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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうの中日新聞に、国土交通省のまちづくり交付金にかんする記事が掲載された。名張まちなか再生プランの財源的根拠となっている交付金である。

中日新聞:1兆円、使途市町村任せ 道路財源4割の交付金

引用。

   
国土交通省が市町村の都市整備事業に最大40%まで資金を出す「まちづくり交付金制度」の交付額が、2004年度の導入以来、本年度までの5年間の総額 で1兆円に達する見通しであることが明らかになった。交付金の4割は道路特定財源で賄われるが、道路以外にも公共施設の建設や観光支援など幅広く使われて いる。交付決定後に住民の反対で事業が中止になった例もあり、税金ばらまきやハコモノ批判が出ている。

「税金ばらまきやハコモノ批判が出ている」とのことだが、それは最初から予想されたことである。国が交付金制度を新設したと聞けば、またばらまきかと思い、自治体がそのばらまきを受け容れたと聞けば、またハコモノかと思う。いまやそれが一般的な感覚というものであろう。げんに、まちづくり交付金制度には導入当初から批判が出ていた。住民監査請求の参考資料として提出した「僕の住民監査請求」でも、そのことは指摘しておいた。

名張人外境:乱歩文献打明け話 番外 僕の住民監査請求

引用。

   
「そしたら名張まちなか再生プランの予算もやっぱりばらまきなんですが」
「まちづくり交付金という名目で国が地方にばらまいてるんです」
「伊賀の蔵びらきより大規模ですな」
「二〇〇四年に都市再生特別措置法が改正されて自治体のいわゆるまちづくりを支援する交付金制度が創設されました」
「そしたら名張市もその交付金を活用したらええのとちがうんですか」
「けどこの制度には批判もありまして」
「どこがあきませんねん」
「支援の対象が土木建設事業のレベルですからまったく旧態依然やないかと」
「昔ながらの発想やゆうことですか」
「全国の地方がここまで衰退したのは規制緩和をはじめとした国政の重大な過誤の結果であるという指摘もありますし」
「旧態依然とした国の政策では地方を再生することができないゆうわけですか」
「ただでさえ国から分配されるお金が減ってきてますから名張市が国の交付金にすがりつくのはようわかりますけど」
「たとえばらまきであってもそれをうまく利用することはできないもんですか」

うまく利用することは不可能ではないだろう。現実に制度として存在している以上、ばらまきをうまく利用するべきだという考えかたは、もちろん否定されるべきでもない。だが名張市の場合、それははなから無理な相談であった。国のばらまきにすがりつき、一億円をかけて細川邸というハコモノを整備した結果はどうであったか。惨憺たるものである。中日新聞の「1兆円、使途市町村任せ」という見出しをもじるなら、「一億円、地域住民まかせ」とでもいうしかない名張市の無策無能無責任が、避けがたい帰結として失笑すべき惨状を招き寄せたのである。

さらに引用。

   
「ここでふり返っておくならば要するに内発的なものがどこにもないんです」
「内発的なものといいますと」
「内側から発した動きのことです」
「それがないということはつまり外側から動かされてるゆうわけですか」
「伊賀の蔵びらきでは三億円のばらまきという外在的要因に芭蕉生誕三百六十年という中途半端な思いつきを無理やりこじつけただけでしたし」
「名張まちなか再生プランの細川邸は内発的なものやないんですか」
「素材そのものは内側にありますね」
「細川邸を素材として活用したいという声は以前からあったようですけど」
「そうした声が内発的な動きとして出てくるまでにはいたらなかった」
「なんでですねん」
「内発的なことを自分の頭で考えられる人間がおらんかったからでしょうね」
「それがまちづくり交付金という外側からの働きかけによって動きが出たと」
「その動きが一歩目でずっこけまして」
「ずっこけたといいますと」
「わけのわからん策定委員会つくって丸投げした時点ですべてが終わりました」
「丸投げはあきませんかやっぱり」
「ですから結局は名張市が悪いんです」
「どのへんが悪いんですか」
「名張市が名張まちなかの再生を主体的に考えていなかったのが明らかに悪い」
「他人まかせにしてしまっていたと」
「これは完全に行政の問題なんです」
「それはそうでしょうね」
「名張市は名張まちなかについてどう考えているのかをまず示すべきなんです」
「基本的な考え方を明らかにせよと」
「名張市全体のグランドデザインのなかに名張まちなかの再生を位置づけてそれを住民に提示することが先決です」
「それは住民にはできないことですか」
「地域住民は近視眼的になりがちですから別の視点を導入することが必要です」
「高い視点とか広い視野とか」
「よその事例も参考にせなあきませんし地域住民が気づいていないまちなかの可能性を発見する視点も要求されます」
「そうなると住民の手にあまりますね」
「そうゆうことを考え抜いて明確なビジョンを示すのが行政の務めなんです」
「それが全然できてなかったと」
「大切な務めを放棄してそこらのあほに丸投げするだけでは何もできません」
「あほ呼ばわりはやめとけゆうねん」
「ですから名張まちなかのアイデンティティの拠りどころは何かというような共通認識はなんにもないままに」
「寄せ集めの委員会に共通認識を期待するのは無理かもしれませんね」
「いきなり細川邸がどうのこうのとハコモノの話に入ってしまうわけなんです」
「土木建設事業のレベルですか」
「そんなインチキなことでええと思とるのやったら大きなまちがいじゃあッ」
「君いくら怒ったかて手遅れですがな」

たしかに手遅れである。もうどうしようもない。どうしようもないというよりは、名張市にどうにかしようという気があるとは思えない。とてもそんなふうにはみえない。ばらまき、ハコモノ、丸投げ、という三点セットのレールのうえを、痴呆のごとく無批判に走りつづけるしか能がないのである。レールのたどりつく先は、まちなかの再生などではさらさらない。地域社会の疲弊である。しかも始末の悪いことに、細川邸整備事業に内在している本質的な問題は、名張まちなか再生事業だけのものではないのではないか。進路変更のきかないレールの先に、名張市全体の壊滅的な疲弊が待ち受けているのではないか。だがそれを回避することもまた、もはや手遅れであるのかもしれない。
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