三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうからの流れで、まずは新藤宗幸さんの『新版 行政ってなんだろう』から、「それにしても『先祖返り』のような『小さい政府』でよいのでしょうか」という問いの帰結にあたる箇所を引いておく。
すなわち、NPMの見直しがわが国においてもひとつの主張として定着しつつあるということなのだが、名張市版NPM、といっても『新版 行政ってなんだろう』でおもに説かれている福祉には直接関係はないのだが、やはり名張市におけるニューパブリックマネジメントの試みという意義をもっていたかもしれない細川邸の整備事業は、誰の眼にも明らかなとおり決定的な失敗に終わった。
名張市議会で細川邸が議論されるようになったのは、名張まちなか再生プランが発表され、名張まちなか再生委員会が発足した平成17・2005年以降のことである。しかし、失敗はその前年にはじまっていたというのが正しい。平成16・2004年に名張地区既成市街地再生計画策定委員会が組織され、プランの策定がスタートした時点で、細川邸整備事業の破綻は約束されていたのである。多言は要すまい。プランに記されていたのが、細川邸を歴史資料館として整備するなどという噴飯ものの構想であったことを指摘しておけば、それでいい。
平成16・2004年というのは、伊賀地域を舞台にした三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が、六か月というロングランでくりひろげられた年でもあった。だからこの年は、なんといえばいいのか、地域社会のたがというものが派手にはずれてしまった年だという印象がある。協働だの新しい時代の公だのというお題目が、地域社会に当然存在しているべき規範をすべて踏みにじってしまった観がある。しかも始末の悪いことに、たががはずれっぱなしで現在にいたっている。
名張市があの伊賀の蔵びらき事業の失敗から深く学んでいさえすれば、細川邸の整備事業はこれほど惨憺たる結果には終わらなかったのではないか。ところが、名張市は何ひとつ学ぼうとしなかった。それどころか、事業が失敗であったと冷静に認識することすらできていなかったのではないか。
もっとも、当の三重県だって、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が失敗だったとは認めていない。三重県公式サイトに、こんな資料が掲載されている。
三重県公式サイト:定期監査結果に基づいて講じた措置について(個表)(pdf)
伊賀の蔵びらき事業の翌年、平成17・2005年のものである。なかに、伊賀の蔵びらき事業の「成果の活用」にかんする項があって、歯の浮くようなきれいごとが記されている。
引用。
定期監査といっても身内意識に裏打ちされた適当なものである。きれいごとを並べるのはお役所の鉄則でもある。しかし適当なきれいごとでうわっつらをいくら飾り立ててみたところで、事業の翌年の「取組」とやらがこの程度のことなのである。笑止千万。三億円もの税金を投じ、その成果が「行政と住民との協働のためのしくみづくり、地域づくりに」活用されるべき事業の成果が、紅花がどうの行灯がこうのといった程度のことなのである。イガデハクなんてのは、たしか伊賀の蔵びらき事業の前年から定期開催されていたイベントではないか。そんな催事まで数に入れなければならぬほど、つまりは事業の成果と呼ぶべきものが見当たらなかったということなのである。
そんなことはまあいい。ばかなのは名張市である。「市の支援による『乱歩蔵びらきの会』、『からくりのまち名張』など地域資源を活かしたさまざまな事業が展開されています」とある。完全な失敗に終わった伊賀の蔵びらき事業をひきずってどうする。ひきずってどうなった。乱歩蔵びらきの会はいま何をしておるのか。からくりのまち名張はいまどうなっておるのか。伊賀の蔵びらき事業でご活躍いただいたみなさん、すなわち「自然、歴史、文化などの地域資源を自覚し、自らが気づき、主体となって活かしていく」べき「地域の方々」は、いまいったい何をやっておるのかというのだ。
いま現在のことはともかく、少なくとも平成17・2005年の時点では、名張まちなか再生委員会の歴史整備プロジェクトに名を連ねてくださってはおった。結成総会の資料によれば、歴史整備プロジェクトの構成は、名張商工会議所、名張地区まちづくり推進協議会、からくりのまち名張実行委員会、名張市観光協会、乱歩蔵びらきの会、名張市企画財政政策室、名張市文化振興室、名張市都市計画室といったところなのである。かくのごとく名張市が、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の失敗から何も学ぼうとせず、あろうことかあるまいことか失敗をそのまま引き継いでしまったという点にも、細川邸整備事業がぶざまに失敗した一因が求められよう。
さてそれで「市議会の細川邸」なのであるけれど、とくにいうべきこともない。先日も記したとおり、昨年の定例会では複数の議員が細川邸整備運営の公設民営方式をめぐる質問をおこなったのだが、原理原則からいうならば、こんな指摘は名張まちなか再生プランの素案が提示されたときになされていてしかるべきものである。いまごろなーにいってんだ、とか、てめーらどこに眼をつけてやがったんだよ、とか、市民からそんなツッコミを入れられたら返答ができんのではないかいな。
返答ができんといえば、細川邸にかんして市民から市議会に、てめーらあんな施設の整備費をどうして承認したんだよ、というツッコミが入る可能性もないではない。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をおよそ一億円かけてつくりまーす、と名張市が提案したとき、そんなもんつくってんじゃねーぞこのばかたれ、となぜいえなんだのじゃ助さんや、そうではないか格さんや、ということなのであるけれど、このツッコミに対しても、われらが名張市議会はなんの返答もできんのではないかいな。
ただし、このあたりのことはどうもよくわからない。市議会が細川邸整備の予算にOKを出したことはたしかなのであるが、そのOKはいったい何に対してのものであったのか。いつ出されたものであったのか。少なくとも名張まちなか再生プランの段階では、細川邸は歴史資料館として整備されることになっていた。市議会はそのプランにOKを出した。ところが、名張まちなか再生委員会はそのプランをくつがえし、初瀬街道なんたら館として整備することに決めてしまった。その決定には、市議会の承認も市民の合意もまったくかかわりがないのである。
それがいつのまにか、細川邸をやなせ宿という名の無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として整備することが、市議会の承認を得た事業として進められているのである。どうもおかしい。変である。けったいである。面妖である。なんとも理解しがたいことである。それにだいたいが名張市議会の先生がたも、細川邸整備に関係する地域住民の意を受けて名張市にツッコミを入れるのはいいけれど、それよりも先にまず、市議会の承認というものをなんと心得ておるのかと、細川邸を歴史資料館として整備することに対する市議会の承認をてめーら町人風情があっさりひっくり返せるとでも思うておるのかと、地域住民をかつーんと叱り飛ばしてやることが必要なのではないか。むろん、地域住民といえば言葉をかえれば選挙民なのであるから、とてもそんなことは不可能なのであろうけれども、もうちょい原理原則というものを重んじてはいただけないものかしら。はあちょいなちょいな。
とはいえ、市議会のことはともかくとして、結局どこが悪かったのかといえば、それはもうまぎれもなく名張市なのである。細川邸の整備事業がここまで無残な失敗に終わった責任は、いうまでもなく名張市にあるのである。もしかしたら、うまくゆけば、細川邸整備は名張市版NPMの試みとしてそれなりの声価を得られた事業であったかもしれないのだが、最初の第一歩から大きく決定的にまちがっていたために、声価どころか大失態を招く結果に終わってしまった。あとに残るのはNPMの悪しき側面、すなわち行政の断片化しかないであろう。それがいよいよ加速することであろう。名張市にとっては悔やんでも悔やみきれぬところなのかもしれないが、もう取り返しはつかない。あとの祭りである。残念なことである。もったいないことである。さのよいよい。
□しかし、だからといって「小さい政府」でよいのでしょうか。もともと市場活動は、人びとのあいだに所得をはじめとしたさまざまな格差を生みだします。また、国内ばかりか国際的にも、すべての地域が同じ水準で発展することはなく、不均衡とならざるをえません。さらに、市場の自由な活動を放任すれば、失業による生活不安はもとより、商品の価格や品質だけではなく、自然環境にも重大なダメージがもたらされます。
□すでに、保守党が政権を担っていた一九九〇年代初頭のイギリスでは、「社会的排除」が大きな政治・社会問題となりました。これは、新自由主義による政策の結果、職を失った人びとが新しくスキル(技能)を身につけて、人生の可能性を追求しようにも、そのための資金がなく、ますます社会の底辺に押しやられてしまうという意味です。こうした状況は、まさにこの日本でも深まっているといってよいでしょう。 □いま、私たちに問われているのは、政府の大規模化を批判する新自由主義に追随することではありません。市民の生活の安定や環境の保全のために、市場の活動を一定の公的なルールのもとにおくことです。また、それに向けて新しい行政の制度やしくみを追求していくことなのです。 |
すなわち、NPMの見直しがわが国においてもひとつの主張として定着しつつあるということなのだが、名張市版NPM、といっても『新版 行政ってなんだろう』でおもに説かれている福祉には直接関係はないのだが、やはり名張市におけるニューパブリックマネジメントの試みという意義をもっていたかもしれない細川邸の整備事業は、誰の眼にも明らかなとおり決定的な失敗に終わった。
名張市議会で細川邸が議論されるようになったのは、名張まちなか再生プランが発表され、名張まちなか再生委員会が発足した平成17・2005年以降のことである。しかし、失敗はその前年にはじまっていたというのが正しい。平成16・2004年に名張地区既成市街地再生計画策定委員会が組織され、プランの策定がスタートした時点で、細川邸整備事業の破綻は約束されていたのである。多言は要すまい。プランに記されていたのが、細川邸を歴史資料館として整備するなどという噴飯ものの構想であったことを指摘しておけば、それでいい。
平成16・2004年というのは、伊賀地域を舞台にした三重県の官民合同事業「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が、六か月というロングランでくりひろげられた年でもあった。だからこの年は、なんといえばいいのか、地域社会のたがというものが派手にはずれてしまった年だという印象がある。協働だの新しい時代の公だのというお題目が、地域社会に当然存在しているべき規範をすべて踏みにじってしまった観がある。しかも始末の悪いことに、たががはずれっぱなしで現在にいたっている。
名張市があの伊賀の蔵びらき事業の失敗から深く学んでいさえすれば、細川邸の整備事業はこれほど惨憺たる結果には終わらなかったのではないか。ところが、名張市は何ひとつ学ぼうとしなかった。それどころか、事業が失敗であったと冷静に認識することすらできていなかったのではないか。
もっとも、当の三重県だって、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」が失敗だったとは認めていない。三重県公式サイトに、こんな資料が掲載されている。
三重県公式サイト:定期監査結果に基づいて講じた措置について(個表)(pdf)
伊賀の蔵びらき事業の翌年、平成17・2005年のものである。なかに、伊賀の蔵びらき事業の「成果の活用」にかんする項があって、歯の浮くようなきれいごとが記されている。
引用。
部局等名 生活部
監査の結果 1 事務事業の執行に関する意見 (「生誕360年 芭蕉さんがゆく」事業成果の活用) (6)「生誕360年 芭蕉さんがゆく」事業は、協働による新しい時代の人づくり、地域づくりや伊賀ブランド化を図るため、実行委員会「2004年伊賀びと委員会」を中心に、計画段階から住民が参画し、住民、市町村との協働により、事業を展開した。その結果、地域のネットワークづくりなどが進められ、事業ごとに評価もなされているが、今後、この事業の成果を行政と住民との協働のためのしくみづくり、地域づくりに活かされたい。 (人権・男女共同参画・文化分野)
講じた措置 平成17年度 1 実施した取組内容 □本事業で培った行政と住民との協働の取組の成果を学ぶために平成17年7 月「2004伊賀びと委員会」の委員を講師に、政策開発研究センターの職員研修「政策研究講座」を行いました。 □また、伊賀県民局においては、生活創造圏ビジョン推進事業や生活創造圏活性化事業、伊賀らしい風情形成事業等での支援事業及び助成事業等により地元自治体、地域の様々な団体や住民が主体となった活動を支援しました。 2 取組の成果 □「芭蕉さんがゆく」事業を通じて培われた成果としてのネットワークやノウハウを活かして、 ○芭蕉さん事業でのネットワークによる「紅花ネットワーク」 ○住民が中心となった「手づくり行灯(あんどん)」 ○生活創造圏事業としての「イガデハク(伊賀で博覧会)」 ○市の支援による「乱歩蔵びらきの会」、「からくりのまち名張」など地域資源を活かしたさまざまな事業が展開されています。 □また、協働に向けて課題や解決方策をまとめた「伊賀発協働問題解説集」、「伊賀発協働辞典」を色々な研修会で活用し、高い評価を得ました。 平成18年度以降(取組予定等) □地域づくりの基本は、地域の方々が、自然、歴史、文化などの地域資源を自覚し、自らが気づき、主体となって活かしていくことが重要であり、とりわけ地域住民と身近な市町の支援が期待されますが、「新しい時代の公」の考え方のもと、地域が主体となった地域づくりにおいて、県としても必要となる役割を果たしていきます。 |
定期監査といっても身内意識に裏打ちされた適当なものである。きれいごとを並べるのはお役所の鉄則でもある。しかし適当なきれいごとでうわっつらをいくら飾り立ててみたところで、事業の翌年の「取組」とやらがこの程度のことなのである。笑止千万。三億円もの税金を投じ、その成果が「行政と住民との協働のためのしくみづくり、地域づくりに」活用されるべき事業の成果が、紅花がどうの行灯がこうのといった程度のことなのである。イガデハクなんてのは、たしか伊賀の蔵びらき事業の前年から定期開催されていたイベントではないか。そんな催事まで数に入れなければならぬほど、つまりは事業の成果と呼ぶべきものが見当たらなかったということなのである。
そんなことはまあいい。ばかなのは名張市である。「市の支援による『乱歩蔵びらきの会』、『からくりのまち名張』など地域資源を活かしたさまざまな事業が展開されています」とある。完全な失敗に終わった伊賀の蔵びらき事業をひきずってどうする。ひきずってどうなった。乱歩蔵びらきの会はいま何をしておるのか。からくりのまち名張はいまどうなっておるのか。伊賀の蔵びらき事業でご活躍いただいたみなさん、すなわち「自然、歴史、文化などの地域資源を自覚し、自らが気づき、主体となって活かしていく」べき「地域の方々」は、いまいったい何をやっておるのかというのだ。
いま現在のことはともかく、少なくとも平成17・2005年の時点では、名張まちなか再生委員会の歴史整備プロジェクトに名を連ねてくださってはおった。結成総会の資料によれば、歴史整備プロジェクトの構成は、名張商工会議所、名張地区まちづくり推進協議会、からくりのまち名張実行委員会、名張市観光協会、乱歩蔵びらきの会、名張市企画財政政策室、名張市文化振興室、名張市都市計画室といったところなのである。かくのごとく名張市が、「生誕三六〇年芭蕉さんがゆく秘蔵のくに伊賀の蔵びらき」の失敗から何も学ぼうとせず、あろうことかあるまいことか失敗をそのまま引き継いでしまったという点にも、細川邸整備事業がぶざまに失敗した一因が求められよう。
さてそれで「市議会の細川邸」なのであるけれど、とくにいうべきこともない。先日も記したとおり、昨年の定例会では複数の議員が細川邸整備運営の公設民営方式をめぐる質問をおこなったのだが、原理原則からいうならば、こんな指摘は名張まちなか再生プランの素案が提示されたときになされていてしかるべきものである。いまごろなーにいってんだ、とか、てめーらどこに眼をつけてやがったんだよ、とか、市民からそんなツッコミを入れられたら返答ができんのではないかいな。
返答ができんといえば、細川邸にかんして市民から市議会に、てめーらあんな施設の整備費をどうして承認したんだよ、というツッコミが入る可能性もないではない。無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館をおよそ一億円かけてつくりまーす、と名張市が提案したとき、そんなもんつくってんじゃねーぞこのばかたれ、となぜいえなんだのじゃ助さんや、そうではないか格さんや、ということなのであるけれど、このツッコミに対しても、われらが名張市議会はなんの返答もできんのではないかいな。
ただし、このあたりのことはどうもよくわからない。市議会が細川邸整備の予算にOKを出したことはたしかなのであるが、そのOKはいったい何に対してのものであったのか。いつ出されたものであったのか。少なくとも名張まちなか再生プランの段階では、細川邸は歴史資料館として整備されることになっていた。市議会はそのプランにOKを出した。ところが、名張まちなか再生委員会はそのプランをくつがえし、初瀬街道なんたら館として整備することに決めてしまった。その決定には、市議会の承認も市民の合意もまったくかかわりがないのである。
それがいつのまにか、細川邸をやなせ宿という名の無駄に立派な公衆便所つきの名張地区第二公民館として整備することが、市議会の承認を得た事業として進められているのである。どうもおかしい。変である。けったいである。面妖である。なんとも理解しがたいことである。それにだいたいが名張市議会の先生がたも、細川邸整備に関係する地域住民の意を受けて名張市にツッコミを入れるのはいいけれど、それよりも先にまず、市議会の承認というものをなんと心得ておるのかと、細川邸を歴史資料館として整備することに対する市議会の承認をてめーら町人風情があっさりひっくり返せるとでも思うておるのかと、地域住民をかつーんと叱り飛ばしてやることが必要なのではないか。むろん、地域住民といえば言葉をかえれば選挙民なのであるから、とてもそんなことは不可能なのであろうけれども、もうちょい原理原則というものを重んじてはいただけないものかしら。はあちょいなちょいな。
とはいえ、市議会のことはともかくとして、結局どこが悪かったのかといえば、それはもうまぎれもなく名張市なのである。細川邸の整備事業がここまで無残な失敗に終わった責任は、いうまでもなく名張市にあるのである。もしかしたら、うまくゆけば、細川邸整備は名張市版NPMの試みとしてそれなりの声価を得られた事業であったかもしれないのだが、最初の第一歩から大きく決定的にまちがっていたために、声価どころか大失態を招く結果に終わってしまった。あとに残るのはNPMの悪しき側面、すなわち行政の断片化しかないであろう。それがいよいよ加速することであろう。名張市にとっては悔やんでも悔やみきれぬところなのかもしれないが、もう取り返しはつかない。あとの祭りである。残念なことである。もったいないことである。さのよいよい。
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