三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
おとといのつづき。
朝日新聞:街道筋 再生拠点へ 名張市・やなせ宿
やなせ宿から乱歩が消えたとなると、いったいどういうことになるのか。どういったことにもならない。どうにかなったほうがいいのだが、遺憾ながらどうにもならないという困ったことになる。
かりに、誰かがはじめて名張のまちを訪れたとする。江戸川乱歩に興味をもっている人である。近鉄名張駅の西口から外に出て、まちなか散策としゃれこむ。乱歩生誕地碑はどこにあるのか。目についた商店で道順を尋ね、てくてくと歩いてゆく。細い路地に入ってさらに進むと、木造住宅が低い軒をつらねた一廓になんだか不自然な印象の広場があって、そこにぽつんと生誕地碑が建っている。広場には案内板やモニュメントも設置されているが、ただそれだけのことである。
なんだこれは、と思いながら新町の通りに出てみる。やなせ宿というのが目に入る。どうやら観光交流施設らしい。「地域の案内パンフレットや散策地図」が置かれていて、「旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場」になっているらしい。「史料の展示など」があったり、「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」こともあったりするらしいのだが、どこにも乱歩が見あたらない。なんだこれは、と思う。おかしいではないか。
やなせ宿は名張市の新町にある。新町といえば江戸川乱歩が生まれた町である。その新町に観光交流のための公共施設があるというのに、乱歩の姿はどこにもない。そのやなせ宿で問い合わせると、乱歩の関連資料は市立図書館に展示されているという。道順を教えてもらって足を運ぶ。まちなか散策の動線からは大きくはずれ、年配層にはやや骨の折れる急な坂道を登った先が図書館である。たしかに乱歩の遺品や著書を展示したコーナーはあるのだが、乱歩のことを質問しても何もわからない。答えられるスタッフがひとりもいない。
乱歩が生まれた名張のまちを訪れたその人は、名張ってのは何を考えているのだ、と思うことになる。首をかしげるはずである。しかし残念なことに、名張ってのは何も考えない。考えようとしない。考える能力がない。いったい何をお考えなのであろうか、何かを考えることがおできになるのであろうか、といった疑問を抱かせるのは、何も名張まちなか再生委員会やまちなか運営協議会にかぎった話ではないのである。名張市そのものがそうなのである。
むろん、乱歩のことをまったく知らない、というわけではない。なんとかしたいとは思っている。名張のまちのために乱歩をなんとか利用したいとは思っている。
3月16日:市議会の乱歩 2007
たとえば、昨年6月の定例会における発言。
奇矯な発言ではない。ごく当然の指摘というべきだろう。にもかかわらず、一年もたたぬあいだに、名張まちなかの再生というテーマから乱歩というモチーフが消失してしまった。ろくに乱歩作品を読もうとせず、乱歩のことを知ろうともしないような連中が何十人何百人と集まったところで、乱歩にかんして何かを考えるなどということは絶対にできない。結局はそういうことである。
おなじく昨年6月の定例会から。
しかし、乱歩は消えてしまった。「いただいてあるミステリー本」や「乱歩のゆかりのもの」はどうなるのか。「展示する場所」はどうするのか。明確なところは何もわからない。誰も説明することができない。誰にも考えることができない。乱歩はどうして消えたのか。誰が乱歩を消したのか。さーあ、どうする。
朝日新聞:街道筋 再生拠点へ 名張市・やなせ宿
やなせ宿から乱歩が消えたとなると、いったいどういうことになるのか。どういったことにもならない。どうにかなったほうがいいのだが、遺憾ながらどうにもならないという困ったことになる。
かりに、誰かがはじめて名張のまちを訪れたとする。江戸川乱歩に興味をもっている人である。近鉄名張駅の西口から外に出て、まちなか散策としゃれこむ。乱歩生誕地碑はどこにあるのか。目についた商店で道順を尋ね、てくてくと歩いてゆく。細い路地に入ってさらに進むと、木造住宅が低い軒をつらねた一廓になんだか不自然な印象の広場があって、そこにぽつんと生誕地碑が建っている。広場には案内板やモニュメントも設置されているが、ただそれだけのことである。
なんだこれは、と思いながら新町の通りに出てみる。やなせ宿というのが目に入る。どうやら観光交流施設らしい。「地域の案内パンフレットや散策地図」が置かれていて、「旧市街地を訪れた人が情報集めや休憩ができる場」になっているらしい。「史料の展示など」があったり、「展覧会や催しを開く団体や個人に有料で部屋を貸し出す」こともあったりするらしいのだが、どこにも乱歩が見あたらない。なんだこれは、と思う。おかしいではないか。
やなせ宿は名張市の新町にある。新町といえば江戸川乱歩が生まれた町である。その新町に観光交流のための公共施設があるというのに、乱歩の姿はどこにもない。そのやなせ宿で問い合わせると、乱歩の関連資料は市立図書館に展示されているという。道順を教えてもらって足を運ぶ。まちなか散策の動線からは大きくはずれ、年配層にはやや骨の折れる急な坂道を登った先が図書館である。たしかに乱歩の遺品や著書を展示したコーナーはあるのだが、乱歩のことを質問しても何もわからない。答えられるスタッフがひとりもいない。
乱歩が生まれた名張のまちを訪れたその人は、名張ってのは何を考えているのだ、と思うことになる。首をかしげるはずである。しかし残念なことに、名張ってのは何も考えない。考えようとしない。考える能力がない。いったい何をお考えなのであろうか、何かを考えることがおできになるのであろうか、といった疑問を抱かせるのは、何も名張まちなか再生委員会やまちなか運営協議会にかぎった話ではないのである。名張市そのものがそうなのである。
むろん、乱歩のことをまったく知らない、というわけではない。なんとかしたいとは思っている。名張のまちのために乱歩をなんとか利用したいとは思っている。
3月16日:市議会の乱歩 2007
たとえば、昨年6月の定例会における発言。
P.20 ◆ 議員(柳生大輔)
乱歩はまちなか再生の目玉と称されております。私も、乱歩は全国的にも知れ渡るメジャーの地域資源であると考えます。 |
奇矯な発言ではない。ごく当然の指摘というべきだろう。にもかかわらず、一年もたたぬあいだに、名張まちなかの再生というテーマから乱歩というモチーフが消失してしまった。ろくに乱歩作品を読もうとせず、乱歩のことを知ろうともしないような連中が何十人何百人と集まったところで、乱歩にかんして何かを考えるなどということは絶対にできない。結局はそういうことである。
おなじく昨年6月の定例会から。
P.46 ◎ 市長(亀井利克)
乱歩につきましては、ミステリー文庫も含めまして、この整備をしていかなければならないということにいたしております。それを5年で切ってるわけでございますけれども、さてそれをどの時点でということにつきましてはまだ定かではございませんけれども、いただいてあるミステリー本をやっぱり世に出していかないと、こちらも申しわけないという思いであるわけでございますので、これは世に出していきたい。また、乱歩のゆかりのものにつきましても、同時にそういう展示する場所が必要であるというふうにも思わせていただいてるところでございます。 |
P.133 ◎ 市長(亀井利克)
ミステリー文庫であったり、あるいはまた乱歩ゆかりの品も一緒に、その近くといいましょうか、街道沿いといいましょうか、そういう部分に展示する場所が必要であるということは、これもさきに申し上げたとおりでございますので、このことにつきましてこれから関係者とお出会いをさせていただくと、その日程も決めていただいてるところでございます。 |
しかし、乱歩は消えてしまった。「いただいてあるミステリー本」や「乱歩のゆかりのもの」はどうなるのか。「展示する場所」はどうするのか。明確なところは何もわからない。誰も説明することができない。誰にも考えることができない。乱歩はどうして消えたのか。誰が乱歩を消したのか。さーあ、どうする。
PR
この記事にコメントする