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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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名張市議会の会議録からうかがえたのは、乱歩の名前がハコモノ崇拝主義とイベント尊重思想の文脈でしか語られていなかったという一事である。無理からぬことである。知れていたことである。名張市における乱歩なるものの劣化衰微頽落は、もはや覆いようもないほどに明らかな事実であるのだが、市議会でくりひろげられた不毛で愚劣な応酬もまた、それを残りなく証明してくれたというわけである。

だからもういいか、という気がする。きのうの時点では、あした以降ももう少しいたぶってやることにするか、と考えていたのだが、何をいってもしかたあるまい。市議会の会議録を手がかりとして名張市に批判を加えることはいくらだって可能だが、名張市がその批判を今後のしるべとすることは絶対にないのである。やる気もなければ能力もなく、ろくに乱歩作品を読んだこともなければ乱歩のことを知ろうともしないような連中に、何をいったところで意味はないのである。

それで結局のところ、名張市における乱歩なるものはどうなるのか。どうにもならぬであろう。 乱歩といえば文学館だの記念館だのと口走るしか能のない自治体である。その可能性が消えてしまったのだから、名張市は口走る寝言さえ失ってしまったというしかない。ハコモノ崇拝主義が地に塗れてしまった以上、あとにはイベント尊重思想しか残されていない道理なのではあろうけれども、これとてろくなものではない。そんなものに税金つかってる場合かよ、という話である。

ただし、名張市にだってやるべきことはある。いうまでもなく、市立図書館が市民の税金で収集してきた乱歩関連資料の活用である。名張市における乱歩関連事業のいちばんの基本である。ところが、できない。できていなかった。だから市立図書館嘱託として活用の道を示した次第であったのだが、それでもできない。やろうとしない。それならいいやばーか。もう知らねーぞ。この3月いっぱいできれいさっぱり、市立図書館とはいっさい無縁な身になることにしたのだが、それでも心残りなのはやはりそのことである。いったんは陽の目をみた資料がまた死蔵されることになる。それでいいのかということである。

先日、3月13日のことであるが、アメリカからメールが届いた。もちろんアメリカの人からのメールである。ただし日本語で書かれていたので、すらすら読めた。あたりまえである。以前、京都市にある国際日本文化研究センターで乱歩の研究をしていらっしゃったかたからのもので、そのかたの英訳による乱歩の「二銭銅貨」を収録したアンソロジーが、かの地アメリカで刊行されたとのお知らせであった。日文研時代、京都から名張市立図書館まで乱歩関連資料を閲覧に来てくださって、あまり時間もなかったのだが、清風亭で昼食を取り、ちょっとだけ名張のまちも歩いていただいて、中町の山本松寿堂に立ち寄ったところ、さすが「二銭銅貨」の翻訳を手がけるほどのかただけに、二銭銅貨煎餅がいたくお気に入りのようすであった。

私信の公開はよろしくない行為だが、一部こっそり引用することにして、メールには「中さんに二度会いまして、すっかりお世話になりました。『江戸川乱歩著書目録』と『江戸川乱歩執筆年譜』を中さんから頂いてから、何度も、何度も参考に致しました。本当に不可欠の参考文献で、心から感謝しております」とある。この「感謝」は、そのまま名張市に捧げられたものである。名張市民に捧げられたものである。市民の血税で収集した資料にもとづき、市民の血税で刊行した目録が、万里の波濤を越えてアメリカ大陸で活用されているのである。お役に立っているのである。そのアメリカから、名張市に対してリスペクトが捧げられているのである。

こういうことでいいと思う。これまで手がけてきたこと、つまり資料収集という行為の延長上に、身のたけや身のほどに応じて、やるべきことをまじめにこつこつやってゆけば、名張市はそれでいいと思う。地味でまったく目立たないことではあるけれど、収集した資料を活用したサービスを展開することで、山に降った雨が地面にしみこんでやがて平地をうるおすように、乱歩を愛するすべての人の心に、名張市へのリスペクトが芽生えてくるのではないかと思う。リスペクトとはいわないまでも、乱歩の生まれ故郷である名張という土地に、親しみのようなものをおぼえてもらえるのではないかと思う。それが結局のところ、情報発信や全国発信ということでもあると思う。むろん名張市が乱歩にかんして何をやってもいいのだけれど、いちばんの基本はまずそういうことであるべきだと思う。

だが、もうおしまいである。名張市にはできない。やろうとしない。しかし、それでいいのか。そんなことでいいのかよ、ということなのである。やるべきことはそこにあるのに、それに手をつけようとしないというのは、なんとも惜しいことである。もったいないことである。だからNPOをつくり、つまりお役所のヒエラルキーのなかで何を提案しても握りつぶされるだけなのだから、NPOをつくってお役所と対等の立場になり、そのうえで市立図書館と連携するしかないのではないかと考えてみたのだが、どうもうまくゆかない。というか、どうしてそんなことまでしなければならんのか、という疑問が先に立つ。どうにも腰が重くなる。むろん気も重い。あれこれ堂々めぐりしたあげく、名張市さえしっかりしていれば、と舌打ちしたいような気持ちにたどりつくのがつねである。

きのう、先進諸国におけるNPMの見直しについて記した。三年前に記したことをくり返しただけなのであるが、三年が経過して、日本でもNPMの見直しがひとつの主張として定着しつつあるらしい。2月に出た新藤宗幸さんの『新版 行政ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)を読んでいたら、こんなことが書かれていた。

   
サッチャー政権やレーガン政権は去ったものの新自由主義による「反福祉国家」=「小さい政府」への流れは、弱まるどころか一般化したといってもよいでしょう。一九九〇年代以降、行政の世界ではNPM(New Public Management=新しい行政管理)という考え方が、急速に広まっていきました。かんたんにいってしまえば、政府事業の民営化や市場化、政府規制の緩和を徹底して進めることで、政府の規模縮小と財の効率化をはかり、経済に活力をもたらすべきだというものです。一九九〇年代にはNPMにもとづいて徹底した行政改革をはたしたとして、ニュージーランドがいちやく脚光をあびました。
日本でも、とくに二一世紀に入ると小泉純一郎政権のもとでNPMにもとづく「改革」が中央・自治体ともに急速に進んでいます。日本道路公団をはじめとした道路関係の四公団や郵政事業の民営化がおこなわれました。高齢者介護、障害者福祉にも市場原理の導入が顕著となっています。
医療保険制度の分野では、医療財政の悪化を防ぐとして医療費の抑制が、患者負担の増加、診療報酬の引き下げ、保険料の引き上げといったかたちで進みました。二〇〇八年度からは七五歳以上のすべての後期高齢者を対象とした後期高齢者医療保険制度がスタートします。これまで保険料負担のなかった後期高齢者からも、所得に応じて保険料が徴収されます。
労働市場の規制緩和も急です。派遣労働の対象範囲がつぎつぎと広げられ、非正規就業者の割合がとくに若年層で増加しています。企業にとっては、従業員を経営状況にあわせて弾力的に雇用できますから、非正規就業者は都合のよい存在です。けれども、非正規就業者は不安定かつ「劣悪」な労働条件で働くことを強いられます。雇用における格差が社会的問題となっているのも、こうした「改革」の結果だといえます。
いまや、市場原理主義ともいうべき考え方に立った「小さい政府」への転換が当然視され、それに異を唱えることが「反進歩」であるかのような状況さえ、生みだされています。この意味では、人間の生存権や社会権思想の発展と結びついた「福祉国家」の時代に、ピリオドが打たれようとしています。政府の規模拡大が、後に述べるような問題を抱えていることも事実です。それにしても「先祖返り」のような「小さい政府」でよいのでしょうか。これはエピローグでもう一度考えてみることにします。

要するに、これでよいのでしょうか、ということなのである。話が横にそれてしまったようだが、つまりはそういうことなのであって、これでよいのでしょうかという疑問を重くひきずりつつ、あすは「市議会の細川邸」を総括する。
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なんかもうどうしようもありません
 ●水郷楽人様
 ご投稿ありがとうございます。
 すっかりご無沙汰してしまいました。御地もきのうあたり、ずいぶん暖かかったことと思います。お邪魔する用事もなくなってしまったのですが、ときおりあの怪しの居酒屋、昭和食堂のことを思い出したりしております。
 中身の無い箱物に憧れを持つみなさんというのは、要するにおつむが空っぽなみなさんなのではないでしょうか。おつむというものに中身があるということがわからないのですから、箱も空っぽでいいとしか考えられないのだと思います。
 乱歩関連資料というものも、たとえば名張市議会の会議録を一読してみたところでは、あくまでも展示用の資料ということでしかありません。つまり眺めるというレベルでとどまっていて、資料を読むという認識がないみたいです。読みさえすればいくらでも活用の道が開かれるというのに、それをしようとしないんですからどうしようもありません。
 そういえば、以前お邪魔したとき、歴史資料館をつくろうと思ったら準備に最低十年は必要であるといったことなど、いろいろご助言をいただきましたが、名張市の歴史資料館構想はなんの裏づけもない思いつきでしかなく、準備に十年どころか、プランが決定して四か月ほどで立ち消えとなってしまいました。市民のひとりとして、ひたすら慚愧に堪えません。
 今後ともよろしくお願いいたします。
中 相作 URL 2008/03/19(Wed)10:32:53 編集
乱歩徒然。。
お久しぶりです。。
中身の無い箱物になぜ憧れを持つのでしょうね。。後世の負担になるかも知れないのに。。自ら余計な借金を抱える行為と思ってしまいますよ。。この人達は箱物(名張)を自慢したいのか。。それとも資料(乱歩)を自慢したいのか。。どっちなんでしょうね。。
水郷楽人 2008/03/18(Tue)21:24:49 編集
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