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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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さて、ほんっとにどうするかなあ。

とりあえず、3月21日からの流れで、「市民の非営利事業の範囲を広げることによって、私たちの社会はより豊かになるといえます」という点について述べると、これは理解できる。名張市や三重県で、というよりも全国の自治体でそれぞれにとなえられている協働だの新しい時代の公だのといったお題目も、煎じ詰めればそうした社会をめざしたいというのが主旨なのであろう。すんなり理解はできるのだが、やはり二の足を踏んでしまう。

何に二の足を踏むのか。むろん「市民の非営利事業」に手を染めること、つまりNPOをつくることである。とにかく名張市がやってることは無茶苦茶である。やらなければならぬことはほったらかしのまま、やらなくていいことにとっとこ手を出して、ご丁寧なことに最悪の結果を招いている。細川邸整備の茶番劇をみるだけで、名張市のおそまつさはもはや隠れもあるまい。だから名張市にはまかせておけない、市民による非営利活動の出番である、という話の流れはよくわかる。

したがって、こうなったらNPOをつくるしかないな、という察しはとっくについているのだが、だからといって嬉々としているわけでもない。そもそも組織や団体なんてものは肌に合わない。群れたり集ったりするのが嫌いである。そんな人間がNPOをつくろうかと考えているのだから、どこかに無理があるはずである。ことが勢いよく前進しないのは、そうした事情もあるからだろう。とはいえ、もちろんそれだけが理由ではない。

ならばと理由を考えてみると、まず頭に浮かぶのは、大丈夫か名張市、ということである。NPOをつくってみたところで、名張市という自治体とのあいだに信頼関係が築けるかどうか。それがおおいに疑問である。かりにこちらが信頼関係を築こうと考えても、名張市は癒着関係しか求めていないのではないか。どうもそんな気がする。

NPOと名張市といえば、思い出されるのは昨年7月に提出した住民監査請求である。そこらのNPOが勝手に決めたことに市民の税金がつかわれていいものか、との問いに対して、監査委員からはOKであるとの見解がもたらされた。あきれ返った話であるが、名張市における協働とは要するに官と民との癒着を正当化するための言葉であり、名張市には組織の主体性や自立性といったものがまったく理解できていないのであるということを、監査結果の報告書が雄弁に物語っていたのである。

だからいくらNPOをつくったところで、名張市と組むことなんか無理なのではないかと思わざるをえない。名張市は名張市で、癒着を拒否するNPOと組もうとはしないのではないかとも思われる。ゆえにNPOには二の足を踏んでしまうわけである。べつに名張市と組む必要はないではないか、とお思いの向きもあるかもしれないが、組まないわけにはいかんのである。

NPOつくって何をやるのかといえば、いちばんの主眼は、乱歩にかんして名張市立図書館が当然しなければならぬはずのことである。しかもそれは、図書館にとって枝葉末節のことではなく、図書館サービスの根幹にかかわることである。なんのために図書館が存在するのか、図書館はなんのために資料を収集するのか、そういった問題にかかわることである。

図書館による資料の収集は、その活用と表裏一体のものである。ところが名張市は、そうしたことをまったく考えてこなかった。たとえば名張市議会の会議録を閲読し、乱歩関連資料にかんしてどんな議論がおこなわれたのかを調べてみると、収集資料の活用が展示という方向でしか語られていないことが判明する。だからこそ、展示のためのハコモノがなければ資料を活用できないという恐れ入った話になるのである。

ハコモノなんかつくらなくたって、資料の活用は立派にできる。名張市立図書館が収集した乱歩関連資料にもとづいて、全国を対象にしたサービスをくりひろげることはいくらだって可能である。こんなぐあいにすればいいのよね、と懇切丁寧に示してやったにもかかわらず、名張市教育委員会は、ということは要するに名張市は、驚いたことにNOというわけである。それならおまえらはいったいどうすればいいと考えておるのか、と尋ねても、名張市教育委員会は返答すらせんわけである。いくら催促しても返答をよこさんわけである。何も考えておらんわけである。

ならば、収集資料をどう活用するのかという図書館サービスの根幹にかかわることを考えようともしない、というよりは考える能力のない名張市にかわって、こちらがNPOつくってちゃんとしたことをやってやろうじゃねーか、ということになってしまって、はたしてそれでいいのかどうか。そんなことになったらこれはもう、ちょっと乱暴に話を飛躍させてしまうならば、名張市なんて民営化してしまったほうがいーんじゃね? ということになってしまうはずである。行政サービスというものがいったいなんであるのか、それを真剣に考えようとしないお役所なんて、とっとと民営化してしまうしかないのではないか。

というか、わざわざNPOをつくるようなことまでして、名張市という程度の悪い自治体の尻ぬぐいをせねばならんものかどうか。尻ぬぐいというのはもちろん、活用のあてもないのに資料を収集してきたことの尻ぬぐいなのであるが、それとてしょせん市民生活には直接かかわりのないことである。そんなことのためにあえて苦労を引き受けねばならんものかどうか。もうこれまでに十年の余、乱歩のことで名張市にはずいぶん滅私奉公してきた身なのである。これ以上まだやるのかよ、と自問自答の迷い道。名張市さえもう少ししっかりしてくれていたならば、こんな道には迷わぬものを。

といったようなことをくどくど並べ立てていてもしかたがないのだが、しかし実際には、ちょいと先のこともまったく不明なのだから困ってしまう。あえて予告をしておくならば、細川邸改めやなせ宿のオープンに合わせて、やなせ宿開設祝賀イベントを主催しようかなと考えている程度のことである。

2月22日付エントリ「やなせ宿開設記念講演会」に、開設記念講演会の講師を務めてやらんわけでもないのだぞと記しておいたのだが、やなせ宿関係者からはいっこうに音沙汰がない。だからこちらで、ということはやっぱり開設までにNPOを組織してということになるのか、あるいはそうではないのか、そのへんのことはもうひとつ確定していないのだが、とりあえずやなせ宿の開設を祝して講演会とかシンポジウムとか、それも一日とはいわず週一回ずつ四週連続とか、やなせ宿を会場にそれくらいぶちかましてやろうかなと考えている次第である。

しかしまあ、不明といえば不明である。何もかもが不明である。五里霧中とはこのことであろう。なにしろ相手のあることだから、不明であるのもしかたがない。不明なことは不明なままに、しばらくこのブログはお休みとして、あすからはもう一か月以上も放置してあったウェブサイト名張人外境に復帰することとしたい。

それにしても、ほんっとにどうするかなあ。
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さてどうするかなあ、というのが口癖になっている。悩んだり思案に暮れたりといったことはめったにないのだが、さて、どうするかなあ。

とりあえず、先日来の流れに沿って、新藤宗幸さんの『新版 行政ってなんだろう』から引用。

   
私たちの社会には、政府=行政のおこなうことがパブリック(公)であって、人びとに共通の利益をもたらす事業は、行政によっておこなわれるべきだ、との考えがまだまだ強く残っています。それは、近代化のためとはいえ、行政が社会のすみずみまで活動の範囲を広げた結果です。ところが、財政状態のひっ迫とともに、こんどは公共サービスの「市場化」が追求され、人びとの共通の利益の実現が損なわれようとしています。
政府の活動のすべてがパブリックなのではなく、本来それは、パブリックの一部分にすぎません。政府と市場の二分法に立って公と私を考えるのではなく、政府と市場のあいだには、私たちのつくるパブリックがあると考えるべきでしょう。
こうした考えに立って市民自らがパブリックな領域を広げていこうとする活動が、一九九〇年代以降、徐々に活発になってきました。一九九五年の阪神淡路大震災をはじめその後の中越地震や中越沖地震による震災復旧には、多くのボランティアが駆けつけました。また、地域の福祉やリサイクル事業などにも、ボランティアがかかわるようになっています。
ボランティアとは別にNPOということばをよく聞くことと思います。ボランティア活動の台頭をうけて一九九〇年代にはNPO(非営利法人)の設立に根拠となる法律をつくるべきだ、という運動が活発化しました。紆余曲折がありましたが、一九九八年に特定非営利活動促進法(NPO法)として制定・施行されました。これはそれまでの民法第三四条にもとづく公益法人の許可とちがって、都道府県知事への届け出・認証によって、団体の設立を可能としたものです。この法律にもとづくNPO法人は、二〇〇七年一一月現在でおよそ三万団体余であるとされています。これはNPOをもっとも限定的にとらえたときの数字です。NPOとは、広義には非営利の市民活動(事業)団体であって、生活協同組合やワーカーズ・コレクティブなど多様な市民活動団体を指しています。
ボランティアは、基本的に無償の活動ですが、NPOは労働の対価が支払われる活動です。もっとも、NPOも多くのボランタリーな活動によって支えられており、双方に明確な境界を設定することは、実際にそぐわないでしょう。いずれにしても、市民の非営利事業の範囲を広げることによって、私たちの社会はより豊かになるといえます。

これはわからないでもない。というか、よく理解できる。理解できるから悩ましいのである。さてどうするかなあ。
中日新聞系のフリーペーパー「ROOS」3月号が昨19日、発行された。名古屋市全域を中心に、三重県では桑名市、いなべ市などで中日新聞に折り込まれる「熟年世代のニュースペーパー」。タブロイド判で十二ページ。

タウン誌ネットワークUnyo!:ROOS(ろ~ず)

3月号の特集は「文豪の里を行く〜江戸川乱歩ゆかりの地を訪ねて〜」。フロントページのコンテンツ欄には、「三重県が生んだ“日本の探偵小説の父”江戸川乱歩。その偉大な足跡をたどろうと、本紙記者が三重・愛知両県のゆかりの地を訪ねました。名張市をはじめ、各地に点在するお薦めスポットを紹介します」とある。

特集のなかの名張市のパート、権利関係でいろいろ問題があるとは知りつつも、画像でこっそり掲載する。本文もなんとか判読できると思う。

20080320a.jpg

以前にも記したとおり、名張の名がメディアで喧伝される機会の多くはこれこのとおり、江戸川乱歩の生誕地であることによっている。

先日閲覧した名張市議会の会議録には、「乱歩関連施設整備事業検討委員長の発言にもありましたように、乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます」との発言があった。このブログのリンク欄にあげた「まちBBS:名張市について書き込んでみましょう」をクリックすると、最初に出てくるのは「江戸川乱歩生誕の地名張」という文章である。名張市を本拠とするサッカーのクラブチームは、乱歩にちなんで「三重FCランポーレ」と名づけられている。

すなわち、名張市にとって乱歩がかけがえのない「目玉」であり「地域資源」であるという認識は、市民のあいだにある程度浸透しているといっていいはずである。ところが名張市は、そのせっかくの素材を、いっこうに活用しようとしない。その気がないわけではないのだが、いわゆる実行がともなわない。なぜか。ものを考える能力に欠けているからである。よその猿真似をする程度のおつむしかないからである。名張市の地域性や独自性をよく知り、乱歩作品や乱歩その人をよく理解して、そのうえで名張市が、みずからの身のたけ身のほどというものをよくわきまえて、さて何をなすべきなのかと考える。そんな芸当などとてもできない相談だからである。

そしていまや、乱歩にかんする名張市の無策無能は、名張まちなか再生プラン関連の細川邸ならびに桝田医院第二病棟の整備事業によって、すみからすみまで白日のもとにさらされてしまった。およばずながらこのブログも、名張市の無策無能ぶりを喧伝することに明け暮れてきた。喧伝することで名張市に、それこそ再生の道を示すことができるかと期待をかけていたのだが、その期待も夢とついえた。何をどうしたところで、もはや甲斐はないのである。終わっとる終わっとる。少なくとも乱歩にかんしていうならば、名張市はもう完全に終わっておる。そろそろ投了ということにすべきだろう。蛍の光が聞こえぬか。
名張市
産経新聞:最後の卒業式 名張・長瀬小5人、新たな目標へ
毎日新聞:卒業式:名張市小学校で 学び舎に“さようなら” 百合が丘では92人巣立つ /三重
毎日新聞:コミュニティーバス:「ほっとバス錦」試乗会に満足 来月から運行--名張 /三重
毎日新聞:家庭ごみ収集:一元化、桔梗が丘は延期の見込み 合意まで戸別方法で--名張 /三重
中日新聞:「ほっとバス錦」試乗会 名張・錦生地区で4月から運行
伊勢新聞:レジ袋 名張市も有料化へ スーパーと来月協定 7月実施

伊賀市
朝日新聞:観光施設から博物館に娯楽に加え研究なども
産経新聞:伊賀市長減給の意向 前総務部長の詐欺問題に絡み、市議会調査特別委に
毎日新聞:大戸川:きれいな川願って 新居小の5年児童、浄化助ける容器設置--伊賀 /三重
毎日新聞:伊賀市元総務部長詐欺:個人的貸借と認識 任命、反省している--今岡市長 /三重
中日新聞:鉄道ファン集まれ! 伊賀で大学生ら「博覧会」
中日新聞:伊賀学検定、上級は狭き門 合格者わずか6人
伊勢新聞:学生マニアが活性化イベント「伊賀鉄道」を元気に
日経ネット関西版:淀川水系4ダム、国交省「計画変更せず」──流域委側と対立

伊賀広域
産経新聞:三重県内各地で公立小学校の卒業式
3月1日、「永遠のJガール」というブログが開設された。「Jガール」の「J」がなんのイニシャルなんだか、よくわからない。イニシャルなんかではないのかもしれない。ともあれ3月1日、田中徳三監督を追悼するエントリで船出が飾られた。

永遠のJガール:3月1日(土) 追悼 田中徳三監督

「J」は「Japan」の「J」かと思いあたったが、たぶんちがうだろうなとも思う。3月中旬になると、こんなエントリが登場する。

永遠のJガール:3月13日(木) 中 相作先生のこと

当方のことまで追悼していただいてありがたいことである、と一瞬思ってしまったが、そうではないそうではない。先生は存命である。ぴんぴんしている。ぴんぴんしている、というか、べろんべろんになっている、というか。しかし、よそさまのブログのエントリで主役を張れるなどというのは、長い一生でもめったに経験できぬことであろう。永遠のJガールにお礼を申しあげておきたい。というか、先生はなんだか恥ずかしい。

ブログを一読すればたちどころに知れるとおり、このブロガーはじつにまっすぐ、佐藤紅緑ふうにいえば、いやもう佐藤紅緑なんてのはいかにも古いのであるけれど、それでも佐藤紅緑ふうにいえばひたぶるに一直線な女性であって、アルファベットでいえばまぎれもなく「I」の字である。しかし、「I」ってのは字面的に深みとか陰翳に欠けるような気がする、だからいっぽうの先端をくるっとまわして「J」にしてみた、これで色っぽくなったかしら、というのが「Jガール」の由来なのではないか。真相なのではないか。先生はそのようににらんでいるのであるが、絶対にちがうであろうな。

ともあれ、このブログには吉本系の芸人諸兄姉が大挙して登場してくるようなので、そういった方面に興味のあるかたにはとくにお薦めしておきたい。

じつをいえば先生は、若き日、秋田実先生を師と仰いで漫才作家を志しながら挫折し、それならいっそ漫才師になろうかと考えながらそれも断念してしまった暗い過去をもつ人間である。だからいまでも漫才にはとりわけ愛着が深く、つい先日も新聞で上方漫才の十枚組だかなんだかのCDブックが出たという記事を読んで、あわててブックスアルデ名張本店へ注文に走ったほどなのである。早く届かぬものかしら。

それでは、末筆ながら「永遠のJガール」の誕生を祝しつつ。
きのうからの流れで、まずは新藤宗幸さんの『新版 行政ってなんだろう』から、「それにしても『先祖返り』のような『小さい政府』でよいのでしょうか」という問いの帰結にあたる箇所を引いておく。

   
しかし、だからといって「小さい政府」でよいのでしょうか。もともと市場活動は、人びとのあいだに所得をはじめとしたさまざまな格差を生みだします。また、国内ばかりか国際的にも、すべての地域が同じ水準で発展することはなく、不均衡とならざるをえません。さらに、市場の自由な活動を放任すれば、失業による生活不安はもとより、商品の価格や品質だけではなく、自然環境にも重大なダメージがもたらされます。
すでに、保守党が政権を担っていた一九九〇年代初頭のイギリスでは、「社会的排除」が大きな政治・社会問題となりました。これは、新自由主義による政策の結果、職を失った人びとが新しくスキル(技能)を身につけて、人生の可能性を追求しようにも、そのための資金がなく、ますます社会の底辺に押しやられてしまうという意味です。こうした状況は、まさにこの日本でも深まっているといってよいでしょう。
いま、私たちに問われているのは、政府の大規模化を批判する新自由主義に追随することではありません。市民の生活の安定や環境の保全のために、市場の活動を一定の公的なルールのもとにおくことです。また、それに向けて新しい行政の制度やしくみを追求していくことなのです。

すなわち、NPMの見直しがわが国においてもひとつの主張として定着しつつあるということなのだが、名張市版NPM、といっても『新版 行政ってなんだろう』でおもに説かれている福祉には直接関係はないのだが、やはり名張市におけるニューパブリックマネジメントの試みという意義をもっていたかもしれない細川邸の整備事業は、誰の眼にも明らかなとおり決定的な失敗に終わった。

名張市議会で細川邸が議論されるようになったのは、名張まちなか再生プランが発表され、名張まちなか再生委員会が発足した平成17・2005年以降のことである。しかし、失敗はその前年にはじまっていたというのが正しい。平成16・2004年に名張地区既成市街地再生計画策定委員会が組織され、プランの策定がスタートした時点で、細川邸整備事業の破綻は約束されていたのである。多言は要すまい。プランに記されていたのが、細川邸を歴史資料館として整備するなどという噴飯ものの構想であったことを指摘しておけば、それでいい。

平成16・2004年というのは、伊賀地域を舞台にした三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が、六か月というロングランでくりひろげられた年でもあった。だからこの年は、なんといえばいいのか、地域社会のたがというものが派手にはずれてしまった年だという印象がある。協働だの新しい時代の公だのというお題目が、地域社会に当然存在しているべき規範をすべて踏みにじってしまった観がある。しかも始末の悪いことに、たががはずれっぱなしで現在にいたっている。

名張市があの伊賀の蔵びらき事業の失敗から深く学んでいさえすれば、細川邸の整備事業はこれほど惨憺たる結果には終わらなかったのではないか。ところが、名張市は何ひとつ学ぼうとしなかった。それどころか、事業が失敗であったと冷静に認識することすらできていなかったのではないか。

もっとも、当の三重県だって、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が失敗だったとは認めていない。三重県公式サイトに、こんな資料が掲載されている。

三重県公式サイト:定期監査結果に基づいて講じた措置について(個表)(pdf)

伊賀の蔵びらき事業の翌年、平成17・2005年のものである。なかに、伊賀の蔵びらき事業の「成果の活用」にかんする項があって、歯の浮くようなきれいごとが記されている。

20080319a.gif

引用。

   
部局等名 生活部

監査の結果

1 事務事業の執行に関する意見
(「生誕360年 芭蕉さんがゆく」事業成果の活用)
(6)「生誕360年 芭蕉さんがゆく」事業は、協働による新しい時代の人づくり、地域づくりや伊賀ブランド化を図るため、実行委員会「2004年伊賀びと委員会」を中心に、計画段階から住民が参画し、住民、市町村との協働により、事業を展開した。その結果、地域のネットワークづくりなどが進められ、事業ごとに評価もなされているが、今後、この事業の成果を行政と住民との協働のためのしくみづくり、地域づくりに活かされたい。
(人権・男女共同参画・文化分野)

講じた措置

平成17年度
1 実施した取組内容
本事業で培った行政と住民との協働の取組の成果を学ぶために平成17年7 月「2004伊賀びと委員会」の委員を講師に、政策開発研究センターの職員研修「政策研究講座」を行いました。
また、伊賀県民局においては、生活創造圏ビジョン推進事業や生活創造圏活性化事業、伊賀らしい風情形成事業等での支援事業及び助成事業等により地元自治体、地域の様々な団体や住民が主体となった活動を支援しました。
2 取組の成果
「芭蕉さんがゆく」事業を通じて培われた成果としてのネットワークやノウハウを活かして、
○芭蕉さん事業でのネットワークによる「紅花ネットワーク」
○住民が中心となった「手づくり行灯(あんどん)」
○生活創造圏事業としての「イガデハク(伊賀で博覧会)」
○市の支援による「乱歩蔵びらきの会」、「からくりのまち名張」など地域資源を活かしたさまざまな事業が展開されています。
また、協働に向けて課題や解決方策をまとめた「伊賀発協働問題解説集」、「伊賀発協働辞典」を色々な研修会で活用し、高い評価を得ました。

平成18年度以降(取組予定等)
地域づくりの基本は、地域の方々が、自然、歴史、文化などの地域資源を自覚し、自らが気づき、主体となって活かしていくことが重要であり、とりわけ地域住民と身近な市町の支援が期待されますが、「新しい時代の公」の考え方のもと、地域が主体となった地域づくりにおいて、県としても必要となる役割を果たしていきます。

定期監査といっても身内意識に裏打ちされた適当なものである。きれいごとを並べるのはお役所の鉄則でもある。しかし適当なきれいごとでうわっつらをいくら飾り立ててみたところで、事業の翌年の「取組」とやらがこの程度のことなのである。笑止千万。三億円もの税金を投じ、その成果が「行政と住民との協働のためのしくみづくり、地域づくりに」活用されるべき事業の成果が、紅花がどうの行灯がこうのといった程度のことなのである。イガデハクなんてのは、たしか伊賀の蔵びらき事業の前年から定期開催されていたイベントではないか。そんな催事まで数に入れなければならぬほど、つまりは事業の成果と呼ぶべきものが見当たらなかったということなのである。

そんなことはまあいい。ばかなのは名張市である。「市の支援による『乱歩蔵びらきの会』、『からくりのまち名張』など地域資源を活かしたさまざまな事業が展開されています」とある。完全な失敗に終わった伊賀の蔵びらき事業をひきずってどうする。ひきずってどうなった。乱歩蔵びらきの会はいま何をしておるのか。からくりのまち名張はいまどうなっておるのか。伊賀の蔵びらき事業でご活躍いただいたみなさん、すなわち「自然、歴史、文化などの地域資源を自覚し、自らが気づき、主体となって活かしていく」べき「地域の方々」は、いまいったい何をやっておるのかというのだ。

いま現在のことはともかく、少なくとも平成17・2005年の時点では、名張まちなか再生委員会の歴史整備プロジェクトに名を連ねてくださってはおった。結成総会の資料によれば、歴史整備プロジェクトの構成は、名張商工会議所、名張地区まちづくり推進協議会、からくりのまち名張実行委員会、名張市観光協会、乱歩蔵びらきの会、名張市企画財政政策室、名張市文化振興室、名張市都市計画室といったところなのである。かくのごとく名張市が、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の失敗から何も学ぼうとせず、あろうことかあるまいことか失敗をそのまま引き継いでしまったという点にも、細川邸整備事業がぶざまに失敗した一因が求められよう。

さてそれで「市議会の細川邸」なのであるけれど、とくにいうべきこともない。先日も記したとおり、昨年の定例会では複数の議員が細川邸整備運営の公設民営方式をめぐる質問をおこなったのだが、原理原則からいうならば、こんな指摘は名張まちなか再生プランの素案が提示されたときになされていてしかるべきものである。いまごろなーにいってんだ、とか、てめーらどこに眼をつけてやがったんだよ、とか、市民からそんなツッコミを入れられたら返答ができんのではないかいな。

返答ができんといえば、細川邸にかんして市民から市議会に、てめーらあんな施設の整備費をどうして承認したんだよ、というツッコミが入る可能性もないではない。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をおよそ一億円かけてつくりまーす、と名張市が提案したとき、そんなもんつくってんじゃねーぞこのばかたれ、となぜいえなんだのじゃ助さんや、そうではないか格さんや、ということなのであるけれど、このツッコミに対しても、われらが名張市議会はなんの返答もできんのではないかいな。

ただし、このあたりのことはどうもよくわからない。市議会が細川邸整備の予算にOKを出したことはたしかなのであるが、そのOKはいったい何に対してのものであったのか。いつ出されたものであったのか。少なくとも名張まちなか再生プランの段階では、細川邸は歴史資料館として整備されることになっていた。市議会はそのプランにOKを出した。ところが、名張まちなか再生委員会はそのプランをくつがえし、初瀬街道なんたら館として整備することに決めてしまった。その決定には、市議会の承認も市民の合意もまったくかかわりがないのである。

それがいつのまにか、細川邸をやなせ宿という名の無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として整備することが、市議会の承認を得た事業として進められているのである。どうもおかしい。変である。けったいである。面妖である。なんとも理解しがたいことである。それにだいたいが名張市議会の先生がたも、細川邸整備に関係する地域住民の意を受けて名張市にツッコミを入れるのはいいけれど、それよりも先にまず、市議会の承認というものをなんと心得ておるのかと、細川邸を歴史資料館として整備することに対する市議会の承認をてめーら町人風情があっさりひっくり返せるとでも思うておるのかと、地域住民をかつーんと叱り飛ばしてやることが必要なのではないか。むろん、地域住民といえば言葉をかえれば選挙民なのであるから、とてもそんなことは不可能なのであろうけれども、もうちょい原理原則というものを重んじてはいただけないものかしら。はあちょいなちょいな。

とはいえ、市議会のことはともかくとして、結局どこが悪かったのかといえば、それはもうまぎれもなく名張市なのである。細川邸の整備事業がここまで無残な失敗に終わった責任は、いうまでもなく名張市にあるのである。もしかしたら、うまくゆけば、細川邸整備は名張市版NPMの試みとしてそれなりの声価を得られた事業であったかもしれないのだが、最初の第一歩から大きく決定的にまちがっていたために、声価どころか大失態を招く結果に終わってしまった。あとに残るのはNPMの悪しき側面、すなわち行政の断片化しかないであろう。それがいよいよ加速することであろう。名張市にとっては悔やんでも悔やみきれぬところなのかもしれないが、もう取り返しはつかない。あとの祭りである。残念なことである。もったいないことである。さのよいよい。

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012