三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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えらいものである。名張市丸之内の魚民名張西口駅前店、オープンから一か月ちかくが経過した5月8日の夜にも、まだ行列ができていた。名張市青少年センターのコンサートが終わって、さあ魚民だ魚民だと名張駅に自動車を走らせると、魚民の前に人だかりがある。行列である。ありゃりゃ、と思いながら駅西口のコインパーキングに駐車し、念のために入ってみると、店のスタッフが、いまのところ七組が待機中、待ち時間がどれくらいになるのかは見当もつかない、という。あっさり諦め、居酒屋中むら西口店に移動した。むろん、満席ではない。湯豆腐とおでんと熱燗を頼むと、熱燗を運んでくれたおねえさんがお酌までしてくれる。こんなことははじめてだぞと思い、はっはーん、魚民ができたさかいここまでサービスせんことにはやっていけへんのか、と素朴な感想を口にすると、おねえさん思いきり口を開けて、がはははははは、と笑っておった。それにしても、魚民に入れるのはいつのことになるのか。15日の金曜日にも人と酒を飲む予定が入っているから、今度こそ魚民にのたくり込むか。
翌9日、つまりきのうは、名張市中町の伊賀まちかど博物館、はなびし庵で歴史影絵「宇奈根宇流冨志祢奇談」が上演された。前日には朝日新聞のウェブニュースもアップされた。
朝日新聞:歴史 影絵劇でたどる 名張 一の鳥居(5月8日)
きわめて平明でわかりやすい台本なのだが、高度なテーマが秘められていて、高校生が観客にむかって、あなたたちの世界観はどうよ、と問いかける内容になっている。高校生も観客も、あるいは影絵の制作者も、そんなことには全然気がついていなかったかもしれないが、じつはそういったことなのであって、横光利一ふうにいえば古神道、それがテーマであった。だから高校生が祝詞を読んだりもしたのだが、朝日新聞の記事によれば、ナレーションを担当した日生学園第一高校の滑川弘樹君と領内みずほさんは、やはり「祝詞の部分など歴史的な言い回しが難しかった」とぼやいておったそうである。しかし、祝詞も含めてナレーションのできはまことによろしく、この記事のなかでも中先生は「大変良いできばえになった」と絶讃していた次第なのである。だから、よーし、これで名張まちなかに渦を巻く罪、とが、けがれ、まがごと、その他もろもろの悪しきものを一挙におはらいできるな、と思っていたのであるが、きのうの朝日新聞にはなんとこんな記事が。
朝日新聞:市民満足度 全項目で× 中心部再生事業(5月9日)
あーりゃりゃッ。高校生の祝詞は遅きに失したかもしれんな、と思わざるをえない。名張まちなか再生プランにもとづき、名張市が国土交通省のまちづくり交付金事業として実施した一連の施策は、市民の眼には、かなりだめじゃね? と映っているらしい、とのアンケート結果が出た、という記事である。一部を引いておく。
このアンケート、昨年9月に名張市が実施したとのことであるが、実務にあたったのはおそらくコンサルタントであって、そうした業務を委託するために、昨年度はたしか四百五十万円の税金が名張市からコンサルタントに流れているはずである。名張市とずぶずぶなあなあのコンサルタントが実施したのであれば、ちっとは色をつけた結果が提示されたとしてもふしぎではない。にもかかわらず、 「事業が実施されている名張地区の方が、全市平均より満足度が低いという結果だった」というのだから、色のつけようもない惨憺たる結果だったということになる。高校生によるせっかくの祝詞も、はっきりいって手遅れだったのかもしれんな。
この記事では関係者のコメントも報じられていて、名張まちなか再生委員会の副委員長は「計画段階から十分な議論が必要だったのにできておらず、行政と民間の間に信頼関係がない」と述べている。どうして委員長がコメントしていないのか、という疑問は横に置いておくことにして、結局はこういうことにならざるをえないであろうな、とは思う。要するに、計画段階から無茶苦茶であった、名張まちなか再生プランが無茶苦茶であった、ということである。しかし、そんなことは、あのプランを一読すればすぐに了解されることなのである。あんな無茶苦茶が無茶苦茶であると認識できないほど無茶苦茶な名張市が無茶苦茶なことをかましつづけてこの無茶苦茶な結果にいたったのである。もう取り返しはつかない
いっぽう、名張市市街地整備室の担当者は「ハード先行でなく、まずどんなものが必要で誰が担い、どう生かすのかを徹底して議論したうえで進めないといけない。5年間の事業を検証し、再生委員会とともにこれからの計画を考えたい」と述べている。いいだけぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあいってやったから、市街地整備室も少しはまともになったのか、検証ということばをおぼえたようである。従来のお役所用語でいえば、こんなところに検証ということばは登場しない。というか、お役所の辞書には検証ということばは存在しないのである。だから、このコメントの場合であれば、五年間の事業の成果を踏まえながら、といったことになっているはずなのであるが、ちゃんと「5年間の事業を検証し」となっているのだから、いや成長したなあ市街地整備室。中先生のおかげだぞ。ありがたく思うように。しかし、成長というよりも、これはむしろ、名張まちなか再生事業の惨憺たる失敗は、おせじにも成果と呼べるようなものではなく、市街地整備室にももはやとりつくろいようがなくなった、ということででもあるのかな。
ところで、5月8日の金曜日、名張市役所四階にある市街地整備室に赴いて、おらおら、まちなか運営協議会はどうよ、とか、おらおら、緊急雇用対策事業はどうよ、とか、あれこれおらおら尋ねてきた。結果としては、例によって頭を抱えてしまわざるをえないのであるが、その報告はあした以降に。
翌9日、つまりきのうは、名張市中町の伊賀まちかど博物館、はなびし庵で歴史影絵「宇奈根宇流冨志祢奇談」が上演された。前日には朝日新聞のウェブニュースもアップされた。
朝日新聞:歴史 影絵劇でたどる 名張 一の鳥居(5月8日)
きわめて平明でわかりやすい台本なのだが、高度なテーマが秘められていて、高校生が観客にむかって、あなたたちの世界観はどうよ、と問いかける内容になっている。高校生も観客も、あるいは影絵の制作者も、そんなことには全然気がついていなかったかもしれないが、じつはそういったことなのであって、横光利一ふうにいえば古神道、それがテーマであった。だから高校生が祝詞を読んだりもしたのだが、朝日新聞の記事によれば、ナレーションを担当した日生学園第一高校の滑川弘樹君と領内みずほさんは、やはり「祝詞の部分など歴史的な言い回しが難しかった」とぼやいておったそうである。しかし、祝詞も含めてナレーションのできはまことによろしく、この記事のなかでも中先生は「大変良いできばえになった」と絶讃していた次第なのである。だから、よーし、これで名張まちなかに渦を巻く罪、とが、けがれ、まがごと、その他もろもろの悪しきものを一挙におはらいできるな、と思っていたのであるが、きのうの朝日新聞にはなんとこんな記事が。
朝日新聞:市民満足度 全項目で× 中心部再生事業(5月9日)
あーりゃりゃッ。高校生の祝詞は遅きに失したかもしれんな、と思わざるをえない。名張まちなか再生プランにもとづき、名張市が国土交通省のまちづくり交付金事業として実施した一連の施策は、市民の眼には、かなりだめじゃね? と映っているらしい、とのアンケート結果が出た、という記事である。一部を引いておく。
〇中心市街地の名張地区は、初瀬街道が通り古くから栄えてきたが、人口が70年から約3割減り、空き家や空き店舗が増加している。市では同地区の再生を目指して、「名張まちなか再生プラン」を05年3月に策定。「まちの顔」と位置づけて整備を進めてきた。「まちづくり交付金事業」は、最長5年間、事業費の4割の補助を国から受けられる制度で、名張地区では04年度から5年間、同プランを踏まえて事業が実施されてきた。
〇同事業の総事業費は約2億1千万円。まちの案内板や近鉄名張駅前の公衆便所整備▽明治時代の建物である「旧細川邸」の改修・活用▽江戸川乱歩生誕地碑広場の整備▽町中を流れる城下川の景観改修——などを実施した。 〇ところが、市が昨年9月に事業評価のために実施した、市内全域の2千人を対象にしたアンケートでは、名張地区の現在の印象について、市が目標に掲げた満足度60%をすべての項目で下回った。 〇満足度が最も高かった「歴史的資源や伝統文化を活用したまちづくりが進められている」でも約45%。とりわけ、「にぎわいのあるまちづくりが進められている」で満足度約15%、「まち歩きが楽しめるまちづくりが進められている」で同19%と評価が低い。事業が実施されている名張地区の方が、全市平均より満足度が低いという結果だったという。同地区の自営業男性は「事業の効果は感じられない。みなさん一生懸命しているが、うまくかみ合っていないのでは」と話す。 |
このアンケート、昨年9月に名張市が実施したとのことであるが、実務にあたったのはおそらくコンサルタントであって、そうした業務を委託するために、昨年度はたしか四百五十万円の税金が名張市からコンサルタントに流れているはずである。名張市とずぶずぶなあなあのコンサルタントが実施したのであれば、ちっとは色をつけた結果が提示されたとしてもふしぎではない。にもかかわらず、 「事業が実施されている名張地区の方が、全市平均より満足度が低いという結果だった」というのだから、色のつけようもない惨憺たる結果だったということになる。高校生によるせっかくの祝詞も、はっきりいって手遅れだったのかもしれんな。
この記事では関係者のコメントも報じられていて、名張まちなか再生委員会の副委員長は「計画段階から十分な議論が必要だったのにできておらず、行政と民間の間に信頼関係がない」と述べている。どうして委員長がコメントしていないのか、という疑問は横に置いておくことにして、結局はこういうことにならざるをえないであろうな、とは思う。要するに、計画段階から無茶苦茶であった、名張まちなか再生プランが無茶苦茶であった、ということである。しかし、そんなことは、あのプランを一読すればすぐに了解されることなのである。あんな無茶苦茶が無茶苦茶であると認識できないほど無茶苦茶な名張市が無茶苦茶なことをかましつづけてこの無茶苦茶な結果にいたったのである。もう取り返しはつかない
いっぽう、名張市市街地整備室の担当者は「ハード先行でなく、まずどんなものが必要で誰が担い、どう生かすのかを徹底して議論したうえで進めないといけない。5年間の事業を検証し、再生委員会とともにこれからの計画を考えたい」と述べている。いいだけぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあいってやったから、市街地整備室も少しはまともになったのか、検証ということばをおぼえたようである。従来のお役所用語でいえば、こんなところに検証ということばは登場しない。というか、お役所の辞書には検証ということばは存在しないのである。だから、このコメントの場合であれば、五年間の事業の成果を踏まえながら、といったことになっているはずなのであるが、ちゃんと「5年間の事業を検証し」となっているのだから、いや成長したなあ市街地整備室。中先生のおかげだぞ。ありがたく思うように。しかし、成長というよりも、これはむしろ、名張まちなか再生事業の惨憺たる失敗は、おせじにも成果と呼べるようなものではなく、市街地整備室にももはやとりつくろいようがなくなった、ということででもあるのかな。
ところで、5月8日の金曜日、名張市役所四階にある市街地整備室に赴いて、おらおら、まちなか運営協議会はどうよ、とか、おらおら、緊急雇用対策事業はどうよ、とか、あれこれおらおら尋ねてきた。結果としては、例によって頭を抱えてしまわざるをえないのであるが、その報告はあした以降に。
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