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三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのう3月30日は、國松孝次元警察庁長官が東京都荒川区の自宅マンション前で銃撃された日である。事件発生は十三年前の平成7・1995年。当初からオウム真理教の犯行とする見方が強く、平成16・2004年には教団の幹部ら三人が殺人未遂容疑で逮捕されたが、嫌疑不十分で不起訴処分とされた。

産経新聞によれば、この19日、別の強盗殺人未遂事件で実刑判決を受けて上告中の人物が、警視庁に対し犯行を示唆する供述をしていることがわかった。

産経新聞:警察庁長官銃撃で77歳男が犯行示唆の供述 「秘密の暴露」(3月20日)
産経新聞:【独白・警察庁長官銃撃事件】(上)「秘密の暴露」凶行の全容、詳細に(3月20日)
産経新聞:【独白】(中)動機、一貫して「反オウム」(3月20日)
産経新聞:【独白】(下)証拠 「封印」された拳銃(3月21日)
産経新聞:警察庁長官銃撃、30日で発生から13年(3月29日)
産経新聞:「中村供述」の真偽 公安、刑事が連携し解明を(3月29日)

「【独白】(中)」に「警視庁が15年7月、三重県名張市の知人宅を家宅捜索した際、拳銃や実弾などとともに一編の詩が見つかっている」とあって、この中村泰という被告の知人が平成15・2003年7月当時、名張市に住んでいたことがわかる。

検索してみると、「警察庁長官銃撃で77歳男が犯行示唆の供述 秘密の暴露」をソースにしたブログ記事があった。

酔うぞの遠めがね:国松長官狙撃事件が解明される?(3月20日)

読売新聞のデータベースにもとづいて事実関係を整理した年表に、「1996 三重県名張市の知人宅で生活を始める」とあって、中村泰被告が平成8・1996年から名張市の知人宅に住んでいたことがわかる。平成13・2001年には「大阪市都島区の三井住友銀行都島支店(閉鎖)現金輸送車襲撃事件」、翌年には「名古屋市のUFJ銀行押切支店現金輸送車襲撃事件」を起こしているのだが、その当時も名張市に住んでいたのかどうか、それはわからない。

さらに別のソース。

怪奇探偵コレクション:ナンペイ事件と東大中退テロリスト(2004年2月6日)

平成7・1995年7月、八王子市のスーパーで女性従業員三人が射殺された事件と中村泰なる人物のかかわりが考察されているが、なかに「中村は1996年に東京を離れ、三重県名張市に引っ越している。そして住民票だけは、97年に東京の豊島区に移し、98年に神戸市に移している。つまり、95年のナンペイ事件以後に、不審な行動をとっている」とある。

おなじサイトの関連記事。

怪奇探偵コレクション:「国松長官狙撃犯と私」について(2004年3月22日)

この人物をテロリストと呼ぶことにはためらいをおぼえる。せいぜいが自称テロリストでしかないだろう。しかし、あえてテロリストと呼ぶことにして、老残のテロリストがたとえ一時期であるにせよ身をひそめるようにして隠れ住んでいたのだとしたら、それはこの名張という土地にいかにもふさわしいことであったように思われる。

ちなみに、平成15・2003年11月、名張市総合福祉センターふれあいで催されたミステリ講演会「なぞがたりなばり」で、高村薫さんはナンペイ殺人事件から受けた衝撃のすさまじさを打ち明けていらっしゃった。名張市公式サイトで講演全文を読むことができる。

名張市公式サイト:第13回なぞがたりなばり(pdf)

関連箇所を引用。

   
私の場合、本格推理の作家さんたちのように乱歩的なあるいは横溝的なブランドミステリーを書く能力はありません。私はどこまでも同時代の足元の社会しか眺められないような、そういう頭の持ち主であります。にもかかわらず、95年頃には足元の社会にある犯罪をもう書けないという思いが強くなったのであります。(もう書けないという)その決定的なものは、まず1995年、東京は八王子のスーパーで女性従業員が三人射殺された事件。それから97年の神戸の連続児童殺傷事件でした。この二つを目の当たりにしまして、その時、私はもう書けないと思ったのであります。
八王子の事件のときは、たまたま私は警視庁の記者クラブに立ち寄ってたんですが、社会部の記者たちも真っ青になっておりました。私自身も体が震えました。映画でも見たことがないようなあまりに残酷すぎる事件でありました。もちろん未解決です。今でも警視庁にとって一番衝撃が強かったのがこの事件だと言われております。一見、金目当ての強盗殺人に見えますけれども、それにしては犯行が残酷過ぎてこれまでの警察の常識では考えられない事件だったからです。それから目撃者もいない。動機も分からない。今日まで警察に出来たのは、犯行に使われた拳銃の型を割り出すこととスーパー関係者の鑑捜査だけであります。
この事件のほんの少し前に警察庁の国松長官が狙撃されるという事件が起こりました。その時も私は大変びっくりしましたけれども、体が震えるようなことはありませんでした。多分、警察庁長官の狙撃というのには、それなりに物語が想像できるから衝撃が小さかったんだと思います。
ところが、八王子のスーパーの事件の被害者は、目隠しをされて頭を撃ち抜かれておりました。女性たちがそんなふうにして殺される理由もなければ、そこに至る物語も全く想像できません。物語性のないただ残酷な事実の前で私は立ちすくんだ訳でありました。
97年に神戸で少年の遺体の一部が発見された事件の一報は、その日の朝、自宅にかかって来た新聞社の電話で知りました。その時、どう思うかと聞かれたのですが、私は学校の校門の前に被害者の頭部が・・・というような状況を、頭で思い浮かべることができなくて、そんな事件はもう私の頭ではついていけないから、何も申し上げられませんといって取材をお断りしました。その時はもう、八王子のスーパーの事件のように現場の凄惨さを思い描くことすらできなかったという訳であります。

この講演があった五年前にくらべると、この日本という国において、「物語」が想像できない犯罪はさらにいっそう数を増しているのではないか。
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