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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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10月28日、宇流冨志祢神社の例大祭が営まれる。名張のまちの秋祭りである。

「宇流冨志祢」は通常、「うるふしね」と読まれる。表記は、「宇流富志禰」とされる場合もある。以前、宮司さんからお聞きしたところでは、「宇流冨志祢」が正しいとのことであった。つまり「富」ではなく「冨」。神社本庁の公式サイトでは、「宇流富志祢」とされている。

名張のまちの人は、そんなことにはあまり拘泥せず、春日神がまつられていることから、「お春日さん」と呼びならわしてきた。名張小学校の校歌に、

「春日の森に いやしげる 杉は心の 鏡とて」

という歌詞が出てくるが、この「春日の森」が宇流冨志祢神社の森である。

神社の参道がこれ。鳥居の右にみえる石碑の表記は、「宇流冨志祢」。

20071019a.jpg

撮影地点はこのあたり。



『名張の民俗』(昭和43・1968年)の「第2章 祭」から引用。

   
□□宇流冨志禰神社の祭(10月28日・名張の町)

宇流冨志禰神社 ウルフシネまたはウルフシミ、平尾に鎮座、いま“旧町部”と呼ばれる、もと簗瀬村・平尾村・南出村・北出村の惣社。もともとの祭神は宇奈根命、のち春日神を合祀し、名張の町の人には昔から“お春日さん”の名で親しまれてきた。伊賀国内式内社二十五座の一つ。名張市域の式内社は二つ、この宇流冨志禰神社と下比奈知の名居神社である。
この神社の祭礼も、後記瀬古口と同じく記録によって伝承される典型的なものである。安永8年8月に更改された『宇流冨志禰神社祭礼儀式帳』というのがあり、頭屋文書として持回りとなっている。しかしこの文書が作られた時と現在との間には二百年に近い歳月のへだたりがあり、なるべくこの原形に従おうとはするものの、そこにはいろいろの省略・簡素化・変形がある。『儀式帳』の原文は『名張市史』上巻に所収、参照されたい。ここでは祭事の主要部分について現行の姿を概説する。
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