三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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おさらいのまとめをしておく。
ちなみに記しておけば、ここでいうおさらいとは、過去の失敗をあげつらうことではない。過去の失敗を検証すれば、将来におなじ失敗をくり返すことはなくなるであろう。そのためのレッスンがおさらいである。こうしたおさらいの習慣は、なぜか名張市あたりでは見かけることがない。なんの反省もなく、なんの学習もなく、ひとつことが終わったらおつむはみごとに初期化されてしまって、新しいことがはじまればまた過去とおなじ失敗をくり返す。そんなシーンがやたらに多い。
たとえば名張まちなか再生委員会がそうである。発足以来、あの委員会は驚くほどいいかげんでおまぬけな歩みを重ねてきた。しかし、先日の役員会で示された規約改正案には、三年間の過去を教材にレッスンするといった視点や姿勢は皆無であった。なぜ自分たちはいいかげんでありおまぬけであったのか、それを検証しようとする意志や努力はかけらもみられなかった。無根拠な自己肯定があるばかりであった。だからまあ、あほと呼ばれるわけなのである。しかしそれにしても、あの規約改正案はこれからどうなるのか。さっぱり不明である。何をやっておるのだ名張まちなか再生委員会。どうしたどうした名張まちなか再生委員会。
そういえば、きょうはもう8月22日である。ちょうど一か月まえ、7月22日に開かれた歴史拠点整備プロジェクトの会議では、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾について、8月23日に第三回を、30日に第四回を催すと決したものであったが、7月30日の役員会で話がこじれたそのあとはいったいどうなったのかな。ほんとならあしたが第三回のはずなのに、いったいどうなっているのかな。どうしたどうしたかんなくずの親分。プロジェクトのメンバーに何も報告しないというのでは、そんなもんリーダー失格ではないかいな。2ちゃんねる名張市政スレでトップやリーダーを論じるのもいいけれど、親分だってトップなのである。リーダーなのである。そのあたりの自覚がないようでは、ちょっと困ってしまうなあ。
さて、おさらいのまとめである。とどのつまり、決定的に欠けていたのは、行政における主体性の自覚である。行政が主体性を発揮する、ということがついになかった。名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備するという構想が記されていた。名張まちなか再生委員会はその構想に変更を加えた。それは不当なことである。市民や市議会を無視したことである。その点を指摘した市民があったのである。市民は、名張まちなか再生委員会の委員長と名張市の建設部長に会い、行政が主体性を発揮するよう要請したのである。
それを受けて、名張市はどうすればよかったのか。簡単なことである。てまえどもは名張まちなか再生プランを策定いたしましたが、そこに記されていた細川邸を歴史資料館として整備するという構想は、これこれこういった理由から実現が不可能であることがわかりました。よって、これこれこういった施設として整備することにいたしました。そのように表明し、市議会に報告し、市民に説明すればよかったのである。細川邸を歴史資料館にするなどと、あほといえばあほ、まぬけといえばまぬけ、すかたんといえばすかたん、無茶苦茶なプランを策定してしまった不明を詫びておけばそれでよかったのである。
とはいうものの、これはあくまでも手続きの話である。名張市があまりにもルールや手続きを無視していた、という話である。名張市が市民の言を容れ、行政の主体性を発揮して歴史資料館構想に変更を加えたうえで、それをしかるべく報告説明してみたところで、プロセスこそまともなものになりはしても、できあがった結果に変わりはなかったことであろう。つまり、正当な手順を踏んで細川邸を整備したのであったとしても、なんのためのものか、だれのためのものか、さっぱりわからん施設となるしかなかったことであろう。あほでありまぬけでありすかたんであったのは、プロセスばかりではなく、細川邸整備の検討内容もまったくご同様だったであろうということである。じつに残念なことである。
しかし現実には、プロセスも結果も、ともに最悪と呼ぶしかない様相を呈してこんにちにいたっている。にもかかわらず、これまでのプロセスはこれでよかったのかどうかという検証にも、現実として迎えてしまったこの結果を今後どのように方向づければいいのかという検討にも、だれひとり手をつけようとはしない。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して確認してみても、過去のプロセスにはなんら問題はなかったという、まさに無根拠な自己肯定が返ってくるばかり。無根拠どころか、やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備されました、などという事実の手ひどい歪曲のうえにしか成立しない自己肯定が返ってくるばかりなのである。
さて、名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんや。歴史資料館を主用途として整備されたやなせ宿において、歴史資料の定義はどうなっておるのか、資料収集の方針はどうなっておるのか。そのあたりの回答の準備は進めてくれたのかな。結構結構。まことに結構。いくらあほらしくたってお仕事である。精励恪勤をお願いしておきたい。
ちなみに記しておけば、ここでいうおさらいとは、過去の失敗をあげつらうことではない。過去の失敗を検証すれば、将来におなじ失敗をくり返すことはなくなるであろう。そのためのレッスンがおさらいである。こうしたおさらいの習慣は、なぜか名張市あたりでは見かけることがない。なんの反省もなく、なんの学習もなく、ひとつことが終わったらおつむはみごとに初期化されてしまって、新しいことがはじまればまた過去とおなじ失敗をくり返す。そんなシーンがやたらに多い。
たとえば名張まちなか再生委員会がそうである。発足以来、あの委員会は驚くほどいいかげんでおまぬけな歩みを重ねてきた。しかし、先日の役員会で示された規約改正案には、三年間の過去を教材にレッスンするといった視点や姿勢は皆無であった。なぜ自分たちはいいかげんでありおまぬけであったのか、それを検証しようとする意志や努力はかけらもみられなかった。無根拠な自己肯定があるばかりであった。だからまあ、あほと呼ばれるわけなのである。しかしそれにしても、あの規約改正案はこれからどうなるのか。さっぱり不明である。何をやっておるのだ名張まちなか再生委員会。どうしたどうした名張まちなか再生委員会。
そういえば、きょうはもう8月22日である。ちょうど一か月まえ、7月22日に開かれた歴史拠点整備プロジェクトの会議では、無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館with小判鮫を知の殿堂に生まれ変わらせるやなせ宿連続講座やなせ塾について、8月23日に第三回を、30日に第四回を催すと決したものであったが、7月30日の役員会で話がこじれたそのあとはいったいどうなったのかな。ほんとならあしたが第三回のはずなのに、いったいどうなっているのかな。どうしたどうしたかんなくずの親分。プロジェクトのメンバーに何も報告しないというのでは、そんなもんリーダー失格ではないかいな。2ちゃんねる名張市政スレでトップやリーダーを論じるのもいいけれど、親分だってトップなのである。リーダーなのである。そのあたりの自覚がないようでは、ちょっと困ってしまうなあ。
さて、おさらいのまとめである。とどのつまり、決定的に欠けていたのは、行政における主体性の自覚である。行政が主体性を発揮する、ということがついになかった。名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備するという構想が記されていた。名張まちなか再生委員会はその構想に変更を加えた。それは不当なことである。市民や市議会を無視したことである。その点を指摘した市民があったのである。市民は、名張まちなか再生委員会の委員長と名張市の建設部長に会い、行政が主体性を発揮するよう要請したのである。
それを受けて、名張市はどうすればよかったのか。簡単なことである。てまえどもは名張まちなか再生プランを策定いたしましたが、そこに記されていた細川邸を歴史資料館として整備するという構想は、これこれこういった理由から実現が不可能であることがわかりました。よって、これこれこういった施設として整備することにいたしました。そのように表明し、市議会に報告し、市民に説明すればよかったのである。細川邸を歴史資料館にするなどと、あほといえばあほ、まぬけといえばまぬけ、すかたんといえばすかたん、無茶苦茶なプランを策定してしまった不明を詫びておけばそれでよかったのである。
とはいうものの、これはあくまでも手続きの話である。名張市があまりにもルールや手続きを無視していた、という話である。名張市が市民の言を容れ、行政の主体性を発揮して歴史資料館構想に変更を加えたうえで、それをしかるべく報告説明してみたところで、プロセスこそまともなものになりはしても、できあがった結果に変わりはなかったことであろう。つまり、正当な手順を踏んで細川邸を整備したのであったとしても、なんのためのものか、だれのためのものか、さっぱりわからん施設となるしかなかったことであろう。あほでありまぬけでありすかたんであったのは、プロセスばかりではなく、細川邸整備の検討内容もまったくご同様だったであろうということである。じつに残念なことである。
しかし現実には、プロセスも結果も、ともに最悪と呼ぶしかない様相を呈してこんにちにいたっている。にもかかわらず、これまでのプロセスはこれでよかったのかどうかという検証にも、現実として迎えてしまったこの結果を今後どのように方向づければいいのかという検討にも、だれひとり手をつけようとはしない。名張市公式サイト「市長への手紙」を利用して確認してみても、過去のプロセスにはなんら問題はなかったという、まさに無根拠な自己肯定が返ってくるばかり。無根拠どころか、やなせ宿は歴史資料館を主用途として整備されました、などという事実の手ひどい歪曲のうえにしか成立しない自己肯定が返ってくるばかりなのである。
さて、名張市役所やなせ宿関係スタッフのみなさんや。歴史資料館を主用途として整備されたやなせ宿において、歴史資料の定義はどうなっておるのか、資料収集の方針はどうなっておるのか。そのあたりの回答の準備は進めてくれたのかな。結構結構。まことに結構。いくらあほらしくたってお仕事である。精励恪勤をお願いしておきたい。
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