三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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「名張まちなか再生委員会規約改正(案)」について記すつもりだったのだが、予定を変更する。きのう、名張市公式サイト「市長への手紙」に寄せた質問への回答が届いた。北京五輪より面白い見ものとなるかどうかはわからぬが、そちらのほうを話題とする。
とりあえず、頂戴した回答の全文を転載。
「プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません」とお答えになるしか、選ぶ道はなかったであろう。あらかじめ知れていたことである。
当方が寄せたのはどんな質問であったのか。7月21日付エントリ「おてがみいただきました」に記してある。
7月21日:おてがみいただきました
引用。
変更が正当なものだったのかどうか、という質問には、「プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません」としか答えようがない。正当であったと認めれば、市民や市議会を無視したことになるのだし、不当であったと認めれば、やなせ宿整備事業そのものを否定することになる。だから、変更などなかった、と苦しいいいわけを選ぶしか道はない。エントリ「おてがみいただきました」には、こうも記しておいた。
これがいったいどんな蟻地獄なんだか、一寸刻み五分試し、頂戴した回答に即して、じっくりみてゆくこととしたい。
──「名張まちなか再生プラン」は平成16年6月から平成17年3月にかけて多くの市民の方々で議論され策定されました。
「多くの市民の方々で」なんてのは、どう考えてもうそっぱちであろう。少なくとも名張市公式サイトの「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン」をみるかぎり、ごくわずかな数の名張市民と名張市民ではない大学の先生で、というしかないのではないか。
名張市公式サイト:名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン
「名張地区既成市街地再生計画策定委員会名簿」を転載。
ここにみえる委員のかたは十四人。むろんこれ以外にも、わけのわからんワークショップとかなんやかんやで、プラン策定に携わった人間の数はもう少しカウントできることであろう。しかしそれにしたって、「多くの市民の方々で」ということにはならぬのではないか。いやまあ、多いとか少ないとか、そんな定量性のない形容詞にこだわってみたところでしかたあるまい。そんなことより、どうにもいただけねーなー、と思われるのは、「多くの市民」ということばが隠れみのとして、主体性をあいまいにするための煙幕として使用されている点である。
あらためて確認するまでもないことながら、名張まちなか再生プランの決定にいたるプロセスはどんなものであったかというと、名張地区既成市街地再生計画策定委員会がプランの素案をまとめ、その素案が市議会のチェックと市民のパブリックコメントというハードルをクリアしたあと、最終的に決定されたのである。最終的な決定の責任者は、いうまでもなく名張市長でいらっしゃる。それが証拠に、名張まちなか再生プランの最初のページには、ちゃんと名張市長のお名前が記されているのである。
おかしい。なんかおかしい。念のために名張市公式サイト「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン」の第一ページを閲覧したところ、たしかにあったはずの市長のお名前が消えてしまっている。忍者かよ。忍者が煙幕を張って姿を消してしまったのかよ。当該ページのキャプチャ画像がこれ。
名張市公式サイト:名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン 1
ほんとにおかしいなあ、と思い、手許にある名張まちなか再生プランの現物、A4サイズ三十三ページにおよぶ現物をひっぱりだしてみたところ、やはりお名前があるではないか。当該ページのスキャン画像がこれ。
もちろん、ちょっとした手違いであろう。なにかしら些細なトラブルがあって、名張市公式サイトに掲載された名張まちなか再生プランから市長のお名前が消えてしまったのであろう。消えてしまったのは、まあしかたあるまい。しかし、消えっぱなしではよくない。たとえば、このページには、
「最後になりましたが、『名張まちなか再生プラン』の策定にあたりまして、格別のご尽力をいただきました策定委員会委員やワークショップ委員の皆さま、貴重なご意見をお寄せいただきました市民の皆さまに心から感謝申し上げます」
と記されているのだが、いまのままではどなたが礼を述べていらっしゃるのか、それがさっぱりわからんではないか。謝辞の主体が不明である。こんなことではいかんであろう。だから名張市役所のみなさんや、このブログをご閲覧の名張市役所のみなさんや、連日のご愛読に深甚なる謝意を表する次第であるが、そんなことはともかくとして、どなたでも結構だから庁舎内のしかるべきセクションに連絡して、名張市公式サイトの当該ページにしかるべく修正が加えられるよう、よろしくご手配をいただければ幸甚である。
とんだ余興で時間を取られた。先に進もう。
それでまあ、名張まちなか再生プランが「多くの市民の方々で議論され策定され」たものであったとしても、その策定されたプランがろくでもないものであったということは、7月18日付の回答において名張市長もすでにお認めのところである。
7月21日付エントリ「おてがみいただきました」から、全文を転載。
「主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきた」という文言は、名張まちなか再生プランに重大な不備があったことを明示している。「多くの市民の方々で議論され策定されました」という名張まちなか再生プランは、中心的課題であったはずの細川邸の整備にかんして、きわめて重大な不備を有するプランであったということが、ここに歴然と語られているのである。
それにしても、腰が抜けそうになる話ではある。「歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になる」なんてのは、しごくあたりまえの話ではないか。どこの世界に、資料を展示しないですむ歴史資料館があるというのか。「管理体制等の課題が浮上してきた」などというのもちゃんちゃらおかしい。どこの世界に、管理体制のことを考えなくてすむ歴史資料館があるというのか。名張地区既成市街地再生計画策定委員会のみなさんは、いったい何を考えておったのだまったく。何も考えてなどおらなかったのであろうが、それにしても腰が抜けそうになるではないか。
炎熱のさかりの蟻地獄絵巻、つづきはあしたのこととなる。
とりあえず、頂戴した回答の全文を転載。
中 相作 さま
このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 「名張まちなか再生プラン」は平成16年6月から平成17年3月にかけて多くの市民の方々で議論され策定されました。 その中で旧細川邸は、旧家の風情を活かして母屋と蔵を改修し主用途を歴史資料館として整備し、また、来訪者の利便に配慮し駐車場、公衆トイレの整備、物販や飲食なども含む多様な市民のニーズに応えるための施設として整備してまいりました。 従いまして、初瀬ものがたり交流館として改修された「やなせ宿」でも名称は「資料館」から、より親しみのあるものへと変わっているものの、プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年 8月 7日 □名張市長 亀井利克 |
「プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません」とお答えになるしか、選ぶ道はなかったであろう。あらかじめ知れていたことである。
当方が寄せたのはどんな質問であったのか。7月21日付エントリ「おてがみいただきました」に記してある。
7月21日:おてがみいただきました
引用。
ご回答ありがとうございました。重ねてお尋ねいたします。次の点にお答えいただければと存じます。
・名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトによる変更、すなわち、細川邸を歴史資料館ではなく初瀬ものがたり交流館として整備するという決定は、正当なものと考えるかどうか。 この場合の「正当」は、あくまでも手続き上の問題であるとお考えください。名張まちなか再生プランは、名張地区既成市街地再生計画策定委員会によって素案がまとめられ、市議会重要施策調査特別委員会でその素案が審議されたあと、素案を公開して市民のパブリックコメントも募集したうえで、最終的に決定されたものです。名張まちなか再生委員会の歴史拠点整備プロジェクトは、プロジェクトだけの判断で、つまり、市議会や市民を無視して、プランに重大な変更を加えてしまいました。この変更、すなわち決定は、はたして正当なものであるのかどうか。その点をお訊きしております。 正当なものとお考えでしょうか。そうではないとお考えでしょうか。ご多用中恐縮ですが、よろしくご回答たまわりますようお願いいたします。 2008/07/21 |
変更が正当なものだったのかどうか、という質問には、「プランに盛り込まれた施設整備の基本的な方向について、変更したものではありません」としか答えようがない。正当であったと認めれば、市民や市議会を無視したことになるのだし、不当であったと認めれば、やなせ宿整備事業そのものを否定することになる。だから、変更などなかった、と苦しいいいわけを選ぶしか道はない。エントリ「おてがみいただきました」には、こうも記しておいた。
回答には「歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも」うんぬんとあって、歴史資料館から初瀬街道からくり館への変更は許容範囲内のものである、プランの方針を変更したことにはならない、みたいな逃げがこっそり打たれているのであるが、この線でいくら逃げても逃げきることはできないということは、ここで断言しておいたほうが親切というものであろう。いやまあ、この線も何も、この蟻地獄からは逃れようがないと思うのだが。
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これがいったいどんな蟻地獄なんだか、一寸刻み五分試し、頂戴した回答に即して、じっくりみてゆくこととしたい。
──「名張まちなか再生プラン」は平成16年6月から平成17年3月にかけて多くの市民の方々で議論され策定されました。
「多くの市民の方々で」なんてのは、どう考えてもうそっぱちであろう。少なくとも名張市公式サイトの「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン」をみるかぎり、ごくわずかな数の名張市民と名張市民ではない大学の先生で、というしかないのではないか。
名張市公式サイト:名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン
「名張地区既成市街地再生計画策定委員会名簿」を転載。
ここにみえる委員のかたは十四人。むろんこれ以外にも、わけのわからんワークショップとかなんやかんやで、プラン策定に携わった人間の数はもう少しカウントできることであろう。しかしそれにしたって、「多くの市民の方々で」ということにはならぬのではないか。いやまあ、多いとか少ないとか、そんな定量性のない形容詞にこだわってみたところでしかたあるまい。そんなことより、どうにもいただけねーなー、と思われるのは、「多くの市民」ということばが隠れみのとして、主体性をあいまいにするための煙幕として使用されている点である。
あらためて確認するまでもないことながら、名張まちなか再生プランの決定にいたるプロセスはどんなものであったかというと、名張地区既成市街地再生計画策定委員会がプランの素案をまとめ、その素案が市議会のチェックと市民のパブリックコメントというハードルをクリアしたあと、最終的に決定されたのである。最終的な決定の責任者は、いうまでもなく名張市長でいらっしゃる。それが証拠に、名張まちなか再生プランの最初のページには、ちゃんと名張市長のお名前が記されているのである。
おかしい。なんかおかしい。念のために名張市公式サイト「名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン」の第一ページを閲覧したところ、たしかにあったはずの市長のお名前が消えてしまっている。忍者かよ。忍者が煙幕を張って姿を消してしまったのかよ。当該ページのキャプチャ画像がこれ。
名張市公式サイト:名張地区既成市街地再生計画 名張まちなか再生プラン 1
ほんとにおかしいなあ、と思い、手許にある名張まちなか再生プランの現物、A4サイズ三十三ページにおよぶ現物をひっぱりだしてみたところ、やはりお名前があるではないか。当該ページのスキャン画像がこれ。
もちろん、ちょっとした手違いであろう。なにかしら些細なトラブルがあって、名張市公式サイトに掲載された名張まちなか再生プランから市長のお名前が消えてしまったのであろう。消えてしまったのは、まあしかたあるまい。しかし、消えっぱなしではよくない。たとえば、このページには、
「最後になりましたが、『名張まちなか再生プラン』の策定にあたりまして、格別のご尽力をいただきました策定委員会委員やワークショップ委員の皆さま、貴重なご意見をお寄せいただきました市民の皆さまに心から感謝申し上げます」
と記されているのだが、いまのままではどなたが礼を述べていらっしゃるのか、それがさっぱりわからんではないか。謝辞の主体が不明である。こんなことではいかんであろう。だから名張市役所のみなさんや、このブログをご閲覧の名張市役所のみなさんや、連日のご愛読に深甚なる謝意を表する次第であるが、そんなことはともかくとして、どなたでも結構だから庁舎内のしかるべきセクションに連絡して、名張市公式サイトの当該ページにしかるべく修正が加えられるよう、よろしくご手配をいただければ幸甚である。
とんだ余興で時間を取られた。先に進もう。
それでまあ、名張まちなか再生プランが「多くの市民の方々で議論され策定され」たものであったとしても、その策定されたプランがろくでもないものであったということは、7月18日付の回答において名張市長もすでにお認めのところである。
7月21日付エントリ「おてがみいただきました」から、全文を転載。
中 相作 さま
□このたびは「市長への手紙」をお寄せいただき、ありがとうございました。 □メールサーバの障害により回答が遅くなり、お詫び申し上げます。 □名張まちなか再生プランでは、確かに歴史資料館として整備することについて述べております。 □その後、プランの具体化の為に設けられたまちなか再生委員会内の歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきたことなどもあり、歴史資料館と命名するよりも、プランでも述べているように多様な市民ニーズに応えるためにも物販や飲食なども含む、複合的な利用が可能な施設とすることとなり、既存建造物である町屋を活用した「初瀬ものがたり交流館」として、訪れた人への観光案内や、地域の人との交流を通じ、まちなかの情報発信拠点として施設活用を図り、もって既成市街地の魅力の創出に貢献していく施設として位置づけをしたものです。 今後、やなせ宿として多くの人が本施設を訪れ、まちなかの魅力を高める拠点施設になっていくことを目指すものです。 今後とも、貴重なご意見・ご提案をお寄せいただきますようお願いします。 平成20年7月18日 □名張市長 亀井利克 |
「主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきた」という文言は、名張まちなか再生プランに重大な不備があったことを明示している。「多くの市民の方々で議論され策定されました」という名張まちなか再生プランは、中心的課題であったはずの細川邸の整備にかんして、きわめて重大な不備を有するプランであったということが、ここに歴然と語られているのである。
それにしても、腰が抜けそうになる話ではある。「歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になる」なんてのは、しごくあたりまえの話ではないか。どこの世界に、資料を展示しないですむ歴史資料館があるというのか。「管理体制等の課題が浮上してきた」などというのもちゃんちゃらおかしい。どこの世界に、管理体制のことを考えなくてすむ歴史資料館があるというのか。名張地区既成市街地再生計画策定委員会のみなさんは、いったい何を考えておったのだまったく。何も考えてなどおらなかったのであろうが、それにしても腰が抜けそうになるではないか。
炎熱のさかりの蟻地獄絵巻、つづきはあしたのこととなる。
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公文書虚偽記載による文書偽造罪についてひとこと
●歴史拠点サブ様
ご投稿ありがとうございます。
かんなくずの親分がお元気そうで、何よりに思います。私はまた親分、小判鮫の親方との死闘に疲れはて、消耗しきってへろへろになっていらっしゃるのではないかと案じておりました。
私が名張市長から頂戴した回答にでたらめが記されていると、かんなくずの親分がそのようにおっしゃっているとの由。それはよくないことだと思います。たとえデジタル文書ではあっても、市長がお書きになり、他者にお示しになった文書は、たぶん公文書ということになるでしょうから、そこにでたらめやうそいつわりが記されていたとしたら、もしかしたら公文書虚偽記載ということになり、へたすりゃ文書偽造罪に問われることになるのかどうか、そのあたりのことは私にはさっぱりわかりませんので、どなたか法律がご専門のかたにお訊きいただければと思います。
それにしてもかんなくずの親分、電話口でぺらぺらぺらぺら熱く燃えさかってばかりいらっしゃらないで、名張まちなか再生委員会の虚偽虚妄を厳しく追及する内部告発手記でもお書きになればいいと思うのですが、無理な相談でしょうか。このブログを発表の場としていただければ、話はごく簡単だと思いますし、手記なんか書くのは面倒だとおっしゃるのなら、やなせ宿連続講座やなせ塾で親分の独演会を開いてもいいのではないかと愚考いたします。
ともあれ、ご投稿を拝読いたしまして、まあやなせ宿にかんしては一から十まで、何から何までインチキででたらめなわけなのですが、やはり一日も早く名張まちなか再生委員会をぶっ壊し、まちなか運営協議会をぶっ壊してやらなければならないなと、あらためてそのように思いました。
今後ともよろしくお願いいたします。
ご投稿ありがとうございます。
かんなくずの親分がお元気そうで、何よりに思います。私はまた親分、小判鮫の親方との死闘に疲れはて、消耗しきってへろへろになっていらっしゃるのではないかと案じておりました。
私が名張市長から頂戴した回答にでたらめが記されていると、かんなくずの親分がそのようにおっしゃっているとの由。それはよくないことだと思います。たとえデジタル文書ではあっても、市長がお書きになり、他者にお示しになった文書は、たぶん公文書ということになるでしょうから、そこにでたらめやうそいつわりが記されていたとしたら、もしかしたら公文書虚偽記載ということになり、へたすりゃ文書偽造罪に問われることになるのかどうか、そのあたりのことは私にはさっぱりわかりませんので、どなたか法律がご専門のかたにお訊きいただければと思います。
それにしてもかんなくずの親分、電話口でぺらぺらぺらぺら熱く燃えさかってばかりいらっしゃらないで、名張まちなか再生委員会の虚偽虚妄を厳しく追及する内部告発手記でもお書きになればいいと思うのですが、無理な相談でしょうか。このブログを発表の場としていただければ、話はごく簡単だと思いますし、手記なんか書くのは面倒だとおっしゃるのなら、やなせ宿連続講座やなせ塾で親分の独演会を開いてもいいのではないかと愚考いたします。
ともあれ、ご投稿を拝読いたしまして、まあやなせ宿にかんしては一から十まで、何から何までインチキででたらめなわけなのですが、やはり一日も早く名張まちなか再生委員会をぶっ壊し、まちなか運営協議会をぶっ壊してやらなければならないなと、あらためてそのように思いました。
今後ともよろしくお願いいたします。
殺気立つかんなくず。
かんなくずの親分が殺気立ってきました。そう、さっきの電話。
「でたらめ言うなボケ!」
何かというと市長からの手紙のことです。
引用「歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきた」
これに関して親分曰く「会議でそんな話が出たことは一度もないわボケ!」
詳しく聞いてみると、名称について「歴史資料館」ではいかにも馴染みにくいし、使途が限定的になるから、歴史資料の展示を基本におきながら交流施設としての利用も考えて「初瀬ものがたり交流館」とした。管理・経営については専門のセクションが必要となって、NPO設立の話になった。と言うことで、新たな設備が必要とか、資料の管理なんか議論したことは無いと、親分、結構怒ってはります。
ついでに私自身ちょっとだけ関わったNPOなばりについて言うと、当初旧市街地の活性化を目的としてその利用方法や経営手法など、設計段階から関わっていくものと思っていました、実際募集の際もそういう話でした。ところが、第1回の顔合わせの会議があったきりでいっこうに会議が開かれず、何ヶ月もたった後、突然最終的な設計図が示されました。見れば空調設備がない、冬はストーブで良いとしても夏は暑そうやなぁ、といったことなど、実際の運営にあたって色々な不備が指摘されました。そして出資金を募る、とか会員を募集するとか、さまざまな運営方法も検討されましたが、市長の言う公設民営などとても無理であると結論づけました。どうやらそれが委員長には気に入らなかったらしく「公設民営は始めから決まっていたことで、それを今になって出来ないとはどういうことや!それやったらこっちでやる。」と怒鳴って会議を途中退席されたことがありました。お殿様の逆鱗にふれNPOのお取りつぶしが決まったのはこの時かと思われます。その後はご存じのように、行政からの運営費が投入され、都合の良い人たちによる都合の良い運営が行われているところでございます。
なんかおれも殺気立ってきたかも。
「でたらめ言うなボケ!」
何かというと市長からの手紙のことです。
引用「歴史プロジェクトで議論をするなかで、主用途としていた歴史的な資料の展示には新たに展示館の建設が必要になることや、管理体制等の課題が浮上してきた」
これに関して親分曰く「会議でそんな話が出たことは一度もないわボケ!」
詳しく聞いてみると、名称について「歴史資料館」ではいかにも馴染みにくいし、使途が限定的になるから、歴史資料の展示を基本におきながら交流施設としての利用も考えて「初瀬ものがたり交流館」とした。管理・経営については専門のセクションが必要となって、NPO設立の話になった。と言うことで、新たな設備が必要とか、資料の管理なんか議論したことは無いと、親分、結構怒ってはります。
ついでに私自身ちょっとだけ関わったNPOなばりについて言うと、当初旧市街地の活性化を目的としてその利用方法や経営手法など、設計段階から関わっていくものと思っていました、実際募集の際もそういう話でした。ところが、第1回の顔合わせの会議があったきりでいっこうに会議が開かれず、何ヶ月もたった後、突然最終的な設計図が示されました。見れば空調設備がない、冬はストーブで良いとしても夏は暑そうやなぁ、といったことなど、実際の運営にあたって色々な不備が指摘されました。そして出資金を募る、とか会員を募集するとか、さまざまな運営方法も検討されましたが、市長の言う公設民営などとても無理であると結論づけました。どうやらそれが委員長には気に入らなかったらしく「公設民営は始めから決まっていたことで、それを今になって出来ないとはどういうことや!それやったらこっちでやる。」と怒鳴って会議を途中退席されたことがありました。お殿様の逆鱗にふれNPOのお取りつぶしが決まったのはこの時かと思われます。その後はご存じのように、行政からの運営費が投入され、都合の良い人たちによる都合の良い運営が行われているところでございます。
なんかおれも殺気立ってきたかも。