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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 いまさら指摘するまでもなく、名張市のまちなか再生事業は惨憺たる結果に終わった。
 
 その失敗から学ぶべきことは多くあるはずだが、まずなによりも、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということの大切さを知るべきであろう。
 
 これまでにもさんざっぱら述べてきたことではあるが、名張市はまずなによりも、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということの大切さを学ぶべきであろう。
 
 早い話、ものの道理というやつをまるでわきまえていなかった名張まちなか再生委員会でさえ、ちゃんと考えてちゃんと決める、ということの重要性に遅ればせながら気がついて、そのための規約改正を進めておったのである。
 
 平成20・2008年6月1日の定時総会で、規約改正に着手するという委員会の意向が表明された。
 
 なぜ改正が必要なのか、おれにはわからなかったのだが、その後、委員会の内部で聞きおよんだところでは、役員会が紛糾混乱ばかりしていたからだという。
 
 つまり、あのときこうゆうたぞ、とか、そんな話は聞いとらんぞ、とか、前に決めたことじゃろーが、とか、そんな話いつ決めたゆーんじゃこら、とか、役員会のたんびにそんな水かけ論めいた展開になって、話し合いがなかなか前に進まんかったらしいのである。
 
 はなはだしきにいたっては、決めたはずのないことが、いつのまにか決定事項として扱われていた、などというケースもあったという。
 
 どうして、そんなことになるのか。
 
 ちゃんと決める、ということができなんだからである。
 
 ちゃんと決めようにも、決めるためのルールがなかったのである。
 
 役員会でなにをどうすればものごとを決めたことになるのか、それがまったく明確ではなかったのである。
 
 だから、組織として意思を決定するためのルールを定める必要がある。
 
 そのための規約改正であった。
 
 ひどい話ではないか。
 
 名張まちなか再生委員会の発足は、平成17・2005年6月。
 
 規約改正の意向が発表されたのは、平成20・2008年6月。
 
 委員会は三年ものあいだ、組織としていかに意思決定すべきか、なんてことにはまったく考えがおよばぬまま、あーでもない、こーでもない、と紛糾混乱をくり返し、しかもその裏では、実際には発足してもいないまちなか運営協議会がいつのまにか発足したことにされておった、という寸法なのである。
 
 ちなみに記せば、規約改正の必要性を指摘したのは、名張まちなか再生委員会発足以来のメンバーではなく、あとになって入会したメンバーであった。
 
 そのメンバーはおそらく、委員会に入り、役員会に出席し、ものすごくレベルの低い紛糾や混乱をまのあたりにし、なんなんだこれは、と驚き、だめだこりゃ、とあきれ返り、これはなんとかせにゃならんな、と規約の改正を提案したのだろうと思う。
 
 では、改正以前の規約はだれがつくったのか。
 
 名張市であろう。
 
 名張まちなか再生委員会を発足させるにあたって、名張市が規約をまとめ、それが委員会の結成総会に規約案として提出され、出席委員の承認を得た、ということだったはずである。
 
 だから、名張市の手でまとめられた規約が無茶苦茶であった、というわけである。
 
 しかし、いくら無茶苦茶でも、問題はなかった。
 
 名張市も、名張まちなか再生委員会も、規約なんてものには紙きれ一枚の重さも認めていなかったからである。
 
 好きなようにすればいい、というのが、双方の暗黙の合意だったのではないか。
 
 規約どころか、委員会の指針となるべき名張まちなか再生プランさえ、彼らの前では紙きれ一枚の重さも有していなかったのである。
 
 好きなようにすればいい、というのが、双方の暗黙の合意だったはずである。
 
 しかし、好きなようにしようったって、なにをどうすればいいのか、それがわからなかった。
 
 名張まちなか再生ブランなんて、ただの思いつきをずらずら並べただけのものだったから、もとより指針にはならない。
 
 だからといって、再生プランを無視して最初から考えてゆくにしても、知恵のない人間ばかり集めた組織だから、なにをどうすればいいのかがわからない。
 
 事業の目玉であった旧細川邸の活用策ですら、歴史資料館として整備する、という再生プランに定められていた線はあっさり覆してしまったものの、ならばどうすればいいのか、それを決めることが委員会にはできなかった。
 
 ここで記しておくならば、これもまたさんざんいってきたことだけれど、名張まちなか再生委員会には、市議会のチェックと市民のパブリックコメントという所定の手続きを経て決められたプランを、あっさりひっくり返してしまうことはできない。
 
 そんな権限は認められていない。
 
 だからおれはもう最初っから、おめーらにゃなんの権限もねーんだよばーか、勘違いしてんじゃねーぞすっとこどっこい、と事務局を通じて再生委員会に申し伝えていたのである。
 
 事務局というのはむろん、例の大うそをかましてくれた事務局なのであるが、いくらいってやってもどうにもならず、再生委員会の内部にようやく、
 
 「再生委員会の規約をしっかり読んだら、再生委員会の権限がどこにも書かれていません」
 
 という声があがったのは、はるかに時間が経過して平成20・2008年5月21日に開かれた第二十一回役員会の席においてであった。
 
 おれが入会する以前の話であるが、このエントリに掲載してある役員会議事録の「page 06」にその発言がある。
 
 
 再生委員会にはなんの権限もない、という当然すぎるほど当然のことに気がつくまでに、発足以来三年という時間がかかったというわけである。
 
 で、「再生委員会の権限がどこにも書かれて」いない規約をつくったのは、名張市にほかならない。
 
 どんな規約であったのか、引用しておく。
 
(目的及び設置)
第1条 名張まちなか再生プランの基本目標である名張の原風景と人情が息づく魅力あるまちをテーマに、名張地区既成市街地の再生を多様な主体の協働により推進していくことを目的として名張まちなか再生委員会(以下「委員会」という。)を設置する。
(所掌事項)
第2条 委員会は、名張まちなか再生プランの実現を目指し、名張地区のまちづくり活動を継続かつ円滑に運営するために、調査、企画及び計画の立案並びにプロジェクト及び事業の具体化、推進、調整を図るものとする。
 
 権限が明記されていないのはもちろんだが、そもそも意味が不明である。
 
 こんな意味不明な規約にもとづいて、どんな活動ができるというのか。
 
 名張市にとっては、規約なんてどうでもいい、ということだったのであろうが、どうでもよくなかったから、規約の改正が進められたのである。
 
 昨年1月25日、名張まちなか再生委員会の臨時総会が開会され、規約の改正が協議された。
 
 示された規約改正案では、委員会の目的はこう規定されていた。
 
(目的)
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い、支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。
 
 あいかわらず意味不明である。
 
 だから、臨時総会では、ほかのところはともかく、こんなあいまいな条文は呑めない、とつっぱねてやった。
 
 結局、規約改正案は承認するが、条文の不備はひきつづき協議の対象とする、ということで、臨時総会は閉会となった。
 
 だからそれ以降、理事会ではひきつづき規約の検討、とくに第二条の検討が進められたのであるが、ちゃんとした条文になる道理はなかった。
 
 なぜかというと、委員会と名張市との関係が明確ではなかったからである。
 
 協働の蜂の頭のといいながら、名張市は再生委員会になんの権限も与えようとしなかった。
 
 まさしく、「再生委員会の規約をしっかり読んだら、再生委員会の権限がどこにも書かれていません」というわけである。
 
 名張市は再生委員会に、いったいなにを託したかったのか。
 
 なにをゆだねたかったのか。
 
 なにをさせたかったのか。
 
 そのあたりがみごとに不明であった。
 
 再生委員会が組織として意思を決定するためのルールなら、規約を改正して明確に定めることができる。
 
 げんに、できた。
 
 だが、再生委員会と名張市の関係性を明確にするなんてのは、再生委員会単独ではできないことである。
 
 名張市がどう考えているのか、それを知ることが必要であった。
 
 だからおれは、理事会のたんびに、
 
 ──ケータイで市長を呼び出せ。
 
 と事務局にゆうとったわけである。
 
 事務局がまともに返答できてたら、べつに市長にお出ましいただく必要などなかったのじゃが、事務局にはそんな返答なんてとてもできない。
 
 そもそも、だれもそんなこと、考えたこともなかったわけである。
 
 再生委員会と名張市の関係性はどうなっているのか、とか、名張市は再生委員会になんの権限も与えておらんではないか、とか、そんなことを考える人間が、少なくとも発足当初の委員のなかには、ただのひとりもおらんかったのである。
 
 名張市のいう協働なんて、しょせんこんなものなのである。
 
 あほはあほとしかつるまない。
 
 それが協働の法則なのである。
 
 な。
 
 だから、おれが、最初っからゆうておったとおり、うすらばかがうすらばか集めて大騒ぎしてんじゃねーよばーか、といったことでしかなかったのである。
 
 やーい、ばーか。
 
 さて、そんなこんなで、9月24日夜、名張まちなか再生委員会は正式に解散した。
 
 冒頭にも記したとおり、無惨な失敗に終わったまちなか再生事業から、官であると民であるとを問わず、関係各位は多くのことを学ぶべきだとおれは思うんだけど、もしかしたら無理かもしれない。
 
 ちゃんと考えてちゃんと決める、というごくあたりまえのことが、名張市にはできぬかもしれんなあ。
 
 無理かもしれんなあ。
 
 というか、絶対に無理だろうなあ。
 
 やーい、ばーか。
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