忍者ブログ
三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
[327] [326] [325] [324] [323] [322] [321] [320] [319] [318] [317]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

おとといのつづきである。1900年代が終わり、きょうから2000年代。

1900年代最後の年、つまり平成11・1999年に、ウェブサイト名張人外境を開設した。名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』と2『江戸川乱歩執筆年譜』が出そろい、いっぽうでインターネットが普及してきたことでもあるから、ここはひとつ両書のデータをネット上に、と教育委員会に提案してあっさり蹴られたので、ばかがしれっと蹴りやがったので、それなら自分でやるしかないなと思ったのが開設のきっかけである。

すでに前世紀の話題である。当時のことは仔細には思い出せぬ気もする。そのころ書いた漫才をお読みいただくのがいいかもしれない。

まず、平成11・1999年3月発表。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第八回 ノストラダムス解読

つづいて、同年6月。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第九回 君たち気は確かか

同年9月。

名張人外境:乱歩文献打明け話 第十回 中島河太郎先生追悼

それで同年10月、名張人外境の開設となる。

それでは、なんとも不毛な作業ではあるが、先をつづけることにする。

名張市公式サイト:名張市議会会議録

いちいちコメントを付すことはせず、不毛な質疑を引用するだけにとどめる。

平成12・2000年第289回(3月)定例会。

   
P.179 ◆ 議員(中川敬三君)

今、江戸川乱歩の生誕の旧跡がございますが、あれは今回の予算の、平成12年度の予算の中で、これは、教育費は款の9ですか、それの社会教育費の中の文化振興費に入ってると思いますが、その中に江戸川乱歩にかかわる遺産あるいは旧跡の管理とかその辺の費用がどういう見方をされてるのか、お聞かせ願いたいと思います。

   
P.181 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

それから、2点目の江戸川乱歩資料の関係でございますけども、予算に絡みましてでございますので、図書館費の中に備品購入費っていうのがあるわけでございますが、その中はもちろん大半が新刊書の購入ではございますけども、その中に郷土資料並びに乱歩資料の購入と、費用も含まれておりまして、それによりましてあの乱歩コーナーに一応整えてます資料を、今日まで歴代の館長さん初め職員の方々がいろんな情報をもとにそろえていただいたやつでございますので、12年度予算につきましても一応そういう形の中で見さしていただいておりまして、またいい資料がありましたらあの乱歩コーナーを充実さしていただきたいと、このように考えておりますので、その辺でご理解を賜りたいと思います。

   
P.181 ◆ 議員(中川敬三君)

それから、先ほど申し上げた江戸川乱歩の件なんですが、そういうことで、名張市としましてもそれにかかわる予算というものがこの中に、予算の中に含まれてるということでございますが、今般東京の豊島区の方で記念館ができるということで、名張市でも前からそういった記念館云々の話が私たしかあったような気がするんですが、その辺ひとつ、どういうふうな今、実際豊島区の方にできましたが、どういうふうに総括されているのか、ちょっと教育委員会の方の考え方をひとつお聞かせ願いたいと思います。

   
P.181 ◎ 教育委員長(辻敬治君)

◎教育委員長(辻敬治君) 資料を持っておりませんので詳しいことはまた後で申し上げるといたしまして、江戸川乱歩の顕彰ということで市民の皆様方からご指示をいただいておりまして、過去もう20年近く前から乱歩の記念館をつくりたいんだということが市民の中でも定着しておりまして、また現在移転されました現在の図書館に移りますときも、乱歩の資料、実はこれ、乱歩さんがご生存中に、名張はふるさとだから、私が死んだらすべてを上げますよということをちらっと漏らされたことがあったようです。私は聞いてませんのでその辺はわからないんですが、そういうふうなことから、入れ物をつくったらいただけるんだというふうな感じが推進の委員会あたりであったようでございます。それで、そういうことで多くの方が記念館の建設を促進する会を結成されまして、ご努力いただいたんです。
しかし、その後、亡くなりましてから、私もその件につきましては、ちょうど郷土資料室の嘱託等をやっていた時期でございましたので、館長ともども平井隆太郎さん、息子さんが隆太郎さんと申しますので、その話を持って、たしか川崎現代議士と同席いただいてお願いにも上がったことがございます。その当時はまだ平井隆太郎さんの奥さんがお見えでして、いろんな協議をさしていただいた。しかし、名張さんに全部渡すという約束はいただけなかったんです。これまた、あの方は方々でそれをおっしゃってきたようです、乱歩さんが。例えば、推理作家協会とか、またほかのところでも申してこられたようでございまして、そういうなことから名張さんにすべてということはできないだろうというような話もあったんです。それで、できることなら私とこに少しでも多くというふうな話から、これ申し上げていいかどうかと思いますけど、2そろえあるうち1つはくださいというふうな奥さんとの話が出まして、相当詰めてきたんですけれども、奥さんが亡くなられて、隆太郎さんの方は、現在見ていただいたらわかりますような乱歩記念コーナー程度のお貸しをいただいて現在に至ってると。
ただ、豊島区がいろんな構想されたのは最近でございまして、私どもはそういうなことで長い間の話であるということから、後でまた次長の方から説明あると思うんですが、豊島区に対してはいろんな話を、豊島区に名張の資料室をつくるっていうわけにも、ちょっと無理な話でもあると思いますし、その辺問題は整理はしなきゃならんのですが、いずれにいたしましても豊島区との話を進めて、できる限りの私どもの研究機関として利用さしていただけるような体制を、まずとるということも。まだ豊島区に渡されるということも決定はしてないようです、その辺のとこ、またお話あると思いますけれども、過去の経過はそういうことで、すべてを名張市にという乱歩さんのお話はあったんですが、しかしそれは実現はしなかったと。

   
P.182 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

◎教育次長(岡山佳男君) 豊島区における乱歩の記念館構想のことで、委員長、今お答えいただいたわけでございますが、私ども、ことしの2月10日前後に、そのような形で若干豊島区が乱歩さんの住んでおった建物と、それからその資料を乱歩記念館にするというような計画の中で、乱歩さんのいわゆる長男であります平井さんですね、平井先生が、その資料を豊島区への寄贈意思を明らかにしたということで、これ2月10日前後でございますが、そういうことのニュースを聞きましたもんですので、2月16日の時点で私どもの方から豊島区へ聞かしていただいたら、一応そういうようなお話だということでございます。ただし、先ほど委員長申しましたように、正式な調印等はまだしていないということでございます。そして、今後の希望といたしましては、12 年度から公開展示に向けての資料整備、あるいはその建物の整備等をどのようにしていくかというようなことを調査を進めたいというようなことのようでございます。そして、土地についてはまだはっきり今のところ、買収するのか、あるいは借地にするのか決まっていないようでございます。そして、若干、乱歩さんのお孫さんが現在一緒に住んでおられますので、その方が今後とも住むということの中で、その辺の住居部分と博物館の関係をどうするかというような今後のそういう課題もあるようでございます。
それで、今後のことは若干、これから調査することによってわかってくる部分がございまして、まだはっきりしてるわけではございません。しかし、一応基本的には乱歩さんの子息の長男の方、平井先生が一応その資料等を豊島区に寄附の意思をもう明らかにしたということでございますので、豊島区長さんの懸案事項ではございますので、そういう形では進むんではないかと、このように思うわけでございます。

   
P.183 ◆ 議員(中川敬三君)

それで、この江戸川乱歩の件につきましては広報か何かで一度詳しく、そら生誕の地が名張だからって、すべて名張の思うようにいかんだろうっていうのは、これはこの問題だけじゃなくて世の常でありますから、もちろん豊島区にしたって、そういうものが一つのねらい目であったのかもわかりませんし。だから、今ここへ来て名張市が積極的だったとか、積極的でなかったとか、そういう過去を議論してもしようがないわけであります。ですから、その辺云々ということじゃなくて、やっぱりこういう事実、名張の一つの旧跡と遺産というものを市民の皆さんにきちんと、なぜそうなったかということが理解できるように、そういうことをきちんとしていかないと、結果的には市民の皆さんが、これは市が積極的に取り組んでないからこういうことになるんだという単純な、そういう誤解か理解になっていくと思いますので、ぜひそういうのは広報できちんと事実関係を市民の皆さんに教えてあげていただきたいと思います。
それからもう一点は、これお願いでございますけれども、この豊島区に仮に行ったからというてオール・オア・ナッシングという考え方ではなくて、当然向こうは史籍者としてお住み、活躍した場所ですし、名張は生まれて、生誕したという、それぞれの特徴、何ていいますかね、それぞれの立場のある旧跡でございますので、ぜひ例えば江戸川乱歩生誕の館でもいいわけですね、向こうが記念館だったら、そういうものをやって、やっぱり名張の残した遺産っていうものもその中で展示したり、かかわってくる。そしてまた、あるときは豊島区の方からお借りして、名張でもっとそういう展示会をするとか、いろんなやっていき方があると思いますので、先ほど申し上げたオール・オア・ナッシングでなくて、それぞれの持ち味を生かした、そういうあれをぜひやってって、市内あるいは県内、県外の方たちも、豊島区のものも見に行くけどやっぱり生誕の地も見ておこうというようになるようにぜひやっていただきたいとお願い申し上げまして、質問を終わらせていただきます。

   
P.199 ◆ 議員(田郷誠之助君)

◆議員(田郷誠之助君) けさ、一番に質問で取り上げられました江戸川乱歩記念館並びにまた図書館の図書購入費、こういった点でご質問をさせていただきたい、このように思います。
最近の、これ東京の新聞、これも2月10日と11日にかけて東京新聞、それから産経、毎日、朝日、それぞれの東京版の各紙を拝見、私したんでございますが、そこで江戸川乱歩記念館を取り上げておりました。それを受けた形で先般も、これ3月に入ってから名張でも伊和新聞が3月4日に取り上げております。
もちろん、これ名張の問題でございますし、名張では早くから、これは昭和44年、1969年に、もう今から31年前でございますが、新名張という新聞でもこれは恐らく乱歩記念館の最初の取り組みの経過ということで、7月11日に報道されております。
これは江戸川乱歩の記念館の建設推進ということで、今の川崎代議士でなしに、川崎秀二代議士のときに記念館の建設推進ということで、国立国会図書館で何か懇談会が開かれたと。当時の富永乱歩記念会館建設の会の会長さんが上京されて、そうして乱歩の遺族、また推理作家協会、東京在中の名張人会、そういった人たちで構成される懇談会ですか、そこで次のようなことが申し合わされたということになっております。
記念館は、名張市立の図書館の附属施設にしようというようなこと、そういう意味で図書館の中に置くと。それから、着工は昭和46年、年末までに完成しようと。こういうことで、この当時は北田市長でございましたかね、市長も大いに賛成をされたと。市議会とも相談をして、市としての協力体制を固めようと、こういうように当時の市長も明言をされていたと。結果はご存じのように、この構想は実現はしなかったわけでございますけれども、時移り、人も変わり、28年後、今の富永市長のときになりまして、というのは3年前です。平成9年、新年の年頭会見というのがあったんですね。新聞報道によりますと、新春の夢のある話ということで、乱歩記念館建設を10年計画で実現したい、このようにこの富永英輔市長が語っておられて、新聞でも報道をされております。今のコーナーとは違って、記念館ということですね。
ところで、その後一向に実現の兆しが市民の目には見えてこない。そこへ先ほども質問がございましたように、東京の豊島区でこの問題が出てまいっております。東京の豊島区では、区長が選挙公約ということで乱歩記念館を取り上げておられる。当選後に、これはもう最近ですね、公約を実現すると言明をされて先ほど来の話題になっておるわけでございます。加えて、東京では乱歩のご遺族から乱歩の遺産を豊島区に寄贈すると報道されています。
先ほどの教育委員長からも、また次長からも、るる経過説明もありましたし、大体わかったんですけれども、大切なのは名張側の姿勢です。あれだけ市長が公言をしてこられた問題であります。乱歩記念館建設構想、名張における、これについて市長の、富永名張市長のご意見を私はお伺いしたい。
これ、ちょっと後々時間がかかりますので、このまま、ひとまず乱歩記念館構想については第1回目はこのぐらいにしておきます。

   
P.201 ◎ 市長(富永英輔君)

◎市長(富永英輔君) 午前中の田郷議員のいわゆる乱歩記念館についてのご質問であります。
先ほどお話もございましたように、私どもといたしましては、江戸川乱歩の生誕の地であると、このことを一つのまちづくりの素材として生かしながら、市民との共有財産として、まさにそのことを生かしたまちづくりをしようと、こんなふうに提案をし、提言をしてきているところでありまして、その中にいろんな取り組みを今日までもさしていただいてまいりました。いわゆる、ミステリーフォーラムっていうのが中心でありますけれども、乱歩さんのその生誕の地にふさわしいようなミステリーというのをまちづくりの中に取り入れながら、市民の皆さん方にそういう形をとらしていただいたり、あるいはシンポジウム、勉強会等を開いていただいたり、いろんな形で生誕の地にふさわしいさまざまな事業や、また市民の皆さん方の活動を展開をしてきているというのが今日の状況であります。
それからもう一つは、伊賀地方の拠点都市地域の整備計画のコンセプトの中に、そうしたミステリー館の建設問題というのも一つのテーマに上げさしていただいておると。したがって、そういうことから含めて、私どもとしてはいわゆる乱歩生誕の地にふさわしい一つの施設をつくり上げていこうというのが、先ほどおっしゃっていただいた私の新年の記者会見のときでございましょうか、ちょっと語らしていただいた中身であります。
それも、もう一つの問題は、この日本の推理作家協会の皆さん方にこれまでずっと我々お世話になってきているわけですが、別にそういう作家ではないんですが、そうしたミステリーの愛好者の皆さん方のこう一定の日本にも集団がありまして、その方々ができれば乱歩記念館をというような、そういうミステリー記念館ていうんでしょうか、そういうのを東西に1館ずつ設けてはどうだろうかと、こういう構想を打ち出されまして、そのときに1つは東は新宿か池袋か何か、そんなあたりで1つつくろう、もう一つ西の拠点は名張にしようと、このことがたまたまそういうことを語られたというのもちょうどそのときでありましたので、そういうことで受けているわけであります。
そこで、今回のこの東京の豊島区の問題は、ちょうど西新宿という、立教大学のちょうど裏手ぐらいでしょうか、乱歩さんがずっとお住まいになってるところ、したがってそこでは戦時中は隣組の組長さんもされておって、回覧板なんかも保管されたりしてあるわけでありますけれども、そこでちょうど写真なんかで絶えず出てきますのが蔵ですね、書斎兼書庫になってる蔵があるんですけれども、そういうのも含めてかなり木造の古いお宅でありますけれども、それをこの立教大学の敷地とそれこそ一体的なところにございますので、できればそれをそのまま平井隆太郎先生にしても、乱歩さんの息子さんでありますけれども、隆太郎先生にしても、できればもうそれ一つ子で分散することなく保存していきたいなというご希望がどうもおありのようでございまして、そのこととちょうど場所も立教大学のちょうどそういう敷地に接してるところでもございますし、そしてずっと長い間そこにある施設でございますから、そのまま豊島区が引き継いだらどうだろうかというのが今日の状況のようであります。したがって、我々はその蔵そのものを本当はいただくと、一番そらありがたいわけでありますけれども、そういう状況でありますから、今も申し上げたように乱歩生誕の地にふさわしい、それをまちづくりの中の一つのポイントにしていこうという趣旨でございますから、したがってそういう点ではこのことと、豊島区の施設と我々の施設は必ずしも一致をして取り合いしなきゃならん、そういう品物じゃあないと私は思っているわけであります。したがって、それぞれ特徴ある施設がお互いに連携し合うということも一つであろうと思いますので、必ずしもそういうことじゃないだろうと、こんなふうに思っております。状況からして、乱歩先生のご遺族が今長いこと住みなれた場所をそのまま保存したいというお気持ち、それを当該の区が受けたという形、このことについては必然性があるんかなと、こう思っております。

   
P.202 ◆ 議員(田郷誠之助君)

◆議員(田郷誠之助君) 江戸川乱歩の記念館の問題につきまして、今市長の方からご説明をお聞きいたしました。
東京の豊島区のどうも考え方としては、今の市長のご答弁から、これ私が推測するような発言になるかもしれませんけれども、もう全部乱歩関係の資料は統合をすると。そして、名張でのそういったミステリーフォーラムとか、そういうようなこともなさいましたけれども、そういった形で江戸川乱歩にゆかりのある土地だということだけで、何らかの遺品とか、そういったものはこれはもう東京で統合的に管理をしてもらって、こちらは生誕の地だということを訴えるだけの施設をつくられるように私は受けとめたんですけれども、その辺がどういうことなんだろうかなと。
恐らく、今は乱歩の遺族から遺品を借りて展示されておるんだろうと思います。ということになりますと、やはりそういったものは一元的に管理するのが最もいいんだろうということも考えますし、ただ、まちづくりの素材としてと。市民との共有財産ではあっても生誕の地だということだけをと。そうすると建物も生誕の地といってももう建物は残ってるわけでもありませんし、名張の場合には碑が立っているだけである。だから、その建物は過去の遺産ということでなしに、ただ今後の催しをするための施設をつくるだけのような感じに私は理解をしたんですが、ということは表現からいたしますと、東京の方とは違った方式でとか、または取り合いはしないというようなご表現の中からはそういうお考えなんだろうかと。私の場合ははっきり言って、何も少しずつでも遺品を取り合いするようなことでなしに、東京でいっそのこと一元管理をされる方が、僕はすっと、すかっとしていいんではないかなという気持ちもあったもんですから、私はそういう受けとめ方もしましたし、私の意見としては、やはりその方がかえって江戸川乱歩遺族、ならびに関係者、またさらには推理作家協会とか、そういった方々にとっても管理しよいし、いいんではないかなと、これは私の意見でございます。
その辺、今私が言ったようなことをお考えなんかどうかを改めて確認をしておきたいと思います。
そして、もうこんなことを今さら申し上げるまでもないわけですけれども、やはり現物を抱え込んでおられる豊島区の方が力関係としては強いんですから、だからもう公約としては名張市の方が豊島区の区長よりも先に公約したんだということだけで、それがお墨つきになるわけでは絶対ないわけですから、この辺のところは遺族とも十分話し合いをされる方がいいんではないかなあと、このように考えるわけです。
それともう一つ、念のためにお聞きしておきますが、3年前でしたかの新年のご発言の裏づけというものが実際あったのかどうかと、その時点で何らかの裏づけが江戸川乱歩のご遺族との間でその時点ではあったのかどうかと、その辺のところ念のために確認しておきたいと。
乱歩については以上。

   
P.203 ◎ 市長(富永英輔君)

◎市長(富永英輔君) 先ほどもお答えさしていただいたように、要するに江戸川乱歩さんの生誕の地であると、このことをまちづくりの中で生かしていこうと、こういう考えでございます。ですから、立教大学があって、ほぼその敷地と思われるような、そういう位置に乱歩さんがお住まいになってたのがそのままあるわけです。そして、そこに平井先生ご一家もお住まいをいただいていると。そういう状況でございますから、やはり老朽化しているし、平井先生としてはそれをそのまま残していきたいと、しかもそういう一等地でもございますし、それだけの施設でありますから、やっぱり相続税問題もありますし、そのままそのものをその地で公共のものとして引き継いでもらうというのがご遺族としても一番望まれてることじゃないかと。したがって、今も申し上げたように、そういう点では田郷議員のおっしゃることと同じような格好になろうかと思いますけれども、そのものを取り合いするという話ではない。むしろ、特徴のある乱歩さんの生誕の地にふさわしい一つのコンセプトを持った特徴のあるそうした文化施設づくりということが大事じゃないかと、こう思っております。

平成12・2000年第291回(9月)定例会。

   
P.94 ◎ 教育次長(岡山佳男君)

それから、蔵書の購入予算についてでございますが、貴重な市民の共有財産である図書でございます。現在備品購入費で賄う新刊書あるいは乱歩関係を含みます郷土資料、あるいは視聴覚資料等をこの備品購入費で購入しているわけでございます。そのほかに消耗品費で賄っております新聞とか雑誌、いわゆる逐次刊行物でございますが、そういうものがありまして、今後も多様化、高度化する利用者の皆さんにおこたえすべく選書に努めまして、財政の許す限りにおきましてより多くの資料を購入できるよう努力してまいりたいと、このように考えておりますので、よろしくご理解を賜りたいと思います。

   
P.144 ◆ 議員(加藤富栄君)

それから、最後の一つですが、33ページの移動美術館作品警備委託料というふうなことで8万4,000円出ているわけです。この移動美術館に関しまして、これは多分図書館の2階でやられるんだろうと思いますけれども、この点でですね、ちょっと総合計画の中に、実は私、第2回、第3回の文化振興審議会の委員も務めさせていただいたわけですが、先般第3回の折の答申も読み返してみました。随分とやはりこの答申の内容を生かしてきていただいているなという部分も感じております。能のにあう「まちの顔」づくりもそうでありますし、この中での美旗に設けられております能舞台に、橋懸りや舞台裏の楽屋も増設していこうというふうな方向も見えてきておるようでございますし、夏見廃寺跡や、美旗古墳群とか、その他乱歩、黒田庄等々のそういう歴史的な文化も未来につなげていこうというふうな、舞台づくりもしていこうというふうなことで、非常に結構なことだなというふうに思っているわけでございますけれども、市民ギャラリーですね、この市民ギャラリーについては全く、どうお考えになってくださってるのかについて見えてこない。これは教育委員会の方にもお尋ねしたいことですが、総合計画基本構想の中にも全くそういった面が見えてこない。あるいは私の読み方がまずいのかもしれないんですが、このおきつもビューパークや黒田庄農業公園や田園歴史ミュージアム構想の中にあるいはそういうものも入れていただいているのかというふうにも思うんですけれども、その古きよき歴史を生かしていくということは、本当に結構なことだと。それは名張にしかないものでございますので、それは結構なことかと思うわけですけれども、やはり10万都市を目指す名張市において、市民の現在あるいは未来にかけてのいろんな市民活動があるわけで、そういう固定的な発表の場、常設の場もない。それから、検証する場もないというふうなことをどうとらえてくださっているのかなというふうに思ってお尋ねする次第でございます。この点についてお考えをお聞かせ願いたいと。古い歴史と新しい文化が調和してこそ質の高い生活文化が創造されるんではなかろうかと思いますので、お尋ねしておきたい。

みごとなまでに不毛である。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:

Copyright NAKA Shosaku 2007-2012