三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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四回連続となった案内板デザイン講座、いよいよ最終講義である。鬼の気合できょうも行く。
ひとことでいえば、無茶苦茶なのである。細川邸整備事業がそうであったごとく、まちなか四か所の公共サイン設置事業もまた、といったって「江戸川乱歩生誕地碑広場」以外の案内板はまだみたことがないのだが、いずれおなじような程度であろうとたかをくくっておくことにして、ひとことでいえば無茶苦茶なのである。そもそも確たる目的がない。しいてあげれば、細川邸を整備するということ、公共サインを設置するということ、それじたいが目的なのである。事業を遂行し予算を執行することが自己目的化していて、ほかにはなんの考えもない。ひとことでいえば、ばかなのである。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
中学生がつくった壁新聞なら、記事を書くためのノウハウや、レイアウトにかんするABCといったものが、中学生なりの理解力で確実に紙面に反映されているはずである。しかしこの案内板には、そんなものはまったくない。ノウハウもABCもあらばこそ、そもそもデザインという概念が存在していない。スペースを切り貼りで埋めればそれでよろしい。予算が執行できれば問題はない。出来のよしあしなど関係はない。よしあしを判断する能力すらない。むろん、あとのことなんてまるで知らない。関知しない。ま、そういったことである。
もっとも、この案内板にだって、ちゃんと反映されているものはある。何か。名張市という自治体の無策無能無責任ぶりである。この案内板一枚に、あるいは、この案内板一枚にも、といったほうが的確かもしれないのだが、名張市の無策無能無責任はじつに色濃く反映されている。隠しようもなく示されている。表れている。にじみ出ている。結局のところこの案内板は、名張市の無策無能無責任を発信するために設置されたようなものなのである。むろん案内板なんかなくたって、乱歩生誕地碑広場そのものが名張市の無策無能無責任を雄弁に物語っているのではあるが。
乱歩と名張の唯一の接点であるといっていい土地を、乱歩にちなんで活用することを条件に所有者から寄贈され、ありがたく広場として整備させていただきました、なんてことで話をすませてしまったのが名張市である。無策といえばあまりにも無策、無能といえば救いがたく無能、無責任といえば絶望的なまでに無責任である。そしてこの無策無能無責任は、生誕地碑広場やその案内板のみにはとどまらない。いまさら指摘するまでもなく、細川邸整備事業にも明瞭にうかがえる。なんというのか、もうそこらじゅう、名張市ってとこは無策無能無責任の金太郎飴状態なのである。
案内板のデザインひとつまともにできない。幼稚園児の切り貼り遊びみたいなやっつけ仕事しかできない。デザインもへったくれもないのである。こんな名張市には、市全体のグランドデザインを提示するなんてことはとてもできない。たとえできたとしても、幼稚園児の切り貼り遊びにすぎない。つまり名張まちなかの再生など、はなから無理なことだったのである。まちなか再生の名のもとに、名張市はいったい何をやったのか。まちなかに残されていた可能性の芽を、重いコンダーラで試練の道をがちがちに固めてしまうようにして、きれいに踏みつぶしてしまうことであった。こんなことなら、案内板のデザイン講座なんかよりもっと早い段階で、地域社会のグランドデザイン講座を開いておくべきであったかと悔やまれる次第であるが、いまとなってはあとの祭りである。
ではここで、案内板デザイン講座の講師作品として、江戸川乱歩生誕地碑広場にふさわしいと思われる案内板のデザインを、あらためて披露しておく。
ほんと、こんなんでよかったんじゃね? つか、これしかねーんじゃね?
ひとことでいえば、無茶苦茶なのである。細川邸整備事業がそうであったごとく、まちなか四か所の公共サイン設置事業もまた、といったって「江戸川乱歩生誕地碑広場」以外の案内板はまだみたことがないのだが、いずれおなじような程度であろうとたかをくくっておくことにして、ひとことでいえば無茶苦茶なのである。そもそも確たる目的がない。しいてあげれば、細川邸を整備するということ、公共サインを設置するということ、それじたいが目的なのである。事業を遂行し予算を執行することが自己目的化していて、ほかにはなんの考えもない。ひとことでいえば、ばかなのである。
だから幼稚園児の切り貼り遊びだといわれる。
中学生がつくった壁新聞にも劣るといわれる。
中学生がつくった壁新聞なら、記事を書くためのノウハウや、レイアウトにかんするABCといったものが、中学生なりの理解力で確実に紙面に反映されているはずである。しかしこの案内板には、そんなものはまったくない。ノウハウもABCもあらばこそ、そもそもデザインという概念が存在していない。スペースを切り貼りで埋めればそれでよろしい。予算が執行できれば問題はない。出来のよしあしなど関係はない。よしあしを判断する能力すらない。むろん、あとのことなんてまるで知らない。関知しない。ま、そういったことである。
もっとも、この案内板にだって、ちゃんと反映されているものはある。何か。名張市という自治体の無策無能無責任ぶりである。この案内板一枚に、あるいは、この案内板一枚にも、といったほうが的確かもしれないのだが、名張市の無策無能無責任はじつに色濃く反映されている。隠しようもなく示されている。表れている。にじみ出ている。結局のところこの案内板は、名張市の無策無能無責任を発信するために設置されたようなものなのである。むろん案内板なんかなくたって、乱歩生誕地碑広場そのものが名張市の無策無能無責任を雄弁に物語っているのではあるが。
乱歩と名張の唯一の接点であるといっていい土地を、乱歩にちなんで活用することを条件に所有者から寄贈され、ありがたく広場として整備させていただきました、なんてことで話をすませてしまったのが名張市である。無策といえばあまりにも無策、無能といえば救いがたく無能、無責任といえば絶望的なまでに無責任である。そしてこの無策無能無責任は、生誕地碑広場やその案内板のみにはとどまらない。いまさら指摘するまでもなく、細川邸整備事業にも明瞭にうかがえる。なんというのか、もうそこらじゅう、名張市ってとこは無策無能無責任の金太郎飴状態なのである。
案内板のデザインひとつまともにできない。幼稚園児の切り貼り遊びみたいなやっつけ仕事しかできない。デザインもへったくれもないのである。こんな名張市には、市全体のグランドデザインを提示するなんてことはとてもできない。たとえできたとしても、幼稚園児の切り貼り遊びにすぎない。つまり名張まちなかの再生など、はなから無理なことだったのである。まちなか再生の名のもとに、名張市はいったい何をやったのか。まちなかに残されていた可能性の芽を、重いコンダーラで試練の道をがちがちに固めてしまうようにして、きれいに踏みつぶしてしまうことであった。こんなことなら、案内板のデザイン講座なんかよりもっと早い段階で、地域社会のグランドデザイン講座を開いておくべきであったかと悔やまれる次第であるが、いまとなってはあとの祭りである。
ではここで、案内板デザイン講座の講師作品として、江戸川乱歩生誕地碑広場にふさわしいと思われる案内板のデザインを、あらためて披露しておく。
ほんと、こんなんでよかったんじゃね? つか、これしかねーんじゃね?
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