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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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『名張の民俗』(昭和43・1968年)の「第2章 祭」から引用。きのうのつづき。

   
□□宇流冨志禰神社の祭(10月28日・名張の町) 承前

祭礼の街

夏見でも瀬古口でも宵宮・本祭の両日とも“渡り”を行なうが、宇流冨志禰神社では宵宮祭の一日だけである。頭屋の招客もその時だけである。
本祭28日の街は、頭屋の“渡り”こそないが、祭礼一色にぬりつぶされる。参道には前夜につづいて露店が並び、遠近からの人出で雑踏する。この中を神輿がお旅所から本社に還御する。午前十時ごろお旅所を出発、人力車に乗った神職を先導に、舞姫・頭屋・世話人衆が供奉して町を練る。この神輿の“お渡り”を高い所(たとえば二階)から見下ろすと、神慮に触れて石を投込まれたり家の中へ練込まれたりする。この前近代的遺習はだんだん薄らぎつつあるが、今でもそのおもかげが残っている。
この日はまた各町内にもそれぞれ伝統的な行事があり、一だんと町をにぎわせる。
本町 楼車(ダンジリ)。昔は本町・新町・中町・上本町がダンジリを持っていたが、今は本町だけ残る。人手不足でだんだん出しにくくなっている。
鍜冶町 伝統の七福神踊りは名張祭に欠かせぬ景物だったが、装具が破損し、といって新調の財源もなく、数年前から姿を消した。
榊町 子どもの獅子行列。これも子どもの数が減って取止めの現状。
丸之内 神馬は今は昔の語り草となって子供みこし
上本町 子供みこし
上八町 子供みこし
柳原町 子供みこし
中町 子供みこし
松崎町 鹿行列
子供みこし、獅子行列、武者行列、鹿行列などほとんど戦後の案出だが、他の地方にはあまり例をみない伝承的な“出し物”に太鼓台がある。電信柱ほどもある太い二本の丸太の上にヤグラを組み、大太鼓をすえて町内の子供衆が威勢よくドンツクドンツクたたく。それを町内の若い衆がかつぎ、御神輿のように右に左に揺さぶりながら練る。松崎町・元町・東町・新町などにあるが、青壮年層の不足で、出ることが少くなっている。だから、子供みこしなど子供中心の“出し物”にかわったのだが、その子供もだんだん減って、祭の景物はさびしくなって行く。

以上、四十年ほど前の記述である。
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