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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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 ちゃんと考えてちゃんと決めたい残暑かな
 
 暑い。
 
 ただ暑い。
 
 ひたすら暑い。
 
 あまりにも暑いから、句点で自動的に改行することによって、エントリの風通しが少しはよくなるのではないか、とばかなことを思いついてしまった。
 
 視覚的効果、というやつである。
 
 だから、句点が来ると改行している。
 
 ちなみに、句点というのは「。」、読点というのは「、」のことである。
 
 おれはかなり最近まで、これを反対におぼえていた。
 
 「、」が句点だと思いこんでいた。
 
 いまでもときどき、誤用しそうになる。
 
 ま、どうだっていいことだけどな。
 
 さて、暑い暑いとぼやいてるあいだに、盆も終わった。
 
 暦の上では秋である。
 
 もう秋かよ。
 
 びっくりすてすまうべな。
 
 くり返し記しているとおり、テロにはせんから乱歩のことをちゃんと考えてくれんかね、と名張市役所のみなさんにお願いしたのは昨年秋のことである。
 
 以来、早くも一年が経過しようとしている。
 
 大変である。
 
 大変なことである。
 
 お役所のみなさんにまともにものを考えていただくっつーのは、ほんとに大変なことである、と、しみじみ実感してしまうっちゃ。
 
 それはまあ、ものごとをまともに考える習慣がなく、そもそも考える能力がなく、考えるための知識も皆無なみなさんである。
 
 多くを望めないことはわかっておる。
 
 だからこそ、時間をかけてゆっくりと、表層的なことからスタートして本質的なところへ近づいていただいたのであるが、それにしたって一年もかかろうとはなあ。
 
 とはいうものの、ここにいたるまでには、あ、こりゃだめだな、もう限界だな、耳から黒い煙が出てきたな、と思われたときもあったのだから、そうした危機を無事に乗り越え、依然として考えつづけていただいているということに、心から感謝を捧げたいと思う。
 
 もう、全然ちがっておるからな。
 
 なにがちがっておるのか。
 
 おれが名張市立図書館の乱歩資料担当嘱託を勤めていた当時にくらべると、これはもう劇的な変化である。
 
 天と地ほどに、ちがっておる。
 
 お役所の人たちが、おれの申し出を受けて、ちゃんとものを考えてくださっておるのである。
 
 嘱託やってるころは、そんなことは全然なかった。
 
 ひどいものであった。
 
 お役所の人たちは、嘱託なんかのいうことには、てんで耳を傾けない。
 
 耳を傾けたふりをすることはあっても、すべて先送りして知らん顔である。
 
 あるいは、なにを尋ねられてもだんまりを重ねて、いっさい答えようとしない。
 
 ひたすら知らん顔である。
 
 ひどいものであった。
 
 それがどうよ。
 
 いまや、あの名張市役所のみなさんに、市立図書館が乱歩のことをどうすればいいのか、っつーことを親身になって考えていただいておるのじゃからな。
 
 まるで夢みたいな話ではないか。
 
 ただまあ、考えていただくといったって、しょせんは名張市役所のみなさんである。
 
 ろくに乱歩作品を読んだこともなく、そもそも本さえ読まず、乱歩のことなどまったく知らず、図書館の機能や役割なんてものもほとんど理解できておらず、図書館における資料収集というのがどんなことなんだか、そんなのはもうちんぷんかんぷん、みたいなみなさんがたである。
 
 考えていただくことには、最初からかなりの無理がある。
 
 実現不可能な要求である、といっていいであろう。
 
 耳の穴から黒い煙がもーくもく、みたいなことになるのも、そりゃもうすっかたなかんべや。
 
 しかし、しかしありがたいことに、現時点において、ようやく、次のようなことを、ぼんやりとではあるが、名張市役所のみなさんにご理解いただけたらしいのである。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
 
 うれしさのあまり、思わず太字にしてしまったが、ようやくここまで来た。
 
 ちゃんと考えてちゃんと決める、というのはだいじなことである、ということを名張市役所のみなさんに、おぼろげながらそれとなくご理解いただけたようなのである。
 
 慶賀である。
 
 祝着である。
 
 昨年の秋以来、ほぼ一年の時間をかけて、名張市役所のみなさんにようやくここまでのことをご理解いただけたらしいのである。
 
 ありがたやありがたや。
 
 ほんと、さっきも書いたけど、あ、こりゃだめだな、もう限界だな、耳から黒い煙が出てきたな、と思わざるをえないときもあった。
 
 あれはたしか、今年の春のことであった。
 
 名張市役所のみなさんに、乱歩関連資料を収集するうえにおいては、乱歩その人がおおいに参考になるぞなもし、という話をしていたときのことである。
 
 乱歩は、コレクターとしても知られた人であった。
 
 日本でも有数の個人コレクションだった近世資料なんかのほかに、いわゆる自己収集もせっせとつづけていた。
 
 自分の著書や作品の目録をつくり、自分のことが出てくる新聞や雑誌の記事まで集めていたのである。
 
 つまり、乱歩関連資料の収集を乱歩自身が進めていた、ということである。
 
 どういうことか。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するのであれば、乱歩の自己収集をそのまま引き継ぐことが可能である、ということなのである。
 
 乱歩がつくった目録やスクラップブックを参照すれば、乱歩の自己収集における方針や基準といったものは、おのずから知ることができる。
 
 すなわち、名張市立図書館が乱歩の自己収集を継承することができるのである。
 
 みたいなあたりで、耳の穴から煙が出てきそうになった。
 
 このあたりのレベルになると、むろん難解な話ではまったくないのじゃが、名張市役所のみなさんにはあまり理解していただけないのじゃよ。
 
 5月12日付エントリには、
 
 「乱歩の自作目録や『貼雑年譜』なんかの話題を出したとき、おれにはもう、はっきりと煙がみえてしまった」
 
 と書いてある。
 
 
 ほんと、おしまいだな、と思った。
 
 こりゃだめだな、もう限界だな、やっぱテロしかないみたいだな、と思わざるをえなかった。
 
 しかし、それがどうよ。
 
 先述のとおり、危機を無事に乗り越え、依然として乱歩のことを考えつづけていただいているのである。
 
 ありがたいことである。
 
 重ねて謝意を表しておきたい。
 
 それにしても、お役所というのは、じつに難儀なところである。
 
 そもそも、名張市役所のみなさんにいまお考えいただいていること、つまり、名張市立図書館は乱歩のことをどうすればいいんだろうね、みたいなことは、四十年以上前に名張市立図書館が考えなければならなかったことである。
 
 つまり、市立図書館が開館準備を進めていたとき、ということである。
 
 乱歩関連資料の収集に努めます、というのであれば、資料収集の方針や基準、さらには活用の方向性なんてことは、ぜひとも明確にしておかなければならなかった。
 
 乱歩の死去は昭和40・1965年7月、名張市立図書館の開館は昭和44・1969年7月だったのだから、乱歩の自己収集を名張市立図書館が引き継ぐのは、いわゆる流れとしても、あり、だったはずである。
 
 ところが実際には、名張市立図書館は乱歩関連資料を収集します、という看板を掲げるだけで、資料収集の方針や基準を具体的に検討する、なんてことはまったくしなかった。
 
 理由はわからんが、たぶん、資料収集というのがどういうことなのか、あるいは、乱歩というのがどういう作家なのか、市立図書館関係者には、そのあたりがまったく理解できていなかったということであろう。
 
 それこそ理解しがたい話であるが、それが実態であった。
 
 乱歩関連資料を収集しよう、というところまでは思いつく。
 
 そのあと、神田あたりの古書店で乱歩の著作をまとめ買いする、ということまではできる。
 
 だから、名張市立図書館は、開館準備の段階で、そこまでのことをしたようである。
 
 ところが、あとがつづかない。
 
 乱歩関連資料の収集といったって、なにを収集するのか、収集の方針と基準をどうするのか、それを考えることができない。
 
 収集した資料をどう活用するのか、そんなことにはまったく考えが及ばない。
 
 いやまったくひどいものであるが、おかげでようやく、ほぼ一年がかりで、名張市役所のみなさんに理解していただくことができたようである。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
 
 こんなあたりまえのことを理解するのに、どうして一年もかかるのか、とおっしゃる向きもおありかもしれないが、いやいや、名張市役所のレベルというのはほんとにひどいものだから、こんなあたりまえのことを理解していただくことからはじめなければならぬのである。
 
 なにしろ、これだぞ。
 
中 相作 さま
 
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。
 
名張市立図書館が所蔵する江戸川乱歩関連資料を活用するための具体的な方針につきましては、現在のところございませんが、今後、図書館活動の一環として、江戸川乱歩に関連する図書や雑誌などの資料を、収集・保存に努めてまいりたいと考えています。
 
今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。
 
平成20年10月 9日
 
 名張市長 亀井利克
 
 ひどいものである。
 
 名張市立図書館は、活用方針なんてなにも考えずに乱歩関連資料を収集しております、だってさ。
 
 こんなこといってた日には、市民生活にはなんの関係もない乱歩関連資料の収集にかんして、市民の理解や納得、共感なんてものは得られないのではないかしら。
 
 しかも、活用のみならず、それ以前の段階で、そもそも資料の収集ということにかんしてだって、なにも考えてなくてもう無茶苦茶なのだっちゃ。
 
 そんなことではいかんがな。
 
 だからおれは、乱歩のことでなにをしたらいいのかわからない、と市立図書館がいうから、資料の収集から活用まで、まずこの程度のことをしておけばまちがいないであろうな、みたいな線を示してやったわけなのだが、さーあ、どうよ、と尋ねても返答しようとせんわけね。
 
 教育長による先送りとか、教育次長によるだんまりとか、そんなひどい仕打ちばかり受けてきたのである。
 
 いじめかよ。
 
 無力な嘱託をいじめてんじゃねーよ。
 
 しかし、ようやく、ほぼ一年がかりで、あたりまえのことをご理解いただけたのである。
 
 本来であれば、市立図書館の開館時に考えられ、決められていなければならなかったことが、いまごろになってようやく、ちゃんと考えられ、ちゃんと決められようとしているのである。
 
 しかし、無理じゃね? とお思いの諸兄姉もおありであろう。
 
 なにしろ、ものごとをまともに考える習慣がなく、そもそも考える能力がなく、考えるための知識も皆無なみなさんに、さらには、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、そもそも本さえ読まず、乱歩のことなどまったく知らず、図書館の機能や役割なんてものもほとんど理解できておらず、図書館における資料収集というのがどんなことなんだか、そんなのはもうちんぷんかんぷん、みたいなみなさんがたに、ちゃんと考えてちゃんと決める、なんてことができるのであろうか。
 
 できない。
 
 できるわけがない。
 
 あえらになにゃでけよど、と、名張ことばで書いてみた。
 
 なにしろ、お役所の人たちである。
 
 それはもう、ひどいものである。
 
 先月、久繁哲之介さんの『地域再生の罠──なぜ市民と地方は豊かになれないのか?』という本が出た。
 
 
 読んでみると、いろいろと笑えるところがあった。
 
 お役所の人たちのひどい習性にかんするエピソードを引いておく。
 
 空き店舗対策としてあるアイデアを提案したところ、お役所の人たちが自分たちの勝手な都合だけにもとづいて難癖をつけてきたでござるの巻、といったことである。 
 
 空き店舗対策を推進するのは商工会か自治体、つまり広義の「公務員」である。起業につき物の「リスク」から最も縁遠い公務員が、「市民の皆さん、少しばかり金融支援してあげるから、“リスクをとって”ゆめショップで夢を追いませんか?」「お店を開くチャレンジをしてください」と言っても、市民の心に響かないのは当然だろう。
 「週末起業」や「インターネット(以下、ネットと略す)起業」は数年前に流行語となった。潜在的な起業願望者は多いし、会社に勤めながら起業する人の数も実際に増加してもいる。だが、起業は大きな「リスク」を伴うし、いきなり自分の資産と時間の多くを起業に投資するのも難しい。だから、他の収入源を確保した状態で、かつ短時間でもできる「週末起業」や「ネット起業」なら、起業にチャレンジできるだろう。
 起業に潜むリスクの何たるかを理解し、できればそれを回避したいという市民ニーズを少しでも想像できる人間ならば、顧客のこない無人商店街に「毎日しかも長時間、店に立つ義務のある」チャレンジショップの開店を市民にすすめることなどできないはずだ。
 拙著『日本版スローシティ』にて、出店希望者と消費者のニーズについて論じたが、そこで提案したのは「曜日毎に出店者を募る空き店舗施策」である(146頁)。
 
 出店は週に1日でよい街路市の仕組みを、他都市の「商店街空き店舗対策」に応用することを提案したい。曜日毎に出店者を募れば、消費者は7通りの消費と都市風景を楽しめる。出店者は低リスクで出店できる。
 
 この提言に、自治体は次のような難色を示す。
 
・曜日毎、あるいは1日ごと募集・賃貸は管理が大変だ。
・週6日は開店してくれないと困る。
 
 この考え方には呆れるほかはない。大変なのも困るのも、「自治体の都合」にすぎない。現状のチャレンジショップ制度は、自治体は管理に手を焼く必要もないから制度運用に困ることもないだろう。しかし、今の制度では出店者の負担が大きすぎるために、出店への応募者がいないわけだ。その結果、商店街はどんどん衰退している。
 私が提案する「曜日毎テナント、日替わりテナント制度」はすでに導入事例がある。この先例が示しているのは、制度をあらためて出店者の都合に配慮すれば、少なくとも応募者が名乗りをあげてくれるということだ。むろん、いいことばかりではない。「曜日毎テナント、日替わりテナント制度」を実施したケースでは、管理は大変になるし、テナントが埋まらない曜日が生じることもある。私の提言には、粗(あら)も課題もあることは先刻承知している。しかし、ともかく空き店舗が埋まり、シャッター商店街が小さな輝きを取り戻したのである。
 残念なことに、自治体関係者の目には、シャッター商店街が取り戻した小さな輝きが見えないらしい。彼らは、粗を見つける能力、やらない理由を探す能力、それを正当化する能力は非常に優れていると痛感させられる。そして、現状の硬直的なチャレンジショップの制度を、出店希望者と消費者の志向、すなわち市民志向に寄り添うように改めない自治体思考は、地域衰退の大きな要因と言わざるをえない。
 
 ほんと、お役所の人たちと渡りあったことのある人なら、多かれ少なかれ、似たようなことを経験しているのではないかと思われる。
 
 否定することからはじめる。
 
 不可能性を並べ立てることからはじめる。
 
 要するに、「粗を見つける能力、やらない理由を探す能力、それを正当化する能力」をフルに発揮して、なにもしなくて済むように話をもってゆく。
 
 それが、お役所の人たちの習性というか、体質というか、第二の天性というか、要するに全国共通の実態なのである。
 
 とくに近年は、やらない理由の王座に財政難ということばが君臨していて、お役所の人たちにとってかけがえのない免罪符となっておる。
 
 お金がないからできません。
 
 ない袖は振れません。
 
 あしからずご了承ください。
 
 すこぶる便利なことばである。
 
 しかも、お役所の人たちには、「市民志向に寄り添う」ということができない。
 
 お役所の人たちと渡りあったことのある人なら、彼らが自分たちの都合をいいたてるばかりで、その視界から市民という存在がきれいに欠落していることに気がつくはずである。
 
 いや、しかしまあ、それはそれとして、とにかく現時点では、素直に喜んでおきたいと思う。
 
 じつにありがたいことである。
 
 なにしろこれなのである。
 
 名張市立図書館が乱歩関連資料を収集するにさいしては、どうやらそのための方針とか基準とかいったものが必要であるらしく、そうした方針や基準とかいったものは、驚くべし、ちゃんと考えてちゃんと決めるべきものであるらしい。
 
 このごくごくあたりまえのことに、名張市役所のみなさんがようやく気づいてくれたのである。
 
 とりあえず、殺気立ってくるような残暑のなかで、そのことを喜んでおきたいと思う。
 
 つらつらと思い返せば、おれはひたすら、ちゃんとしてくれ、ちゃんとしてくれ、とお願いしてきたのである。
 
 乱歩のことだって、まちなか再生のことだって、さらには伊賀の蔵びらきのことだって、とにかくちゃんとしてくれ、ちゃんとしてくれと、夏の終わりの蝉のごとく、ただそれだけをやかましく訴えつづけてきたのである。
 
 それがようよう、ちゃんとしていただけることになったみたいなのである。
 
 しかし、遅いといえば遅い。
 
 あんまり遅いから、地域雑誌『伊賀百筆』の漫才も、どんな展開にすればいいのか決めかねている。
 
20100821a.jpg
 
 暑さのせいで頭がぼーっとして、そのせいで決められないのかもしれんけどなあ。
 
 ほんと、どうすっぺや。
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今夏の異常な暑さと炎天下の市議会議員選挙について
 ●人間猫様

 ご投稿ありがとうございます。

 それにしても、ひどい残暑で困ったものです。

 拙宅の斜め前にお住まいの昭和10・1935年生まれの男性が、ということは、たぶん名張市の前市長とおないどしのかたなのですが、二、三日前の朝6時、犬と散歩してる途中でばったり出会ったとき、こんな暑い夏ははじめてだ、とおっしゃってました。

 いわれてみればたしかにそうで、こんな暑さは未体験ではないかと思い返されます。

 先月、名張市防災センターの完成記念講演会というのが開かれて、群馬大学大学院の先生がおはなしになったのですが、いまや地球規模で気象がおかしくなっているそうで、わが国でも異常な暑さやゲリラ豪雨、巨大台風なんてのがいわば常態化しつつあるとのことでした。

 われわれは現在ただいま、地球環境の急速な激変に立ち会っており、これまで経験したことのない領域に足を踏み入れつつある、ということなのかもしれません。

 そういえば、親戚の初盆で会った女性霊能者が、つまり私には女性霊能者の親戚があるのですが、自然がおかしくなっている、だから雲も変わってきている、と申しておりました。

 雲が変わってきた、というのは意外でもあれば興味深くもある指摘で、どういうことなのか尋ねてみたかったのですが、あいにくと私はビールを飲むのに忙しく、なにも訊くことができませんでした。

 きのうはきのうで夕刻、犬との散歩で拙宅近くの畑の横を通ったとき、確実に九十歳を超えている近所の女性がその畑でかぼちゃを収穫していて、やはり、こんな暑い夏ははじめてだ、と感に堪えたようにおっしゃっていたのが印象的でした。

 一世紀ちかく生きてきた人がそういうのですから、この暑さはほんとに異常なものなのだろうな、と思いながら帰宅してシャワーを浴びたのですが、開け放った風呂場の窓からみるともなしに外の往来をみていると、おりから名張市議会議員選挙とあって、橋本マサ子候補の選挙カーがゆっくりと通過してゆきました。

 こんな暑い時期に市議会議員選挙をするってのも、ずいぶん大変なことだろうな、とあらためて思いました。

 ここまで残暑が厳しい炎天下で選挙運動を展開していた日には、なかにはおつむがおかしくなってしまう候補者も出てくるのではないか、とさえ案じられてしまいます。

 とはいえ、暑さのせいでおかしくなったのか、それとももともとおかしかったのか、そのへんが無茶苦茶あいまいな候補者も少なからずいらっしゃるみたいですから、そんなことはまあどうでもいいとして、なにはともあれ、全候補者のご健闘をお祈りしておきたいと思います。

 しかし熱戦とはいうものの、拙宅のあるあたりは意外に無風地帯ということか、私の在宅時にうちの前を通過していった選挙カーは、たしか森岡秀之候補と田合豪候補と先述した橋本マサ子候補の三陣営のものだけ、電話は山下松一候補の陣営からのみ、ほかには告示日の日曜日、お昼ちかくにうちの近所のマックスバリュ名張店に買物に出かけたとき、柏元三候補が選挙カーの横に立ち、同店駐車場に向かってマイクを握っていらっしゃるシーンに行きあった程度で、比較的静かな選挙だという印象です。

 すべての候補者のご健闘を、あらためてお祈りしたいと思います。

 みたいなことをブログに書いて公表しても、とくに公職選挙法に抵触することはないと思うのですが、どうも気になる、とおっしゃるかたは名張市選挙管理委員会にぜひご通報あれ、と思います。

 さて、私の感触では、名張市役所のみなさん、公職の選挙が近づいたからなんらかの変化をきたしていらっしゃる、というふうには思えません。

 みなさんのものわかりがよくなったようにみえるとしたら、それはやはり、テロへの脅威のしからしめるところ、といったことではないでしょうか。

 まちなか再生事業にかんしましては、もうどうしようもないな、というのが実感で、名張まちなか再生委員会も先日の会合以降、これといった動きもなしに現在にいたっている状態です。

 ほんとにまあ、あっちもこっちも、いったいどうなってしまうのでしょう。

 とんと見当もつきません。

 今後ともよろしくお願いいたします。
中 相作 URL 2010/08/24(Tue)08:56:29 編集
お暑うございます。
市役所の人たちは自分たちに関係のある公職の選挙が近くなるとちょっとだけ物わかりが良くなるのでしょうか?
市長選が終わり市議選が終わったら後の4年は思考が停止するのでしょう。あのまちなか再生事業のように...
人間猫 2010/08/23(Mon)15:46:10 編集
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