三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。
名張まちなか再生委員会の話である。1月31日の会合の話である。結論が聞けるものだと思って足を運んだのに、なんら得るところなく帰らねばならなかった話し合いの話である。
要はこうである、と会合の席でも説明したのだが、このブログでもしつこく記しているとおり、名張まちなか再生委員会が発足させたNPOと、こちらが新たに発足させようとしているNPO、このふたつが存在すると仮定した場合、委員会は新しいNPOの提案を受け容れることができるのかどうか、という話である。
ではどうなるのか。つぎの段階に進むことになる。細川邸の活用策について名張市から検討をゆだねられた名張まちなか再生委員会は、いまや機能不全に陥り、有効なプランを提示することができない。だからこういうことになる。
やはり二者択一の問題である。今度は、名張まちなか再生委員会と新しいNPOとが肩を並べることになる。名張市に対して、名張まちなか再生委員会以外の組織が細川邸の活用策を提案することは可能か、と問うことになる。名張市の判断を仰ぎ、決断を求めることになる。
とはいえ、結論は知れていよう。名張市が新しいNPOの提案を認めるということになれば、それはそのまま、名張市がみずから、細川邸整備のこれまでのプロセスを否定してしまうことになる。間違いだったと認めてしまうことになる。
むろん間違いである。大間違いである。細川邸の整備事業はそもそもの最初から間違いに間違いを重ねてここにいたっているのである。贅言は必要ない。なんのための施設なのかも不明なまま細川邸が整備されてしまったという一事が、一連の事業が大間違いのこんこんちきであったことを雄弁に物語っているのである。
しかし、名張市がそれを認めることはないと判断される。認めればたいしたものである。昔から綸言汗のごとしとはいうけれど、君子は豹変すとも、過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれともいうではないか。過ちて改めざる、これを過ちという、ともいうのだけれど、しかしどう考えても、名張市が細川邸整備は過ちでございましたと認めることはないであろう。
ならばどうするのか。奥の手として、いっそこちらが名張市長になってしまう、ということが考えられる。そうなれば手っ取り早い。だが、市長などというものは思い立ってすぐになれるものではないし、だいたいそんなものになるのはいやである。ごめんこうむる。
名張まちなか再生委員会の話である。1月31日の会合の話である。結論が聞けるものだと思って足を運んだのに、なんら得るところなく帰らねばならなかった話し合いの話である。
要はこうである、と会合の席でも説明したのだが、このブログでもしつこく記しているとおり、名張まちなか再生委員会が発足させたNPOと、こちらが新たに発足させようとしているNPO、このふたつが存在すると仮定した場合、委員会は新しいNPOの提案を受け容れることができるのかどうか、という話である。
- NPOなばり
- NPO乱歩と名張
ではどうなるのか。つぎの段階に進むことになる。細川邸の活用策について名張市から検討をゆだねられた名張まちなか再生委員会は、いまや機能不全に陥り、有効なプランを提示することができない。だからこういうことになる。
- 名張まちなか再生委員会
- NPO乱歩と名張
とはいえ、結論は知れていよう。名張市が新しいNPOの提案を認めるということになれば、それはそのまま、名張市がみずから、細川邸整備のこれまでのプロセスを否定してしまうことになる。間違いだったと認めてしまうことになる。
むろん間違いである。大間違いである。細川邸の整備事業はそもそもの最初から間違いに間違いを重ねてここにいたっているのである。贅言は必要ない。なんのための施設なのかも不明なまま細川邸が整備されてしまったという一事が、一連の事業が大間違いのこんこんちきであったことを雄弁に物語っているのである。
しかし、名張市がそれを認めることはないと判断される。認めればたいしたものである。昔から綸言汗のごとしとはいうけれど、君子は豹変すとも、過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれともいうではないか。過ちて改めざる、これを過ちという、ともいうのだけれど、しかしどう考えても、名張市が細川邸整備は過ちでございましたと認めることはないであろう。
ならばどうするのか。奥の手として、いっそこちらが名張市長になってしまう、ということが考えられる。そうなれば手っ取り早い。だが、市長などというものは思い立ってすぐになれるものではないし、だいたいそんなものになるのはいやである。ごめんこうむる。
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