三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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1月25日、名張市役所三階三〇三・三〇四会議室で開かれた名張まちなか再生委員会臨時総会、世にいうええじゃないか総会の話題である。
議案第二号「役員改選(案)について」は、原案どおりしゃんしゃんと決まった。改選のビフォアとアフター、それぞれの名簿を掲げておく。
まず、ビフォア。Pとあるのはプロジェクトのことである。
つづいて、アフター。PTとあるのはプロジェクトチームのことである。参与とかいうわけのわからんポストは、今回の規約改正によってなくなってしまった。
予定されていたふたつの議案の審議が終了したので、名張まちなか再生委員会を解散するための緊急動議を提出した。根拠は、新しい規約のこのあたりである。
第四十条にのっとり、緊急動議の提出を認めるか否か、賛否が問われた。賛成は、当方をふくめて四人。いちばん前の席にすわっていたので、ほかに挙手してくれたのがだれであったのかは確認できなかった。ま、緊急動議の提出くらいは認めてもらって、そのうえで委員会を解散すべきかどうか、白熱の議論を展開したいところではあったのだが、残念な結果に終わった。いたしかたあるまい。ちなみに、レギュラーなものであれ、イレギュラーなものであれ、このつぎ総会が開かれたときにも、委員会を解散に追いこむための緊急動議はしつこく提出するつもりである。
やなせ宿の話題も出た。やなせ宿を運営しているまちなか運営協議会と名張まちなか再生委員会との関係性がようわからん、いったいどうなっておるのか、という疑問が呈され、もとをただせば名張まちなか再生委員会が発足させた組織ではあるけれど、いまやまちなか運営協議会と名張まちなか再生委員会とは完全に無縁である、という事実が確認された。また、協議会が運営を委託されているのは今年の3月末日までであり、それ以降のやなせ宿がどうなってしまうのか、おおいに気になるところではあるけれど、確たるところはだれにもわからない、という事実も判明した。なんかもう、無茶苦茶なのである。行政サイドの説明によれば、やなせ宿に指定管理者制度を導入することをめざしている、とのことであったが、具体的な動きはなにひとつないみたいだから、どうせその場しのぎのうそっぱちであろうと推測された。なにしろ名張市のいうことである。その場しのぎのうそっぱちでないわけがない。
そういえば、と、これは臨時総会の席で思いあたったのではなく、いま思いついたから書き記しておくのだが、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾は、はてさていったいどうなったのか。四回連続の講座として企画された催しなのであるが、第三回と第四回はどうなっておるのか。もう開かんのか。昨年6月28日に第一回「名張の歴史を知る」、7月5日に第二回「江戸川乱歩を知る」が開講され、ともに当方が講師を務めて圧倒的な好評を獲得、第三回以降にもおおいに期待が寄せられたものであったが、あれで終わりかよ。どーしよーもねーなー名張まちなか再生委員会。かりにあのままつづけておれば、そこそこ有意義な催しになっていたはずなんだけどなあ。
しかたないから、第一回と第二回のフライヤーを掲げておく。
しかしなあ、ここに出ている犬っころが、いまや映画で主役を張るまでに成長したのだからなあ。世の中ってのは、ほんとにわかんないものだよなあ。それにしても、せっかく主演したのであるから、やはりいつの日にか、名張市内の会場でノンバーバル映画「鬼 The Oni」の上映会を開きたいものである。とはいうものの、上映時間はわずかに五分しかないのだから、本篇以外にもディレクターズカットやメイキングを公開し、主演女優の舞台挨拶、さらには脚本家による名張市政大批判演説、みたいなものもまじえなければならぬであろうな。
閑話休題。1月25日、午前11時50分をすぎたころの話である。関係性がわからない、といえば、ほんとにわかんないのは名張まちなか再生委員会と名張市との関係性である、とつくづく思い返された。
改正された規約の第二条にはこうあるのだが、先日も記したとおり、関係性や主体性が非常にあいまいで、なにが述べられているのかよくわからない。それに、名張まちなか再生委員会がこういった目的のもとに活動をつづけてみたところで、とどのつまりは、ひとりよがりに空回りしているだけということになってしまうのではないか。だいたいがだな、規約には委員会が意見具申をおこなうとあるけれど、そんなことが可能だと思うておるのか。たとえ意見を具申したところで、名張市にその意見を理解することができなければ、意味なんてものはまるであるまい。もちろん、理解するだけでもだめである。その理解にもとづいて、適切な判断をくだす。さらには、その判断にもとづいて、的確に施策を実行する。それが必要である。だというのに、理解、判断、実行、みーんなペケではないか。名張市にそんな芸当ができると思うておるのか。できゃせんできゃせん。できるわけありゃせん。いくら意見を具申したところで、結局は委員会の自己満足に終わってしまうだけの話であろうて。それにそもそも、まともに活動しようにも、名張市はこの委員会に一円の予算もつけておらんではないか。4月からの新年度においても、予算措置などいっさい講じられておらぬことであろう。ほったらかしではないか。生みの親である名張市から知らん顔をされておる。それが、名張まちなか再生委員会の現実というやつなのである。そうした現実に眼を向けようとせず、いくら机のうえで規約を改正してみたところで、そんなものがいったいなにになるというのか。
先述のとおり、時刻は正午に近づいていた。そろそろ閉会である。しかし、この日の臨時総会全体の構成を視野に入れて考えてみたところ、ここはやはり、最後にオチが必要であろうなと結論せざるをえなかった。そこで、手をあげて発言した。これは昨年12月18日の名張まちなか再生委員会次期役員準備会でも述べたことなのであるが、名張まちなか再生委員会は名張市が発足させた組織である。だから結局のところ、発足から四年ちかくが経過したいまの時点で、名張市が委員会をどのように位置づけているのか、名張市はこの委員会のことをどう考えているのか、それをあらためて確認しておかないことには、話が一歩も前に進まないのである。
となると、当然、
──市長を呼んでこい。
という話になる。
ならなくてどうする。
ならないわけがないではないか。
市長の口から直接、名張市は名張まちなか再生委員会をどう位置づけているのか、それを明らかにしていただくのがいちばん手っ取り早い。だから、いまここで、市長のケータイに電話を入れて、市長の意向存念思慮思惑を確認すればいいではないか。できんのかできんのか。市長のケータイに電話はできんのか、とただしたのだが、ただしている途中でさすがに無理だろうなと思われてきたので、最後に、そんなことはやっぱり不可能なのでしょうね? と質問すると、議長がにこやかな顔で大きくうなずき、会場全体がどっと笑いに包まれたので、よし、オチがついた、上々の首尾である、お笑いナンバーワンの責任はじゅうぶんに果たせた、と満足して、とてもとても晴れやかな気分で総会の会場をあとにした。まるでばかみたいである。しかしまあ、ばかみたいでも、ええじゃないか。もうどうだって、ええじゃないか。
議案第二号「役員改選(案)について」は、原案どおりしゃんしゃんと決まった。改選のビフォアとアフター、それぞれの名簿を掲げておく。
まず、ビフォア。Pとあるのはプロジェクトのことである。
役員
|
||
委員長 |
|
田畑純也 |
副委員長 | 川口佳秀 | |
副委員長 | 福廣勝介 | |
副委員長 | 木津義明 | |
再生整備P | チーフ(歴史) | 長川精孝 |
再生整備P | チーフ(水辺) | 小野彰則 |
再生整備P | チーフ(交流) | 中森久夫 |
再生整備P | チーフ(生活) | 田畑純也 |
再生整備P | チーフ(歩行者) | 市橋多聞 |
専門部会 | まちなか運営協議会会長 | 辻本武久 |
専門部会 | NPOなばり実行委員会代表 | 森口充啓 |
専門部会 | 乱歩関連事業検討委員会委員長 | 的場敏訓 |
参与
|
||
多田昭太郎 | ||
山村博亮 | ||
柳生大輔 | ||
梶田淑子 | ||
永岡 禎 | ||
森脇和徳 |
つづいて、アフター。PTとあるのはプロジェクトチームのことである。参与とかいうわけのわからんポストは、今回の規約改正によってなくなってしまった。
役員
|
||
理事 |
委員長
|
田畑純也 |
理事 | 副委員長 | 川口佳秀 |
理事 | 副委員長 | 福廣勝介 |
理事 | 副委員長 | 木津義明 |
理事 | 歴史拠点整備PTチーフ | 長川精孝 |
理事 | 水辺整備PTチーフ | 小野彰則 |
理事 | 交流拠点整備PTチーフ | 中森久夫 |
理事 | 生活拠点整備PTチーフ | 田畑純也 |
理事 | 歩行者空間整備PTチーフ | 市橋多聞 |
理事 | 乱歩関連事業PTチーフ | 的場敏訓 |
理事 | 歴史拠点整備PTサブチーフ | 中 相作 |
理事 | 水辺整備PTサブチーフ | 水谷泰三 |
理事 | 交流拠点整備PTサブチーフ | 増田成樹 |
理事 | 生活拠点整備PTサブチーフ | 福山悦子 |
理事 | 歩行者空間整備PTサブチーフ | 神田昌典 |
理事 | 乱歩関連事業PTサブチーフ | 辻 孝信 |
理事 | 多田昭太郎 | |
理事 | 山村博亮 | |
監事 | 辻本武久 | |
監事 | 岡山博宣 |
予定されていたふたつの議案の審議が終了したので、名張まちなか再生委員会を解散するための緊急動議を提出した。根拠は、新しい規約のこのあたりである。
(解散)
第39条 この委員会は、次に掲げる事由により解散する。 (1)総会の議決 (2)目的とする事業の成功の不能 (3)委員の欠乏 2 前項第1号の事由によりこの委員会が解散するときは、委員総数の4分の3以上の承諾を得なければならない。 (細則等) 第40条 役員等の選出方法について、原則として無記名の書面投票による。その選挙管理は、議長が行う。 2 総会での事前告知されていない緊急動議に関しては、当日の出席委員と表決委任者の過半数をもって決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。 |
第四十条にのっとり、緊急動議の提出を認めるか否か、賛否が問われた。賛成は、当方をふくめて四人。いちばん前の席にすわっていたので、ほかに挙手してくれたのがだれであったのかは確認できなかった。ま、緊急動議の提出くらいは認めてもらって、そのうえで委員会を解散すべきかどうか、白熱の議論を展開したいところではあったのだが、残念な結果に終わった。いたしかたあるまい。ちなみに、レギュラーなものであれ、イレギュラーなものであれ、このつぎ総会が開かれたときにも、委員会を解散に追いこむための緊急動議はしつこく提出するつもりである。
やなせ宿の話題も出た。やなせ宿を運営しているまちなか運営協議会と名張まちなか再生委員会との関係性がようわからん、いったいどうなっておるのか、という疑問が呈され、もとをただせば名張まちなか再生委員会が発足させた組織ではあるけれど、いまやまちなか運営協議会と名張まちなか再生委員会とは完全に無縁である、という事実が確認された。また、協議会が運営を委託されているのは今年の3月末日までであり、それ以降のやなせ宿がどうなってしまうのか、おおいに気になるところではあるけれど、確たるところはだれにもわからない、という事実も判明した。なんかもう、無茶苦茶なのである。行政サイドの説明によれば、やなせ宿に指定管理者制度を導入することをめざしている、とのことであったが、具体的な動きはなにひとつないみたいだから、どうせその場しのぎのうそっぱちであろうと推測された。なにしろ名張市のいうことである。その場しのぎのうそっぱちでないわけがない。
そういえば、と、これは臨時総会の席で思いあたったのではなく、いま思いついたから書き記しておくのだが、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾は、はてさていったいどうなったのか。四回連続の講座として企画された催しなのであるが、第三回と第四回はどうなっておるのか。もう開かんのか。昨年6月28日に第一回「名張の歴史を知る」、7月5日に第二回「江戸川乱歩を知る」が開講され、ともに当方が講師を務めて圧倒的な好評を獲得、第三回以降にもおおいに期待が寄せられたものであったが、あれで終わりかよ。どーしよーもねーなー名張まちなか再生委員会。かりにあのままつづけておれば、そこそこ有意義な催しになっていたはずなんだけどなあ。
しかたないから、第一回と第二回のフライヤーを掲げておく。
しかしなあ、ここに出ている犬っころが、いまや映画で主役を張るまでに成長したのだからなあ。世の中ってのは、ほんとにわかんないものだよなあ。それにしても、せっかく主演したのであるから、やはりいつの日にか、名張市内の会場でノンバーバル映画「鬼 The Oni」の上映会を開きたいものである。とはいうものの、上映時間はわずかに五分しかないのだから、本篇以外にもディレクターズカットやメイキングを公開し、主演女優の舞台挨拶、さらには脚本家による名張市政大批判演説、みたいなものもまじえなければならぬであろうな。
閑話休題。1月25日、午前11時50分をすぎたころの話である。関係性がわからない、といえば、ほんとにわかんないのは名張まちなか再生委員会と名張市との関係性である、とつくづく思い返された。
(目的)
第2条 この委員会は、「名張まちなか再生プラン」を指針として取り組む、市民・事業者・行政などの多様な主体協働の各事業を継続的かつ円滑に運営するための総合的執行管理に対し、意見具申又は答申を行い・支援することをもって名張地区既成市街地の再生を図ることを目的とする。なお、「名張まちなか再生プラン」とは、名張市が、名張市総合計画に位置づけられた「まちの顔づくりプラン」の実現に向け、平成17年3月に市民・事業者・行政の共通共有の計画として、策定したものである。 |
改正された規約の第二条にはこうあるのだが、先日も記したとおり、関係性や主体性が非常にあいまいで、なにが述べられているのかよくわからない。それに、名張まちなか再生委員会がこういった目的のもとに活動をつづけてみたところで、とどのつまりは、ひとりよがりに空回りしているだけということになってしまうのではないか。だいたいがだな、規約には委員会が意見具申をおこなうとあるけれど、そんなことが可能だと思うておるのか。たとえ意見を具申したところで、名張市にその意見を理解することができなければ、意味なんてものはまるであるまい。もちろん、理解するだけでもだめである。その理解にもとづいて、適切な判断をくだす。さらには、その判断にもとづいて、的確に施策を実行する。それが必要である。だというのに、理解、判断、実行、みーんなペケではないか。名張市にそんな芸当ができると思うておるのか。できゃせんできゃせん。できるわけありゃせん。いくら意見を具申したところで、結局は委員会の自己満足に終わってしまうだけの話であろうて。それにそもそも、まともに活動しようにも、名張市はこの委員会に一円の予算もつけておらんではないか。4月からの新年度においても、予算措置などいっさい講じられておらぬことであろう。ほったらかしではないか。生みの親である名張市から知らん顔をされておる。それが、名張まちなか再生委員会の現実というやつなのである。そうした現実に眼を向けようとせず、いくら机のうえで規約を改正してみたところで、そんなものがいったいなにになるというのか。
先述のとおり、時刻は正午に近づいていた。そろそろ閉会である。しかし、この日の臨時総会全体の構成を視野に入れて考えてみたところ、ここはやはり、最後にオチが必要であろうなと結論せざるをえなかった。そこで、手をあげて発言した。これは昨年12月18日の名張まちなか再生委員会次期役員準備会でも述べたことなのであるが、名張まちなか再生委員会は名張市が発足させた組織である。だから結局のところ、発足から四年ちかくが経過したいまの時点で、名張市が委員会をどのように位置づけているのか、名張市はこの委員会のことをどう考えているのか、それをあらためて確認しておかないことには、話が一歩も前に進まないのである。
となると、当然、
──市長を呼んでこい。
という話になる。
ならなくてどうする。
ならないわけがないではないか。
市長の口から直接、名張市は名張まちなか再生委員会をどう位置づけているのか、それを明らかにしていただくのがいちばん手っ取り早い。だから、いまここで、市長のケータイに電話を入れて、市長の意向存念思慮思惑を確認すればいいではないか。できんのかできんのか。市長のケータイに電話はできんのか、とただしたのだが、ただしている途中でさすがに無理だろうなと思われてきたので、最後に、そんなことはやっぱり不可能なのでしょうね? と質問すると、議長がにこやかな顔で大きくうなずき、会場全体がどっと笑いに包まれたので、よし、オチがついた、上々の首尾である、お笑いナンバーワンの責任はじゅうぶんに果たせた、と満足して、とてもとても晴れやかな気分で総会の会場をあとにした。まるでばかみたいである。しかしまあ、ばかみたいでも、ええじゃないか。もうどうだって、ええじゃないか。
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もちろんお役所の人が責任を感じることはありません
●名張市民様
ご投稿ありがとうございます。
お役所のみなさんというのは、いまさらいうまでもないことですが、いかにして責任を回避するか、ということを最大の命題とし、テーマとし、ほとんど命として、長い公務員生活をのうのうとまっとうする人たちなのですから、責任を感じるということはありません。仰せのとおり、微塵も感じることがありません。にもかかわらず、式典とかセレモニーは大好きで、要するに、手柄は立てたがるが、責任は取りたがらない、という寸法です。ま、この手のばかは市議会議員の先生のなかにもごろっちゃらしているみたいですから、べつに珍しい話でもありません。式典やセレモニーにかんしましては、江戸川乱歩生誕地碑広場の場合は、市民に報告し、関係者に感謝するためのなんらかの場が、やはり必要であろうと考えます。ただし、きょうのエントリにも記しましたとおり、必要最低限のものでじゅうぶんです。華美や虚飾に走る必要はまったくありません。地に足をつけ、身のほど身のたけをわきまえることが、なにより肝要であろうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
お役所のみなさんというのは、いまさらいうまでもないことですが、いかにして責任を回避するか、ということを最大の命題とし、テーマとし、ほとんど命として、長い公務員生活をのうのうとまっとうする人たちなのですから、責任を感じるということはありません。仰せのとおり、微塵も感じることがありません。にもかかわらず、式典とかセレモニーは大好きで、要するに、手柄は立てたがるが、責任は取りたがらない、という寸法です。ま、この手のばかは市議会議員の先生のなかにもごろっちゃらしているみたいですから、べつに珍しい話でもありません。式典やセレモニーにかんしましては、江戸川乱歩生誕地碑広場の場合は、市民に報告し、関係者に感謝するためのなんらかの場が、やはり必要であろうと考えます。ただし、きょうのエントリにも記しましたとおり、必要最低限のものでじゅうぶんです。華美や虚飾に走る必要はまったくありません。地に足をつけ、身のほど身のたけをわきまえることが、なにより肝要であろうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。