三重県名張市のかつての中心地、旧名張町界隈とその周辺をめぐる雑多なアーカイブ。
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きのうのつづき。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
平成9・1997年第275回(3月)定例会である。例によって教育委員会による新年度教育行政の方針と施策から。
おなじく平成9・1997年、今度は第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
市町村合併で伊賀市を発足させる、という構想にかんする質問への答弁であったらしい。
おなじく第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
いやびっくりした。自分の名前が出てくるとは知らなんだ。しかし平成9・1997年といえば、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』が世に出た年だから、これは乱歩生誕地の市長としておおいに誇っていいことであった。乱歩なんたら館をつくりますなどと大風呂敷をひろげるのではなく、市立図書館が開館以来の年月をかけて収集してきた資料にもとづき、名張市の身のたけ身のほどというものをよくわきまえつつ手がけた乱歩関連事業として、ひろく天下に誇ってもいいものだったのである。
いや、いやいや、大風呂敷もひろげてはおった。この年、平成9・1997年の年頭におこなわれた記者会見では、乱歩記念館の建設が派手にぶちあげられていた。新聞記事の切り抜きが残っていたはずだが、と思って探してみると、平成17・2005年8月8日、名張市役所の市議会特別委員会室で開催された「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」で資料として使用したスキャン画像が出てきた。記事をまるごと紙面そのままに転載してしまうのはいろんな権利関係で問題のある行為なのだが、確信犯として断行する。平成9・1997年1月11日付中日新聞伊賀版の記事である。
しかしまあ、いくら大風呂敷をひろげたって無理なものは無理なのである。うえに引いた9月定例会の答弁では乱歩記念館のらの字も言及されていないのだから、年頭の記者会見から半年あまりで、この構想はあっさりぽしゃってしまっていたということであろう。だが、たしかに平成9・1997年の時点で、当時の名張市長によって、乱歩記念館の構想がいったんは明らかにされたのである。かりにふたたび同様の構想が検討されることになった場合には、このときの構想がどの程度実施に移され、なにゆえ頓挫したのか、そのあたりを確認しておくのは重要なことである。
なあ名張市役所のみなさんや。みなさんがどこかでおはなしするとき頻用される慣用的表現に、過去の経緯を踏まえながら、とか、こうした流れのなかにおいて、とか、そういうやつがあるではないか。いかにも地頭のわるそうな表現ではあるのだが、過去に学ぶのはやはりたいせつなことである。ところがみなさん、実際には経緯も流れも関係ないではないか。早い話、名張まちなか再生プランがらみの乱歩なんとか館構想だって、過去にどんなプランがあり蹉跌があったか、そんなこといっさい関係なしに話が進んでいたではないか。
いや、まあいいか。過去の経緯やこれまでの流れどころか、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもない連中がぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、何もわからんくせしてぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒いでいただけの話であったのだからな。えーいッ。やかましいわッ。
おまえのほうがよっぽどやかましいではないか、とお思いの向きもあろうが、かまわず進める。ついでだから、新聞記事をもう一本。おなじく平成9・1997年の6月8日付毎日新聞読書面の記事である。
なにしろ読書面である。全国の毎日新聞に掲載されたわけである。乱歩なんとか館がどうとかこうとか、ばかが集まって乱歩を売名に利用するべく愚にもつかぬこと騒いでるひまがあったら、ちっとは地に足をつけろということだ。自分たちに何ができるかを考えて、やるべきことをちゃんとやれということだ。たんなる売名として考えたって、収集資料にもとづいて乱歩の目録を発行するというただそれだけの、あたりまえすぎるほどあたりまえのことをやっていれば、たとえば毎日新聞がそれをとりあげて全国に紹介してくれることもあるのである。あるのであるといったって、理解できぬか不憫なことに。
どうも長々しくなっていけない。つぎの年に行く。
平成10・1998年第281回(6月)定例会。名張市の答弁。
名張市の公式サイトが開設された年である。で、「観阿弥、江戸川乱歩、夏見廃寺、藤堂家邸といったような、どちらかというと名張の文化遺産等の発信を対外的にしていく」とのことである。いうまでもなく、ここに列記されたなかで突出した素材が乱歩である。しかも、市立図書館が『乱歩文献データブック』というリファレンスブックを刊行したあとである。ならば名張市が、その内容にもとづいてインターネットを利用したサービスをはじめても、けっしておかしくはないのである。おかしくないどころか、ごくあたりまえの話ある。流れとしては当然そうなるべき話である。
ところが、そうはならなんだのである。名張市教育委員会が話を蹴りやがったのである。何もわからず、知ろうとせず、ただの無駄飯食いというしかない名張市教育委員会のぼんくらどもが、あっさり蹴ってくれたのである。いまから思えば、たぶん当時の市長に直訴しておれば、話はすんなり通っていたはずである。そのあたりのことは、市長としてきっちり見極めのできるかたではいらっしゃった。それをまあ、しかたのないことであるとはいえ、お役所のヒエラルキーのなかで教育委員会などに提案したのがよくなかったのである。いまからいったって取り返しなどつかぬことだが、インターネットを活用して乱歩を、あえていうならば売名に利用する道を、名張市はみずから鎖してしまったのである。
しかしそれにしても残念な話である。あーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや。おまえらいっぺん泣かしたろかこら。
名張市公式サイト:名張市議会会議録
平成9・1997年第275回(3月)定例会である。例によって教育委員会による新年度教育行政の方針と施策から。
P.10 ◎ 教育委員長(辻敬治君)
□図書館につきましては、すべてのものをすべての人にという公共図書館の理念に基づいて、市民の多様な要望にこたえられるような資料を収集、整備し、新鮮で話題性に富んだ魅力ある蔵書づくりと、サービスの資質向上に努めてまいります。また、国際化時代に対応した外国人のための情報サービスを図り、さらには乱歩関係資料の充実整備を図るほか、学校や公民館との連携、協力により、地域に密着した親しまれる図書館づくりを進めたいと考えております。 |
おなじく平成9・1997年、今度は第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
P.123 ◎ 市長(富永英輔君)
□それから、これからいろんな、例えば図書館一つをとりましても、この上野の図書館が芭蕉なら芭蕉についての専門性をより全体として高めていく、あるいは名張の図書館が江戸川乱歩や、あるいは能楽に関する文献資料を集めていってそれに特徴を持たしていくと、そのことによって全国からあるいは全世界からその注目を浴びる一つの方向へと進んでいくんではないかと。そしてそういったものを伊賀地区全体で共有していってはいいんではないかと。ですから逆に言うと、他の町村では図書館がございませんから、この上野市や名張市の図書館を伊賀地域全体の皆さん方も活用できるようなネットワークを結んでいこうじゃないかと、こういうことをしながら、お互いに自分たちの持っている個性的なまちづくりをお互いに補完し合いながら協働でやっていこうと、こういうことが実は私どものもくろみであります。 |
市町村合併で伊賀市を発足させる、という構想にかんする質問への答弁であったらしい。
おなじく第278回(9月)定例会。名張市の答弁。
P.38 ◎ 市長(富永英輔君)
□まず第1点目に、文化のまちづくりについてご所見をいただきました。たびたびこの問題について、中島議員は議場でご発言をなさっているわけでございます。まず、冒頭、私どもの、この富永市政における文化行政のあり方についてもご所見をいただきました。中島議員と文化論でいろいろと議論をこの場ですると言いますよりは、もう少し私どもの事業そのもの、あるいは施策の展開そのものについて的確なご判断も一方ではいただきたいと、かように思うところでございます。と申しますのも、私が市長になりましてから、まずみんなで大事にしながらまちづくりのコンセプトを考えていきますときに、何を大事にしていこうかと、当時の言葉で言いますとアイデンティティーという言葉が出てまいっておったわけでありますけれども、名張らしさというものをみんなで大事にしようと、名張の持っている固有の文化を大事にしていこうと、こういうことを訴えながら進めてきたところでございます。そういう中で、舞台芸能の分野で申し上げますと、観阿弥創座の地にふさわしいように能楽の振興を図り、薪能をやり、あるいは能舞台を作成し、観阿弥公園を整備をしながら、一方では市民の皆さん方の能楽を振興していくために、子供たちの謡曲教室でございますとか、あるいは子供たちの子ども狂言でございますとか、そういった数々の、そういった観阿弥創座の地にふさわしい、名張にしかない、こういった文化を継承発展させるべく大きく前進をさせているわけであります。また一方、江戸川乱歩の生誕の地にふさわしいように、ミステリーを一つのまちづくりにしながら、図書館の一角で資料を整えたりをいたしまして、そして先般来この乱歩にかかわる文献等の目録を中 相作君に制作をしていただいたようなところでもございます。あるいは、藤堂家邸の整備でございますとか、あるいは壬申の乱ゆかりの夏見廃寺の整備でございますとか、美旗古墳群の公有地化の問題でございますとか、こうして考えてまいりますと、さまざまな点で大きく名張市の文化行政というのは具体的にも前進をしております。したがって、私の文化行政が最も不十分で消極的だと、この点については、中島議員の一つのめがねを通した一部分についてご所見がおありかと思いますけれども、全体から見ますと、これほど前進しているところはないと、かように考えるわけでございます。 |
いやびっくりした。自分の名前が出てくるとは知らなんだ。しかし平成9・1997年といえば、名張市立図書館の江戸川乱歩リファレンスブック1『乱歩文献データブック』が世に出た年だから、これは乱歩生誕地の市長としておおいに誇っていいことであった。乱歩なんたら館をつくりますなどと大風呂敷をひろげるのではなく、市立図書館が開館以来の年月をかけて収集してきた資料にもとづき、名張市の身のたけ身のほどというものをよくわきまえつつ手がけた乱歩関連事業として、ひろく天下に誇ってもいいものだったのである。
いや、いやいや、大風呂敷もひろげてはおった。この年、平成9・1997年の年頭におこなわれた記者会見では、乱歩記念館の建設が派手にぶちあげられていた。新聞記事の切り抜きが残っていたはずだが、と思って探してみると、平成17・2005年8月8日、名張市役所の市議会特別委員会室で開催された「名張市議会議員の先生方のための乱歩講座」で資料として使用したスキャン画像が出てきた。記事をまるごと紙面そのままに転載してしまうのはいろんな権利関係で問題のある行為なのだが、確信犯として断行する。平成9・1997年1月11日付中日新聞伊賀版の記事である。
しかしまあ、いくら大風呂敷をひろげたって無理なものは無理なのである。うえに引いた9月定例会の答弁では乱歩記念館のらの字も言及されていないのだから、年頭の記者会見から半年あまりで、この構想はあっさりぽしゃってしまっていたということであろう。だが、たしかに平成9・1997年の時点で、当時の名張市長によって、乱歩記念館の構想がいったんは明らかにされたのである。かりにふたたび同様の構想が検討されることになった場合には、このときの構想がどの程度実施に移され、なにゆえ頓挫したのか、そのあたりを確認しておくのは重要なことである。
なあ名張市役所のみなさんや。みなさんがどこかでおはなしするとき頻用される慣用的表現に、過去の経緯を踏まえながら、とか、こうした流れのなかにおいて、とか、そういうやつがあるではないか。いかにも地頭のわるそうな表現ではあるのだが、過去に学ぶのはやはりたいせつなことである。ところがみなさん、実際には経緯も流れも関係ないではないか。早い話、名張まちなか再生プランがらみの乱歩なんとか館構想だって、過去にどんなプランがあり蹉跌があったか、そんなこといっさい関係なしに話が進んでいたではないか。
いや、まあいいか。過去の経緯やこれまでの流れどころか、ろくに乱歩作品を読んだこともなく、乱歩のことを知ろうともせず、もとより乱歩へのリスペクトなどかけらもない連中がぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、何もわからんくせしてぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、ほんとにぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒いでいただけの話であったのだからな。えーいッ。やかましいわッ。
おまえのほうがよっぽどやかましいではないか、とお思いの向きもあろうが、かまわず進める。ついでだから、新聞記事をもう一本。おなじく平成9・1997年の6月8日付毎日新聞読書面の記事である。
なにしろ読書面である。全国の毎日新聞に掲載されたわけである。乱歩なんとか館がどうとかこうとか、ばかが集まって乱歩を売名に利用するべく愚にもつかぬこと騒いでるひまがあったら、ちっとは地に足をつけろということだ。自分たちに何ができるかを考えて、やるべきことをちゃんとやれということだ。たんなる売名として考えたって、収集資料にもとづいて乱歩の目録を発行するというただそれだけの、あたりまえすぎるほどあたりまえのことをやっていれば、たとえば毎日新聞がそれをとりあげて全国に紹介してくれることもあるのである。あるのであるといったって、理解できぬか不憫なことに。
どうも長々しくなっていけない。つぎの年に行く。
平成10・1998年第281回(6月)定例会。名張市の答弁。
P.104 ◎ 市長(富永英輔君)
□それから、インターネットでございますけれども、最近のさまざまな技術革新によってそういった情報機器類が大変高度に発達をし、それぞれネットワークシステムができ上がってきている今日であります。現在、全国の自治体では800程度の市町村がインターネットのホームページを開設をいたしておりますけれども、私どももこの4月よりインターネットのホームページを開設をさしていただきまして、そして内容的には市民ふれあいの館という部分とそれからふるさと館という部分と2つの柱で構成をされておりまして、市民ふれあいの館の方につきましては、名張市の自然や歴史や伝統といったようなもののほかに、ハーモニープラン名張21の概要でございますとか、広報なばり、あるいは広報ビデオ、あるいは戸籍、税、保健福祉、ごみの収集、そのほか公共施設の案内等々暮らしに役立つ情報を、この市民ふれあいの館の方では出しております。それからふるさと館の方は、どちらかと言いますと、観阿弥、江戸川乱歩、夏見廃寺、藤堂家邸といったような、どちらかというと名張の文化遺産等の発信を対外的にしていくということになろうかと思いますけれども、こういうことで、大体情報量としましてはA4判にいたしまして150ページ分ぐらい発信をしているわけであります。今日まで2カ月でありますけれども、4,350件のアクセスがございました。一日平均では 70件というアクセスになります。そのほか、災害面につきましても、避難場所でございますとか、災害時には救援情報、避難所情報、安否情報、交通情報など有効な情報伝達には努めてまいりたいと思っております。 |
名張市の公式サイトが開設された年である。で、「観阿弥、江戸川乱歩、夏見廃寺、藤堂家邸といったような、どちらかというと名張の文化遺産等の発信を対外的にしていく」とのことである。いうまでもなく、ここに列記されたなかで突出した素材が乱歩である。しかも、市立図書館が『乱歩文献データブック』というリファレンスブックを刊行したあとである。ならば名張市が、その内容にもとづいてインターネットを利用したサービスをはじめても、けっしておかしくはないのである。おかしくないどころか、ごくあたりまえの話ある。流れとしては当然そうなるべき話である。
ところが、そうはならなんだのである。名張市教育委員会が話を蹴りやがったのである。何もわからず、知ろうとせず、ただの無駄飯食いというしかない名張市教育委員会のぼんくらどもが、あっさり蹴ってくれたのである。いまから思えば、たぶん当時の市長に直訴しておれば、話はすんなり通っていたはずである。そのあたりのことは、市長としてきっちり見極めのできるかたではいらっしゃった。それをまあ、しかたのないことであるとはいえ、お役所のヒエラルキーのなかで教育委員会などに提案したのがよくなかったのである。いまからいったって取り返しなどつかぬことだが、インターネットを活用して乱歩を、あえていうならば売名に利用する道を、名張市はみずから鎖してしまったのである。
しかしそれにしても残念な話である。あーこれこれ名張市教育委員会のあほのみなさんや。おまえらいっぺん泣かしたろかこら。
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