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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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連休である。かまうものか。さっき、名張市役所にメールを出した。4月22日にもメールで質問を送信したのだが、まだ回答がない。その催促のメールである。送信先は名張市都市環境部市街地整備室、アドレスはshigaichi@city.nabari.mie.jp、件名は「やなせ宿についておききします〜」。

文面はこうである。

   
こんにちは〜。このあいだ〜、やなせ宿のことで〜、質問のメールを〜、出したんですけど〜、とどいてませんか〜。念のために〜、もういちど〜、出しますね〜。

(1)やなせ宿の利用申請はどのように手続きすればいいのか。申請はいつから受け付けるのか。

(2)名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か。

ふたつめのはあとでもいいですから〜、とりあえずひとつめに〜、こたえてくれませんか〜。やなせ宿で〜、連続講座〜、やりたいんですよ〜。

やなせ宿開設記念いやがらせ連続講座
第一週「名張の歴史をしっとるか」=6月14日を予定
第二週「なにがやなせ宿だばーか」=6月21日を予定
第三週「乱歩はどこへきえたのか」=6月28日を予定
第四週「へたれ責任者でてこんか」=7月5日を予定

最後の「へたれ責任者でてこんか」は〜、シンポジウムなので〜、名張まちなか再生委員会のえらい人とか〜、名張市のえらい人とか〜、ご出席をおねがいしなければ〜、なりませんので〜、早くしたいとおもいますので〜、メールでお返事〜、おねがいしますね〜。

2008/04/29

二点目の質問には、即答は返ってこないかもしれない。即答どころか、いつまで待っても回答はないかもしれない。まともな説明などまるでできないことを、名張市はしでかしてしまったのである。

しつこいようだが、経緯を確認しておく。

平成17・2005年6月26日、名張まちなか再生委員会が発足した。

翌27日付中日新聞から引用。

   
名張地区活性化 官民一体で再生委スタート

商店街の空洞化や人口減が進む名張市の中心市街地・名張地区の活性化に官民一体で取り組む「名張まちなか再生委員会」の設立総会が二十六日、同市元町のリバーナホールで開かれた。

委員会は、住民による名張地区まちづくり推進協議会を中心に、市や市内各種団体の代表者四十一人で結成。今年三月に市が策定した活性化計画「まちなか再生プラン」を実践する。

プランには、旧家「細川邸」の改修による歴史資料館化や、地区を網の目のように走る簗瀬水路周辺の景観整備など、地域の固有資源を活用した事業が盛り込まれた。委員会は改修・整備内容や運営方針などを市からゲタを預けられた形で具体的に決めていく。

同年7月29日、名張まちなか再生委員会歴史拠点整備プロジェクトの第二回会合が開かれた。名張市にたいする公文書公開請求で入手した議事録によれば、この会合で「細川邸は、歴史資料館ではなく“(仮称)初瀬街道からくり館”を基本テーマとする」ことが決定された。

無茶苦茶である。名張まちなか再生プランには、細川邸を歴史資料館として整備すると記されていた。中日の記事でも、「旧家『細川邸』の改修による歴史資料館化」が筆頭にあげられている。それが、委員会発足後一か月で、あっさり変更されてしまったのである。議事録には、変更の理由はひとことも記されていない。名張まちなか再生委員会による、密室のなかのまったく恣意的な決定である。正当性などどこにもない。

名張まちなか再生委員会に、どんな権限が与えられているというのか。それは何によって担保されているというのか。そんなものは、虚構でしかない。名張まちなか再生プランが市議会のチェックや市民のパブリックコメントというハードルをクリアして決定されたものである以上、その決定をくつがえすにはおなじハードルをクリアする必要がある。そんなこともわからんのか。

わからんのである。名張まちなか再生委員会の当時の委員長に面会し、決定をひっくり返すのなら名張地区既成市街地再生計画策定委員会を再招集してプランの練り直しをさせろ、と要求したのだが、答えはNOであった。無茶苦茶である。

平成18・2006年7月23日、「広報なばり」7月4週号が発行され、「-検証- 名張のまちなか再生は進んでいるのか?」が掲載された。歴史拠点プロジェクトの関連事項を引用。

   
旧細川邸を改修して「(仮称)初瀬ものがたり交流館」を整備します。旧家の風情を生かした魅力的な交流拠点として、企画展示・イベントなどを催し、多くの人に来館いただけるような施設づくりを目指します。

ごらんのとおりである。なんの説明もない。きわめて不可解なことである。細川邸は歴史資料館になるはずであった。名張市は市民に、そのように約束したのである。だが、できあがったのは、やなせ宿という名の観光交流施設である。市民にはなんの説明もない。市民との約束を反故にした理由は、いっさい明らかにされない。やなせ宿ができました、ご利用ください、という告知しかなされない。インチキである。ペテンである。詐欺である。

市民の眼にみえないところで、いったい何がおこなわれていたのか。名張市と名張まちなか再生委員会との結託であり、癒着である。官学民がみつどもえでからみ合い、官から学に血税百五十万円が流れてしまう癒着まであった。

さらにいえば、名張市から名張まちなか再生委員会にたいする、一方的な便益の供与があった。細川邸を特権的独占的に占有させる無根拠な優遇があった。名張市は市民に何も知らせないまま、名張まちなか再生委員会の専横を容認しつづけ、委員会はその容認のうえにあぐらをかいて、しかし結局はこのざまなのである。何も考えられず、何も決められない。膠着状態の泥沼である。にもかかわらず、委員会の専横はとどまるところを知らない。

さあ、どうよ。細川邸整備事業にかんする、あるいは、名張まちなか再生委員会にかんする問題は、はっきりいって腐るほどある。そのうちのひとつについて、「名張まちなか再生プランで歴史資料館として整備されることになっていた細川邸が観光交流施設のやなせ宿に変更された理由は何か」と質問しているのである。いつまでも知らん顔のほっかむりはできるものでもないだろう。世にいう説明責任ってやつである。名張市は市民との約束を破ってしまったのである。破ったら破ったで、市民が納得できるだけの説明をする義務があるはずである。

とはいえ、この質問に明快な答えが返ってくるとは思えない。合理的な説明がなされるとは思われない。さあ、どうよ、といったって、やっぱり梨のつぶてかな。そのときにはいったい、どうすればいいのかな。
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