は?(4月25日)

こらあかん。さっぱりわやである。この先生には何をお訊きしても無駄であろう。そっとスルーしておくことにする。それにしても、大丈夫か名張市議会。

なんだか寄り道をしてしまったが、とにかくこの名張市では、公論にもとづかない決定が大きな顔をしてまかり通っているのである。もちろん名張市がまかり通らせているのである。そのためのトリックが、たとえば名張まちなか再生委員会の場合でいえば、委員会が有していない権限をあると認め、委員会の決定がそのまま名張市の決定であると認めることであった。すなわち、万機公論に決すべし、ではなくて、万機私論に決すべし、というのが名張市の実態なのである。大丈夫かほんとに。
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